忍務31 砂漠の国を統べる者
エルフという種族は、森に存在するものが大半である。森とは彼らにとって存在意義であり、生活基盤となる場所でもある。
だが、神羅万象あらゆる事物には、例外というものが存在する。エルフにおける例外とは、森に住むことを良しとしない部族だ。
わずかな緑と黄砂の中で生活する、エルフの亜種ともいえる部族があった。それは、砂エルフと呼ばれている。
彼らの祖先は、森に住まう由緒正しいエルフであった。だが、人間による森の開発、魔族による焼失、森火事による森林面積の縮小に伴い、住処を失うエルフが多く出た時代がある。古い者は、運命としてそれを受け入れ、逼塞の生活を選んだ。しかし、若く力のある一人のエルフは、納得しなかった。小規模になった集落に受け入れられなかった、多くの若いエルフを引き連れ、新天地を目指す。保守的なエルフという集団の中で、この判断は革命的ではあった。
森を捨てたエルフは、すでにしてエルフにあらず。かつての同胞たちは、旅立つエルフに対して冷淡であった。ろくな物資も準備もできず、多くのエルフたちは旅路の途上で命を落としていった。
安住の地を求め、彼らがたどり着いたのは砂漠である。劣悪な旅路の与えた死の副産物として、生き残った彼らには生存能力が身についていた。砂漠ならば、人間との関わりも最小限にでき、闊歩する魔物や盗賊も彼らの弓の腕をもってすれば難敵足り得ない。小さなオアシスを、彼らは新たな生活基盤としたのだ。
これが、砂エルフの誕生となるのであった。
ダクの目の前で、サーラは短刀を地に刺し、なんとか起き上がろうと身を震わせる。ボロボロになった衣服が剥がれ落ち、白く美しくも幼い身体は生まれたままの姿を曝け出してしまっていた。
「くっ……こ、殺せ」
ダクを見上げ、サーラは屈辱の表情で言う。
「ほえ? やだ」
ダクは懐からマントを取り出し、サーラに覆い被せる。
「こ、こんなもの……」
サーラの小さな手が、マントを振り払おうとする。だが、その手は力なくマントの表面を滑るのみだ。
「ほえ。ぼくがかったんだから、もうしょうぶはおわりだよ」
マントの留め金を、ダクがとめる。サーラは、大きく目を開き長い耳を揺らしながらダクを見つめる。
「な、なぜ、殺さない……?」
「だって、きみをやっつけるのがにんむじゃないもの」
にっこりと笑い、ダクはサーラの頭をぽんぽんと撫でる。
「……この屈辱、いずれ返す。私を殺さなかったことを、きっと後悔させてやるからな」
「ほえ。また、あおうね、サーラ」
限界を迎え、サーラの身体ががくりと崩れる。寄りかかるように倒れてきたサーラの身体を横たえ、ふかふかの抱き枕を抱かせたダクは宮殿の入口へと目をやった。障害は、全て排した。あとは、女王ホルスに会いに行くだけだ。ダクは振り返らず、宮殿の中へと入って行った。
「おのれ……ダク……むにゃむにゃ、柔らかい……」
横になったサーラの口から、か細い声が漏れた。ぎゅっと手足を使って抱き枕を抱きしめる姿は、愛らしいものであった。
夜間とはいえ、宮殿内には衛兵の姿がそこかしこにあった。入口でアサシンと忍者が戦闘を繰り広げている物音がしていたので、みんな起き出してきたのだ。風のように駆け抜けていくダクの姿は、衛兵たちの誰にも捉えられない。
「ほえ。おんなのひとばっかりだね」
すれ違う衛兵たちに目をやり、ダクは呟く。女王の宮殿に常駐する衛兵たちは、皆女性である。彼女らは特殊な訓練を積んでおり、そこいらの軍兵では足元にも及ばぬ実力を持つ。いわば、ロイヤルガードといった部隊なのだ。
女性の群れの中に、男性が一人で侵入する。オジィあたりなら躊躇いそうな状況で、ダクはごく自然に動いていた。まだまだ、そういうことに意識を向けるような精神年齢ではないのだ。
ともあれ、ダクは難なく宮殿の二階部分に到達した。巡回の衛兵の死角へ潜り込み、天井に張り付いて気配を探る。ここから先は未知のエリアなので、慎重になるダクであった。
女王の私室らしい場所は、何となく見当がついた。最も強い気配を、その部屋から感じるからだ。私室には、見張りの衛兵はいなかった。レディアサシンを配置し、さらには宮殿内に手練れの衛兵を巡回させている。それだけで鉄壁の布陣であるので、あえて警備を置くことをしていないのだ。ダクのように気配を探れなければ、見落としてしまっていたかもしれない。
なんでもない、普通の扉をダクはそっと開ける。糸のように細い隙間があれば、それ以上扉を動かすことなく侵入できるのだ。
部屋に入ったダクは、豪奢な机と椅子、そして絹のヴェールのかかった天蓋付きのベッドを目にした。薄い絹越しに、ベッドにぼんやりとした明かりが見える。
「こんな夜更けにここまでやって来るとは、尋常でない手練れのようじゃな。見た所、子供にしか見えぬが」
薄絹の中から、艶のある声が響いてくる。
「ほえ。じょうおう、ホルスさまですか?」
後ろ手に扉を閉めて、ダクが問う。
「いかにも。妾がバンジャン王国女王、ホルスじゃ」
しゃっ、と音立てて、薄絹が開かれる。ベッドの上には、薄紫のふわふわしたローブを羽織った若い女性が座していた。白い肌に、青い瞳がダクをじっと見据えている。たゆたうような黒髪は長く、ベッドの下に届きそうなくらいだ。
「そなた、昼間に捕らえたダークエルフの子供か」
問いかけてくるホルスに、ダクは元気よくうなずく。
「ほえ。せいおうこくからきました。ちゅうにんのダクです。きょうは、じょうおうさまにききたいことがあります」
ダクは一足飛びにベッドへ近づくと、懐から紐のついた小石を取り出し、ホルスの眼前に突き出した。
「うそをつかれるとこまるので、じゅつをかけます」
ふよん、と紐を使って小石を揺らし、ダクが言う。自白の術だ。ダクが呪言を唱える直前、ホルスの手がダクに向けて動いた。
「妾にその術は、効かぬ」
とん、と音立てて、ダクとホルスの間に薄い鏡が置かれた。鏡には、小石を揺らしながら驚くダクの姿が映っている。
「ほえ? ぼくだ……」
鏡は高級品で、ダクは当然見たことがない。鏡面に映る自分の姿を、ダクは不思議そうな顔で眺めた。
「これは、真実の鏡。この鏡の前では、何人も偽りの姿を取ることができなくなる」
低い声で、ホルスが言う。鏡の中のダクの姿がぼやけ、にじんでいく。
「ほ、ほえ? ぼくのてが、あしが……」
鏡の前に立つダクの姿もまた、ぼやけていく。ふっくらした手足が、枯れ木のように細く尖ったものになり、まんまるお目目は尖った赤い眼に変わる。ふさふさしていた白い髪も、針金のようになってしまった。
「そなたに相応しい、禍々しい姿じゃの」
ホルスが手を振ると、ダクの周囲へさらに三枚の鏡が壁のように現れる。四枚の鏡が、妖魔の姿となったダクを囲みその姿を見せつけた。
「ぼ、ぼく、ぼくは……」
わなわなと、ダクは自分の手のひらを見つめて震える。鏡に映る恐ろしい化け物の姿は、まさしく自分自身の姿となっていた。
「そなたは化け物。知能も持たず愛も勇気も無い、闇に生きる妖魔ぞ」
ホルスの声が、ダクの耳朶を打つ。ダクは頭を抱え、ぎゅっと目を閉じうずくまった。
「ぼくは、ばけものじゃない! ぼくは、ちゅうにんの……」
「鏡を見よ。そなたはただの化け物じゃ!」
ホルスの強い声に、ダクが顔を上げる。そこには、苦悶の表情で見つめ返す醜い妖魔の姿があった。
「ぼ、くは……」
ダクの頭の中で、何かが割れる音がした。笑顔を浮かべるエリスの顔が、微笑みかけるエレナの顔が、頬を染めて口元で笑うエリッサの顔が、浮かんでは割れてゆく。
「忌まわしきダークエルフ、魔族の手先じゃ」
ホルスの静かな声。呆然としたダクの頭の中で、また何かが割れた。オジィとミツメ、カシャの顔。ダンゴとキャロの顔、そしてゴンザの顔も、浮かんでは割れてゆく。
「ダーク、エルフ……魔族の、手先……」
がくん、とダクの肩が落ちる。前のめりに、ダクは床へと倒れた。
「理性を持たぬ、哀れな獣よ」
とどめを刺すような、ホルスの声。ダクの頭の中に、一つの顔が浮かぶ。
「だれ……?」
思い出せない。それは黒い覆面だ。赤い眼光が、射抜くようにダクを見つめる。
『ダク、私の、可愛いダク……』
正体不明の声が、ダクの耳に届いてくる。床に涎を垂らし、呆けたように宙空を彷徨っていたダクの目が、何かを見つけた。
「とー、もく……」
蚊の鳴くような声で、ダクはその名を呟く。頭の中の頭目が、重々しくうなずいた。ぴしり、とその姿に、ヒビが入る。
「とーもく!」
がば、とダクが顔を上げる。
『わずらわしい術だ。だが、案ずるな、ダク』
頭の中の頭目が、ぱしんと手を合わせる。ヒビの入っていた頭目が、元通りになった。
「な、なんと、妾の、真実の鏡が……!」
ホルスの驚く声は、ダクには聞こえていない。無邪気な笑顔を浮かべ、頭目にぱちぱちと拍手を送る。
「さすがです、とーもく!」
『ふふん、それほどでも、ある』
えっへん、と頭目が胸を張る。それから、頭の中の頭目は何かを抱きしめるように腕を動かした。頭目の腕の中に、光に包まれた何かが現れる。
「ほえ……ぼく?」
頭目に抱かれ、嬉しそうに笑っているのはダクであった。まん丸お目目にふっくらした手足、ふさふさした白髪が揺れている。
『そうだ。これが、お前の姿だ。ダクよ、心を強く持つのだ』
正体不明の声で、頭目が言う。萎えていたダクの足に、力がこみ上げてくる。
「ほえ、とーもく!」
ダクは立ち上がり、鏡を見た。醜い小柄な怪物が、鏡の中でダクを見返してくる。ダクは目を閉じ、頭の中の頭目に意識を集中する。
「りん、ぴょー、とお、しゃ、かい、じん、れつ、ざい、ぜん!」
『臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前!』
頭目と二人、九字印を切った。
「真実を、見よ! そなたの感じているものは、全てまやかしじゃ!」
叫びを上げるホルスの声と共に、四方から鏡が迫ってくる。だが、目を閉じたダクには鏡像は見えない。ダクは両手を伸ばし、くるりと優雅な動きで横に一回転する。
「忍法、かまいたち!」
ダクの手から真空の刃が放たれ、四つの鏡は粉々に粉砕された。
「し、真実の、鏡が……」
ベッドの上で、女王ががっくりとうなだれる。目を開いたダクが、その姿を見やりつつ頭の中の頭目へ礼を言う。
「ほえ。ありがとうございます、とーもく」
『私はいつでもお前と共にある。それを忘れるな』
どこか弾んだ調子の正体不明の声がダクにそう告げて、頭の中の頭目は姿を消した。しかし、頭目の残していった温もりは、確かにダクの中に存在しているのであった。




