忍務28 おいかけっこ
忙しくて更新遅れました。申し訳ないです。
バンジャン王国女王、ホルスは今年で四十歳を迎える。だが、その美貌は衰えることを知らず、艶やかな黒髪と瑞々しい張りの肌は女王即位の二十歳の頃と何ら変わりがない。
王国の人間は皆、短命であった。それは王族とて例外ではなく、女王の両親たちも三十半ばで病死してしまっている。これは風土病や食糧事情の改善が、まだまだ未熟な域であることに関係している。
そんな中で、ホルスの四十という年齢はかなりの高齢だといえた。いつ儚くなってもおかしくなく、ホルスの息子たる王子たちも母親の身を案ずる毎日を送っている。
だが、周囲の心配をよそにホルスは女王として五十歳まで君臨し、それから息子に王位を渡すと言って憚らない。そんな女王が抱える大きな問題が、聖王国との外交問題である。
聖王国の力は強大で、舵取りを間違えればバンジャン王国はひと呑みに併呑されてしまうことだろう。そうした問題を任せるには、ホルスの息子たちは凡庸であった。
草花を愛し、砂漠の民を愛する女王ホルスが、平穏な老後を迎えられる日は依然遠くにあるのであった。
宮殿の地下から駆け出たダクは、黒い疾風となって宮殿内をひた走る。背後から、強い気配が追ってきていた。
「ほえ、にげなきゃ……」
宮殿の中庭へと出たダクは、周囲を見渡す。色とりどりの花が植えられた花壇があり、太陽の光を浴びて微風にそよいでいた。砂漠の中をやってきたダクには、それは久々に感じる緑の息吹であった。
「ほえ……みたことないおはながたくさん」
サルビアの鮮やかな赤い花を、ダクはじっと眺める。花の蜜を求めて、ちょうちょがふよふよと飛んだ。
「ほえ、ちょうちょ」
ふらふらと歩くダクの足元に、短刀が突き立った。振り向くと、そこには短刀を投擲した姿勢の少女がいた。
「そこまでだ。これ以上、お前をうろつかせるわけにはいかない」
腰を落とし、少女は片手の短刀を持ち上げて構える。
「ほえ……ぼくは、わるいこじゃないよ?」
肌を刺すほどの殺気をぶつけてくる少女に、ダクは首を傾げて言う。
「問答、無用!」
少女の姿が、一瞬ブレた。身を低くして、ダクに向かい猛スピードで迫ってくる。少女が繰り出す四つの斬撃は、ダクの手足を狙ったものだ。刃風を感じながら、ダクは宙返りで少女を飛び越えて背後に立った。
「ここは、ダメだよ。おはながきずついちゃう」
「お前が、大穴開けた場所だけど?」
振り返りながら、少女が短刀で指した地点に目をやる。花壇の一部がえぐれ、ヒト型の穴が開いていた。
「ほ、ほえ……?」
たらり、とダクの顔にひとすじの冷や汗が浮かんだ。
「抵抗せず、牢へと戻れば許す」
「もどったら、ぼくはどうなるの?」
「宮殿への不法侵入と器物損壊。少なくとも二回は死刑確定だ」
「ほえ……いのちは、ひとつしかないんだよ?」
「それだけ、お前の罪が重いということだ!」
再び少女が、斬りかかってくる。動きそのものは直線的で、読みやすいものだ。ゴンザの鞭の変幻自在さに慣れているダクにとって、避けるだけならば難しくは無い。
「あ、おはなさんが!」
刃を避けたダクが、声を上げる。サフィニアの花弁が、ひらひらと散った。
「お前が、大人しくしないからだ! あとで叱られるのは、私なんだぞ!」
ひゅん、と音立てて横なぎに払う一撃をかわし、ダクが少女の手首を蹴りつける。だが、ダクの足に返ってくる衝撃は硬いものだ。
「ほえ?」
「無駄だ! お前を仕留めるまで、私が得物を手放すことはない!」
少女の手には、幾重にも布が巻かれていた。布は衝撃を殺し、拡散させているようだった。
「ほえ……それなら」
両手を構えようとしたダクに、少女が急接近する。
「あの奇妙な術は、使わせない!」
短刀の斬撃と、蹴りと貫き手を交えた猛攻が繰り出された。忍法の使用には、一瞬の溜めが必要なのだ。目の前の少女はそれを理解しているらしく、ダクに忍法を使う余裕を与えない。純粋な体術だけでは、ダクは少女の攻撃を捌くので精一杯だった。
「ほえ、すごいね」
称賛の言葉を口にしながら、ダクはじりじりと後退して中庭を移動する。土の地面から硬い宮殿の床になっても、少女の攻撃は続いている。
「逃がさないし、距離を取ることも許さない!」
高速でステップを踏むように、ダクと少女は宮殿の中を進んでいく。
「ほえ、いいにおい」
「そこは厨房だ。お前を捌いて、さっさとお昼ご飯食べたい」
ちらりと見える部屋には、忙しそうに料理人が立ち働く姿があった。だが、高速すぎるダクと少女の動きは、誰にも気づかれなかった。
「ほえ、ゆげがでてきたね」
「そこは浴室だ。お前が大人しくしてくれれば、私は汗を流せるんだが」
つるつると滑る床の上を、ダクと少女は駆け抜けていく。でっぷりと肥った中年オヤジの頭から、タオルが風圧で飛ばされた。
「ほえ、きれいなおみずがあるね」
「水飲み場。宮殿の使用人に用意されたものだ。国いちばんの彫刻家が彫った噴水だ。壊すなよ」
拳と刃の応酬をしながら、ダクと少女は水をひとすくい飲んだ。冷たい水が、心地よくダクの咽喉を潤す。少女の攻撃も、鋭さが増した気がした。
「ほえ、おっきいかいだんだね」
「その上は、女王ホルス陛下の謁見の間に繋がっている。階段を登るなら、お前をバラバラに引き裂いてやるからな」
少女の攻撃が、階段から遠ざかるように繰り出される。何者かの視線を感じたが、ダクはそのまま少女の攻撃をいなし、足を動かす。
「ほえ、おそとがみえるね」
「ここは玄関口だ。お前を、このまま逃がすと思うか?」
多くの奴隷を従えた貴族らしい男が、静々と歩いていた。入口に立っている衛兵が、怪訝な顔でダクたちの通り過ぎるのを眺めていた。
「たくさん、ひとがいるね」
「ここは衛兵の詰所だが……くそ、私とお前の動きの速さに、誰も気づかないとはな」
詰所の中では、衛兵たちが雑談をしたり、カードで遊んだりストレッチをしたりしていた。恐らく、非番の連中なのだろう。気を張っていない状態では、二人の動きに対応するのは無理な話だった。
「ほえ、ながいろうかだね」
「くく、ようやくここまで追いつめたか……」
石を積み上げた造りの廊下を、ダクは後ろ向きに進んでいく。
「このさきには、なにがあるの?」
目を狙ってきた刃先を払いながら、ダクが聞いた。
「王族の皆様が退屈をしのぐために作られた、闘技場だ」
言うと同時に、少女が大きく蹴りを放った。受け止めたダクは、勢いに押されてそのまま吹き飛んだ。宙返りをして、硬い土の地面に着地する。そのダクの左右に、二人の人影が立っていた。
「ようこそ、侵入者」
右から、女の声とともに三日月刀が振り下ろされてくる。ダクは身を回し、足の先で剣先を蹴って刃をそらす。
「ここまでサーラを手こずらせるなんて、やるじゃない」
左から、高い声とともに横なぎの蹴りが飛んでくる。受け止めたダクの右手に、鈍い痛みが走った。
「ここまでだ。お前は、ここで死ぬ」
真正面から、少女が短刀の刃を立てて刺突の構えで突っ込んできた。とっさに、ダクは少女の短刀の刃に足を乗せ、飛び上がる。
「逃がさないよ!」
三日月刀を構えた女が、仲間の手に足を乗せて跳躍する。連携のとれた、見事な動きだった。空中で振り向いたダクが、迫る刀の刃の前で印を組む。
「忍法、バイバイたつまき!」
一瞬の隙をついて、ダクが手を自分に向けた。生じた暴風の塊が、ダクにぶつかりその身を大きく空へと跳ね上げる。
「なっ……!」
大きく打ちあがったダクに、少女の驚愕の声が残響する。放物線を描き、ダクの身体はサンドリアの町へと落ちていった。
夕刻になって、サンドリアの町は帰宅する人々の喧騒に包まれていた。その中にあって、カシャの経営する食堂の店長室は静けさと緊張感に包まれている。
「……ミツメ、どうなんだい?」
最奥の椅子に座るカシャが、イライラとした様子でミツメに聞いた。
「はい。ダク様は、なんとか脱出できたみたいですわ」
ミツメの答えに、カシャはほっと胸をなでおろす。
「そうかい。どこへ行ったか、わかるかい?」
続いての問いに、ミツメは首を横へ振る。
「いいえ。ダク様の速度が速すぎて……見失いましたわ」
ちっと、カシャの上品な唇から舌打ちが漏れた。
「あいつらに見つかる前に、何としても見つけないとね……手下を、何人か動かすか。ご苦労、ミツメ。もう目を閉じていいよ」
カシャの言葉に、両目を閉じてしゃがんでいたミツメが目を開いた。ぱっつんに切られた黒い前髪の隙間から、光が消える。
目を開いたミツメの視界に、壁際でうずくまって切なく呟きを続けるオジィの姿が映った。
「普通に、酒、飲みてぇ……」
「ダクをここへ連れて来るまで、我慢しな」
カシャが、冷たい声で言う。オジィの所持しているのは、どれも忍術用の度数の強い酒だった。
「それにしても……初っ端から、やらかしてくれるね」
硬い表情で、カシャが言う。ミツメが、肩をぴくんとさせた。
「で、でも、宮殿内部の情報がわかったのは、良いことですわ」
「強攻偵察もいいとこだよ。あれじゃ、奴らに警戒されちまう」
必死にフォローを入れるミツメに、カシャはあくまで冷淡に言う。
「奴らって……なんですの?」
「アサシンだ。聖王国で言うところの、うち等みたいな組織だよ。奴らはとんでもなく狡賢くて、執念深いのさ。狙われたら、あたしだって危ないよ」
「そんな……ダク様が」
ミツメは頭を抱え、へたり込んだ。
「奴らは、町の中にも潜んでる。見つかりゃ、ダク様でもイチコロかもよ」
ぐったりしたまま、オジィが言う。
「縁起でもないこと、言わないでくださいまし!」
ミツメの手から、水筒がオジィの頭に投じられた。ごいん、と重い音と共にオジィが撃沈する。
「このままでは、私の栄光の食っちゃ寝ロードが……」
打ちひしがれたミツメの背後で、店長室の戸が軽い音を立てて開く。
「ほえ、ただいまー」
ボロボロになった半裸の奴隷姿で、ダクが入室した。
「おかえり、中忍ダク。あんたの可愛い部下が、落ち込んでるよ」
くい、と顎を動かすカシャに、ダクはミツメとオジィを見る。
「ほえ。ふたりとも、げんきだして!」
「え? ああ……ダク様! ご無事でしたのね!」
復活したミツメが、抱きつかんばかりの喜色を示す。オジィは、未だに意識を手放していた。半分以上中身の入った水筒は、効いたのだ。
「しんぱいかけてごめんね、ミツメ。オジィは、かべぎわでなにしてるの?」
「人生について考えてるだけですわ、ダク様」
ふうん、とダクはオジィを見やり、うなずいた。
「よくわからないけど、じゃましちゃダメだよね」
「それは置いとくとして、ダク。あんた、どうやってここが?」
言われて、ダクは視線をカシャへと向けた。
「ほえ。きゅうでんでたたかってるとちゅうで、せんりがんのけはいがあったんです」
横のミツメを見やり、ダクは微笑んだ。
「ダク様……私のことを、感じてくださっていたのですね……感激ですわ」
頬に手を当てて、ミツメは満面の笑みを浮かべる。
「でも……」
と、ダクがカシャに視線を戻した。
「たぶんてきにもばれちゃってるかもだから、いそいでうごいたほうがいいかもですね」
え、とカシャとミツメが固まり、ダクを見る。
「だって、ミツメのせんりがん、けはいがかくれてないからすぐにわかるんだ」
あっけらかんとしたダクの言葉に、カシャがミツメにギギィと首を向ける。
「え? あの、私、その……ち、違いますわ! これは、ダク様が……」
慌てた様子のミツメが、ダクに恨みがましい視線を向けた。そのとき、ずんと建物全体に衝撃が走る。
「大変です、カシャ様!」
すぐに、下忍が駆け込んできた。
「何事だい?」
「奴らの、襲撃です!」
下忍の背後から、人の悲鳴と爆発音が聞こえてくる。舌打ちをしたカシャだったが、次の行動は迅速だった。店長室の隅にある床を、強く踏む。ぱかり、と床が開き、階段が現れた。
「ダク、逃げるよ! ここは爆破する!」
ダクたちの返事を待たずに、カシャは机の上にあるボタンを押した。たちまち、部屋の四隅にある松明の炎が激しさを増す。
「時間は十秒! 死にたくない奴は、表に出な!」
「ほ、ほえ!」
ダクはミツメとオジィを抱え、階段に飛び込む。
「あんたは、表から出るんだ。ドジ踏むんじゃないよ!」
ダクたちの背後で、カシャが下忍に指示を出す。背中でそれを聞きながら、ダクは足を動かした。
間もなく、大きな衝撃がやってくる。ダクたちは身を伏せて、備えた。




