忍務27 たどりついたサンドリア
かつてバンジャン王国の国土である砂漠には、多くの魔物の巣が点在していた。砂漠に住まう魔獣たちは、少ないオアシスの恵みを求めて群雄割拠していたのである。
この状況に切り込んだのは、冒険者ギルドだった。珍しい魔物由来の物品や、巣に溜め込んだ財宝などを求め、多くの冒険者が魔物の巣へと乗り込み魔物を次々と討伐していった。
長い年月を経て、砂漠の魔物は激減する。冒険者の得た財産はギルドによって交易品となり、バンジャン王国の財政を潤すこととなった。魔獣の討伐と交易の拡大により、王国はさらなる飛躍を遂げたのだ。オアシスは人族のものとなり、王国の住民は加速度的に増えることとなる。
一方で、魔物の討伐の済んだ魔物の巣は、そのまま放置されることとなる。多くは土や砂の中に住まう魔物なので、人間の住処としては不適切なものなのだ。ここに目をつけたのが、犯罪者たちである。
賊徒となった犯罪者たちは、遺棄された魔物の巣を自分たちのアジトとして利用している。人の寄り付かないような場所にあるので、王国のラクダ騎士たちも手を出しにくいのだ。
冒険者たちによる魔物の討伐は、人族の活動領域を拡げた。だが皮肉にも、それは賊徒の活動を拡げる結果にもなったのだ。
バンジャン王国が、現在頭を痛める要因の、大きなもののひとつである。
クルミとオジィ、そしてミツメを乗せたラクダは、王国首都サンドリアの門前へと繋がれた。クルミの案内で、門をくぐった一行は町の北区域の一角にある食堂へと入ってゆく。
「お帰りなさいませ、クルミ様」
ウエイターの恰好をした男が、料理を載せたお盆を持ったままクルミに恭しく礼をする。
「ただいま帰りました。変わりは無いですか?」
外見通りの清楚な態度で、クルミが問う。
「はい。こちらは、依然変わらず、といったところです。……そちらの方々は、北の?」
男の視線が、背後のオジィとミツメに移った。目つきや態度は変わらないが、どこか探ってくるような気配がある。
「ええ、そうです。これからここに住むので、よろしくお願いしますね」
答えたのは、クルミである。男はオジィとミツメに軽く頭を下げると、料理を持って客席へと移動していった。
「奥へ行きましょうか、ふたりとも」
クルミに言われ、オジィとミツメは食堂の奥にある扉へと入る。石造りの廊下には食堂従業員の休憩室、そして応接間などがあった。クルミは廊下を突き当りまで進み、店長室と書かれたプレートのある部屋に入る。クルミに続いてオジィとミツメも部屋に入ると、後ろ手に戸を閉めた。
「ここが、カシャ様の隠れ家ですかい?」
店長室の内部を見渡しながら、オジィが聞いた。一見、ごく普通の部屋に見える。木製のクローゼットと、机が置かれているだけの部屋だ。ただし、この部屋には窓が無かった。蒸し暑い空気が、部屋の中に漂っている。
「厄介なアサシンどもの眼を、誤魔化さなきゃいけないからね。ちょっと待ってな、今涼しくするから」
言ってクルミは自身の服に手をかけて、一気に剥ぎ取る。ゆったりとしながら身体にフィットしていた服の下からは、赤い忍者服が現れた。
ぱちん、とカシャが指を鳴らすと、部屋の四隅の松明が明るさを増した。同時に、周囲の温度が急激に下がる。オジィは、露出した肌が粟立つのを感じた。
「涼しい……ですわ」
驚くミツメに、カシャは得意げに笑顔をみせる。
「火術の応用さ。それより、体調はどうだい」
カシャの問いに、ミツメは面目ないといった様子でうつむく。
「もう、大丈夫です……すみません、足を引っ張ってしまって……」
謝罪を受けて、カシャの顔が真顔になる。
「謝るなら、まずあんたの上司のダクにしな。あの子はきっと、あんたの体調を慮ってしんがりを務めたんだからね」
返す言葉もなく、ミツメは小柄な身体を小さくして顔を歪める。
「そ、そういや、どうして食堂なんかをやってるんです?」
気まずい沈黙に、オジィが声を上げた。カシャはオジィに顔を向け、にやりと笑う。
「情報を集めるのに、丁度いいからさ。ここの連中は、酒を飲まないからね」
カシャの答えに、オジィは苦い顔をする。サンドリアの住人は、酒を飲むことを禁じられている。酒飲みのオジィとしては、考えられない法律だ。
「冒険者の連中は、飲める。あんたは、冒険者になって生活するんだね」
暗闇の中に一条の光を見たオジィは、ほっと肩を撫でおろす。そこへ、忍者服の男が天井から降ってきた。
「カシャ様、事件です」
「内容は?」
下忍らしい男は、カシャに跪いた姿勢でオジィとミツメを見る。構わない、とカシャが手を挙げると、下忍はうなずいた。
「先ほど、ホルス宮殿のほうへ謎の物体が飛来、そのまま墜落した模様。宮殿内は蜂の巣をつついたような騒ぎになっております」
カシャが一瞬、あっけにとられた顔になる。
「飛来した物体の詳細は?」
気を取り直して聞いたカシャへ、下忍が真面目な顔で口を開いた。
「はっ、奴隷の恰好をした、ダークエルフだそうです。あくまで、町の噂なのですが……」
カシャ、そしてオジィとミツメの口が、ぽかんと開いた。
「……いかがされました、カシャ様?」
下忍の問いに、カシャが正気に返る。
「何やってんだあの馬鹿はああああ!」
カシャの叫びは、店長室を大きく揺らした。
バンジャン王国女王、ホルスの住む宮殿。白く滑らかな外壁と、美しい緑の庭園がある。その庭園の一部に、ぽっかりとヒト型の穴が開いていた。元から、そういう設計であったわけではない。突如空から飛来した何かが、開けていった穴なのだ。
穴を開けた何かは、現在宮殿の地下牢にいた。ひんやりとした石壁に、鉄格子がはめ込まれている。床材はすべすべした大理石で、そこに一人の少年ダークエルフがうつ伏せに倒れていた。
「ほ、ほえ……」
奇声を上げながら、ダークエルフは起き上がる。ダクである。頭に手をやり、左右に振って周りを見る。どうやら、牢屋の中にいることが理解できた。
「目を覚ましたか、妖魔め!」
鉄格子の向こうから、鋭い声が聞こえた。振り向いたダクの視界に、槍の切っ先を構える獄吏の姿が見える。薄布に皮鎧をまとった女性で、厳しい表情を浮かべダクを睨みつけていた。
「ほえ、ここどこ?」
のんびりした声が、牢屋の壁を反響していく。暢気なダクの顔に、獄吏は一瞬呆気にとられ槍を下ろしかけた。だが、彼女は職務に忠実な獄吏であった。
「妖魔が目覚めた! すぐに陛下に知らせろ!」
槍を構え直し、油断の無い所作で大声を上げる。たちまち、急ぎ足の足音が遠ざかっていった。
「ほえ。おねーさん、ここはどこなの?」
「そんな顔をしたって、私は惑わされんぞ、妖魔め!」
「ほえ、ようま……?」
首をこてん、と傾げるダク。
「お前だ、お前!」
槍の先でダクを指し、獄吏は言った。
「ぼく?」
ダクは自分の身体を見る。だぶだぶの長ズボンと鎖の付いた首輪、そして褐色の少年らしい身体が見えるだけだ。
「ぼく、ふつうのにんげんだよ?」
きょとん、としてダクは言った。獄吏はその姿にノックアウトされそうになり、何とか自分の心に芽生えかける何かを抑え込む。
「耳だ、耳! それは、ダークエルフのものだろう!」
獄吏のツッコミに、ダクはようやく気付いた。おそらく、落下の衝撃によるものだろう。変化の術が解けてしまっており、ダクの長い耳がひょこひょこと揺れている。
「あ! えと、あの……」
耳に手をやり、ダクは慌てた。もはや手遅れなのであるが、耳を隠さなければならない。ダクは獄吏の背後を指さした。
「忍法、あっちむいてほい!」
「な、何だ?」
獄吏が、顔を背後に向ける。その隙に、ダクは耳を高速でぐにぐに弄って普通の耳にする。
「何もないでは……んん?」
「ほら、ぼくはふつーのにんげんだよ!」
身を乗り出し、ダクは自分の耳を指差す。獄吏は目を瞬かせ、ダクの耳を食い入るように見る。
「な、何だと……? さ、さっきまで長かったのに」
「ほ、ほえ? なんのこと?」
首を傾げてとぼけるダクに、獄吏が鉄格子の間から腕を伸ばした。ダクの耳を引っ張るように動かし、感触を確かめる。
「ひっぱったら、いたいよ」
「お、おかしい……ふにふにの、本物の耳だ……ふにふに、してる」
うっとりした表情で、獄吏はダクの耳をさわさわした。耳を弄られくすぐったがりながら、ダクは獄吏の腰にぶら下がった鍵束を目にする。
「ほえ、ごめんなさい、おねーさん」
ダクの手が閃き、獄吏のみぞおちに軽く一撃を当てる。うっ、と呻いて、獄吏はその場へ崩れ落ちた。ダクは獄吏の腰から鍵束を抜き、牢屋の扉を器用に開ける。
「にげなくっちゃ」
牢屋の外へ出たダクの足元へ、短刀が突き立った。
「逃がさない」
長い廊下の奥から、少女の声が聞こえてくる。闇を見通すダクの目が、その正体を見た。
「あ、あのときのおんなのこ!」
逆手に短刀を構え、突っ込んでくるのはオアシスで戦った少女だ。
「ここで消えてもらう!」
「やだ!」
短刀の切っ先をかわし、ダクは天井へと飛んだ。少女は身をひるがえし、天井から落下するであろうダクを待つ。
「素早い動き……だけど」
天井には掴まるものは何もなく、すべすべの大理石だ。落ちてくるしか、道は無い。そして空中という場所に、逃げ場は無いのだ。少女は勝利を確信し、短刀を着地予測地点へと繰り出した。
「ほえ、さよならー」
だが、ダクの動きは少女の予測の上を行った。ダクは、まるで重力を無視するかのごとく天井に立ち、そのまま駆け去って行く。
「え?」
ぽかん、と少女が気の抜けた声を出し、動きを止めた。二秒ほどの隙だったが、それはダクにとっては充分な時間である。天井を走り、そのまま地上への階段の天井を駆け登る。忍者にしか、できない芸当だった。
「こ、こら、待てー!」
少女の姿が影のようになり、疾走を始めるころにはダクの姿は見えなくなっていた。
「うーん……ふにふに……ふにふにぃ」
牢屋の前に取り残された獄吏が、平和な寝言を呟いた。




