忍務3 山賊退治にきたけれど
聖王国の忍者たちの本拠地は、聖王国の北方エルファン領にあった。領地を治める女領主はエルフであり、その領地面積のほとんどは山と森である。耕作には適さず、人口は少ない。森の民が聖王国に臣従した結果、集落を束ねる女王がそのまま領主となったのだ。
領内の山には、いくつかの村が点在していた。住人の大半は人間で、エルフやドワーフなどの他種族はほとんどいない。領主から村の代官として送られてくるのも、人間だった。代官の主な仕事は徴税と、そして徴兵である。厳しい環境の中、人口調整のため口減らしとして子供を領主のもとへと連れていく。女領主のもとへ連れて行かれた子供たちが、村へ帰ってくることは無かった。村人たちは、それを悲しんだりはしない。自分たちの食い扶持を稼ぐので、精一杯だからだ。
エリスの案内で、ダクは小さな丘の麓へやってきた。エリスの足で、歩いて半日ほどの場所だ。丘の上にはモット・アンド・ベーリー様式で建築された砦があった。丘の斜面を利用し、丸太の塀を立てた砦は堅牢であった。
「あそこが、山賊の住処よ」
麓の木の陰に身を隠しながら、エリスが言った。
「ほえ、りっぱなおうちだね。何人くらいすんでるのかな?」
のほほんと、草の茎をくわえたダクが問う。忍務は、山賊全員を退治することだ。総数は、知っておく必要がある。
「たぶん、百人くらいいるんじゃないかしら」
「ほえー、いっぱいいるんだね」
感嘆の声を上げるダクの視界中で、砦の各所に松明が掲げられる。日は暮れて、夜を迎えようとしていた。
「きれいだね」
松明にライトアップされた砦を見て、ダクが感想を述べる。あくまで、視線は砦に向けられたままだ。
「な、何言ってるの? き、きれいだ、なんて……ふふ」
なぜか、エリスが頬を押さえてくねくねと奇妙な動きをし始める。エルフ族に伝わる、伝統の舞か何かだろうか。ダクは気にせず、砦の端から端まで視界を動かした。
「ほえ。門は、ひとつだけみたいだね。これならだいじょうぶかな。エリス、案内ありがと……エリス?」
まだくねくね動いているエリスに、ダクは首を傾げる。はっとなったエリスが、真っ赤になって顔を上げた。
「な、何かしら、ダク?」
夜目の効くダクには、夕日のように真っ赤なエリスの顔はよく見えた。
「ほえ、どうしたのエリス? おねつがあるのかな」
ダクは小さな手を、エリスの額に当てて熱を測る。耳の先まで、エリスは真っ赤になった。
「ほえ……少しあついね。だいじょうぶ?」
「だ、だだだ大丈夫よ、問題ないわ!」
さっと、エリスが離れた。ダクの反射神経をもってしても、追えない動きだった。
「そ、それよりも!」
「ほえ?」
「これから、どうするの?」
「ほえ。そうだね。あそこに行って、わるい山賊をこらしめてくる。エリスは、どうする? ひとりで、帰れる?」
にっこりと、散歩にでも行くような口ぶりでダクは言った。
「……女の子に、暗い夜道を一人で帰れって、言うの?」
じろり、とエリスがダクを睨み付けて問う。
「ほえ……でも、エリスもエルフだよね。じゃあ、暗いのはだいじょうぶじゃない?」
「く、暗いのが見えていたって、夜は危険なの! 獣とか、いるし」
エリスの言葉に、ダクはほえほえとうなずく。
「わかった。それじゃあ、少しまってて」
ダクは言って、エリスの前から姿を消した。常人には捉えられないほどの速度で、森の中を駆けまわる。そして大量の木材をかかえてエリスの元へ戻ると、すさまじいスピードで何かを組み上げていく。
「ぼくがもどるまで、ここにいてよ。すぐおわるから」
一分とかからず、エリスの前には小屋が建っていた。
「何、これ……どんな魔法を使ったの?」
目を丸くするエリスに、ダクは得意げな顔で笑う。
「ほえ。きぎょうひみつだよ。なかへどうぞ、エリス」
小屋の扉を、ダクが開けてエリスを手招く。恐る恐る、エリスが中へと足を踏み入れた。
「おふとんには、これをつかってね。ちょっとごわごわしてるかもだけど」
エリスに手渡すのは、狼の毛皮である。綺麗に洗って、天日で干していた。
「これは?」
エリスが、壁を見つめて言った。そこには、可愛らしくも幼稚なタッチのうさぎの彫刻が施されている。
「ほえ。さみしくないように、ほっておいたんだ。うさぎさんだよ」
ふふ、とエリスが笑った。
「確かに、これなら寂しくないわね。ありがと、ダク」
「ほえほえ、どういたしまして」
ぎゅっと両手を握られ、ダクは少し照れた顔になる。エリスの手のひらはすべすべで、柔らかい手だった。
「それじゃあ、いってくるね」
小屋にエリスを残して、砦へ向かおうとする。
「一人で、大丈夫なの?」
エリスの心配そうな声が、ダクの背中に届いた。
「だいじょうぶ。それに、ぼくひとりでやらなくちゃいけないことだから」
きっぱりとうなずくダクの行く手には、堅牢な木造の砦があった。
「ダク……」
「すぐに、もどってくるから!」
エリスの心細い声を振り切るように、ダクは足に力を入れた。
一回目の跳躍で、丘の中腹までたどり着く。二回目、砦の壁が目の前に迫る。
「ほえ!」
掛け声を上げて、ダクは壁に足をつけて走った。ダクの身体は重力に引かれて落下することなく、壁を登っていく。そのまま垂直に駆け上がり、丸太で組まれた見張り台の上にたどり着いた。
「ぬ、何だお前……」
声を上げかけた見張りの男に、ダクの手刀が閃いた。男は小さく呻き、その場に崩れ落ちる。見張り台の上に立ったダクは、耳に手を伸ばしてもにゅもにゅとした。両耳が、ぴょこんと伸びる。そのまま、上から砦の中を見渡した。
「ほえ、ほえ、ほえ……小屋が、五つ。門はあそこで……ほえ!」
見張り台から跳んだダクは、小屋の前に降り立った。
「ん? な、なんだこのガキ、どっから現れた!」
「ほえ、眠り針」
ふっとダクが口をすぼめて息を吐く。小屋の前を巡回していた男が、どさりと倒れ眠った。
ひくひくと、耳を動かす。五つの小屋の中からは、陽気に騒ぐ山賊たちの声が聞こえてきた。ダクは少し考えて、忍者服の懐に手を入れた。取り出したのは、くるりと巻いた太い紐の輪が五つ。輪の先端から出ている糸に、松明の火をつける。ばちばちと、糸から火花が噴き出した。
「忍法、あばれねずみ」
五つの小屋すべてに、ダクは輪を投げ込んだ。次の瞬間、ぱんぱんと激しい音が小屋に響いた。
「な、何だ! 敵か!」
「おおお、火が、火が!」
「俺の酒が!」
種々の悲鳴とともに、山賊の男たちが小屋から飛び出てくる。泡を食って周囲を見回す男たちの前に、門を背にした少年忍者が仁王立ちになっていた。
「て、てめえの仕業か、クソガキが!」
ぼさぼさの髪の毛に焦げ目を作った男が、ダクを睨んで言った。視線を受け止めて、ダクはのほほんとしたまま男を見返す。
「おじさん、へんなあたまだね。山の流行りかな」
くすくすと、ダクは笑った。焦げた男のこめかみの血管が、ぷちんと音を立てる。
「野郎ぶっころしゃあああ!」
殴りかかってくる男を、ひょいとかわして首筋に手刀を叩きこむ。どさり、と倒れた男を見もせずに、ダクは前方の男たちを眺めた。
「おじさんたち、わるい山賊だよね。ぼくが、こらしめてあげる」
腰を落とし、構えてダクが言った。男たちは、酔いに濁った眼で互いを見つめ合い、腰に差した山刀を抜いていく。
「ちょっとできるみたいだが、舐めるなよガキめ! 野郎ども、囲んでやっちまえ!」
半裸にモヒカンの男が、命令した。山賊たちはダクを取り囲み、門前には半裸の男の半円包囲網が出来上がる。実に、九十人の半裸がそこに集っている。恐ろしい光景だった。
「ほえ、忍法ぐるぐるまい!」
大の大人でも怯む光景だったが、ダクは平然として半裸の包囲網の中で身体を回転させる。右から斬りかかってくる男の腹に拳を打ち込み、左の男の顎をフックで打ち抜く。ぐるぐると回りながら、まるで舞を踊るように半裸どもを打倒していく。一人、また一人と倒れる半裸たちはダクから離れた。
「ほえー、目がまわるー」
ふらふらと、ダクが目を渦巻きにして回転を止めた。隙だらけだった。
「いまだ! やっちまえ!」
モヒカン男の号令に、残った半裸たちが襲い掛かる。
「ほえ、忍法ぎゃくかいてん!」
ダクが声を上げて、今度は逆回りに身体を回転させた。なすすべもなく、男たちはまた打倒されていく。モヒカン男を残し、全ての半裸が倒れたところでダクは回転を止めた。
「ほえ。ぎゃくかいてんしたらすっきりした」
「どういう理屈だよ!」
モヒカン男が、思わず声を上げる。
「ほえ、わかんない」
こくん、と首を傾げてダクが答えた。わからないものは、仕方がないのである。
「あとは、おじさんだけだね。かくごはいい?」
ゆらり、と近づくダク。モヒカン男は後ずさり、両手を突き出して待ったをかける。
「ま、待て、まだだ!」
きょろきょろと周囲を見るモヒカン男に、ダクはゆっくりと近づいた。ふと、モヒカン男の視点が留まる。小屋の物陰から、がさりと何かが動く音がした。
「これだ!」
モヒカン男の身体が、物陰に動く。視線を動かして、ダクはモヒカン男の行ったほうへ目を向けた。
「きゃあっ!」
「ほえ? エリス!」
そこには、モヒカン男の腕にぶら下げられたエリスの姿があった。
「ほ、ほえ、エリスがどうしてここに?」
「ダクが、心配で……こっそり付いてきたの……この、離しなさいよっ!」
暴れるエリスを、モヒカン男はにやにやと笑いながら押さえつける。エリスの細い首に、山刀の先端が突き付けられた。
「ふへへ、俺さまの悪運も、まだまだ健在だな。おいガキ、この子の命が惜しけりゃ、降伏しな。さもないと……」
モヒカン男はエリスに突き付けた山刀の先を、その首に少し刺した。つっと、一筋の血が流れる。
「可愛い身体に、傷がつくことになるぜえ、うへへ……あん?」
モヒカン男は、ダクの様子に眉をひそめた。泣き顔だったエリスも同様に、ダクを見つめる。ダクの瞳は赤く光り、全身からはおぞましいオーラが噴き出していた。
「……エリスを、はなせ」
低い声が、ダクの口から漏れた。禍々しい圧力に満ちたその声は、今までののほほんとした雰囲気とは違うものだ。
「は、はなすもんか。お前こそ、大人しくしろ!」
狼狽えたモヒカン男が、じりっと足を後ろに滑らせながら言った。ダクはモヒカン男を睨み付け、忍者服の懐へ手を入れる。
「はなさないと……怒るからね」
「ちくしょう、これが見えねえのか!」
エリスの首に突き付けられた山刀が動き、小さく傷を広げる。
「つっ……ああっ!」
エリスの悲鳴が、砦に響いた。
「あ、あああああ!」
モヒカン男が、悲鳴を上げた。山刀を持っていた腕が、根元から斬りとばされている。その傷口から血が噴き出る前に、エリスを掴む腕が飛んだ。
「忍法、双刃鎌鼬」
モヒカン男の背後に回ったダクが、呟くように言った。その腕には、エリスの身体がお姫様だっこされている。
「ぐああああ! ガキが、このガキがああああ! た、たすけて、助けてくださいお頭ああああああ!」
両腕を失い、血を噴き出すモヒカン男が叫ぶ。
「エリス……だいじょうぶ?」
平然とした様子で、ダクはエリスの首の傷口を見た。少し切れてはいるものの、浅い傷だった。
「ダク……ごめんなさい、私のために……」
ダクの腕の中で、エリスが小さく言った。その肩は震え、目じりには涙が浮かんでいる。
「ぼくこそ、エリスにけが、させちゃった。ごめんね」
エリスの首の傷を、ダクは舐めた。
「ひゃ、な、ななな何をするのよ」
「ほえ。ばいきんがはいらないように、しょうどくだよ?」
耳の先まで真っ赤になるエリスへ、ダクがにっこりと言った。その顔には、先ほどまでの異常な感情は消えてなくなりのほほんとした表情が戻っている。
「そ、そう、消毒、なら仕方ないわね。そ、それなら、もう少し、消毒、して?」
なぜか目を閉じて、エリスが咽喉を突き出すように顔を上げた。
「ほ、ほえ……」
得体のしれない圧力に、ダクは舌を出してエリスの首へと近づけていく。
「そこまでだ。青春色のお子様たちめ」
ふいに掛けられた声に、ダクは顔を上げる。エリスが弾かれたように、ダクの腕の中から離れた。ダクの反射速度をもってしても、捉えられない動きだった。
「だ、誰よ、あなた?」
エリスが、声を震わせて言った。いつの間にか、二人の近くにローブ姿の長身の男が立っていた。
「私は、ここの山賊どもを従えいずれ世界を混沌に陥れる者。ヴァルカンという」
長身の男は一礼して、微笑みを浮かべた。長い銀色の髪の両脇から、硬質なツノのようなものが生えている。
「ま、魔族……」
エリスの口から、呆然と声が漏れた。
「まぞく……ほえ?」
恐れる表情のエリスと、あまりわかっていない様子のダク。強敵の、登場だった。




