忍務16 まもののむれがあらわれた!
評価、ブックマークありがとうございます! とても励みになります。
今回は、少し短めです。
魔物を率いる魔族たちは、時折訓練を行う。本能で暴れる魔物を、いかに規律をもって指揮することができるか。かつて大攻勢を繰り出した際に、魔将軍と呼ばれる魔族がこれを実行した。魔将軍には才能があり、統制のとれた魔物の軍団が完成する。
魔将軍は、強力な魔族同士による集団戦闘訓練を行わせた。その際に、使われたアイテムがある。邪悪な闇の精霊を象った像で、一定の思念波を飛ばすだけのものだ。これを、暗号のようにして使う。
思念波の長さで、暗号文の内容が変わる。一秒流せば、そこに部隊がいる、と知らせる意味になる。五秒で、戦闘準備完了、の合図だ。思念波は魔物にも伝わり、戦意を向上させてゆく。
魔族の中で口さがない者たちは、このアイテムのことを全自動喧嘩売り機、と呼んでいる。訓練という名目で、気に入らない者を叩きのめすために使ったりもしたからだ。
この像が光続ける限り、思念波は放たれ続ける。十秒を越えた時点で、暗号の内容は固定される。この地点に向かって全力で進軍し、動くものすべてを殲滅せよ、という指令だ。よほどの精鋭を率いる魔族か、全力で喧嘩を売りたい者だけが、この暗号を用いるのだ。
パンアンの町の北側は、騒然としていた。夜明け前の薄暗い地平の先に、赤く光るものの群れが見える。十や二十ではきかない数の、魔物の群れだ。彼らの放つ眼光が、赤い光となって見えていた。
「ほえ……すっごいたくさんいるよ」
廃屋の屋根に上り、ダクは目の上に右手をかざして遠見をする。町へ向かって整然と行進してくる魔物の群れから立ち上ってくる闘気が、ぴりぴりとダクの肌を刺した。
「んしょ、んしょ……」
ダクの背後で、幼い声が聞こえる。振り向いたダクの視線の先に、エリッサの小さな手が見えた。
「ほえ? エリッサ?」
どうやら屋根に上ろうとしているようなので、ダクは手を貸した。
「ありがとう、おにいちゃん」
手を取って引き上げると、エリッサはそのままダクの腕の中に収まった。ぎゅっとしがみついてくるエリッサに、ダクも腕を回す。
「めがさめたの? エリッサ」
「うん。おきたらおにいちゃんがいなくなってて、さがしてたの」
捕まえた、というようにエリッサはダクを強く抱きしめ、顔を上向けて微笑んだ。
「ほえ、ごめんね。ちょっとキャロとさんぽにいってたんだ。エリッサはよくねむってたから、そのままにしてたんだよ」
「おきたらまるたになってたんだもん、おにいちゃん。ふにふにしてるのに、あんなにかたくなっちゃうなんて、びっくりしたの」
エリッサは眠るときに、ダクを抱き枕のようにして手足でしがみついていた。像の捜索へ出る際に、ダクは身代わりに丸太を抱かせたのである。その時点で目を覚まさなかったのは、忍法のなせる業であった。
「それで、おにいちゃん。なにみてたの?」
ダクの腕の中で、エリッサが器用に身体の向きを変えた。ダクはそのままエリッサを抱き上げて、北の方角を向く。宵闇の名残を残した地平に、赤い光が無数にたなびいていた。
「きれい……」
うっとりと、エリッサが呟く。町に迫る魔物の群れである、と知らなければ幻想的な景色である。北の外壁の崩れた部分から、町民の悲鳴や怒号などはエリッサには聞こえていないようだった。
「わたしにみせてくれて、ありがと、おにいちゃん」
そんなことを言いながら、エリッサがダクの手を握る。小さなエリッサの手は、少し冷たくなっていた。手指を温めるように、ダクはエリッサの手を握り返す。静かな時間が、流れた。
「ぼく、いかなくちゃ」
ダクの言葉に、エリッサが身を翻した。
「どこへいくの、おにいちゃん?」
「あのひかりのところへ。きれいだけど、ぼくはあれをやっつけなきゃいけないんだ」
「せっかくきれいなのに、やっつけちゃうの?」
残念そうな顔をするエリッサに、ダクはうなずく。
「あれがまちについたら、みんなめちゃくちゃにされちゃうんだ。とめないといけない。あぶないから、エリッサはここでまってて」
「わたしをおいてくの、おにいちゃん?」
エリッサの瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。ダクは、そんなエリッサの頭にぽんと手を置いた。
「ほえ。エリッサがゆめをみてるあいだに、ぜんぶおわらせてくるから」
ダクの指が、エリッサの頭から首筋を撫でて動く。
「……おにいちゃん」
ダクの指先につままれた眠り針が、エリッサの首に刺さる。その直前に、エリッサの顔が動いた。ダクの頬に、ちょこんとエリッサの唇が触れる。
「ほえ?」
「いってらっしゃい、おにいちゃん」
呆然とするダクに微笑みながら、エリッサは眠りに落ちた。脱力して寄りかかる身体を横抱きにして、ダクは屋根を下りる。廃屋の中に、出来るだけ寝心地の良い場所を作り、そっとエリッサを横たえた。
「いってきます、エリッサ」
熟睡するエリッサに丸太を抱かせ、ダクは廃屋を後にした。目指すは、北の外壁の外だ。建物の屋根から屋根へ、小さな身体を飛翔させる。黒い疾風となったダクは、外壁を乗り越えて町の外へ出た。
赤い光の群れへ向かい疾走しながら、ダクは耳に手をやった。ぐにぐにぴょこん、と長い耳が現れる。身を低くして、ダクはひた走る。魔物の群れの先頭で、燃え滾るイヌのような魔物が目を剥いた。
「忍法、かまいたち!」
ダクの手から、風の刃が放たれる。高速で手を振りぬく動作によって生じた、真空の斬撃だ。イヌの魔物の首が、ごとりと落ちた。傷口からは血の代わりに炎が滴り落ちる。周囲の魔物たちが警戒のいろを見せてダクを取り囲んだ。たったいま倒したイヌの魔物と同じものが、数十体はいるようだった。
「ほえ。まものあいてだったら、てかげんはしないからね!」
足を止めて身構えるダクに、イヌたちは三百六十度あらゆる方面から襲い掛かる。ダクの身体が、炎のイヌの群れに飲み込まれた。
直後、イヌが悲鳴の吠え声とともに弾けるように飛びさがる。塊になったイヌの前に、ダクがゆっくりと身を起こす。丸太を身代わりにした、変わり身の術だ。しかも、ダクの使ったその丸太にはびっしりとトゲが生えていた。
「忍法、ふーじんたつまき!」
暴風にさらわれて、イヌの群れは天高く飛ばされお星さまになった。
風神竜巻を放ち終えたダクが、再び駆け始める。次に進軍してきたのは、巨大なサルのような魔物だ。闇色の毛並みに、瞳には邪悪な赤い光が宿っている。
サルたちはダクの頭ほどもある石を、ダクに向かって一斉に投擲してくる。びゅんびゅんと無数の投石攻撃にさらされ、ダクは回避に専念する。一撃でも当たれば、無事ではいられない。
「忍法、ぶんしんのじゅつ!」
走り回りながら印を組み、ダクは分身の術を発動させた。全身がブレるほどの高速で動き、残像を生み出していく。それだけならば普通の分身であるが、ダクの場合は違った。丸太を懐から出して、次々と地面に埋め込んでいく。飛来する石の弾丸の中で、ダクは鼻歌交じりにこれを行った。
「ほえ、かんせい! 忍法、まとあてげえむのじん!」
ダクの動きが止まり、分身が消えた。だが、投石はやってこない。サルたちは、立てられた丸太に向かい次々に石を投げ続けるだけだ。
丸太には、黒い丸を中心に二つの輪が描かれていた。真ん中に当たれば、大当たりである。ただし、景品は無い。ちょっとした満足感が得られるだけだ。
こーんこーんと乾いた音を立てて、丸太が揺れる。たちまち、丸太の根元には大量の石材が山積みになっていく。投げる石が無くなり、ようやくサルたちは正気に戻った。
猛然と、サルの群れがダクに殺到する。うずたかく積み上げた石の上で、ダクはサルたちの横列を悠然と見下ろした。
「ほえ、おかえしだよ! 忍法、いしつなみ!」
両手を広げ、風の忍法を使う。大風に吹き飛ばされ、無数の石はそのままサルたちの顔や腹に向かって飛んだ。弾丸の速さをもって、石が津波のごとくサルたちを飲み込んでいく。石にぶつかり風に飛ばされ、サルの群れもいなくなった。
「ほえ。ちょっと、つかれた」
ふらり、とダクの足運びが揺れる。度重なる忍法の行使と、そして連続した徹夜が身体に効いていた。ぱっちりまぶたが、重くなっていく。
「ほえ……んむ、まだ、だいじょうぶ」
目をこすり、自分に言い聞かせるように呟くダク。その長い褐色の耳が、ぴくんと動いた。ばさり、ばさりと風が空気を叩く音。上空から聞こえてくるのは、羽ばたきの音だ。ダクの顔が、弾かれたように上を向く。
「ほえぇ……」
ワイバーンの群れが、町へ向かって飛行していた。その数、三十匹である。
「な、なんとかしなきゃ……りん、ぴょう、とお、しゃ、かい、じん、れつ、ざい、ぜん!」
九字を切り、ダクは抜けていく身体に力を込める。忍法とは、体術にて物理を組み伏せ奇跡を呼ぶ業である。手の動き、足の動き、そのすべてで大自然に干渉し、有り得ぬ現象を招くのだ。
「忍法、じめんにむかってふうじんたつまき!」
ワイバーンたちの頭上で、暴風が吹き荒れた。羽ばたきによって揚力を得ていたワイバーンの群れは、たちまちに失速して地面へと叩きつけられる。皮膜は破れ、翼は折れ曲がった。しかし、ワイバーンたちの肉体は強靭である。起き上がり、へろへろになったダクを取り囲んだ。
「ほえ……に、にんぽう、つかわなきゃ」
細かく震えながら手を伸ばしたダクの身体を、ワイバーンの尻尾が打ち据える。べきり、とダクの身体の中で不気味な音が鳴った。
「ほえぇぇ……すっごく、いたい」
地面に倒れたダクの口から、か細い声が漏れる。数匹のワイバーンがダクの頭上に迫り、大きな口をぱっくりと開いた。




