忍務15 ひょうたんからコマが出た
ゴロンド公爵領一の大商人、チゴヤの過去は暗い。貧しい農村に生まれた彼は、幼い頃に凶作による飢饉で家族を失った。残された田畑は商人の手によってタダ同然で買い取られ、ほぼ無一文で辺境の町へ放り出された。それが、チゴヤの商人としてのスタートだった。
少なすぎる元手を、チゴヤはコツコツと増やした。まともな商人では扱わない荷を、彼は商った。商売を覚えるまで、何度も転落した。少年から青年へと成長したときに、魔族の大攻勢があった。人族が手を取り合い挑む大戦争は、チゴヤにとってはまたとない商機の訪れでもあった。
武器、薬、食料など、様々な物流の中に、チゴヤは身を投じていった。取引相手を選ばず、時折痛い目に遭いながらもチゴヤは戦争を生き残った。そして中年の域に差し掛かる頃には、彼は大商人として名を上げていた。魔族との戦争、そして小国同士の紛争など、戦乱の世を泳ぎ渡った彼は聖王国のゴロンド公爵へと取り入ることに成功し、現在もなお己の富を生み増やしている。
でっぷりと肥ったチゴヤに、かつての貧しさの面影はもうない。富と権力、そして猜疑心と虚栄に彩られた大商人。それが、今の彼の姿であった。
お尻を押さえてうつ伏せになるダクとキャロを残し、ダンゴは姿を消した。魔物の情報を集めるため、町の酒場へ行くためだ。外見的に、ダクやキャロには行けない場所である。
「ほえ……いたい」
「うぅ……あんたのせいで、ダンゴさまに怒られたじゃない!」
先に立ち直ったキャロが、ダクの頭を叩いた。
「ほえ、キャロだって、ぼくがとめたのに」
「口答えしない! そもそも、あんたが余計なことに首を突っ込むからいけないの!」
キャロの言葉に、ダクはしゅんとなった。
「ほえ……ごめんね、キャロ」
素直なダクの謝罪に、キャロは少しばつの悪い顔になる。一時の感情に身を委ね、高威力の忍術をぶっ放しそうになったのは、ほかならぬキャロである。
「……もう、いいわよ」
しょげ返ったダクに、小さな声でキャロが言った。それからダクの手を取って引き起こし、屋敷の玄関を見つめる。
「それより、やるなら最後までしなくちゃね」
キャロの隣で、ダクもうなずいた。冒険者を使いエリッサの命を狙った商人を、こらしめる。忍務には関係はないけれど、ダンゴはそれをするなとも言わなかった。ならば、やることはひとつだ。ダクとキャロは顔を見合わせてうなずき合い、屋敷の中へ潜入する。
玄関先で争いの物音があって、屋敷のあちこちに明かりが灯された。騒々しい気配が無いのは、この屋敷にいる使用人の数が少ないためである。屋敷の主であるダイコークは、チゴヤ商会の倹約の精神を忠実に守っていた。
寝間着のまま、ダイコークは書斎で一人の男と向き合っている。肌触りの良い仕立てのふわふわした寝間着とは対照的に、ダイコークの表情は硬い。書斎の机に置かれた不気味な像を、ダイコークは見つめる。机の対面に立つ男は、青い顔でダイコークの言葉を待つ。
「お前が、尾けられていたのではないのか?」
粘り気のある声が、男を責める。
「そんなはずは、ありません。像を回収してから、何度も背後は警戒しました」
男の額に、冷や汗が流れる。男は元冒険者で、腕を買われてダイコークに雇われていた。いち商人の私兵となったことにより、仲間たちからは蔑まれている。もしクビになってしまえば、男に戻る場所は無い。
「だが、こうして像が私の手元に戻ったとたんに、襲撃があった。これはどう説明するのだ?」
ダイコークの問いは、辛辣だった。像を手にして、満悦して寝床へ潜ったとたんに爆音で目を覚まさせられたのだ。彼の機嫌は、すこぶる悪い。
「も、もうすぐ、警備のパーティが戻ります。そうすれば、事情も判るのではないかと……な、なんでしたら、私が見に行っても」
「馬鹿者。そうすれば、私の身辺を守る者がいなくなるではないか」
男は書斎を脱出しようと試みたが、逃げられなかった。こうなれば、早く警備が戻ってくることを祈りながら耐えるしかない。冷や汗を流しながら、男は元の位置へと戻る。
「まったく、役に立たんな。このままでは、お前はクビだ。もっと優秀な冒険者を雇わねば」
「お、お待ちください! 私は、もう行く所が……」
「知らん。お前のこさえた借金の残りは、お前の妹にでも払ってもらうことにしようか?」
身を乗り出した男に、ダイコークは冷たく言い放つ。男はうつむき、土下座をする。
「お願いします! 私が、死ぬ気で働きます! だから、妹には」
「その覚悟を常に持っていれば、今のような状況にならなかったのだ。それもわからんか」
そのとき、男がいきなり立ち上がった。何を、というダイコークの言葉を、男が手をかざして止める。
「煙です。これは……」
書斎の床から、煙が薄く立ち上っていた。
「どういうことだ!」
わめくダイコークに、男が後ろ手で布を渡した。
「煙を吸わないように、それをくちにあて……」
男が、横倒しに倒れた。ダイコークは渡された布を口に当て、書斎を見渡す。まもなく煙は部屋中に充満して、自分の手足も見えないくらいの濃度になった。
「な、何が起こった……」
ダイコークの頭から、大量の汗が流れ落ちる。首筋に、ちくっと何かが刺さる感覚があった。ダイコークの意識は、そこで途切れた。
肥った寝間着の男を、ダクは屋敷の納屋へと運んだ。後ろを付いて来るキャロは、像を手に持っている。重さ的にどう考えても不公平な割り振りだったが、ダクは文句の言えない立場である。
「ほえ、おもかった」
どすん、と納屋の床へ男を下ろす。その衝撃で、寝間着の男は目を覚ましたようだった。
「な、何が起こったのだ……」
男は短い首を回し、周囲を確認する。後ろ手に縛られていることに、そこでようやく気付いたようだった。
「ほえ。おじさん、だあれ? ここで、いちばんえらいひと?」
ほんわかと聞くダクの声に、男は目を見開いた。
「お、お前は、何者だ? この支店長ダイコークさまに、こんなことをして無事で済むとでも」
喚き始める男の眼の前に、キャロが像をどん、と置いた。邪悪な闇の炎の精霊の像が、怪しく光る。
「あんた、コレの持ち主よね? コレがどういったものなのか、あたしたちに教えてくれるかしら?」
じろり、とキャロが男を睨み付ける。男の目はしかし、像に向けられたまま固まっていた。
「な、なんてことだ……像が、像が……」
「像が、どうしたって言うのよ?」
キャロが首を傾げ、像を見る。ほんのりと、禍々しい光を放っていた。
「ほえ、ひかってるね。キャロがどんっておいてから」
ダクの言葉に、キャロの動きが固まった。
「なんてことだ……もう、おしまいだぁ……」
絶望の表情になって、男が呻く。ダクは、首をこくんと傾けた。
「キャロ、このぞうになにかをしたの?」
ダクの問いかけに、キャロは唐突にパンチを繰り出した。キャロの拳はダクの鼻を真正面から打ち抜く。
「あ、あたしじゃないわよ! きっと像に仕掛けがあったの! 自動的になったのよ! 目覚ましに便利でしょ?」
よくわからないことを言いながら、キャロが手をぶんぶんと振って否定する。
「ほえ……いたいよ」
つーっと流れてきた鼻血をすすり、ダクが抗議の目をキャロへ向けた。
「あ、ああ……」
そのとき、男がダクに目を向けて掠れた声を上げた。
「ほえ? どうしたの、おじさん?」
「だ、だだだだ、ダーク、エルフ!」
脂肪に覆われた顔じゅうを目にしてめいっぱい開き、男は恐怖に叫んだ。
「ダク、耳!」
「ほえ、あっ、さっきキャロがなぐったから、へんげのじゅつが……」
ダクが耳に手をやると、ぴょこん、と長く尖った耳が突き出してしまっていた。
「はやく、かくさなきゃ」
もにょもにょとダクは耳をいじり始める。その手を、キャロが掴んで止めた。
「ほえ? どしたのキャロ」
「ちょっと耳貸しなさい」
キャロがダクの耳に口を寄せて、こそこそと小声を出した。敏感になった耳の感覚に、こそばゆいものが走る。何とか耐えたダクは、こっくりとうなずいた。
「さて、ダイコークとか言ったわね。あんたに、聞きたいことがあるんだけど?」
相談を済ませたダクとキャロが、ダイコークに向き直る。びくん、とダイコークの全身が震えた。
「な、何を、聞くというんだ、私は何も……」
「何も話さない、とでも言うつもりかしら?」
にぃ、とキャロの口が笑みに吊り上がる。そしてキャロが、右手の指をぺちんと鳴らす。
「が、がおー」
「ひぃぃぃ!」
ダクが、口を開いてダイコークににじり寄る。迫力は全く無いものだったが、ダイコークの口からは恐怖の悲鳴が上がった。
「あんたの見立てどおり、こいつはダークエルフよ。残忍で、殺戮を好む闇の妖魔。食われたくなかったら、素直になったほうがいいわよ?」
くに、とダクは指を曲げて爪を立て、ダイコークの前で止まった。
「わ、わかった! な、何でも話す! だから、そいつをどうにかしてくれ!」
縛られて動けないダイコークは、あっさりと陥落した。
「ダク、もういいわよ」
「ほえ、わかった」
ダクが身を引いて、耳をいじくる。代わりにキャロがダイコークに詰め寄った。
「それで、この像にはどんな仕掛けがあるのよ?」
瞳を恐怖の色に染めて、ダイコークはうなだれて口を開いた。
「そ、それは、魔族から貰った邪精霊の像で……仕掛けが作動すると、その……」
もぞもぞと、ダイコークが身をよじる。キャロが、ダイコークの襟首を掴んで揺さぶった。
「魔族から、ですって? 仕掛けが作動すると、どうなるのよ!」
「は、はい……作動すると、魔物を呼び寄せるのです……! こ、この場所に向かって、町の周囲の魔物が殺到してきます! 危険なので、どうか私を逃がしてください! どんなお礼でもしますから!」
「このおバカ!」
身体を前倒しにして懇願してくるダイコークを、キャロは張り倒した。
「ほえ……キャロがうごかしちゃったぞう、そんなちからがあるんだね」
「偶然! 作動しちゃったのよ! で、でも、大丈夫よ! この像で呼び出したやつら、みんな撃退できたんでしょう?」
キャロの問いに、ダイコークは呆けたような表情で首を横へ振った。
「像を貰った魔族に、使用方法について聞きました。長く作動させればさせるほど、強い魔物がやってくるんです」
ダイコークの言葉に、キャロは置いていた像を持ち上げその顔に押し付けていく。
「ど、どうすれば止まるのよ!」
「像の底にある出っ張りを、三回押せば止まります……」
キャロの手が、残像の出来るほどの速度で像をひっくり返す。像の端っこがダイコークの顎にクリーンヒットしたが、キャロは気にしない。像の底の出っ張りを、三度押した。だが、ほのかに禍々しい光は止まらない。
「ちょっと、止まらないじゃないの!」
キャロがぐにゃりとなったダイコークを揺さぶるが、彼の意識はすでに夢の世界へと旅立っていた。
「ほえ……キャロ、こわしちゃった?」
像を指差して、ダクが言った。
「ぐ、偶然! たまたまよ! 不良品だったんだわ! そ、それより、どうしようダク!」
ぐいぐいと今度はダクの首を締め上げながら、キャロが大声を上げる。ぶらんぶらんと揺らめきながら、ダクは口を開いた。
「ほえ。おちついて、キャロ。まず、まもののくるほうこうとか、たしかめなきゃ」
ダクの声に、キャロは振り回していたダクの襟首を離した。ぽい、と投げ上げられたダクは、くるんと宙で一回転して着地する。
「そうだわ! と、とにかく、ダクは魔物がどこから来るか、調べておきなさい! あたしは、ダンゴさまに報告に行くから!」
一方的に言って、キャロは姿を消した。残されたのは、ダクとダイコークの二人きりだ。
「ほえ……」
ダクはダイコークの身体を引き起こし、縄を切ってからほっぺたを軽く叩いた。
「ん、こ、ここは……ひぃ、ダークエルフ!」
「ほえ? ぼくは、ふつーのこどもだよ。ダークエルフって、だあれ?」
再び目を覚まし喚くダイコークに、ダクは全力ですっとぼけた。
「それより、おじさんにお願いがあるんだけど」
ぱくぱくと口を開けて白目になるダイコークに、ダクは言った。
「は、はい! なんでもしますから、どうか殺さないで!」
号泣しながら土下座するダイコークを前に、ダクは後ろ頭をぽりぽりとかいた。
「ほえ……」
恐れ入った様子で、ダクのお願いを聞くダイコーク。そうして、パンアンの町と魔物の戦いが今、始まろうとしているのであった。




