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駄エルフ忍者  作者: S.U.Y
第一章 下忍編
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忍務1 はじめてのおつかい

 黒の森、と呼ばれる場所がある。闇樫の密生した森で、中は昼間でも日光が差すことはなく、常に薄暗い。森に住まうのは、尋常ではない獣、魔獣の類だった。木々からは瘴気のようなもやが出ており、人間がそこへ近づくことは無かった。

 黒の森の中で、時折ヒトに似た何かを見かけることがあった。それは、ダークエルフと呼ばれる生物で、浅黒い肌と長い耳、そして銀の髪を持つ、美しく妖しい種族であった。魔法を使うことはできないが、彼らは恐ろしく俊敏であり、頑丈だった。黒の森という異質な魔境で育ったのであれば、それは当然身に付くものだった。

 彼らは好戦的であり残忍で、森へ踏み入った人間たちを殺戮していた。命からがら、仲間の犠牲をもって撤退に成功した冒険者が、領主にダークエルフの存在を訴え、そして領主は国王にそれを伝えた。それが、全ての始まりである。

 大陸の覇権を握る聖王国は、黒の森に特殊部隊を送り込んだ。凶暴な猛獣や魔族の召喚するモンスターなどものともしない、屈強で残忍な者たちであった。魔族の王の暗殺さえも、彼らの手にかかれば容易いことであった。聖王国の誇る最強の武力の拳が、黒の森に振り下ろされたのである。

 黒の森のダークエルフは、あえなく族滅された。聖王国は黒の森に火を放ち、広大な森を跡形もなく焼き尽くした。森の猛獣や闇樫の木々に対する、完膚なきまでの皆殺しである。苛烈な処置に魔族は震えあがり、聖王国に対する警戒を強めていくのであった。

 そして、幾年かの月日が経った。


 十歳ほどの少年が、街道をてくてくと歩いていた。のんびりと歩くその姿は、人間のように見える。少し浅黒い肌と、さらさらの銀髪が風にそよそよと揺れていた。大規模な交易路とは外れた街道なので、人の行き来は少ない。たまに通り過ぎる人間に、少年は会釈をする。旅人も会釈を返し、歩み別れていく。街道沿いに群生している菜の花が、ゆらゆらと揺れていた。白い蝶が、菜の花にとまる。ぽかぽかとした陽気の中で、少年は旅を楽しむように歩いていた。

 夕日が沈み、夜を迎える。街道を歩く少年の足は、止まってはいなかった。休むことなく、てくてくと歩いている。のんびりと、周囲の景色を楽しむように遠くを見つめるその顔は、余裕の表情であった。

 いくつかの宿場を越えると、菜の花ではなく背の高い木々が道の両側に生えていた。森の小道、といった風情なのだが、夜になれば暗く獣の声が轟く不気味な場所になる。少年は変わらず、真っすぐに歩いていた。手を伸ばせば、何も見えなくなるくらいの道だった。

 狼の唸り声が、木々の隙間から聞こえてくる。少年は初めて足を止めて、耳を立てた。がさり、がさりと茂みを揺らすような音が、少しずつ、少年の周りに円を描くように近づいてきている。

「ぼくは、あんまりおいしくないよ」

 闇の中に、少年の細い声が上がった。ぼそぼそと呟くような、小さな音量は、木の葉の擦れ合わさる音にかき消されてしまう。

 少年の前方に、狼が姿を見せた。少年に向かって、威嚇するような咆哮を上げる。同時に、少年の背後から二匹の狼が襲い掛かる。前方の狼を陽動に使った、奇襲作戦だった。少年の死角からの攻撃で、さらには深い闇がある。狼の牙は、少年の肩口にぐさりと刺さる、かに見えた。

 少年の姿が、消えた。二匹の狼の牙は空を切り、勢いのままつんのめるように前方へと投げ出される。そのうちの一匹の頭へ、刃物が突き立った。頭を割られた狼は絶命し、血の泡を吹いて倒れる。突然の出来事に、残った二匹の狼がぐるぐると唸り、周りを見るべく身体を回す。

「食べきれないから、逃げていいよ」

 ぼそぼそと、木々の上から少年の声が聞こえた。同時に、狼の鼻先へ小石のつぶてがぶつけられる。ギャオン、と悲鳴を上げた狼たちは、木々の隙間を割って逃走した。

 倒れた狼の死体の側に、少年が降り立った。着地の音は、しなかった。少年は狼の頭に突き立った刃物を抜き取ると、鮮やかな手つきで狼を解体し始める。月のない、真っ暗闇の夜であった。だが、少年は正確な刃さばきで、瞬く間に解体を終えた。

 食べられない内臓や骨は、街道の側の土に埋める。枯れた木を集め、少年はたき火を作った。夜の街道には人気はなく、少年は道の真ん中で堂々と肉を焼く。香ばしい匂いが、風に乗って木々を抜けていった。

 焼いただけの肉を、少年はむさぼるように食べつくす。狼の肉は、あっという間に少年の腹の中に収まった。大きくなったお腹をひとさすりした少年が、小さくあくびをした。

 きょろきょろと少年はあたりを見回して、手ごろな枝ぶりの木を見つける。するするとその木に登り、小さな身体を木の枝に預けると少年はすやすやと眠りについた。木に登って眠るまで、およそ十秒。恐ろしい、早業であった。


 翌朝、まだ暗い時間に少年は目覚めると、たき火の痕跡を消して再びてくてくと歩き始めた。街道を歩き、宿場を通り過ぎ、山を越えて谷を越えて、昼前になる頃に少年はようやく足を止める。そこは、田舎町の領主の館、といった風情の建物の前だった。白い石造りの建物に、新緑の生垣がよく映えていた。建物の裏口へ回った少年は、その中へと足を踏み入れた。

 建物の外見は、ちっぽけな館である。だがその内部は、曲がりくねった廊下と曲がり角をいくつも備えた、素人ならば迷子になってしまうレベルのものだった。少年は廊下を曲がり、突き当りの壁に手をつく。壁がくるりと回ると、その中へ少年の身体は消えていった。

「よくぞ戻った、ダク。密書をこちらへ」

 壁の先には、広い空間があった。木造の部屋の両脇には、大きな柱が六本立っている。柱の間に、篝火が焚かれていた。木造の部屋で使うには危険な照明であったが、少年は気にしない。てくてくと、篝火の間を歩いて行く。その先には、巨大な木像の置かれた祭壇のようなものがあった。祭壇の前に、座っている黒衣の人影と、腕組みをして立つ禿頭の巨漢が一人いた。巨漢も、黒い衣装を身にまとっている。その面構えは厳めしく、どう見ても堅気の人間には見えない。少年へ声を掛けたのは、この巨漢である。

「おてがみを、うけとってきました」

 異様なこの部屋に、少年ののほほんとした声が響いた。少年の手によって差し出された手紙を、巨漢の手が奪い取る。そのまま、巨漢は少年に拳骨を落とした。

「受け取ってきました、ではないわ、馬鹿者!」

「ほえ?」

 ごちん、と音立てて、巨漢の拳が少年に突き立った。

「い、いたいです、ゴンザさま」

 涙目になって頭頂部を押さえ、少年が声を上げて巨漢を見上げる。

「密書を届けるのに、どれほどの時間をかけるつもりだ、ダクよ」

「ほえ……朝に届ければ、いいのですよね?」

 きょとん、とダクが首を傾げ、聞いた。

「馬鹿者! 三日後の朝までに、と言ったのだ! それに、今はもう朝ではない!」

 小柄なダクの身体が、吹き飛ばされそうな音量だった。慌てて押さえるダクの耳が、にゅっと伸びる。それは、エルフの耳だった。

「この程度のことで、変化の術を解くではない、未熟者め!」

 ごちん、とさらにゴンザの拳が落ちる。目の中に火花を発したダクが、ぺこぺこと頭を下げる。

「ご、ごめんなさい! す、すぐにもどしますから!」

 ダクの指が、己の長い耳に伸びる。ぐにぐにと耳をいじり、くるりと回すと耳が縮み、人間のものになった。

「……やはり、修行が足りぬようだな、ダクよ」

 不機嫌そうにその様子を見ながら、ゴンザが祭壇に座する黒衣の人間に手紙を恭しく渡す。

「頭目、ダクにはまだ修行を続けさせたほうが良い、と存じますが」

 頭目は、手紙を受け取りうなずいた。

「確かに、そうかもな」

 頭目の口から、正体不明の声が漏れる。男のようで女のようで、若いようで老いているようでもある。覆面をしているので、頭目の顔はわからない。ダクにとって、頭目とは黒装束の人影そのものであった。

「聞いたか、ダク。頭目も、お前の修行が足りないことにお怒りだ」

「ほえ、ごめんなさい……」

 肩を落とし、ダクはしゅんとなってうつむいた。痛々しい消沈の様子だったが、ゴンザは手加減をしない。さらに拳骨を落とすべく、拳を振り上げる。

「……待て、ゴンザ」

 そこへ、頭目から制止の声が上がった。ゴンザは動きを止めて、頭目に向き直り土下座の姿勢を取る。ダクも、ゴンザに続いてひれ伏した。

「期日に遅れたとはいえ、密書の件、まずは大儀であった。褒美として、正式に下忍に取りたてる」

「ほんとうですか! とーもく!」

 喜色を浮かべ、ダクが顔を上げる。

「頭が高い!」

 ゴンザの拳骨が、たちまちダクに落とされた。

「し、しかし頭目、こやつは忍務の期日を守れませなんだ! 失敗、と見做しても良いと」

「ゴンザ、私の決定に、不満があるか」

 ぎらり、と覆面の向こうからゴンザに向けて視線が投げかけられる。気の弱い者ならば、よくて失神、悪くすれば心臓麻痺をしかねないほどの視線だ。

「め、滅相も、ございません……」

 ゴンザは頭を床にこすりつけ、謝意を示した。

「……とはいえ、期日に遅れた、という事に対しては、罰を与えねばなるまいな」

 付け加えられた頭目の言葉に、ダクの顔が不安に満ちた。

「ほえ……ば、ばつ、ですか……ごはん抜き、とかですか?」

 恐る恐る、ダクが聞いた。頭目は、ゆっくりと首を横へ振って手紙をひらひらと振る。

「新たな忍務を、受けてもらう。お前ひとりで、だ。協力者がいなくては困難な忍務ではあるが、失敗は許さぬ。もし、失敗すれば……」

 ぞくり、とダクの全身に寒気が走った。失敗すれば、どうなるか。それは、ぶつけられた殺気がすべてを物語っていた。

「せ、せいいっぱい、がんばります、とーもく!」

 声を震わせながら、ダクは承諾するしかなかった。身分の上下に厳しい社会において、頭目の言葉は絶対である。断ることは、できはしない。

「よく言った。それではこれより、忍務を与える。ここより五日ほど歩いた先にある山村の付近を荒らしまわる山賊を、討伐してくるのだ。お前ひとりの力で、な」

「ほ、ほえ、山賊、ですか?」

 ぶるり、とダクは身を震わせる。頭目は、重々しくうなずいた。

「一人残らず、狩り尽してくるのだ。行け、ダク」

 くい、と頭目が顎を動かす。震えて動けずにいると、ゴンザが立ち上がり拳骨を振り上げた。

「さっさと行かぬか! 馬鹿者め!」

「ほ、ほえ! いってきます!」

 しゃん、と立ち上がって敬礼を決めて、ダクはくるりと振り返ると部屋の出口へ駆けて行った。


 ダクの出て行った後、ゴンザは不安そうな表情で木造を見上げる。

「頭目、あやつには、まだ忍務は早いのでは……」

 ゴンザの声には、ダクを心配する色が強く表れていた。五つの歳から、ダクを厳しく育て上げてきたのは、ゴンザである。当人としては、父親のつもりでいた。

「あれしきの忍務で消えるような下忍であるならば、我々には必要の無い者だということ……」

 返ってきた頭目の声は、冷徹そのものだった。

「こっそりと、付いて行ってはいけませぬか……?」

「未練は、捨てよ。そして信じるがいい。己の課した、厳しい修行にあやつは耐えきったのだ」

「そう、ですな……」

 厳めしい顔を歪めて、ゴンザは唸る。頭目が、側で立ち上がった。

「頭目、どちらへ?」

「野暮用である。ひと月ほど、留守にする。ダクが戻るまでには、戻ってくる」

「はっ。お気をつけて、いってらっしゃいませ、頭目」

 頭を下げるゴンザに、頭目は小さく鼻で笑った。

「誰に言っている。緊急の用があれば、鷹を飛ばせ」

 そう言った直後、頭目の姿は消えた。瞬時に、影も形も無くなる頭目の術に、ゴンザの禿頭には冷や汗が浮かんだ。

「さすがは、聖王国の忍者の頂点に立つお方……心配など、無用であるな」

 呟いて、ゴンザは歩いて部屋を出るのであった。

新連載、始めました。どうぞ肩の力を抜いて、お楽しみください。

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