15
【太陽と月の終わらない恋の歌 O Holy Night 15.】
マノンはちらりとダヴィッドを見上げると、何も言わずに彼の横をすり抜けて寝室へ入っていった。
ダヴィッドは静かに扉を閉める。
そうして一度、覚悟を決めるように深く息を吸うと、マノンの方へ向き直った。
「どうした、眠れないのか」
「うん……」
そんな短い会話のあと、気まずい沈黙。
「温めたミルクでも運ばせようか」
「ううん、いいの……」
またしても沈黙。
二人は、広い寝室の中央あたりで、奇妙な距離を保ちながら向き合っていた。まるで見えない壁が二人の間に立ちはだかっているような感じで、お互いそれを越えようとしているのに、どうしていいか分からないでいる。下手な芝居の道化のようだ。
ダヴィッドはあらためてマノンをじっくりと見た。
小さな身体……暖炉の火を受けて光る髪……甘い色の大きな瞳。大きくて形のいい綺麗な目だ。
心苦しくなって、ダヴィッドは顔をしかめた。
「話がないなら、自分の部屋に戻りなさい。明日の朝は早く起きなくてはならないだろう」
「話なら、あるわ」
マノンは慌てて言った。「だいじな話が」
「じゃあ、早く話してしまいなさい」
「わたし……ダヴィッドにお礼を言いたかったの……。たすけてくれて、ありがとうって。それから、この服も、くつも、てぶくろも、ぜんぶ」
「いいんだよ」
「それから、ごめんなさいも、言わなくちゃ……」
「なぜ?」
「あの……本をよんでってお願いしてしまったことを。それから、聖誕祭のことを、たくさん楽しみにしてたのも。ダヴィッドはいやで、『めいわく』だったんでしょう?」
悲しみに沈んだマノンの瞳に見すえられて、ダヴィッドは息を呑んだ。
そして昨夜、焦燥感にさいなまれてマノンへ投げつけてしまった自分の台詞を思い出して、深い後悔を感じた。まだこんなに幼い、不安定な状況に立たされている子供に言っていいことではなかったのだ。
「マノン──」
「ぜんぶ……ごめんなさい。ぜんぶ、あやまるから、もうしないから、おしごともするから、ここに居ちゃだめ……?」
「マノン、違うんだ」
「ダヴィッドがすきなの。ダヴィッドのおうちがいいの。何でもするから、ほんとうに、ほんとうに何でもするから! おねがい!」
ここまで声を上げると、マノンは手にしていた人形を投げ出し、ダヴィッドへ駆け寄って抱きついた。そのままダヴィッドの腰周りに両腕を巻きつけ、感極まったように泣き始める。それも、声を上げて泣くのではなくて、必死で嗚咽を抑えながらの泣き方だったから、ますます痛々しい。
「…………」
ダヴィッドは胸の低い位置にくるマノンの頭を、ゆっくりと片手で抱いた。
そして天井を見上げて、自分もこんな風に泣けたら楽かもしれないと、ぼんやりと思う。
指先から伝わってくる、柔らかい髪の質感。
小さな身体が震える振動。
これは、守らなければいけないものだ。マノン。満月の夜に見つけた小さな救いの光。俺の……美しすぎる月。
ああ、そうだ、どんなものからでも君を守ろう。
俺自身、からも。
「マノン、いいことを教えてあげよう。あるお伽噺だ」
ダヴィッドは、優しいといってもいいような穏かな口調で、マノンの耳元にささやきかけた。
「ルザーンの街には怪盗がいる──。『黒の怪盗』と呼ばれるその義賊は、夜な夜なルザーンの街に現れては、貧しいものを助けたり、不正を働こうとする連中を懲らしめたりする」
マノンは涙に濡れたままの顔を上げた。
そして、どこか悲しげに微笑んでいるダヴィッドを見上げる。
ダヴィッドは、マノンのためにいつのまにかお得意になっていたお伽噺の語り方を駆使して、ゆっくりと続きを紡いだ。
「『黒の怪盗』は、その昔……まだ、彼が小さな子供だったころ、悪い連中に父親を殺され、家を焼かれて孤児になった。すごく辛くて、苦しくて、大人になって実業家として成功したあとも、辛い過去の記憶は消えなかった。だから彼は夜の街を駆けるんだ」
マノンは鼻をすすりながら首を左右に振った。
「ちがうわ、それは……ダヴィッドよ」
「そう、俺だよ。そして、『黒の怪盗』はある満月の夜、一人の女の子を見つけた。裏路地で凍えて、病気になりそうになっていた綺麗な金髪の女の子だ」
そう言って、ダヴィッドはマノンの髪を一房だけすくって、首を垂れ、その流れに……軽い口付けをした。
「『黒の怪盗』は彼女を家に連れて帰って看病した。医者も呼んできたんだが、その医者が銀髪の色男だったもので、彼女は『黒の怪盗』より彼の方がお気に入りだったようだが」
ダヴィッドのおどけた調子で言ったので、マノンは再び首を横に振った。
「ううん、その子がすきなのは、きっと『黒の怪盗』だけよ」
「それはどうも」
「ほんとうよ。ほんとう……」
「そうか」
ダヴィッドは微笑んでいた。
「とにかく……看病の甲斐あって、その女の子は元気になった。『黒の怪盗』もとても喜んだ。女の子はとても素直で明るくていい子で、『黒の怪盗』は彼女が大好きになった」
「ダヴィッド……」
「でも『黒の怪盗』は毎晩危険にさらされている。ずっと家に居てやることもできない。だから、その女の子と暮らし続けたいけれど、できないんだ」
再び、二人の間に沈黙が訪れた。
しっかりと抱き合ったまま、気がつけば二人の間にあった見えない壁はどこかへ消え去っている。ただ、不思議と優しい沈黙だけが二人の周りにあって、外の世界から彼らを守ってくれているようだった。
いつのまにか、暖炉の火が弱まってきていた。
「それでも……それでもいいって、わたしが言ったら……?」
すがるようにマノンが聞いた。
「駄目だ、マノン。俺たちは離れて暮らすべきなんだ。でもそれは俺がお前が嫌いになったとか、迷惑に思ってるからではないのを、覚えていてくれ」
ダヴィッドは静かに答えた。
聖なる夜よ、聖なる夜よ──。
神よ、俺はあんたを信じたことはなかった。
それでも今年の聖なる夜に、二つの孤独な魂が、お互いの安らかな居場所を見つけ出せるよう……祈らせて欲しい。




