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06




【太陽と月の終わらない恋の歌 O Holy Night 6.】




 寝室に残されたバトラーと女中は、しばし呆然としていた。


 主人であるダヴィッドに消えられてしまい、彼らのもとに残されたのは、名前も知らない凍死しかけている少女だけ……。


「とにかく、着替えをさせてあげましょう」

 そう言って、沈黙を破ったのは女中だ。

 バトラーは無言でうなづいた。


 まえもって暖炉に火をおこしておいたおかげで、寝室は徐々に暖まってはきていたが、十分な温かさには程遠い。冬の夜に、それでなくとも広い部屋はまだ肌寒かった。


 ベッドに横たえられた少女は、動きらしい動きをほとんど見せずに目を閉じている。眠っているようにも、気を失っているようにも見えたし……生気を失っているようにも、見えた。


 ダヴィッドの寝台は彼の長身に合わせた大きなもので、壁に面した背と足元の下になる部分に濃くニスを塗った飾り板があるだけの、上質で簡素な造りだった。シーツは深い緑に刺繍が入ったもので、いかにも独身の男のものという感じがする。


 そこに横たわるか細い少女は、ひどく場違いに見えて当然のはずなのに……不思議と、静かな威厳をもってそこに居場所を見出していた。


「ひどく濡れているようです。これではボタンが外れないわ。はさみでドレスを切らないと」

 侍女はしばらく汚れたドレスと格闘していたが、湿り気のせいで布が収縮してボタンを外すのが上手くいかないと悟ると、布バサミを探し始めた。幸い、それは衣装箪笥の下にあった。

 ジャキジャキと女中が布バサミを走らせている間、バトラーは彼女らに背を向けていた。

 年端もいかぬ少女とはいえ、女には違いない。


 しばらくすると、「もう、こちらを向いても大丈夫です」と女中の声がしたので、バトラーは振り返った。


 床に敷かれたタオルの上に、汚れたドレスが丸められて山になっている。ちょうど丈に合う服がなかったのだろう、新しく少女にあてがわれていたのは真っ白な成人用の寝着で、ぶかぶかだった。


「ああ、ダヴィッド様も困ったお方だ……」

 バトラーは溜息と共に言った。

 すると女中は首を振りながら答える。

「ダヴィッド様はお優しい方ですから、どこぞでこの子をお見つけになって、放っておけなくなったんでしょう。それに、ほら、見て下さいな。ひどく汚れて痩せていますけど、きちんとした顔付きをしていますよ」

「私にはただの孤児に見えるが」

「いいえ。つまり、今はそうかもしれませんが、もとの生まれが悪い子には見えないという意味です」


 妙にきっぱりと断言すると、女中は優しい手つきでもって、少女の上に数枚のシーツを被せた。


 そういえば確か、この年老いた女中は、夫と娘を若くに亡くしたのちサイデン邸へ仕えに来たのだと、バトラーはぼんやりと思い出した。


「それに」

 女中は少女の青白い顔を覗きこんで、まだ呼吸があるのを確認すると、バトラーの方へ向き直った。

「これを見て下さいな。ドレスを切っている最中に見付かったんです。大事にポケットにしまわれていましたわ。とても、盗品とは思えないのですけれど」


 彼女の手の中には、純銀のロケットがあった。


 繊細な銀のチェーンに繋がれた楕円形で、表面には美しい彫り模様が刻まれている。小さいので、純銀としての価値はあまりなさそうが、見事な装飾にはかなりの芸術的価値が見いだせる。


「これは……確かに……」

 と、あまり意味のないことを呟きながら、バトラーはそのロケットを手に取った。

 裏、表と両面を確認して、それから中を開く。カチッという小気味のいい音がして、ロケットの中身が開いた。


「「…………」」

 女中とバトラーは、二人してその中身を凝視した。


 実際のところ、中身は空っぽで、写真やカメオや時計のような、よくある小物は何も入っていなかった。しかしそこには、表面の装飾と同じくらい凝った美しい飾り文字で、名前が刻まれている。


「マノン」と、女中は静かに文字を読んだ。「この子はきっと、マノン・オルフェーヴルというのですね」




 ダヴィッドの乗った馬は、港から少し奥入った細い小道に入ると、脚を止めた。


「金持ちそうな旦那が、馬車じゃなくて馬乗りとはね! さては女房から逃げ出してきたなぁ!」


 真っ赤な顔をした太った酔っ払いが、ぶどう酒の入った皮袋を手に威勢良く声を上げる。続けてげらげらと笑い声を上げるが、もう何に対して笑っているのか分かっていないという溺酔ぶりだ。

 ダヴィッドは男を無視して馬を降りた。


『波止場カフェ』

 ふざけた名前だが、この辺りの遊び人には有名な酒場だ。


 煌々と灯された明かりが、真夜中にも関わらず窓から路地に漏(も)れている。男たちの陽気な声に混じって、時々、女の甲高い笑い声が上がった。杯を交わす音、議論の声、誰かが殴られる音……とにかく様々な騒音に溢れていた。

 馬を外に留めたダヴィッドは、大股で店の中へ入った。


 視界にとびこんでくるのは、人、人、人の群れ。


 そう広くもない店内には、船乗りの男たちを中心に、大勢の客がごった返している。立って飲んでいる連中もいるし、座りながら議論に熱中しているグループもいた。まるで、帰る家のない者たちが温もりを求めて集まっているようだ。

 実際、似たようなものだろう。


 ダヴィッドはすばやく店内を見回した。

 労働者階級に混じって、もっと品の良さそうな連中もちらほらと混ざっている。彼らにとって『波止場カフェ』は、粋な悪戯のようなものだ。がらの悪いカフェで明かす夜を、武勇伝のように社交クラブで語る種類の小金持ち。


 ダヴィッドが探している男は、そんな中途半端な連中とは一線を画していた。

 否、『奴』は誰とも一線を画している。


 目当ての人物を見つけるのは難しくなかった。彼のきらめく銀髪は、どんな人並みに紛れても隠せない。実のところ、ダヴィッドは時々、彼のような容姿を持って生きるのはどんな気分だろうと考える。

 よほど図太くない限り、あれだけ目立つのは不快だろう。少なくともダヴィッドは、そんな人生は御免だった。


 リー・レジェは店の奥に座っていた。

 優雅に、満足したペルシャ猫のような微笑をたたえつつ、店内の喧騒を見回している。


 彼のテーブルには小さな白いカップがふわりと湯気を立てていた……コーヒーにブランデーを加えたもので、寒い季節に夜ふかしをしたい時には最高の飲み物だ。


 ダヴィッドは人並みをかき分けるように店内を渡り、リーの前に立ちふさがった。

 突然、目の前に現れた黒い影に、リーはしばし目を丸くしてまたたきを繰り返していた。


「ダヴィッド……?」

「今からお前に二つの選択肢をやる。今すぐ俺の屋敷に診察に来るか、」ダヴィッドは唐突に言い放った。「それとも強制的に連れて行かれるかだ」


 リーは少しの間、驚きにぽかんと口を開けていた。

 しばらくすると急にニヤリと口元を緩めて、朗らかに前の席を勧めながら言った。


「ありがとう、ダヴィッド、僕はとても元気だよ。旧知の友人が僕の近状を心配してくれるのはとてもありがたいね。友情とはいいものだ。三年ぶりかな? 一緒にブランデー入りのコーヒーでもどうだい」


 リーの皮肉を、ダヴィッドは無視した。

「今すぐだ! ぐずぐずするなら、そのふざけた飲み物を頭から浴びせるぞ!」

 ダヴィッドの怒声に、さすがのリーも片眉を上げた。


 どうやら、ダヴィッドは本気らしい、と。もちろん、彼はあまり冗談を言う種類の男ではないのだが。


 しなやかな細身を洒落た灰色の上着に包んだリー・レジェは、ふぅん、と呟いて、両腕を胸の前で組んだ。

 上品に揃えられた彼の髪は、見事な銀色で、瞳は空を思わせる淡い青だ。


 一見、『波止場カフェ』のような場所には似つかわしくない男だろう。天使が荒れくれた酒場に似合わないのと同じくらいに。


「理由くらい説明してくれてもいいんじゃないのか? 君自身が、医者を必要としているようには見えないな」

「診て欲しいのは俺じゃない。家に子供がいるんだ」

「子供? いつの間に作ったんだい?」

「俺のじゃない」

 ダヴィッドの声は明らかに苛立っていた。「名前も知らない……道で拾ってきたガキだ。死にかけている……でも、死なせたくない」


「男の子かい?」

「なぜ聞く?」

「医者として聞いてるだけだ。僕に来て欲しいんだろ」

「女だよ。多分……八、九歳だ」

「そうか……」


 そう言うと、リーはおごそかにテーブルの上のカップに手を伸ばして、残りを最後まで飲み干した。苛々とそのようすを見ているダヴィッドに向かって、


「コーヒーは大切だよ」

 と、リーは言った。


「どうも、長い夜になりそうだからさ」



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