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春~4月第3話 初めてのプリン




結婚後おばあちゃんとはいつも通りおはる屋での店番を約束したけど、それ以外に変わったことと言えば、帰る場所がマンションになったこと。



一等地に造られた川沿いのマンションは30階建てで、伊織さんと住む部屋は最上階にある。オレンジ色の煉瓦の外観がお洒落なタワーマンションは、半年ほど前に購入した新築みたい。



(それも意味がわからないな……もしかしたら離婚の慰謝料のひとつとして買ったのかもしれないけれど)



伊織さんは32歳で会社社長をしているらしいけど、彼からは詳しくは教えてもらえなかった。必要ないからって。

それで寂しくなるのは、伊織さんに言わせればわがままになるの? 1年の間偽とは言え夫婦で家族になるのに、まったく何も話してくれないなんて。



はぁ、と思わずため息が出る。綺麗なガラス工芸を目の前にしてるのに、気分は沈むばかり。これから1年本当に上手くやっていけるのか自信がない。



「あらあら、もしかするとここにある商品が気に入らないのかしら?」


「え?」



ハッと顔を上げると、いつの間にかエプロン姿の店員さんが商品棚の前で笑ってた。そこでやっと、気づいた。

商品の前で暗い顔をした挙げ句、重いため息なんて着いたら営業妨害になるんじゃないかって。



「すみません! あの……別に、商品が気に入らないとかでなくて……今のため息は個人的な問題なので……」



手を振りながら慌てて言い訳を始めると、店員さんはなぜかプッと噴き出した。



「ふふ、そんなに焦らなくともいいですよ。そうだ、今ちょうどお茶を淹れたんです。よかったらいかがですか?」



にっこり、と音が立ちそうな笑顔で、店員さんは私の手を掴んだ。







「わたし、佐藤さとう 美帆みほ。見てのとおりしがないガラス工芸店の店長よ」



佐藤さんは自己紹介の他にいろんな話をしてくれた。このお店は1年前に市中心部の活性化を目指すチャレンジショップで安く借りられ開店したと。



本当はガラス工房で職人になりたかったけど、才能がなく諦めて売る方へ転じたこと。今は30歳で独り身だけど、毎日それなりに充実していることなど。



なんだかえらく人懐っこい人だなあ……とは思ったけど。嫌味のない明るさと適度な距離感が、何だか心地よく感じられた。



今どきな茶髪をお団子に結び、見た目が可愛らしい彼女は20代前半と言われても違和感ないほど若々しい。たぶん身長は150ほどで小柄だけど、来客がある度にお店を駆け回るパワフルさはすごかった。



商品を買う訳でもないのにお茶をご馳走になってるのが申し訳なくて、お店を手伝おうとしたけどきっぱり断られた。



「これは、わたしの領分だから。知識がない人に関わって欲しくないの」



佐藤さんの矜持を表すひと言はとても重みがあって。何も知らないのに軽々しく手を出そうとした自分が恥ずかしくなった。



「ごめんなさい……私、何も知らないのに」


「ああ、いいのいいの! こっちこそごめんね。せっかく親切で言ってくれたのに」


ポンポン、と私の肩を叩いてアハハと笑う佐藤さん。何だかさっぱりした気性の人だなあ……って。たぶん、彼女は裏表がないストレートな性格なんだろう。



だから、かもしれない。



今まで吐き出す場が無かったやるせない想いがポロリとこぼれたのは。



「あの……佐藤さん」


「佐藤だなんて他人行儀な。わたしと碧ちゃんの仲じゃない! 美帆って呼んでよ」



初めていただいたジャスミンティーの鮮烈な芳香が、鼻をついて心のフタを微かに動かす。


じゃあ美帆さんで、と呼び直した私は――ポロリとこぼした。



「……男性が……他人行儀なのに同居するって……どうしてでしょうか?」


「それが、碧ちゃんの悩みのタネか……う~ん」



佐藤さんはアンティークの椅子の上で腕を組み、唸った後に指を差し出した。



「ひとつ、相手を好きだけど言い出せなくて。

ふたつ、同居によるメリットがあるから。

みっつ……気まぐれかキープのため……わたしが思いつくのはこれくらいかなあ。1以外は最低やね」



美帆さんは腕を組んで唸るけど、パッと私の方を見てガシッと肩を掴んできた。



「まさか……碧ちゃん、そんな状況なの? それで悩んでるの?」



ずいずいっと顔を近づかれ、あまりの迫力にたじろぎながらも、何とか首を横に振った。


「ち、違います! 今読んでるマンガでそういうシチュエーションがあって……どうなのかなって思っただけですから」



まさか、本当に契約結婚をしただなんて。言えるはずもなかった。



「なぁーんだ……それならよかった」



ホッと安心したように息を吐く美帆さんに、申し訳ない気持ちになる。おばあちゃんといい、最近私は嘘をついてばかりだ。そんな自分が嫌いになりそうになる。



「ま、これはあくまでもわたしの経験上から言えることだけど」



よっこらしょ、と椅子に座り直した美帆さんは、塩せんべいを手にしてパリンとかじる。それを砕く小気味いい音が店内に響いた。



「他人行儀を望む人間は、結局他人が怖いの。自分が傷つきたくないから、頑丈な予防線を張る。それには大抵、傷ついた過去があるからだわね」



パリン、と新しい塩せんべいをかじる美帆さんは、ジャスミンティーを飲み干してプハッと息を吐いた。



「けど、殻を破れば本当は人を求める飢餓感がある。だから、独りで住めばいいのに――一緒に暮らすってなるんでないの?」



まるで、私の現状を知ったような話し方に、ドキッと胸が鳴る。まさか、本当は私のことを知ってた? とドキドキしたけど。



「……って思うけど。わたしがそのヒロインの友達ならね、やめろって言うだろうね」



美帆さんは、ニコッと笑って塩せんべいを掲げる。



「だけど、もう一度関わったなら仕方ないよね。なら、できることはひとつ……相手を知ること、自分を知ってもらうこと。そして、ともに過ごす時間と会話を増やすこと。その努力をせずに逃げたなら、もうどうしようもないけどね?」



パリンッ、と美帆さんは笑顔で最後の塩せんべいを噛み砕いた。







(努力することを諦めたら終わり……か)



マンションに帰った私は、部屋の棚の上にちょこんと乗ったうさぎのガラス細工を眺める。



そして、おはる屋から持ち出した数少ない荷物を詰めたバッグをごそごそと漁ると、一冊の絵本を取り出した。



『ゆきと白いうさぎ』 両手に載るサイズの小さな絵本。



――街が数年に一度の大雪で真っ白になった日。おはる屋の前で私を見つけたおばあちゃんが、子守りのために使ってくれたもの。


まだ生まれて間もなかった赤ちゃんだった私を育てるため、おばあちゃんは自分の思い出の絵本を使い一生懸命になってくれた。



今はぼろぼろになってるけど、いつだってこの絵本は私とともにあった。つらいことがあった時、必ずこの絵本を開いて勇気をもらったんだ。






まだ文字が読めない頃はおばあちゃんにせがんで読んでもらい、自分で読めるようになれば毎日目を通して。店番を任されたら子どもたちに読んで聞かせた。



夕方や土日は6畳の和室を解放するから、テレビを見たり遊びに興じる子どもたちに混じり読み聞かせをする。お昼寝をする子どもに、手作りのお菓子を振る舞うのも日常になってた。



最初はなつかない子どももたくさんいる。だけど、時間をかけてゆっくり心を解きほぐせば、いつしか慕ってくれてた。



(そうだよね……最初から諦めたらダメだ。私の出来ることから始めなきゃ)



よし、と私は椅子から立ち上がると、そのままキッチンに向かう。



おばあちゃんのバイト代を使い初めて買った材料を前に、腕捲りをした。



(せめて、美味しいって言わせたい……なら)



いつもの材料を前にして、一人でうんとうなずいた。








物音が聞こえたような気がして、ハッと目が覚める。

(いけない、寝ちゃってた……)



時計を見ると、午前2時近く。玄関のドアが開いたのはセキュリティボックスで確認できたから、伊織さんが帰ってきたんだと知った。



「よ、用意しなきゃ……」



あたふたと冷蔵庫に走り、冷やしたものを取り出す。グラスに入ったものに生クリームを搾り、各フルーツを飾り付けた。



その最中、ダイニングの暖簾がわりにしてるスワロフスキークリスタルのオーナメントがじゃらりと鳴って、伊織さんがダイニングに姿を現した。



彼はネクタイを緩めながら歩いてたけど、こちらを見た途端に眉間に深いシワを寄せてきつく睨み付けてきた。



「……何をしてる?」

「あ、あの……約束のプリンを作りました。もしよかったら召し上がりますか?」



もしかしたら、私はものすごく厚かましいことをしてるのかもしれない。本当の妻でもないのに、仕事帰りを待ってなにかを食べさせようとするなんて。



ドキドキしながら伊織さんの返事を待っていると、ギシッと軋む音が聞こえる。見れば、伊織さんがダイニングテーブルのイスに腰かけた音だった。



トントン、とテーブルを人差し指で叩いてる。どうやら食べてくれるらしい、とホッとしてトレイにグラスを載せた。







「まずい」



プリンを口にした瞬間、伊織さんは顔をしかめた。



「えっ……」


自分でも試食をして、悪くない出来だと思ったのに。伊織さんはスプーンを置くと、冷蔵庫に向かいなにかを取り出す。



それは、栄養補給用のゼリー飲料だった。



彼は不機嫌そうに手にしたそれを開きながら、私に向かい言い放った。



「レシピを勝手に変えるな。それと、余計な飾りは要らない。おはる屋で食べたレシピで十分だ」


「は、はあ……でも、プリンだけだと栄養が」



ダンッ! と目の前で大きな音が立ち、ビクッと肩が跳ねた。伊織さんが拳をテーブルに打ち付けたからだ。



「余計なことをするな、余計なことを言うな。最初に言っておいたはずだが?」



剣呑な光が、伊織さんの青みがかった瞳に宿る。射殺さんばかりに睨まれて、小さく体が震えた。



「……寝ずに待つのもやめろ。押し付けがましく、鬱陶しい」



ゼリー飲料のみを口にした伊織さんは、ダイニングを乱暴な足取りで出ていった。



怒らせた……



それだけは何とかわかったけど、謝ることすらできなくて。不甲斐ない自分に腹がたつ。



(ごめんなさい……おばあちゃん、美帆さん。やっぱりうまくいくか自信がないよ)



私の小さな呟きは、誰にも聞かれず虚空に消えていった。



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