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-?年目?月~白の碧(あお)~Green&Blue





「静子さん……ぼくは」


「いいの、蒼(あお)さん。解っている……あなたは呉服屋の大切な跡取りだもの。こんなしがない駄菓子屋の娘、つりあわないのは解っていたわ」



そう、解っていた。 最初から解っていたの。


3歳年上の彼は身綺麗な格好をしてとても上品で。おっとりとした優しさや雅やかな仕草に、育ちの良さを感じさせた。


たまたま雨降りの雨宿りに、と駆け込んできた彼。それから一年半……身分の違いのため、私たちは誰にも知られる事なくお付き合いをしていた。



けれど、私が高校を卒業して間もなく両親が亡くなり、駄菓子屋を継がねばいけなくなって。彼は大学を卒業し呉服屋の跡取りとして、女将となる妻を迎える必要に迫られた。


どれだけ恋しくても、親も身分もない私が彼のそばにいることは許されない。


それに、私は両親が大切に守り続けた子ども達の居場所である駄菓子屋を守りたかった。

だから、お別れするしかない。お互いに大切なものが違う以上、もう別の人生を歩むしかないのだから。



「さようなら……蒼、お幸せに……」


涙を見せないよう、精一杯の明るい笑顔で彼とお別れした。

もう二度と恋はできないだろう、という確信に近い予感を胸に根づかせながら。










それから私は何十年とひとりで駄菓子屋を続けていた。


体調が悪いときやどうしてもという時以外は開けて、子ども達の笑顔を見守り続けて。


子ども好きな両親が、戦後の物がない時代から始めたお店。子どものほんものの笑顔は、どんな時代でも変わらない。



独り身でずっとお店を続けるうちに“お姉ちゃん”から、“おばちゃん”と呼ばれる年代になって。ああ、このままずっとひとりで年を取り、このまま独りぼっちで命を終えるのだなぁ……と。急に虚しく侘しい気持ちになった。



朝から大雪が降ってきたせいか、冷えから体のあちこちが痛んで。自分の張りのない手を見て。年月の残酷さを悟った帰り道――


唯一の居場所である駄菓子屋の前に、大きな籠が置いてあるのを見つけた。



――籠の中に入っていたのは、犬猫でなく。人間の赤ん坊だった。





「ふぎゃああん!」


「あ、待ってなさい! 今レジだけ済ませるから」



駄菓子屋のレジを置くたたみ一畳ほどのスペース。今はそこに藤の籠を置き、座布団を何枚も敷いて赤子を寝かせていた。



あの大雪の日……



雪の中に埋もれていた赤ん坊は、まだ生後間もない女の子だった。


近所の人がたまたま車で通りかかったため、事情を聞いてすぐに病院に連れて行けたのは幸いだった。低体温になってはいたものの、赤ん坊は無事に回復して退院出来たのだ。



けれども、困ったことに近隣の保護施設は定員オーバーで余裕がない。駄菓子屋をしている私は幸い家で面倒を見ることができるから、何ヶ月かだけ預かることに決めた。里親を捜してもらうことを条件に。



体験してみて初めてわかったけど、赤ん坊はこんなにも泣くものかと驚いた。


夜中だろうと昼間だろうと、3時間ごとに空腹で泣く。オムツが濡れても泣く。



40を過ぎていきなり降ってきた子育てという責任と、なぜ自分が他人の子どもを育てなきゃいけないという理不尽さに、寝不足も相まって苛立つことも少なくない。



だけど、赤ん坊には何の罪もないと自分に言い聞かせて堪えていた。







ミルクを作って与えれば、やっと泣き止んで一生懸命に飲もうとする。最初は戸惑った授乳も、一週間経った今はようやく慣れてきた。



「おばちゃん、その赤ちゃんどうしたの?」


「ちょっと知り合いの子どもを預かることにしたんだよ」


「ふぅん~」



常連客である子どもたちにまさか“親に捨てられた子だ”なんて言えやしない。万が一この子のことを憶えていて、どこかで会った時に捨て子だと話されたら将来に響く。



数ヶ月で別れる子どもに余計な心配かもしれないけど、自分でもどうしようもない状況で恋人と別れなきゃならなかった身からすれば、少しでもこの子が自分の生まれや育ちに傷つくことがなければいいと思う。








「ほら、たんぽぽだよ。もうすぐ春だねえ」



ぽかぽかと小春日和のある日、ベビーカーを押しながら、近所の川原を散歩した。


間もなく赤子を預かって3ヶ月になる。


身元不明の捨て子は市町村長がすぐに戸籍を作成して法務省に届けなきゃいけないけど、実はまだこの子の名前は決まっていなかった。名前を付けたら情が湧いてしまいそうで怖くて。


幸い市長は幼なじみの伯父だから、特例として保留にしてもらっていた。



やっと首が座るか座らないかという赤子は、周りを興味深そうに見ては「あ~」と何かに反応する。



「あれは車だよ。あんたには早いね」


通り過ぎた高級そうな外車に、赤子は興味津々な様子。そちらへ向かってやたらと手を伸ばすから、危ないよと笑ってたしなめた。



車が河川敷の道路に停まり、中から出てきたのは。二十数年ぶりに見る最愛のひと。偶然に驚いた私だけど、懐かしさと恋しさに自然と笑顔になっていたと思う。



どう挨拶しようか。どんな話をしようか。年を経てますます素敵になった彼に年甲斐もなくときめきながら、そわそわと近づくタイミングを計っていた私だけど。


次の瞬間、残酷な現実を叩きつけられた。







妻だろう紬を着た上品な女性と、彼にそっくりな年若い娘さんが次々に車から降りて、家族で川原で散策を始めた。


その仲睦まじい様子と、彼の思慮深い瞳が、妻と娘を何よりも愛してると語っていた。



逃げるより他に、何が出来ただろう。


40を過ぎて未だに独身で、小さな駄菓子屋を守ることで精一杯。こんな平凡な女が、あの人に相応しいはずもなかった。



夜。涙を浮かべながらお風呂に入ろうと鏡を見た時、自分のみすぼらしい姿に愕然とした。



あれだけ彼が褒めてくれた肌は張りがなくたるんでいて、あちこちにシワとシミがある。手触りがよいと喜んでくれた艶のある髪は白髪が目立ちボサボサで。お洒落と評判だった服はみっともなく着古したもの。



紬の上物を着たあの女性は、艶々の黒髪で。肌も白く苦労知らずの穏和な雰囲気。何もかも私と違った。



女性としては諦めたつもりだけど、それでも失われた年月の長さを思うといたたまれなくなった。






「ふぎゃああん!」



突然、赤ん坊が泣きだした。

落ち込んでいた私は苛立ち、それを無視して風呂場へ向かう。


「あんたはいいよね! これからだから。だけど……私は……私はもう」



(私はもう駄目なんだ! 唯一恋した人とも結ばれず、その人との子どもも持てず……何も残さずに消えるだけ)



赤ん坊に八つ当たりはみっともないから、急いで風呂に浸かり顔を洗う。後から後から湧く涙は止まらずに、浴室の中に赤ん坊の泣き声が同調するように響いた。



いつもなら少しで泣き止むのに。あまりに泣き止まなくてどこかが悪いのだろうかと心配になり、急いで上がると籠に入った赤ん坊を覗き込んだ。



「どうしたの? どこか痛いの?」


「あ~あ~……うぅ」



赤ん坊は必死に手を伸ばしてくる。とりあえず手を差し出せば、ギュッと握りしめられてハッとなった。





「うぅ~……う」



赤ん坊は、私をまっすぐに見て泣いている。たまらず抱き上げてみれば、私にギュッとしがみついてきた。


まるで、私がいなくなることを恐るように。



そして、私の腕の中でやっと泣き止んだ後――安心したのかほにゃりと笑って。そのまま寝入ってしまった。



すうすぅ、と安らいだ寝息を聞いているうちに。心の中で広がっていくあたたかいもの。



(この子は……私を必要としてくれているんだ。この子だけが……私を頼って)



涙が、あふれてきた。



私は何も持っていなくて、死ねばすべてが消えゆくだけの無意味な存在と思ってきた。



でも、今この腕の中にいる小さな天使が。私を意味のある存在にしてくれる。自分の血は遺せなくても……この子の中に私と言う存在を残すことができる。



この赤ん坊を、我が子としようと決めた瞬間だった。



「碧(あお)……あんたの名前だよ。何があったって、あんたは私が守ってあげるから」



碧……あお。最愛の人と同じ名前を付けた。みどりと読めるその名前は、繁茂する緑のように豊かな人生に幸あれとの願い。



真っ白な雪の中で拾われ、“あお”の名前を継いだ娘が駄菓子屋を守り、“みどり”という名前の孫ができるのはそう遠くない未来のお話。



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