表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/50

番外編~2年目4月 ある春の日の伊織さん3






美帆さんが話す内容を必死に頭で整理する。話の流れからすれば、伊織さんは駄目だから、彼以外の男性を紹介するってことだよね? たぶん……だけど。



とんでもない、と私は首を左右に振った。電話越しに見えるわけでもないのに。



「い、いえ。私は今のままでいいです。紹介していただく必要もありません」


『え~そう? 別に不倫しろとか離婚しろとか言ってんじゃないよ? ただ、碧ちゃんはろくに他の男性を知らないわけでしょ。だったら、一度きり一緒にご飯を食べてお話するくらいいいじゃない?どんな人がいるのか知れば、伊織さんを客観的に見れるようになると思うけど』



たぶん、美帆さんは心底心配してくれてるから、敢えて言いにくいことを言ってくれてる。一過性じゃない優しさだから、キツイことも言うし厳しい指摘もしてくれる。



『本当に、今からそんな調子で大丈夫なの? 全然碧ちゃんと過ごそうともしないなんて……この先、何十年と残りの生涯を一緒に過ごすんだよ? 死ぬまでそんな状態だったら、碧ちゃんは耐えられるの?』



美帆さんの鋭い指摘に、流石にすぐには反論できなくて口をつぐんだ。



……私も……本当は……寂しい、と。伊織さんと過ごしたいと……望んでる。金魚より私を見てって……。



「…………」



本当は、それでもいいって答えるべきかもしれない。けど、流石に私もずっとこのままは嫌だと思う。



夫婦だし家族だから、一緒に過ごしたい。どこかに出掛けなくてもいいから、せめてそばにいたい。そんなわがままな思いが湧いてくる。







それでも夫がいる以上、健全な時間とはいえ男性と2人きりで過ごすというのはNGだと思う。

そんな私の考えは古いしお堅いのかもしれないけれども、逆に考えて私がされたら嫌だから。やっぱり自分はしたくはない。

そんな風に考えて美帆さんの提案に飛び付けないでいると、彼女は再びため息をつく。



『ならさ、せめて鈍感を抜きで遊びに出たら? 同じ家にいたって、バラバラに過ごしちゃ意味ないでしょ。

もしも自分だけと気が引けるなら、わたしの友達を紹介するよ。同性からの誘いならいいでしょ?』


「……誘い?」


『そう、そ! 碧ちゃんももっと友達作らないと。狭い世界だけじゃ人生もったいないよ。もっと楽しまなきゃ!』



美帆さんの提案は、正直魅惑的だった。



私の中では、伊織さんが金魚優先で構われない寂しさも少しずつ積もってきてる。



彼のことを理解したいししたいようにさせたいと思う一方で、相思相愛の夫婦になれたんだから、それなりに愛してほしいとも言いたかった。



私も、完璧な人間じゃない。できたら伊織さんと過ごしたい。振り向いてほしいとずっと考えてた。



女性として努力しても、伊織さんは褒めてくれたことはない。どころか、痩せたことすら気づいてくれなくて。なんだろう……って。虚しくなったのもある。


もちろん、痩せたり綺麗になる努力は自分のためであって、誰かに褒めてもらうためではないけど。



やっぱり、一番間近にいる人には気づいてほしいと願ってしまう。



(……いいよね、私。ちょっとくらい出かけたって。伊織さんは好きにしてるんだし、私だって……)



ちょっとだけ拗ねたような気持ちになって、美帆さんの提案を受けようと口を開いた瞬間――突然スマホが手のひらから消えてビックリした。



その行方を目で追えば、スマホを持ち上げたのは伊織さんで。彼は私の代わりに美帆さんと話し出した。






伊織さんは意外なことを美帆さんと話してた。


「碧が気分転換に出掛けたいなら、私は止めない。だが、私と一緒にが最低条件だ。それから、男と2人きりになどさせない」



(え、伊織さん聞いてたの!?)



いつからこの会話……というか電話を聞いていたんだろう?


だって、伊織さんは太郎と花子……それから金魚の子ども達のお世話にかかりっきりで。私のことは二の次三の次だったはず。



頭の中に大きなクエスチョンマークが乱舞してる中で、いつの間に会話を終えたのか伊織さんは私にスマホを返した。



だけど……なぜでしょう?



スマホを取ろうと手を伸ばしただけなのに、がっちり手首を掴まれているのは。



しかも、伊織さんの不機嫌なお顔が復帰してますよ。一年前は毎日見てたけど、最近は穏やかで優しい笑顔しか見なかったのに。どうしてそんなにも射殺しそうににらむのですか。



私、別に何もしてないよね? むしろ伊織さんを第一に考えて、彼のしたいようにさせてあげてる。ガマンだってしてきた。



なのに、どうして責められるような目付きで見られなきゃいけないの? 理不尽過ぎる。



流石にムッときて、彼に訊ねようと口を開いた。



「伊織さん……あの」


「不満か?」


「え?」



ぽつり、と落とされた言葉がすぐには飲み込めなくて、目を瞬いた。



すると、今度ははっきりと口にされる。



「不満があるなら、おれにぶつければいいだろう。そんなに頼りないか?おれは」



ああ、そういうことかとちょっとだけ解った。頼りにされないから怒ってるんだ。



でも、やっぱりそれは身勝手だと私は思う。ペットにかかりっきりで蔑ろにされれば、不満が出るのは普通じゃない?



仕事では細やかな気遣いが出来るだろうに。プライベートの伊織さんはとことん鈍い。思わずため息をつくと、手首に痛みが走るほど強く掴まれた。



「……そんなに、おれと居るのが嫌か?」


「え?」


「別れたくなるほど、嫌か」



なに、言ってるんですか? 何でいきなりそう飛躍するんでしょうか? ネガティブ過ぎますよ! というツッコミは、伊織さんの顔を見たらすぐに消え失せた。



だって……



眉を下げて悲しそうな瞳に、ギュッと引き結ばれた唇。どう見てもそれは捨てられた子犬のようで……



気のせいか、伊織さんに大型犬の姿が重なる。きゅ~んと項垂れて尻尾を下げた犬……。



ああ、そういえば以前ハウスキーパーの鈴木さんが言ってた。時折捨てられた子犬のような瞳をしてたって。



きっとこれがそう。



全体的にどんよりと影を背負い込んで、重苦しい空気に満ち溢れてる。



社長なのに。


アラサーのいい年した大人なのに。



だけど、きっと。伊織さんは私が離れるのを恐れるから、そうなっているんだよね?



(ホントに、仕方ないなあ)



私は心の中で苦笑いをすると、伊織さんの手に自分の手を重ねてポンポンと叩く。



「別れませんし、あなたと居るのは嫌じゃありません。ただ、金魚だけでなく……わ、わ……私も」



これを言うのは流石に恥ずかしい。けれど伝えなきゃ伝わらない。震える声で、えいっ! と勇気を振り絞る。



「私も、伊織さんと一緒にいたいです! せっかくのお休みなら……一緒に過ごしたい」



口にしてから、頭から湯気が出るかと思うくらいに顔が火照った。





「……………」



あ、あれ?



伊織さんから何の反応もない。もしかして、呆れられた?



気になって伏せていた顔を上げようとすれば、なぜか急に目の前に手のひらが広げられた。



「えっ……と、伊織さん? どうかして……」


「……見るな」


「え?」


「いいから、見るな」



見るなって、何を? 具体的な単語がなくてわかりませんってば。訝しく思いながら、チラッと見えた伊織さんの横顔は……耳が赤かった。



って、……え?



(伊織さんが……赤くなってる?)



どういうことだろう、って首を傾げていると。顔を隠すように手のひらで覆った伊織さんが大きなため息をついたから、もしや体調不良かと心配になる。



「伊織さん! もしかすると風邪をひいたんですか? なら、横になってください。今、ベッドを整えてきます。とりあえず椅子に座って」



彼の手を引いて座らせようとすれば、再び伊織さんのため息が吐かれた。



「……おまえ、わざとか? わざと煽っておれを誘ってるのか?」


「え?」



煽るだとか誘うだとか、意味がわからなくて目を瞬くと。伊織さんは指の間から私を見据える。



「おまえがその気なら、おれはもう遠慮しないぞ。それでもいいのか?」



言葉が端的過ぎる伊織さんが何を言いたいのか、自分なりに一生懸命に考えてみた。



体調不良→つらいから横になりたい→遠慮なく休みたい→気にせず睡眠を取りたい。



(うん、やっぱりそうだよね。伊織さんは仕事を頑張ってるから、お休みくらいは気がねなく体を休ませたいはずだし)



うんうん、とひとり頷いた私は、伊織さんの手を掴んでにっこりと笑う。彼が遠慮なく休めるように、大丈夫という意味も込めて。



「わかってます。体がつらいから休みたいんですよね? 私が支えますから寝室に行きましょう」



はい、と私は伊織さんの腕を取って自分の肩に回させた。まだ遠慮しているのか、重みを感じることがない。


「伊織さん、遠慮しないで私を好きなようにしてください。私は大丈夫です。伊織さんのしたいことや希望には、なるべく応えますから」



彼を支えるためにとなるべく身体を密着させたのに、どうしてか伊織さんは微妙に身体をずらしていく。体調不良じゃないの? って意地になって彼にくっついていると。大きなため息が頭上から降ってきた。



「……まったく。わざとでなくともおれを殺す気か、おまえは。おれがどれだけ耐えてるのかわかってないだろう?」



殺すつもりはまったくないけれども、我慢強い彼がそれだけ体調を悪くしてるのかと焦った。



「伊織さん、死ぬほどつらいんですか? もしかして胃潰瘍が悪化して……大変! きゅ、救急車を」


一瞬頭が真っ白になって動揺したけど、なら尚更横にさせなきゃ! と思い直して使命感に燃えた。今、伊織さんを助けられるのは私だけと。



「痛みが激しいなら、早くベッドで横になってください。薬を持ってきますから……あ、救急車も呼んでおきますね」



一生懸命に考えてから言葉にしたのに、伊織さんから再度大きなため息が聞こえた。



「……ともに寝室に行くなら、おれはもう遠慮はしないぞ? 同意したものとみなすからな」


「え、はい……?」



同意したものって。救急車を呼ぶことかな? そんなのはもちろんいいに決まってる。



「はい。私も(あなたの体調不良を)きちんと理解して覚悟をしてます(入院の)準備も万端にしますし。遠慮なんてしないでください、私たちは夫婦なんですから」



伊織さんが不安がらないように、となるべく明るい笑顔で彼の身体を支えた。



「(入院も)今回で2度目の経験ですから、私も多少は以前より落ち着いていられると思います」



私が安心させるためにとかけた言葉を聞いた伊織さんは、なぜかピタリと動きを止めた。






あ、また。3度目のため息を吐かれちゃいましたけど。



「おまえな……花子と同じようになりたいのか? 無意識に誘っているとしか思えないのだが」


「え、花子……?」



伊織さんのふか~いため息とともに吐かれた言葉は、私の予想を越えるもので。誘うだとかなんだとか。意味がわかりません。



きっときょとんとしていただろう私の間の抜けた顔に、伊織さんからのデコピンがお見舞いされました。



「いたっ!」


「あのな、おれは体調不良でも何でもない。早とちりして先走るな。あと、男をベッドに誘うなら、抱かれたいと言ってるも同然なんだといい加減自覚を持て」


「…………」



伊織さんの話に、ガチンと全身が固まったのは言うまでもなく。



停止した頭を必死に動かして彼の言葉を噛み砕けば、自分がしてきたのはとんでもないことだと、うっすらと理解する。



「そ、そんな……ささ、誘うなんて」



ぼん! と爆発するように顔と全身が熱くなったのは、きっと気のせいじゃない。それを見て、伊織さんはクスリと笑った。



「おまえが計算してそんなことをできるやつじゃないのは知ってるさ。だが、本気で子どもが欲しいなら。協力するのもやぶさかではないが?」






私、無意識に伊織さんを誘ってたの?



うわぁあ、と全身の熱が顔に集まる。



恥ずかしいどころじゃない。今すぐどこかへ隠れてしまいたい。顔だけでも隠したい! そんな思いから、両手で顔を覆ってうつむく。



そんな私に、伊織さんから意地悪な声が聞こえた。



「顔を、隠すな」


「だ、だって……私……なんてはしたないことを。ごめんなさい」



耳まで熱いから絶対に真っ赤になってるだろう顔は、とても伊織さんに見せたくない。なのに、彼の手はいともあっさりと私の指を顔から剥がす。どんなに頑張っても、私の抵抗なんて些細なもので。彼は私の顔を露にすると、両手で頬を包み顔を上げさせられた。



「大丈夫だ。おまえが鈍いことは十分に解っている」


「……」



それ、ストレートに私が鈍くてどうしようもないやつだ、と言ってますよね? ちょっと落ち込みながらも、伊織さんのぬくもりを感じてドキドキが止まらない。



ふ、と小さく噴き出す声が聞こえたあと、閉じたまぶたに柔らかなあたたかさを感じた。



――え?



右の次は、左。それから頬。ゆっくりと落ちてゆくあたたかさは、次第に近づいて――とうとう、唇の横に感じられた。



もしかして……今のは。



堪らなくてぱっちりと目を開くと、伊織さんは悪戯が成功した子どもみたいにニヤリと笑う。それだけで、息が詰まりそうなほどに彼にときめきを感じた。



「おあずけを食らわすなら、これくらいは許してもらえるだろう?」


「おあずけ……って。犬ですか」



思わず噴き出すと、ああと伊織さんは頷く。



「そりゃそうだろ。結婚して1年以上お預けを喰らってきたんだ。ご褒美くらいはもらうぞ?」







1年以上……え?



確かに入籍してちょうど1年経つけど、まさか……伊織さんは憶えてたの?



市役所に行った時、あんなに何もかもに無関心そうだったのに。それが悲しくて、せめて自分だけでも……と記憶にしっかり書き留めた日付。



もしも、いえ。まさか。



半信半疑で彼をジッと見ていると、伊織さんはフッと笑顔になる。



それはとても柔らかく優しくあたたかい眼差しで。私を包み込むような愛情を、確かに感じられた。



「……今日が、おれたちが始まった日だろう?」



伊織さんの指は私の左手の薬指に触れる。以前贈られたのはエンゲージリングだから、普段使いには厳しい。だから、今も棚に大切にしまってあるけれど。



気がつけば、私の薬指にはシンプルな指輪がはまっていた。



それは、伊織さんの左手薬指にも輝く同じデザインのマリッジリング。



「おまえが永遠におれのものという証だ。絶対に外すなよ」



持ち上げられた指にそのままキスをされて、ギギッと固まってしまいました。すみません……未だに免疫がなくて。



普段、伊織さんはあまりコミュニケーションが多い方ではないので、どうしても慣れなくて恥ずかしいんです!



「とりあえず、おれの本気に合わせるためにゆっくり始めるとするか?」


「……え?」



視界が動いたと思えば、いつの間にか私は伊織さんに抱き上げられてました。あれ?



「言っただろ。子作りに協力するのはやぶさかではないと。おまえのペースに合わせてやるから安心しろ」



にっこりと笑った……伊織さんは笑みがちょっと悪魔に見えたのは、私の気のせいでしょうか?



そして、私が伊織さんにしがみついて向かった先は……。






4月の初めての結婚記念日。



私と伊織さんは、ちょっとだけ仲良くなりました。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ