表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/50

プロローグ~第3話 俺と契約しろ



おはる屋の奥にある6畳の和室に沈黙が訪れる。



そもそもの発端は、昨夜保護した男性が不可思議な発言をしたからだ。その声は、ちょっとかすれ気味の低音セクシーボイスデスねー……なんて現実逃避してる場合じゃない。



この男性の質問意図が何にせよ、プリンに異様に関心を持っているんだってのは解った。 ファミレスでプリンを全種類注文しながら、一口ぶんずつしか食べなかったのもこの人だよね?



空くんはやっと頭が動き出したらしく、数度目を瞬いてからムッとした表情を作った。 男性の態度が空くんの癇に触れたらしい。



「あ、あの空く」


「あんた、誰だよ?」



空くんは男性を睨み付けると、挑みかかるように両手を腰に当てて構えた。



「いきなり出てきて、名乗りもしねぇでさ。いい年した大人が、ちょっとないんじゃね?」



(うわぁあ、空くん! なんでそんなにケンカ腰なんですか)



空くんと男性の間に、めちゃくちゃ冷たい空気が流れてる。男性も不機嫌なのか、眉間にふっか~いシワを刻んでますよ。たぶん、こんなガキが生意気言うなって言いたいんでしょう。



(うう……どうしよう。こういう時……こういう時は)



おろおろした私はふとひらめいたことがあり、パンッと手を叩いて音を立てる。すると、案の定2人の目がこちらへ向いたから、こう宣言してあげました。


「人間、腹が減っては戦ができぬ! お腹が空けばイライラもしますから。ちょ~~っとだけ、休戦しませんか?」



ニカッ、と2人に笑ってみせた。




「お~うめぇ! 碧姉ちゃんの蒸しパン、相変わらずうめえ」



空くんはどうやら機嫌が直ったらしく、上機嫌で蒸しパンを頬張ってる。ふふ、単純で何だかかわいい。



もう一方と言えば……



横目でチラッと見てみると、男性はテーブルに載った蒸しパンを前に微動だにしない。難しい顔で見据えてる。



レンジで出来る蒸しパンは我が家の定番おやつだけど、もしかすると30分もかからない簡単なお菓子で不満なのかな?



「あの……もしなにか食べたいものがあればリクエストしてください。今からだとあまり手の込んだものは無理ですけど」



時計を見れば今は3時近く。バイトまであと4時間もないけど、カレーくらいなら夕食ついでに作れる。そう思って男性に声を掛けてみた。



「……プリンだ」


「は?」



一瞬、何を言われたのか解らずに目を瞬くと、彼はゆっくりと顔を上げて私を見た。



わずかに青みがかった瞳で、睨まずまっすぐに。



「あんたがいつも作っているプリンが食べたい」


「は……はあ、わかりました」



もしかすると体調が悪くて、好きなものしか食べられないのかもしれない。そう思いながら立ち上がった私は、あ、と思い出して一階に置いてある箪笥から、男性もののシャツを取り出して彼に差し出した。 若くして亡くなったおばあちゃんの弟さんのものだ。背が高く体格もよかったらしいから合うはず。



「あの、よかったら着替えてください。お湯も用意しますんで体も拭いた方がいいです」


「ああ……」



男性はようやく自分の状態に気付いたみたいで、前髪をくしゃりとかきあげた。ドキッと心臓が跳ねたのは、気のせい気のせい。そう自分に言い聞かせながら、お湯を用意して桶に入れると台所の仕切りを閉めた。






空くんは男の裸なんざ見たくね~! と叫んでたけど、プリンと蒸しパンを交換条件に店番をしてくれてる。



(さてと……作らなきゃな)



牛乳、生クリーム、卵と砂糖にゼラチン。バニラエッセンス……あとは秘伝のこれ。


「よし、始めるか」



木造の台所で腕捲りをした私は、さっそくそれに取りかかった。



私が作るのは焼いたり蒸したりしないプリン。冷蔵庫で冷やし固めるから、時間が必要なんだよね。



途中空くんと店番を変わったりして様子を見ること、二時間以上。



おばあちゃんが帰ってきてバイトに行く時間が迫ってから、やっと固まって冷蔵庫から出すことができた。



夕食は魚の煮付けと胡瓜とワカメの酢の物と茄子のお味噌汁。もちろん男性にも出したけど、全く見向きもせずひたすらプリンを待ってた。



で、やっとできたプリンをテーブルに置けば、男性はすぐに食べ始める。彼の熱は七度ちょいまで下がったから、もう心配いらないと思うけど。



「あの……もう歩けそうなら、駅まででも送りましょうか? それとも誰かに連絡して迎えに……」



私が話しかけたところで、男性は10個作ったプリンの6つ目を食べてらっしゃって。全然聞こえないみたい。



(帰らなくていいのかな? って言うか……プリンしか食べてなくて栄養バランスめちゃくちゃ)



指輪はないけど、私と違ってたぶん家族はいるはず。こんな偏食が家族だと大変だな、って他人事に思いながら、ファミレスのバイトに行くため店先で靴を履いた。


「それじゃあ、おばあちゃん。お店とこの人のことよろしく。今日は残業なしで帰れると思うから」



振り向いて肩越しにおばあちゃんに声をかけると、老眼鏡を直しながら「ああ」とだけ返してくれる。相変わらず無愛想だな、って小さく笑いながら前を向いた――んだけど。



「わぶっ!?」



ドンッ、と何かが顔面にぶつかった。こんな場所に壁なんてあったっけ? と打った鼻を押さえながら涙で滲む視界に入ったのは、白いシャツの生地。 樟脳しょうのうの香りが鼻についた。


えっ、と思い視線を上げれば、目の前にあのプリン好きな男性が立って通せんぼしてましたよ。



わ……背が高い。私は158センチと女性じゃ標準的な身長だけど、彼は更に30センチ近く高そうだ。それに、気のせいじゃなく彼の片腕はドアを押さえてて、私を通れなくしてる。



恩を仇で返したいわけ?って、なんとなくイラッときて、彼を睨み付けた。



「あの……退いてもらえますか? 私、これからバイトに行かなくちゃならないんですけど」


「……仕事はこの店だけでないのか?」



うわぁ、出ましたよセクシーボイス。熱のせいか若干潤んだ瞳で、赤みがかった頬。私でなければ迫られてると誤解するところですよ。


「私がどこで働いているとか、あなたに関係あるんですか?」


「ある」



男性が迷いなくきっぱりと言い切るものだから、さすがに唖然としてしまった。いきなり何を言い出すの、この人は!?



だけどもっと衝撃的だったのは――彼に手首を掴まれ、体を引き寄せられた上に、顔を覗き込まれたこと。



わずかに数センチの距離は、呼吸すらためらう近さだと初めて知った。



「ちょ……何をするんですか。離してください」


「あんたがバイトする理由は何だ?」


「そんなの、あなたに関係ないでしょう」



なぜか、男性も声を小さくしてささやくようなやり取りになってる。



バイトする理由? そんなの決まってる。だけど、おばあちゃんに本当の理由なんて、知られるわけにはいかないじゃない。



「関係ある、と言ったはずだ」



男性は片手で私の手首を掴んだまま、私の顎を指先で持ち上げる。更に顔が近づいてくるのが信じられなくて、ギュッと目をつぶる。



呼吸が、苦しい。どうして、こんな時に心臓がおかしくなるの? 信じられないほどの圧倒的な体格差と、熱を孕んだ体の存在。力の差以上に、抗うことが難しかった。



「話をしなければ、ここでキスしてやるが?」



唇に熱い吐息がかすめて、ビクッと肩が揺れた。シトラスのような薫りと、目の前の力強さに頭が酸素不足のようにぼんやりする。



(キス……なんて、嫌だ)



かろうじて、それだけを思考の端で捉えて。私はコクリと頷く。



「話します……だから、離してください」


「いい子だ」



あっさりと彼は離れると、私の手首を掴んだまま外へ歩き出す。


逃げないと言っても無駄で。彼と一緒にお店を出ると、近くの花壇に並んで腰を下ろした。





私は、事情を簡潔に話した。



おばあちゃんのお店の売り上げが芳しくないこと。


色んな費用や維持費、そして借金の利息の支払いで大赤字のこと。



だから、それを補うために深夜のファミレスでバイトをしていることを。



借金はおばあちゃん自身が作ったものでなく、信頼してた人に騙され背負わされたものだとも。



「……なるほど」



男性は口元に手を当てて何かを考えているようだった。



でも、こんなことを訊いてどうするんだろう? 自分に関係あるって言ってたけど……まさかね。



男性は借金の額や具体的な売り上げの提示を求めたから、おおよそだけど教えておいた。



「なるほど。よけいな支払いがなければ、一人で生活をするには困らないか」


「一人でって……何を言ってるんですか。まさかおばあちゃんになにか」


「違う」



今更ながら、警戒心が湧き上がってきた。もしやこの人は借金取りか、よからぬことを企んでる犯罪者?



少しずつだけど、体をずらし距離を離していく。いざとなったら、バッグで顔を打って逃げよう。ギュッとバッグの持ち手を握りしめていると、男性がこちらを向く。



そして、私に衝撃的なひと言を放った。





「あんたがオレと結婚すれば、問題全てを解決してやる」


「――は?」



私が意味が解らずにポカンとしていると、彼は更に言葉を重ねた。



「オレと1年だけ、契約結婚しろ。ただし、愛情など期待するな。毎日あるものを作るだけでいい。それだけであんたの悩みを解消してやろう」



「…………」



はいいいい~~っ!?





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ