冬~12月第2話 過去
「へえ、駄菓子屋さんのクリスマスパーティーかぁ。わたしも参加していいかな?」
おはる屋の後にバイトしてる「あくあくりすたる」で店主の美帆さんに話せば、彼女もクリスマスパーティーに興味を持ったようだった。
「もちろんいいですよ。大勢の方が楽しいですから」
「カレの雅司も連れて来るけど、大丈夫?」
「はい!大歓迎です」
いそいそと外出の支度をしていた美帆さんは、「よかった」と笑う。
「ちょうど雅司はクリスマスのモチーフを捜してたの。ありきたりな被写体はイヤだって言ってたから、助かるわ~」
雅司さんは美帆さんの恋人。先月から付き合い始めて、今2ヶ月目。毎日夕方から夜に掛けて店を出ていたのは、ちょうど取材のために近くに来ていた雅司さんに会うためだったと知った。
写真家である雅司さんはフリーライターも兼ねていて、ジャーナリストとしても活動しているらしい。
今日は近くの川辺で会うの、と頬を染めながらマフラーを巻く美帆さんは、私の手元を覗いて口元を綻ばせる。
「また、上手くなったんじゃない。スケッチ」
「そ、そうでもないですよ」
美帆さんは暇な時には自由にしていていい、と言ってくれたから、許可をもらって店内のガラス工芸品を色鉛筆でスケッチしてた。あくまでも趣味で、そう上手いと思わないけど。
「ううん、この透明感とか質感とか、すごいよ。素人とは思えないし」
「こ、これしか趣味がありませんから」
恥ずかしくなってうつむくと、可愛い! と美帆さんに抱き潰されてしまいました。
あくあくりすたるの店番が終わる直前、意外な人から連絡が入った。
「師走のお忙しいなか、急に連絡してごめんなさいね」
「いえ……」
以前にも来た憶えのある喫茶店で待ち合わせをしたのは、伊織さんの実母である葵和子さん。彼女とは着物を返して以来だから、1ヶ月ぶりになる。
今日も枯葉色の色無地を鈍色の袋帯と組み合わせてすっきりと着こなしてる。
「どうしても碧さんに直接お礼を言いたくて……」
葵和子さんは手提げ鞄を開くと、木製のテーブルに何かを載せる。
(これ……確か)
見覚えのある紅葉色の和紙の封筒。それが何なのかは彼女が知らせてくれた。
「……伊織が、初めてわたくしに手紙をくれたのです」
「えっ!?」
あまりの驚きに、跳ねるように顔を上げて葵和子さんを見た。彼女はハンカチでそっと目元を押さえる。
「おそらく、伊織もまだわたくしを憎んでいるでしょう。内容もわたくしへの恨み辛みでしたから。でも……それでも、わたくしは嬉しかった。我が子がちゃんとわたくしに、本心を明かしてくれた。どんなに憎まれていても、彼なりの言葉でわたくしと向き合ってくれる。こんなに嬉しいことはありません」
葵和子さんの溢れる涙はハンカチでは間に合わず、ぽろりと頬を流れ落ちる。でも……とても、綺麗だなって思った。
「あの子も、碧さんと会って変われた……と書いてました。本当に、あなたのお陰ですわ。ありがとう……碧さん」
「伊織さんが……私を?」
葵和子さんの発言は私の鼓動を乱すには十分で、堪らなくなって胸を押さえる。
伊織さんが……お母様への手紙で私を評価してくれた?
……なんで……そんな嬉しいことを。また、忘れられなくなるだけなのに。
でも、そんな気持ちより勝るのは嬉しさ。
伊織さんは果たしてくれたんだ。パーティーの時に私とした、“葵和子さんに手紙を書いてください”という約束を。
お土産屋さんで熱心にレターセットを見てたのは……このためだったんだ。
葵和子さんにつられるように、私の瞳からもぽろりと涙がこぼれる。自分の勝手な思い込みも恥ずかしいけど、それよりも。伊織さんがお母様と歩み寄る姿勢を示してくれた。
今の今まであれだけ激しく拒んできたのに……彼が変わろうとしてる。その事実に胸が揺さぶられて。嗚咽を堪えきれなかった。
「ありがとう、碧さん。そんなに伊織を想ってくれて……あの子も幸福者だわ。あなたのような人がいてくださって……わたくしも嬉しくて」
テーブルの上に置いた手に、葵和子さんの手が重なる。白くすべらか……と思われたけど。
彼女の手は、深窓のお嬢様育ちでそれなりの家に嫁いだにしては、肌が荒れて手のひらの皮も厚い。
これは……働くひとの手だ。
私がジッと観察するように眺めていたのに気付いたのか、葵和子さんは私の手のひらをキュッと握りしめてきた。
「気付きましたよね。わたくしの手……」
「……はい。でも……不躾を承知でお訊きします。一体なぜですか? おばあちゃんから聞きました。あなたが借金のためにずいぶん年上の男性に後妻として嫁いだと。
それなりに裕福な家に嫁いで……どうして働く必要が」
本来ならこうして突っ込むのは、私が出来ることじゃない。他人の事情にそこまで知りたがるのは失礼過ぎるし、必要もないことなのに。
でも、敢えて私は知りたかった。
彼女のその事情が、伊織さんが歪む原因になったような気がしたから。
葵和子さんは紅茶を飲むと、ふうっと息を吐く。そして、決意を固めた瞳で私を見てきた。
「あなたには知っていただきたいと考えていましたの。全て……お話します」
そして、葵和子さんと伊織さんが別たれてしまった背景が彼女の口から語られた。
もともと、葵和子さんの実家は昔から続く歴史ある名家で、家格もかなりのものだった。
けれど戦争を境に没落してしまい、事実上名前だけの存在に成り果てた。
それでも、家族はそれまでの生活を捨てずに借金をしてまで同じ生活を続けようとする。
葵和子さんのお母様であるナンシーさんはアメリカからやって来たけれど、そんな生活にただ一人真面目に生きようとした。彼女は家族のために必死に働き、葵和子さんが生まれて間がなくても、泣く我が子を傍らに置いて働き続けたらしい。
それでも夫や義理の両親は彼女に依存するだけで、罪悪感も感謝もなく。贅沢三昧の今までと同じ暮らしを維持することに腐心するのみ。
やがて、葵和子さんが八つの頃に母――ナンシーさんは過労のために30歳の若さで病死。それでも現実を認識しない親族は、同じ生活スタイルを崩そうとせず放蕩の限りを尽くす。
一般国民の平均月収よりも遥かに低いわずかな収入なのに、お金持ちと同じ生活をすればやがて破綻するのは当然で。
今までは和泉の名で貸してくれたところもあったが、現実は没落寸前。借金が重なり首が回らなくなった人間に、もう貸してくれるところなどありはしない。やがてヤミ金にまで手を出した彼らの借金の額は膨らむばかり。返済などはなから頭に無かったため、その金額が減るどころか利子がつき増えるだけ。
不幸なのは、現実を直視できる人が一人もいなかったこと。家名を鼻にかけて借金を“借りてる”という感覚がなく、既に意味がない家格に高い矜持を持ち、自分達はそれに相応しい暮らしをせねばならないとの思い込みと高いプライドを誰もが捨てきれ無かったこと。
ナンシーさんの死という悲劇とて、自分達が原因とは微塵も思わず、ただ“面倒くさい”と思ったのみ。
葵和子さんは幼い頃から家の事情を考えて公立学校に通いたかったけれど、祖父母に恥になるから、と無理やり名門のお嬢様学校に入れられたという。
将来は和泉家を継ぐ婿に見初められるためだ、と。
けれど収入もない中でそんな分不相応にすれば、後は言わずもがな。借金に加えヤミ金の取り立てが激しく、住む場所まで取り上げられ無一文で追い出されそうになった時。
借金の肩代わりをすると申し出たのが、桂 正蔵。
後に葵和子さんを妻とする事業家だった。
彼は15で美しく成長した葵和子さんを見初め、借金を弁済する交換条件として、亡くなった妻の後添いとして迎えたい、と申し出た。
和泉の親族は唐突に振って湧いた縁談に諸手を上げて喜び、二つ返事で承諾する。
当時葵和子さんは女子高に通っていたため、卒業を待って婚姻を整えることが約束された。
そして、桂家からは嫁がみすぼらしい格好をしては、と葵和子さんへ数々の援助がなされた。彼女は桂家へ嫁ぐため、それまで機会がなかった教養を身に付ける教育がなされ、高価な着物もたくさん贈られる。
もちろん、それを黙って見ている和泉の人たちではなく。かなりの確率で援助は葵和子さん以外の手に渡り浪費された。
家を助けるために学校に内緒でアルバイトをしながら、桂家の教育を受け家の采配も全て葵和子さん一人がしなければいけない。 ナンシーさんが亡くなってから、家事や何やらは全て葵和子さんが負担してきたからだ。
忙しく息詰まりそうな毎日。本当は夢だってあったのに、15という年で自分のせいでない借金のせいで、30も上の知らない男に嫁がされるしかない未来。
贈られた着物を着て桂家へ向かう道すがら、ふと何もかもが虚しくなる。自分は何の為に生まれてきたのだろう。母は何のために死んだのだろう。
自分はこれだけがんばっているのに、あの人たちは感謝するどころか要求ばかり。奴隷としか考えていないのか。
息詰まる現実を認識した瞬間――発作的に外へ飛び出した。
そして、どこをどう走ったのか。
途中で子ども達のはしゃぐ声が聞こえ、吸い寄せられるように立ち寄ったのがおはる屋だった。
そこで、生まれて初めて葵和子さんは“子どもらしい楽しみ”を味わった。
子ども達の何気ない日常は、葵和子さんにとっての非日常。そこにいるだけで、何もかも忘れられ一人の子どもに戻れる。
そして、おばあちゃんには本当のお母さんのようなぬくもりを与えてもらえた。
たびたび振る舞われたプリン。その味が忘れられなくて、一度だけこっそり教えてもらった。
“あんたが子どもに作ってあげるんだよ”と。 嫁ぐ前日に泣き疲れた葵和子さんに、せめてもの餞別だと。おばあちゃんはレシピのメモをそっと手に握らせる。
葵和子さんは高校を卒業してすぐ、桂家へ嫁入りし後妻として嫁いだ。
けれど、桂家には既に結婚した嫡男夫妻が共に住んでおり、葵和子さんより年上の長女夫妻も離れに住まいを構えている。
“家名だけの何の取り柄もない小娘”
“金で買われた美人なだけの女”
後妻とはいえスタートから葵和子さんの立場は弱く、何かにつけて蔑まれ、蔑ろにされ続けた。
それでもまだ夫が愛してくれたり、優しくしてくれるなら救いもあっただろう。けれど、正蔵さんはろくに葵和子さんのもとを訪れず、妾や愛人ばかりが幅をきかせ、女主人のように振る舞う。
誰も味方がいない中で、葵和子さんが孤立感を深めていたころ。実家の和泉家の更なる借金が発覚。桂家に無心に来るが、さすがに正蔵さんもこれ以上は肩代わりできないと拒否。
そのため、葵和子さんは得意の和裁で実家の借金を返すために働き出した。




