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冬~12月第1話 忍び寄る変調







「なぁ、あんた伊織の妻なんだろ?」


「は?」



突然声をかけられたのは、おはる屋の買い出しに商店街へ足を伸ばした時。


ちょうどいた空くんに手伝ってもらい、重いものを買い回りしてる最中だった。





12月も中旬を過ぎるとすっかり秋らしさがなりを潜め、舞い落ちる葉もほとんど無くなる。


空気は乾燥して風は冷たくなり、澄んだ空気は空を高く青く見せる。



「碧姉ちゃん、次はこれじゃなかった?」


「あ、うんうん。そうだったね」



試験あけということで昼過ぎにおはる屋に来た空くんは、おばあちゃんに荷物持ちとしてお使いを命令された。



子ども達にとってもおばあちゃんは恐くて、昔も今も畏怖の対象になってる。



けど、おばあちゃんは口こそ悪いけど、情に厚くて面倒見がいいから、何だかんだ言って慕われてるんだよね。



「次はこれか。金物屋さんかな」



おばあちゃんに渡されたメモを片手に、最後の用事を済ませようと金物屋さんに足を向けた瞬間、立ち止まらないといけない事態になっていた。



私の真ん前にズイッと出てきたのは一人の男性。紫色のシャツに赤いラメ入りジャケットなんて派手な格好に、金色でツンツンに立った針金みたいな髪。耳にはじゃらじゃらと幾つものピアスをつけて。鼻にもピアスをしてた。



いかにも軽薄そうな男性に警戒をしてると、男の薄い唇がニヤリと笑った。



「あんた、和泉 伊織の妻なんだろ?」








「え?」



言われた意味がとっさには解らず、パチパチと目を瞬く。すると、男は苛立ったのか手を伸ばし私の腕を掴む。



「伊織の妻なのか、訊いてんだろ! このブス!!」



グイッと腕を引っ張られ、バランスを崩して体が倒れる。そこを助けてくれたのが、空くんだった。



彼は男の腕を掴むと、ギリギリと力を込めて締め上げる。「いだだ!」と男が呻いて、私の腕を離す。そこでようやく逃れれば、空くんが私を背中に隠して庇ってくれた。



「あんた、誰だよ? 碧姉ちゃんに何の用だ?」


「おれは、伊織の甥の息子だ!」


「……は?」



空くんが信じられない顔をするのも無理はない。空くんは伊織さんの複雑な家庭事情を知らないし、彼の母が後妻で30も上の相手に嫁いだことなんて。



既に結婚していた異母兄には跡取りの孫がいると聞いた。もしかしたら、今目の前にいる男がそうなんだろうか。



どう見ても伊織さんより年下ではあるけれど、学生くらいに見える。だから、にわかに信じられないのも無理はない。



「仮に伊織さんの血縁者として、そんなあんたが碧姉ちゃんに何の用だよ?」


「そんなの決まってらぁな」



フン、と鼻を鳴らした男は手のひらを差し出した。



「すっからかんなんだ。幾らか小遣いくれよ」



その後は怒り心頭になった空くんがその男を追い返してくれたけれど。



私の胸にさざ波がたち始める。



まさか……伊織さんを巡る複雑な事情が私たちの日常を壊すなんて。その時は考えもしなかった。









その日の夜。伊織さんは出張で帰って来ないから、お風呂にゆっくり浸かりながらため息を着いた。



温泉に入った経験がよかったのか、伊織さんは最近バスタイムに凝ってる。カラスの行水だった入浴も、浴槽に張ったお湯に入浴剤を入れてゆっくり入ってる。



少しずつ、伊織さんが人並みに楽しむことを憶えているのが嬉しい。



(私も何とか5kg痩せたし……)



ダイエットを続けたお陰か、65kgあった体重がこの半年で60kgを切るまでになってる。お肌の手入れも頑張ってるし、少しは見られるようになってたらいいけど。



(でも、きっと……伊織さんにとっては無意味なんだろうな)



私が多少痩せようが、太ろうが。オシャレしようが。伊織さんが気づくとは思えないけれど。



(でも、自分のために頑張る。すぐに忘れられたとしても、伊織さんの記憶に少しでも綺麗に残りたい)



パタパタと化粧水を肌に馴染ませながら思う。

やっぱり、こう思うのは伊織さんに恋をしたから……かな?



お肌の手入れを終えた後、鏡に写る自分を眺める。代わり映えしないと思うけれど、パタパタと軽く叩きながら思う。



今日現れた伊織さんの親族と名乗る若い男性は、大学生なのかな?ずいぶんチャラい格好をしてて、真面目に生きてるとは言い難く見えた。



まったく公にされていないのに、私が伊織さんの妻と知っていた。



葵和子さんは過去が伊織さんを苦しめると恐れていた。そんな事態が起きつつあるの?



夏祭りで彼が取ってくれた黒猫のぬいぐるみを抱きしめながら、押し寄せてくる不安と戦った。













(最近伊織さんは出張が多いな)



朝方にそう思いつつ廊下を歩いてると、玄関付近の暗闇で影が動いてて。以前とまったく同じとため息が出た。



近づいてみれば、案の定伊織さんが太郎と花子にエサをあげてましたよ。





「いつの間に帰ってたんですか? 予定では夕方のはずでしたよね」


「……まあな」



ダイニングテーブルの椅子に腰かけた伊織さんは、れんげを動かしながら雑炊を口にする。


今朝の伊織さんのメニューは、野菜たっぷりの鮭雑炊、だし巻き卵、キクイモの漬物、果物が少々入ったプリン。



これも温泉旅行の成果で、とろとろに煮たご飯なら食べられるようだ。



「お代わりはいります?」


「いや、いい」



伊織さんはプリンを食べ終えた後、何だか落ち着きなくダイニングを出ようとする。



「しばらく寝る。葛西が来たら起こしてくれ」



あくびこそしなかったものの、伊織さんの目はトロンとしてずいぶん眠そうに見えた。



(徹夜でもしたのかな……)



伊織さんの器を片付けようとして気づいた。



微かにだけど、残り香がする。



これは……伊織さんが好むシトラス系じゃない。フローラルな女性もの。



朝帰り。上の空が多い眠そうな伊織さん。多い泊まりの出張。珍しく便箋を熱心に見てた彼。



ドキン、と心臓が嫌な音を立てる。



(まさか……ううん、そうだったとしても……私には何も言えない)



ぶるぶる、と頭を振って器を手に持つ。



あと何度、こうして彼とご飯を食べられるんだろう。



3ヶ月先に決まっている別れの瞬間を、私は既に恐れてた。










ところが、起き出した伊織さんが意外なことを言い出した。



「25日、予定はあるのか?」


「え? いえ……今のところ、おはる屋以外にはありませんけど」



急にどうしたんだろう? とダークネイビーのスーツに着替えた伊織さんを見る。彼はやたらと袖口に触ってるから、時間を気にしてるんだと思ってた。



「急がないと、葛西さんが痺れを切らして行っちゃいますよ?」



葛西さんは秘書なのに、迎えに来たはずの伊織さんを平気で放り投げていく。だから急かそうと思ったのに、伊織さんはゴホンと咳払いをしてる。



ビジネスバッグを渡そうとした瞬間、伊織さんは私をまっすぐに見据えてきた。



「……25日、夜の6時からあけておけ」


「え」


「いいな、命令だ」



彼が何を言ったか解らずにポカンとしている間に、ビジネスバッグを持った伊織さんは部屋を出てく。



「12月25日……伊織さんは……気付いてるの? ううん、まさか……」



そんなこと、ないよね?



だって、婚姻届だって不備のチェックをしたのが私だし。彼がわざわざ知ろうなんてするはずない。



でも、それでも。



もしも……もしも伊織さんが知っていて誘ってくれたのだとしたら。



馬鹿な私は、万に一つの可能性もないのに。嬉しく思ってしまってる。



思い出を積み重ねてしまえば、別れが辛くなるだけなのに。








「もうすぐクリスマスなのに~まだ予定ないのあたしだけなんだよ! つまんない~!!」



またまたデジャブ……ってやつですか。


おはる屋の和室でバタバタと足を動かすのが、心愛ちゃん。彼女は親は旅行なんだよ! とふて腐れてた。



「クリスマス、子どもを放って泊まりって。信じらんない」


「こら、心愛。あんまりわがまま言うんじゃない」


「そういう空兄ぃだって、今年もカノジョの一人もいないじゃん! 高2でそれッてヤバくない?」


「ぐっ……」



妹を宥めようとした空くんは、瞬く間に撃沈。空くんが「好きでいない訳じゃない」とぶつぶつ言いながら、こちらをチラ見するのはなんで?



「わかった。私がおばあちゃんに話をするから、25日にクリスマスパーティーをおはる屋でやろっか?」


「え、ホント? やったあ」



両手を叩いた心愛ちゃんは、早速和室から出て「みんな誘ってくるね!」と勢いよく飛び出す。それを見て元気だなあと苦笑した。



ゴホン、と咳の音が聞こえたから驚いて振り向けば、おばあちゃんがいたからアワアワ慌てた。勝手に約束したから怒られると思ったけど、全然そんなことはなかった。



「まったく、賑やかしいことだね」


「ごめんね、おばあちゃん……」


「いいさ、それより。あんたこそ25日……本当にいいのかい?」



やっぱり、おばあちゃんも気にしてくれていたんだ。それがわかっただけで嬉しくなり、ふるふると首を左右に降った。



「おばあちゃんこそ、体は大丈夫? さっき咳してなかった?」


「ほこりを吸い込んだだけさ。大したことないよ」



ほら、くだらないことに気をかけてないでレジをしな! とおばあちゃんは私の手をピシャリと叩いた。




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