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秋~9月第3話 勇気を出して





チッ、と舌打ちした伊織さんも少し冷静になったのか、私ごと葵和子さんを放り投げる。



何とか自分を下敷きにして葵和子さんの体を受けとめると、背中を強かに打ち付けた。



「二度と、俺の前に姿を見せるな!」



鈴木さんに止められた伊織さんは、そう言い捨てて乱暴に自室へ向かう。ドアが壊れるかと思うくらいに激しい音が聞こえ、ようやく静かになった。



「ああなったら伊織さんはしばらく戻りません。触らぬ神に祟りなし。放っておくが一番です」



10年も伊織さんのもとで働いているからか、鈴木さんはけろっとした様子でそうアドバイスしてくれた。



「本当にごめんなさいね……せっかく上手くいってるのに、わたくしのせいで仲が悪くなったら」



葵和子さんはまたも泣きそうな顔で、ひたすら私に謝って下さるけど。そんなことありません、と私は首を横にふる。



「私と伊織さんは愛情で結ばれた訳ではありませんから……気にしないでください」


「それより、背中を打ったんではないかしら? 見せてくださる?早く手当てしなくては痕が残ってしまうわ」



息子が乱暴でごめんなさい、と謝りながら葵和子さんが慣れた手つきで背中を冷やし手当てしてくれた。



伊織さんは昔やんちゃで、よくけがをしてきたんですよと昔ばなしを聞きながら。



(とにかく謝ろう……許してもらえるとは思えないけど)



葵和子さんが帰った後、部屋のドア越しに謝罪したけど。



その日伊織さんは決して自室から出てくることはなかった。









その日から、伊織さんは全く私の前に姿を見せなくなった。


もともと彼は朝が早く夜も遅いから、私がいつもの生活をしようとしたらすれ違ってしまう。今まで意識的に彼に合わせて早起きしたり、起きたりしてたけど。それも嫌なのか泊まりの出張が増えてく。



徹底的に避けられた上に、稀に顔を合わせてもすぐにどこかへ行ってしまう。毎朝作るサンドイッチも、プリンも、パンプディングも。食べる人がいなくていつもおはる屋に持っていくはめになってた。



もちろん、私は話す努力はした。まず謝罪をしてから、彼の怒りと罰を受ける覚悟があると伝えようとしたけど。 話せる時間がない上に、手紙を置いたり挟んでもいつも破かれ捨てられてる。



……今日で半月。



おはる屋からの帰り道、はぁっと川辺でため息を着いた。



「バイト……行かなきゃ」



10日ほど前から、「あくあくりすたる」で店番のバイトを始めた。おはる屋から寄って午後8時の閉店まで。



なぜかと言えば美帆さんがとある事情でお店を空けるからで。私がバイトを捜してると話した瞬間、じゃあお願い! とがっちりと肩を掴まれた。



時給800円とあまり高くないけど、収入が増えるのはありがたい。と1も2もなく引き受けた。


……伊織さんに相談したくても、とてもできる雰囲気じゃなかったから、私の独断になるけど。いくら話そうと努力したところで、伊織さんは一方的に私を避けるだけ。聞く機会すらない。



(いいよね、別に……伊織さんは私のことなんてどうでもいいんだから)



やさぐれた気持ちになって、レジの前でため息を着いた。









(今日は……帰りたくないな)



あくあくりすたるが閉店すれば、スーパーに寄ってから帰るのが習慣になってたけど。何となく、マンションには帰りづらかった。



ため息をつきながらふらふらと歩いた先に着いたのは、他でもないおはる屋で。ちょうどおばあちゃんが店じまいをしてるところだった。



「なんだい? 忘れ物かい」



おばあちゃんはそう訊いてきたけど、私はうまく答えることができない。胸が詰まったようで喉から言葉が出ない。



やがて、頬を流れた涙がぽたぽたと地面に吸い込まれていった。



「やれやれ、いい年して子どもみたいに泣いてみっともない。さっさと入んな」



おばあちゃんは憎まれ口をたたくけど、これがおばあちゃんなりの優しさで。私はコクリと頷くと、おばあちゃんの後に続いて懐かしい家へ入っていった。






久しぶりにおばあちゃん手作りのカレーとらっきょうを食べて、一階の和室で布団を並べて一緒に眠る。



たぶん、おばあちゃんはなにかあったかと勘づいてる。それでも無理に聞き出そうとしないのは、私から話すのを待っているからだ。



灯りを消して豆電球のみの薄暗い中で、私はぽつりとおばあちゃんを呼ぶ。



「私……伊織さんに怒られちゃったんだ」


「……」


「伊織さんが親と断絶するほど仲が悪いのは知ってたのに。お母さんが悲しがってたから……伊織さんがいない間にお母さんを家にあげたけど。それを知られて……」



グスッ、と鼻をすする。



「謝ろうとしたけど、伊織さんは全然取り合ってくれないの。どうしたらいいんだろ?」


「そんなの、簡単さね」



フン! とおばあちゃんは鼻を鳴らす。



「自分が悪いなら、ごめんなさいと謝り続けるしかないだろ。その後は相手次第さ。会えないからと謝るのを諦める根性なしに育てたおぼえはないよ!」



結局、おばあちゃんからはアンタが悪いと叱りつけられたけど。



何となく、勇気をもらえたような気がした。



勇気ついでにおばあちゃんに葵和子さんのことを訊ねたら、やはり憶えてたらしい。



「わしが面倒を見た憶えはないがね。何度か遊びには来てたよ。あんたの結婚相手があの子の息子だったとはね……通りで似てると思ったよ」



私がバイト先で伊織さんを拾っておはる屋に連れてきた時、おばあちゃんが呟いたのはそれだった。謎が一つ解決していった。













『あら、珍しい。私に用事なんて』



翌日、私が机にしまっていた名刺を引っ張り出して電話をかけたのが、中村 あずささん。



伊織さんが胃潰瘍で倒れた時以来だから、2ヶ月経ってからの電話になる。



だけど、今回の件に関しては葛西さんが非協力的。彼は伊織さんを傷つけた、と私を激しく非難してきたんだし。当然と言えば当然。

葛西さんの助力があてにならない以上、私が頼れるのは一度だけお会いしたこの人……あずささんだけ。



「忙しい中で急にすみません。どうしても知りたいことがありまして」



私は単刀直入に用件を切り出した。



「伊織さんがどこかのパーティーか何かに出るスケジュールってありますか?」


『え?』


「実は伊織さんを怒らせてしまって。謝ろうにも避けられたままで、取りつく島もないんです。ですから」


『どさくさ紛れに近づいて謝りたいわけね』



あずささんにズバリと目的を当てられ、小さな声で「はい」と答えた。



「ご迷惑をお掛けしてすみません。もしも難しいなら他の方法を考えますから」


『ちょっと待って! たしか……1週間後にどこかのパーティーが入ってたわね』



パラパラと手帳を捲る音が聞こえてから、あずささんはそう教えてくれた。






『でも、ちょっと待ってね』



あずささんは電話越しでもわかるほど、うふふと楽しそうな笑い方をする。



『ね、碧。ちょっと変身してみない?』


「え?」



いきなり呼び捨て? と驚く前に、もっとびっくりすることをあずささんは口にした。



『だから! パーティーに潜入するなら、それなりの格好やメイクもしなきゃならないわよ?碧はちゃんと自分で失礼ないようにコーディネートできるの?』


「……それは……自信がないです」


『でしょ? 初めて碧を見た時に思ったの。なんて磨きがいのあるひとだって。

いい、この中村あずささんに任せなさい! あなたを素敵なシンデレラに変身させてあげるから』



伊織さんを見返してやりましょう! と燃えるあずささんに一抹の不安を覚えるけど。確かに、伊織さんに謝るために腹をくくる必要がある。



きっと、また。あの毎日を取り戻すんだ。そう固く決意をして、椅子から立ち上がると抱きしめてたぬいぐるみをベッドに置いた。



いつの間にか私が抱きしめるのは絵本じゃなく――伊織さんにプレゼントされたあの人相の悪い黒猫のぬいぐるみで。



これをプレゼントしてくれた時のことを思い出し、自然と笑いが込み上げてきた。



(また、あんな毎日に戻りたいもの。おばあちゃん……みんな。勇気をわけてね)




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