(8)十三歳の旅立ち その1
十三歳になった私は、思い切って村を出た。
農業が生活の中心である村の子供たちは、基本的に自分の村を出て行くことはない。いろいろ遊びつつも家業を手伝う大切な働き手に育っていくのだ。
でも兄弟が多い家などでは、成人すれば大きな街に出稼ぎに行くことはある。十二とか十三とかで、職人の見習いなどとして働きに出ることもある。村を出る年齢としては早い方ではあるけれど、珍しくはない。
ただ、私の場合はそういうのとはちょっと違う。
いわゆる「家出」なのだ。
原因は、魔王だ。
どこかに実在する邪悪なる魔王さま個人ではない。
かつて世界中を震撼させた「魔族」と呼ばれる異界の種族のことでもない。どちらかと言えば、最近主流となった「極悪人集団の親分」という意味の魔王、つまり私が夢見ている存在が家出の原因となった。
幼い頃の思いつきとはいえ、私は少しでも早く魔力を磨いて魔王を目指したかった。魔王と呼ばれるような存在になって、ヘイン兄さんやナイローグたちを超えたいのだ。……もっと正直に言ってしまえば、あの二人をかしずかせて鬱憤を晴らしたい!
私が夢を語るたびに、兄さんには方向を間違えていると呆れられているけれど、ナイローグのびっくりした顔を思い描くとわくわくしている。
そのためには、まずは正統派魔法を学ばなければならない。
自惚れているわけではないけれど、私は今まで我流の魔法で不便さを感じた事はない。でも、きちんと系統だって習得したであろう母さんの魔法との違いをはっきりと見てしまってから、私の魔法ももっとすっきりできるんじゃないかと思うようになったのだ。
魔法は、生まれ持った魔力の大きさだけでは決まらない。
そのままでは暴風のような魔力をどれだけ制御するかが魔法であり、その過程をどれだけ洗練された術にするかで魔法使いとしての価値は変わってくる。そのことを私は一年前の人さらい未遂事件の時に知った。
私は生まれた時から魔力を手足のように使っていた。いや、手足を自在に動かせる前から使っていたらしい。だから魔力を扱うことは、呼吸をするようなものだ。
でも母さんの魔法を見た後、私は気づいた。
ヘイン兄さんが両手で二本の鉈を握って薪の山を作るように、あるいは矢の連射や同時複数射を軽々とやってしまうように、鍛錬すれば手足以上に熟練して行くのではないか。
だから、正攻法こそ近道だ!……と思い至ったのだけど。
魔王になる!と言った時には反対らしい反対はしなかったのに、勇気を振り絞って魔法を習いに行きたいと言ったら、母さんは首を振った。父さんに村を出ないでくれと懇願されるのは予想していても、母さんが反対するなんて考えていなかったから、私はとても驚いた。
「えっ……今、ダメって言ったの?」
「外に出ることには反対です。十五歳になるまで村を出ることは許しません」
「なんでだよ!」
「理由は十五歳になるまで話せません」
「そんな、ひどいよ!」
「……シヴィル。落ち着きなさい。一応理由はあるんだよ」
「理由って何だよ! ヘイン兄さんが知っているんなら教えてよ!」
「いや、それはちょっと……」
母さんと私の間に割って入ったヘイン兄さんは、言葉を濁しながら視線を彷徨わせる。それでいて、肝心な理由は教えてくれそうにもない。
私は落ち着くためにふうっと息をついた。
理由も教えてくれないまま、頭からだめだと言うなんて横暴だと思う。でもきれいな顔に合わず頑固な兄さんだから、その理由とやらも絶対に教えてくれないだろう。
「……そこまで言うのなら、村で魔法を習いたい。母さん、教えてよ」
「なるほど、それならいいな!」
私が少し折れて言うと、父さんが急に元気になって身を乗り出してきた。でも母さんは、年齢不詳の美貌にふっと笑みを浮かべて首を横に振った。
「残念ね。私には無理です」
「え、そ、そんな、エイヴィー……!」
「トゥアム。私の魔法は本当に初歩的なものだけなのよ。シヴィルのような大きな魔力を操るような技術を教えることはできません」
「じゃあやっぱり、村の外で……!」
「だめです。十五歳になるまで村から遠く離れることは許しません」
珍しく父さんが一生懸命に取りなそうとしてくれたけれど、母さんは微塵も揺らいでくれなかった。私は訴え続けたものの最後は声が枯れてしまって、兄さんに肩を叩かれて慰められてしまった。
……ヘイン兄さんが早いうちに弓矢を習ったのは何も言わなかったのに、私だけ許してくれないなんて、ひどい。
痛む喉に耐えながら兄さんと父さんを見上げると、二人とも同情の顔をしつつも揃って首を振った。
「……力不足ですまない。かわいいシヴィル。誰もエイヴィーには逆らえないんだ……」
「うん、あきらめた方がいいね。それに、ナイローグにもおまえを野放しにするなと釘を刺されているんだよ」
「そんなぁ!」
「母さんも、十五歳になったら都の魔道学院に行ってもいいと言っていただろう? あと二年待つんだ」
「ヘイン兄さんは母さんを信用しすぎているよ。あの母さんが、二年後にすんなり行かせてくれると思う?」
「……うん、たぶん、大人の女性がどうのこうのって言って、結局揉めるだろうね」
ヘイン兄さんはさらさらの金髪をかき乱しながら苦笑した。
父さんは完全に視線をそらし、巨体を縮めるようにしてこっそりと去って行く。その広い背中を見送り、私はため息をついた。
「もういいよ。何と言われても、私は出て行くから」
「どこに行くつもりかな? あてはあるのか?」
「……とりあえず都に行ってみたい。母さんが言っていた……えっと、魔道学院? そういう魔法を教えるところとかがあるんだよね? そういうところに近付いたり、魔法使いさんとお近づきになったり、なんとか手段があると思うんだ」
「ふむ。方向としては悪くないかな。でも、どうやって生きて行く? 何をするにも金がかかるんだよ?」
「今までの小遣い稼ぎで当面の分はあるから、働き口を探すよ」
「なるほど。一応いろいろ考えていたんだな。しかし……母さんには何と言えばいいんだ?」
「家出したって言えばいいよ」
へイン兄さんの口ぶりは完全な反対ではないようだ。そう判断して、私はこっそり準備を始めてしまおうと自分の部屋へ歩き出していた。
「では、ナイローグには何と伝えようか?」
背中から聞こえたヘイン兄さんの言葉に、思わず動きを止めてしまった。
そうだ、ナイローグのことを忘れていた。
彼は母さんよりも口煩くて、この村の誰よりも常識がある。子供の頃はヘイン兄さんとバカをやっていたくせに、今は大人ぶっていてうるさい。そんな常識人に「家出しますからよろしく」なんて言っても、にっこり笑って応援してくれるわけがない。そう確信するくらい自分の無謀さは自覚していた。
それに、ナイローグは都にいるはずだ。どこでどんな仕事をしているかは、今だによく知らない。こっそり家出したとして、偶然彼に見つかってしまったら……母さん級の説教を受けてしまうことになってしまうだろう。
では、都に行くのはやめる?
地道にコツコツ説得を続けて、せめてあと一年後に村を出ていけるようにしてみる?
……いやしかし、魔法の正統派を学ぶためには少しでも早く都に行くべきだろうし……。
立ちすくんで考え込む私を見て、ヘイン兄さんはため息をついた。
「シヴィル、誤解があるかもしれないから言っておくけどね、ナイローグはおまえにはベタベタに甘いよ。多少は厳しく言うかもしれないけれど、必ず力になってくれるだろう。だから万が一のためにも、彼に知らせておいた方がいいけれど……どうする?」
へイン兄さんの優しい声を聞きながら、私はしばらく考える。
短い時間だったが、じっくり考えてから首を横に振った。
「……やっぱり、ナイローグにはしばらく内緒にしておいてよ」
「そうか。まあそう言う道もあるかな。しかしそうすると、私があいつと母さんに締め上げられることになるな」
「大人なんだから、そのくらい我慢してよ」
「え、ちょっとそれは……まあ、わかった。では一ヶ月だけ時間をあげよう。その間に都に行って働き口を探すんだ。おまえは農家育ちの野生児だから体力はあるし、動物にも好かれる。その方面で探してみるといいだろう。……でも、一つだけ約束してほしい」
急に真剣な顔になったヘイン兄さんは、腰を屈めて私と視線を合わせて私の両肩に手を置いた。
よく晴れた空のような青い目が、私をまっすぐに見つめてくる。
母さんとよく似ているのに、与える印象が正反対の柔らかさのあるきれいな顔は、とても真剣だった。そんな表情をしていると、不思議なほど威厳があるのはなぜだろう。
「いいかい、シヴィル。絶対に無茶はしてはいけないよ。おまえの身に何かあれば、父さんも母さんも悲しむ。魔法を習得することには賛成だから、都に行くことには全面的に協力はしてあげよう。でもおまえの身に何かあったり、本当の不祥事を起こせば……都にいるナイローグの首が飛ぶ。それを忘れずに行動しなさい」
ゆっくりとした口調で、言葉の一つ一つを私に覚えこませようとしているようだ。
それをおとなしく聞きながら、私は首を傾げた。
父さんと母さんが心配することはわかる。
情に厚い父さんは、私をとてもかわいがってくれている。母さんも表情に出さないだけで、あれで結構私を愛してくれている。
だから変な親だと思いつつ、大好きなのだ。
でも……なぜナイローグが出てくるのだろう。いろいろな人が集まる大都会には、同郷出身者が連帯責任を負わされる習慣みたいなものがあるのだろうか。
よくわからない。
十三歳になったとはいえ、私はまだ子供でしかない。それにとても無知だ。生まれ育った村の中のことしかわからない。兄さんの忠告には素直に頷いておくことにした。
それに、基本的に私は悪いことが嫌いなのだ。魔王が絶対的な魔力を持つ存在でなければ憧れることもなかっただろうくらいには、悪いヤツは嫌いなのだ。
だから、危ないことは絶対にしないと誓うことは簡単だった。
「わかったよ。ヘイン兄さんの妹という立場に恥じない行動を約束します」
「妹なんだからね? 弟ではないことも忘れないように」
ヘイン兄さんはそう言って笑い、腰を伸ばして私の頭をがしがしと撫で回した。