(7)十二歳で知った新事実 その3
幸いなことに、男は気にしていないようだ。ひたすら私の髪とか横顔を見ている。
「こんな田舎に、これほど上質の銀髪がいたとはぬかった。この辺りは平凡な黒髪ばかりと思ってたが、様子を見に村まで行ってみるか?」
「こんな銀髪があと三人もいれば、俺たち全員が遊んで暮らせるな」
男たちがそんなことを話し始めたから、私は慌てた。
「わ、私だけが銀髪なんです! 家族とも髪の色が全然違って、もしかしたら捨て子だったのかなって思っているくらいで!」
「なるほどな、そりゃそうか。こんな田舎にいるほうがおかしいな」
私のでまかせの嘘を、悪人のくせにあっさり信じてしまった。
悪人として、大丈夫なんだろうか。
思わず心配してしまった時、木の上から鳴き声が聞こえた。
カラスだ。
目印のように飛んでいた、あのカラスだ。
見上げるとカラスが私の真上をぐるりと回っていた。目があったような気がしたら、何処かへ飛んで行ってしまった。
……目印だったのに。私が魔法でつけている目印は捕まる前までだ。今はその場所からどんどん離れて行っている。最後の目印になるはずのカラスが飛んで行ってしまったら、へイン兄さんが私の場所をわからなくなってしまう。
今から魔法で目印をつける? でもそんな事をここでやったら、さすがに私が魔法を使う事がばれてしまう。せっかく油断してくれているのに、警戒させてしまったらどうしようもない!
だめだよ、行かないで!
そんな心の中の祈りは通じなかったらしい。カラスは悠然と飛び去ってしまった。呆然と見送っていると、周囲の悪人たちが動きを止めた。馬も止まる。カラスに気を取られていた私は、一瞬落ちそうになった。とっさに踏みとどまったけれど、よく考えたら落ちた方が逃げやすかった気がする。
また、馬鹿なことをしてしまった。
再び自己嫌悪に陥りそうになったけれど、状況はそれを許してくれなかった。
「そこのやつ、止まれ!」
先頭にいた男が怒鳴った。
何事かと目を上げると、木々の向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。
とても背の高い男だ。大股で歩きながら外套を脱ぎ、木の根元へ放り投げる。腰に剣を帯びているのがわかった。
雨はまだ降り続いていた。生い茂った木の枝の隙間から、水はぼたぼたと落ちてくる。その雫で黒い髪がどんどん濡れていくけれど、その男は全く気にした様子はない。ただゆったりと歩き続け、殺気立つ悪人たちを平然と見返していた。
その目がふと動く。私を見つけたようだ。
すっと目が細くなり、私は反射的に身を縮めた。
「シヴィル。村から出るなと、へインに言われなかったのか?」
「ナ、ナイローグ……」
へイン兄さんが来てくれる事を祈っていたら、ナイローグが来てくれた。そうだ、ナイローグは近くまで来ているって母さんが言っていた。
ほっとするけれど、私を見るナイローグの目は全く笑っていなかった。
……これは、かなり怖い。本気で怒っている気がする。
確かに村から出るなとは言われたよ? でも今回は緊急事態と言うか、悪ガキ仲間を探していただけと言うか、結果的に村の外に出てしまっただけで、今だって好きで村から離れているわけでは……!
心の中で必死で言い訳していると、ナイローグはわずかに笑った。
「後でゆっくり話をしよう。とりあえず……目を閉じていろ」
「え?」
「目を閉じて、いいと言うまでそのままにしていろ。勝手に目を開けるなよ」
いきなり命令口調で言われて、はいと素直に言う性分ではない。
でも今は、素直に目をつぶった。
だって怖い。少し笑ってくれたけれど、やっぱり怖い。普段は優しい分、こう言う時のナイローグには逆らってはいけない。
ぎゅっと目をつぶった私の耳に、剣を抜く音が聞こえた。
実は私は、ナイローグが真剣を抜いた姿を見たことがない。
へイン兄さんと木剣で打ち合ったりするのは見たことがある。それはもう凄かった。
だから好奇心がむくむくと湧き上がったけれど、さっきのナイローグの目を思い出してなんとか踏みとどまった。
でもその分、耳がよく聞こえる。
悪人たちの罵声が悲鳴に変わる。地面に叩きつけられる音とか、剣が折れる音とか、他にもいろいろとんでもない音が聞こえる。
音だけだからこそ、怖さ倍増だ。耳を塞げたらいいのだろうけれど、手は縛られたままだった。
だから途中から、私は目を閉じたまま声に出して数を数えることをした。
「1、2、3、4……」
「こいつ強いぞ! 油断するな、一斉にかかれ!」
「……18、19、20、21……」
「ぐはっ!」
「まずいっ! に、逃げろ!」
「……83、84、85……」
「ま、待ってくれ! 降参だ! 降参するから助けてくれっ!」
「うわぁぁっ!」
「……225、226、227……」
「もういいぞ、シヴィル」
思ったよりすぐそばで声がした。
そっと目を開けると、ナイローグは私が乗せられている馬の手綱を持っていた。
そろりと目を動かすが、腰の鞘は空だ。まだ剣を持っているのかと思ったけれど、ナイローグは私の手をしばる紐を解いてくれている。ではどこに置いているのかと見回すと、すぐ近くの地面にぐっさりと刺さっているのが見えた。
もちろん悪人たちは皆意識を失って、地面に倒れている。
「怪我はないか?」
「あ、うん。おとなしく捕まっていただけだから」
私が自由になった手首を撫でていると、ナイローグは私の両脇に手を入れて馬から下ろしてくれた。馬に乗るより歩く方が好きだから素直に従った。
ナイローグは全身が雨で濡れていたけれど、怪我をしている様子はない。
さすが、ナイローグだ。
でも……やっぱりほっとする。
剣を抜いて鞘に収め、脱ぎ捨てていた外套を拾ってきたナイローグは、それを私にかけてくれた。
「そうだ、ぺジェムとダゥムは?」
「あの子供たちなら、へインが保護している」
「よかった! ……あれ、兄さんも来てくれたんだ?」
「俺はカラスの様子がおかしいから、ここまで来たんだ。その途中でヘインにも会ったぞ。……あいつ、相当慌てていたよ。動揺がひどかったから、ここには来させなかったんだ」
「へぇ、そうなの? あのヘイン兄さんが動揺なんてするんだ?」
「……当たり前だろう。家に戻ったら妹が家からいなくなっていて、魔法の目印が森の奥へと続いていたんだからな。最近、この辺りで人さらいが頻発していたのは知らなかったのか?」
「人さらい……そんなの全然知らなかったよ」
「そうか。それは仕方がないかな。まあ、そう言う状況だったから、村の外に出てしまったらしいと知ったら誰でも慌てるぞ。……ヘインがここに来ていたら、あいつらはなぶり殺しだっただろう。あとは警備隊に任せる方がいい」
ナイローグは何でもないことのようにそう言って、倒れている悪人たちを見やる。
父さんなら本気で怒るとやりかねないと思っていた。でも、まさかヘイン兄さんまで?
家族としては、頼もしいと思えばいいのだろうか。愛情が重いと身震いするべきなのだろうか。
一瞬複雑な気分になったけれど、私は何も言わないことにした。そんな私の背を押して、ナイローグが馬を引いて村へと足を進めた。
馬とともに、私たちは森の中を無言で歩いた。
でもしばらくして、私は首を傾げた。ずっと気になっていたことを、思い切って聞いてみた。
「あの……ナイローグ、今は怪我はしていない、よね?」
「かすってもいないぞ」
「だよね。でもなんか……血の臭いというか、血の気配というか、そういうのを感じているんだけど」
「……お前たち兄妹は鼻が利くというか、勘がいいというか」
ナイローグは低くつぶやく。
たぶん独り言なのだろう。まっすぐに前を向いたままの横顔には、かすかな苦笑が浮かんでいた。
「ナイローグ?」
「お前をごまかせるとは思っていないから、正直に言うぞ。少し前に怪我をした。この休暇はその休養も兼ねているんだ」
ナイローグは私を見ずにそう言った。
たぶん、嘘はついていない。でも少しごまかしている気がする。なぜ怪我をしたのかとか、休養しなければいけないような怪我ってひどいってことではないかとか、じわじわと気になってくる。
それに、怪我が治っているとも言わなかった。
もしかしてこの血の気配は、その怪我が開いたためではないのか。
いろいろ心配になってくるけれど、私はそれ以上聞くことができなかった。
私のせいで怪我をしたわけではないのはよかったと思う。でも今のナイローグは声をかけにくいのだ。
横を歩いているのに、いつものナイローグではない気がする。この感じはなんだろう。たぶん……少し怖い。
改めてそっと見上げると、ナイローグは半年前に村に戻ってきた時より日焼けしていることに気づいた。まるで一日中農作業している父さんみたいだ。村の外に働きに出てから、こんなに日焼けして戻ってきたことは初めてだと思う。
それに日焼けをしているだけでなく、隠しきれないほど疲労しているようだ。休養が必要になるくらいの怪我のせいかもしれない。顔色は悪くはないけれど、ここ数年こんなにやつれた顔は見たことがない。
でもそんな変調以上に、剣を抜く前と今とでは全然違う人のように思えた。表情はいつも通りのようなのに、目の光がなんだか違う。うまく言えないけれど、彼自身が血の臭いを嗅いだ獣のようだ。
そんなことを考えていると、横を歩くナイローグがようやく私の方を見て、ぽんと頭に手を置いた。
「あんまり心配させないでくれ。どうやら俺も、お前のことになると頭に血が上ってしまうようだから」
「……うん」
私は素直にうなずいた。
そんな私を見下ろして微笑む彼は、いつもの優しいナイローグだった。