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(28)十八歳の激動 その6

 

「シヴィル」


 転移術のためにくるくると指を動かしていると、ナイローグが私の名前を呼んだ。


「何? 転移なら、あともう少しだよ」

「……おまえは王家の血を引く姫だ。お前がどう育っていようと、何も望まなくても、これだけは覆らない」


 何だか硬い口調だ。いつにない雰囲気に私が見上げると、彼は苦笑いをしていた。


「王家に関わる事情があるから、魔王だけは諦めてくれ。そのかわりと言ってはなんだが……お前が望むなら魔力を振るえる地位を用意してもいい」

「……それってどんなの?」

「グライトン騎士団付きの魔女だ」

「騎士団付きの、魔女?」


 何だ、その肩書きは。聞いたことがない。

 私が無言のまま先を促すと、ナイローグはなんだか重そうな口を開いた。


「かつて、騎士団創立の時にいたという記録がある。魔族に対抗するためだったらしいが、ようするに、実戦向けの魔法使いだ」


 ……実戦向け。いい響きだ。

 思いがけない提案だったけれど、私はちょっと興味が出てきた。

 たぶん、顔にそんな思いは出ているのだろう。ナイローグは少し呆れたような顔をしながら続けてくれた。


「おまえも知っているだろうが、グライトン騎士団は国王陛下の私兵だ。実力だけが重要視されるから、宮廷魔術師のような形式美も学歴もいらない。単純に強ければいい。おまえの魔力なら、副団長と同等の格と地位を与えても誰も文句は言わない。何よりお前は野生児だから、実戦に出ても足を引っ張ることのない貴重な人材となるだろう」

「うん、まあ、確かに魔法使いさんって体力ないよね。魔道学院は魔獣飼育の実技くらい入れるべきだと思うよ」

「……その件は宮廷魔法使い殿に提案しておこう。それより今はお前の話だ。騎士団付き魔女を望むなら、当面は私が身元引受人になっておくぞ。そういう可能性も考えて、私の許嫁ということにしているんだからな」


 ようするに、魔王の部下としてやっていたことを、今度はグライトン騎士団でやるということだろうか。華麗すぎる転職だ。

 ……うん、悪くない。

 ずいぶん前に魔力の強さを売りにする職業があるといっていたけれど、もしかしてそれのことなのだろうか。

 そう思いつつ、私はそっと首を振った。


「でも何と言うか、いくらナイローグが騎士団長様と言っても、そこまで迷惑をかけてしまうのは、ちょっとダメなんじゃないかと思うんだよね」

「……迷惑にはならない。私にも利があるぞ」


 前を見ていたナイローグは、なぜかここで言い淀んだ。

 手綱を取る手が、落ち着きなく握ったり開いたりしていた。口を開いて何か言おうとしていたが、なかなか言葉にならないようだ。

 珍しい姿だ。

 思わず興味津々で見上げていると、ふうっと息を吐いて手綱から離した左手が黒い髪をかき乱した。


「……つまりだな。俺はおまえをそばに置きたいんだ」

「なんで?」

「なんでって、それは……だから、その……俺の近くにいるのは嫌か?」


 ナイローグが私を見た。

 その視線が真剣すぎて落ち着かなかったから、私は慌てて前を向く。

 私の頭頂部のあたりに、こつんと何かがあたった。ナイローグの額だったようだ。かすかな吐息が耳に触れ、騎士服についている輝かしい階級章に髪が引っかかった。髪を軽く引っ張られて少し痛かったけれど、密着した肩に心臓の鼓動がわずかに伝わってきた。


「……お前の生まれはグライトン騎士団団長より上の身分だ。陛下の姪姫だから、お前が昔望んでいたように、俺は平伏しなければならない。そちらの方がいいか?」


 そう言われて、初めて気づいた。

 ありえないと思った私の血統は、しかるべき場所に出れば騎士であるナイローグに膝を突かせるものなのだ。

 十年間も夢見た光景は、私の中に流れる血を受け入れるだけで実現することだったらしい。

 母さんの言いつけを守って、スカートを穿き、綺麗な仕草を身につけて、十五歳まで村にいて……それだけでナイローグは私の前で膝を突くことになっていたのだ。

 ちょっと想像しようとしてみたけれど……全てがありえない。

 母さんならともかく、私は田舎生まれの野生児あがりでしかない。いまだに言葉遣いは少年のようだし、頭の中身もご令嬢とかお姫様とは程遠い。

 嬉々として血統に頼るほど、私は自惚れていない。

 だからと言って、今ここで率直な返事をするのはおもしろくない。私は自棄気味に転移魔法を生じさせた。

 私が指先で空中に描いた転移先は、ナイローグが希望した都へではなく、実家のある村にした。これは軽い嫌がらせというか逃避だった。




「着いたよ」


 空間をねじ曲げる転移術を終え、私はすました顔でナイローグに告げる。

 目の前には懐かしい村の光景が広がっていた。

 青い空に、ふわふわと浮かぶ白い雲。

 遠くには深い森が見え、細やかな水路を張り巡らせた平地は一面が畑になっている。

 少し高くなった丘は牧草が茂り、囲いの向こうでは羊たちが草を食んでいた。


「……おい、ここは……」


 ナイローグが困惑したようにつぶやくのが聞こえる。その困り切ったような顔を見上げていると、私は実にすがすがしい気持ちになった。


「村に戻れって言ったよね? 一緒について来てくれるとも言っていたよね?」

「確かに言ったが、何も今でなくても……この格好はまずいと思わなかったのか」

「あ、グライトン騎士団というのは内緒だったの?」

「知っているやつはいるが……いや私のことはいいんだ。問題はお前だぞ」

「私?」

「お前は今どんな姿なのかを忘れていないか? どう見ても女にしか見えない姿で私と一緒にいると、余計なことを勘ぐられるぞ?」


 おかしなことを言う。

 今の私は、黒一色ながらも美しいドレスを着ている。ナイローグは実戦用の姿と言え、騎士団長様らしい威厳あふれる姿だ。私もドレス姿だから、特別見劣りはしていない……と思う。


「この格好は別におかしくないと思うけどな。あ、おりていい?」


 私は一人で馬から飛び降りようとした。

 でもその前に肩を押さえられ、ナイローグが先に下りて、またお姫様っぽく抱き降ろされてしまった。

 何度されても、まだ慣れない。

 でも、ふわりと降ろされるのは悪い気はしない。私が羽根になったような錯覚を覚えるほど、ナイローグは丁寧に軽やかに降ろしてくれた。


 久しぶりの故郷の土を踏みしめ、私はそっと我が家の方に目を向けた。

 懐かしい家の前には、姿勢の良い美女が立っていた。

 目が合うと、ふわりと微笑みが返ってくる。白髪がほとんどない見事な金髪の美女は、でも説教の気配がほのかに漂っていた。

 一瞬、背筋がすぅっと寒くなる。でもその感覚すら懐かしい。

 故郷に帰ってきたのだと実感する。


「母さん……」


 そっと声を掛けると、母さんは神々しいほど美しい笑みを浮かべた。

 事情を知ると、母さんの微笑みがいつも以上に気高く見えてくる。その美しい笑顔のまま、母さんは私に軽くうなずいてくれた。


「お帰り、シヴィル。すっかり綺麗になったわね」

「母さ……」

「シヴィル!」


 私が答える前に、バタンと扉が開いて家の中から巨漢が飛び出して来た。何歩も近づきながら、太い腕を私に向けて差し伸べながら大きく開く。


「お……お帰り……シヴィル……!」

「ただいま!」


 私はその広い広い胸に向かって走っていった。たぶん十年ぶりくらいに父さんに飛びついて、ぎゅっと抱きしめられた。

 一日農作業をして、軽く水で拭いただけなのだろう。父さんは汗臭い。でも服は土と草の匂いが、黒い髪は日向の匂いがする。懐かしい匂いだ。

 今も小柄な私は父さんの腕にすっぽりと包まれてしまう。農作業で鍛えた腕に締め付けらて、私は一瞬意識が飛びそうになった。

 でも、その感覚も懐かしい。

 この締め付けが苦しいから私は父さんに抱きつかなくなったのだったと、改めて思い出した。


「シヴィル。ナイローグと一緒に帰ってきたと言うことは、魔王になる夢は諦めてくれたんだね?」


 やはり家の中から出てきたヘイン兄さんは、母さんの横に立ちながら言う。父さんの腕の中からもがき出た私は、馬を引いてきたナイローグを振り返った。


「母さんの生まれとか家の話は聞いたよ。だから魔王になるのは諦める。でもそのかわり……」


 私は母さんにちらりと目を向け、先を続けた。


「その代わりに、ナイローグの許嫁として騎士団の魔女になることにしたよ」

「な、な、な、なんだと!」


 父さんが絶叫した。

 近くの木立から小鳥たちが飛び立ったのを見送り、私はそっと母さんとヘイン兄さんを見た。

 ヘイン兄さんは親友に目を向けて苦笑していた。

 母さんは微笑みを消して、美しい眉をわずかに動かした。

 最後にナイローグを振り返ると、非常に珍しいことに顔を強張らせていた。たぶん青ざめている。

 誤解を招く言い方なのは、もちろん故意だ。

 過保護すぎる馬鹿な男と、ヘイン兄さんに冷たい目で見られればいい。

 元勇者という豪腕農夫の父さんには締め上げられてしまうかな?

 元王女様という礼儀に厳しい母さんには、たっぷりと説教されてしまうかも!



 ……でも、私の予想はあまり当らなかった。


 ヘイン兄さんはため息交じりに彼の肩を叩いただけだった。

 父さんに締め上げられたナイローグは、涙ながらに娘を頼むと言われていた。

 母さんに説教されたのは、長らく帰省していなかった私の方だった。

 でも母さんは、ナイローグにクギを刺すことも忘れなかった。


「お分かりだと思うけれど、娘を泣かせたら死罪ですよ。それから、しかるべき手順はきちんと取りなさい」


 そんな事を言い放った母さんは、いつにも増して美しく、怖い笑顔だった。

 

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