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(27)十八歳の激動 その5

 

 私にとってありがたいことに、ナイローグはしばらく馬を走らせてくれた。おかげで好奇の目から逃れることができて、やっと一息つけた。

 やがて、ナイローグは手綱を緩めてゆったりとした速度で歩かせ始めた。

 今日は本当にいい天気だ。

 失業した日でなければ、どれほど心が躍るだろう。

 小鳥たちのさえずりを聞きながら、私は長いため息をついた。


「シヴィル」


 私の後ろで手綱を握っているナイローグが口を開いた。

 馬に乗ってからずっと黙り込んでいたから、何を言い出すのかと振り返る。グライトン騎士団の騎士様は、まっすぐ前を見たまま言葉を続けた。


「お前は……自分のご両親が浮き世離れしていると思ったことはないか?」


 何を言い出すのかと思えば、父さんと母さん?

 私は頭を反らすように見上げたまま、首をかしげた。


「それは確かに……父さんは完全な農夫だけど、母さんは……アレかな」


 母さんは厳しいけれど、どこかずれている。

 それは確かだ。幼い娘が魔王になる!なんて言ったのに、それはステキと微笑む母親は普通ではない。私にもそう思うくらいの常識はある。


「親父さんはな、農夫ではあるが、かつては勇者と呼ばれた人だ」

「え?」


 驚きのあまり、私は狭い馬上で身体ごとナイローグに向き直る。

 ほとんど落ちそうな勢いだったけれど、騎士のたくましい腕は私を軽く支えてくれた。


「落ちるなよ。……それで親父さんのことなんだが、魔獣討伐の功績により、あのあたりの農作地帯すべてを与えられた、ということになっている」

「ええー? 農作地帯って、まさかと思うけど、ランダル全部ってこと?」

「そうだ」


 一度も姿を見たことのないランダルの謎の領主様は、実は父さんだったらしい。

 ……あの父さんが?

 農夫としては一級でも、領主としての仕事なんて絶対無理だよね?


 そう考えて、ヘイン兄さんがいつも忙しそうにしていた理由に思い当たった。さわやか美形ながら、ヘイン兄さんは意外に人使いがうまい。実質的な領主さまは兄さんなんだと言われれば、こちらはすっきり納得できた。

 一人でうなずいている私を見下ろし、ナイローグは少し笑った。


「親父さんについては納得できたようだな。それで、母君は……こちらはもっと訳ありだぞ」

「ふーん、で、どんな訳ありなの?」

「それはつまり……あの方は元王女殿下なんだよ。親父さんに救われたことがあったとかで、ほとんど押しかけ女房状態で来たらしい」

「お、押しかけ女房?」


 なんだか、すごい話になってきた。

 私は必死で頭の中を整理していく。ナイローグは私の混乱が収まるのを待ってから続けてくれた。


「母君のベタ惚れだったらしいぞ。普通なら許されない身分違いの恋だったんだが、あまりの執心ぶりに前代陛下も困り果てて、親父さんに領主という地位を与えることで黙認する事になったと聞いている」

「ベタ惚れ……恋……」


 なんと劇的な。

 私が色恋と無縁な世界に生きているから、両親もそうなのだろうと勝手に思っていた。

 ……あの母さんがベタ惚れ? それって私が知っているベタ惚れと同じ意味なのだろうか?

 衝撃を受けていると、ナイローグは苦笑して指先で私の頬に触れた。話の途中だったことを思い出した私に、ナイローグは実に冷静に指摘してくれた。


「たぶん聞き逃しているだろうから、もう一度言うぞ。お前の母親は元王女殿下だ。わかるか? つまり、我が主君の異母姉にあたる方だ」

「…………え、え? えええっ!」


 ナイローグは私のことを本当によく理解している。

 完全に聞き逃していた私は、今度こそ呆然としてしまった。

 元王女様?

 ナイローグの主君の異母姉?

 ええっと、ナイローグはグライトン騎士団の一員で、グライトンの騎士の主君と言うと国王様だけのはず。

 その国王様の、異母姉? 母親違いのお姉さん?


 いきなり雲の上の人の話になってしまって、現実味を感じない。でもあの母さんならあり得るとも思ってしまえるところが悩ましい。

 ……いや、ちょっと待て。

 母さんが国王さまのお姉様なら、私は、国王さまの異母姉様の娘様、ということだ。わかりやすく言えば国王様の姪ってことで、母方のおじいちゃんが前代の国王様ってことになる。それはつまり、私には王家の血が流れているということで……。


「ありえない」


 信じ難い。私が魔王の腹心だと主張しても誰も信じてくれなかったけれど、母さんが国王様の異母姉というのとどちらが信じられるだろう。

 ……というか、ナイローグが言っていたとおり、私は本当に姫なのか?


「……ありえない!」


 馬上なのに、つい頭を抱えてしまう。そんな私をナイローグはやはり片手で支えてくれた。


「この話は、本当は十五歳で聞くことになっていたんだぞ。村を出るにしろ、それなりの覚悟を持たなければいけないからな。それなのにおまえは家出して村に戻らないし、親父さんたちに頼まれて私が話そうと思っても、すぐに逃げられて駄目だった。……まあ、今日はお前も疲れているよな。詳しい話は都に戻ってからにしようか。転移魔法を頼んでもいいか?」


 何と言うか、いろいろごめんなさい。

 もう、それ以外に言うべき言葉を見つけられなかった。


 それにしても、ナイローグの判断は正しい。今はまともな会話なんて無理だ。予想外の展開や真実に、私の精神はすでに限界を越えている。

 この慣れない横座りとかお姫様扱いなども落ち着かない。もっと言えば、密着しているこの体勢も落ち着かない。


 十八歳の私は、年齢的には立派な大人だ。同年代の友人たちは、だいたい結婚して子供がいる。

 でも魔王への夢一筋だった私は、色恋からは遠かった。異性と接近することだって滅多になかったから、こういう体温を感じるほどの距離は慣れていない。

 ……そういえばハゲ魔王のセクハラ行為は、もっと密着していた。

 思い出すと奇声をあげたくなる。それを髪をかきむしるだけでぐっと堪え、私は転移魔法を行おうとした。

 突然の奇行を黙って見てくれていたナイローグは、背後で笑ったようだ。でも笑いの気配はすぐに消えて、長いため息が聞こえた。


「なあ、シヴィル。お前は……私の肩書きを知っているか?」

「え? ナイローグの肩書き?」

「一般には、私は黒将軍と呼ばれているらしい」

「へぇ、黒将軍か……」


 その呼称は知っている。

 公式にそういう役職があるわけではない。完全な通称だ。

 剣を取れば戦場で敵兵の死体の山を築き、騎士団を率いれば隙のない用兵で敵対勢力を蹴散らす指揮官だから、無敗の黒将軍と呼ばれている。

 一番有名なのは数年前の南部国境での戦闘で、大抜擢で将軍待遇となって凄まじい戦績をあげたと聞いた。似姿を買い集めていた町のお姉さん方が、そんなことを言って騒いでいた。

 髪が黒くて、甘い容姿で、その上庶民出身ということで女性だけでなく男性にも人気があるとかなんとか。

 それに確か黒将軍とは、悪人も黙るグライトン騎士団長の別称のはずだ。

 なるほど、噂に聞く黒将軍さまの容姿は、ナイローグと完全に合致している。

 怯えて損をした。……いや、問題はそこじゃなかった!


「えっ? 黒将軍ということは……まさかナイローグって、グライトン騎士団の団長なのっ?」


 信じられない、とつぶやいていると、ナイローグはため息を吐いたようだった。


「おまえだって王家の血を引いているじゃないか。それなのにおまえは魔王になるなんて言い出したからな。陛下の周辺がどれだけ青ざめたかわかるか?」


 うん、そうだね。確かに青ざめるよね。普通は。

 私は引きつった顔で笑ってしまった。


「おまえの守護を命じられていた人間は、それぞれの道で出世しなければならなくなったんだ。私は平民出身だから普通の警護職だけのつもりだったんだが、そんなことは言っていられなくなったんだぞ。幸いグライトン騎士団で出世できたから、おまえが何かやっても揉み消せる程度にはなった。だから今回も、私の許嫁と言うことで身元を引き受ける」

「うん……いろいろごめんなさい」


 さすがに非常にまずいことになりかねなかったとわかって、私は素直に謝った。

 どうやら幼き日の発言は、ナイローグの人生設計を崩してしまったらしい。申し訳ない限りだ。

 自己嫌悪に近い感情が湧き上がり、私はどんよりと暗いため息をついた。

 ナイローグはそれ以上何も言わなかった。何も言わないまま、手綱を持つ手を少し動かして馬の速度を調整する。その指示通り、馬はさらにゆったりとした歩みとなっていた。

 この速さなら、馬を歩かせながらでも転移の術をかけることができるだろう。もう頭がいっぱいになりすぎたから、とりあえず都に移動しよう。疲れた。もう休みたい。

 どっと疲れが出てきた私は、指先で虚空に転移用魔法陣を描き始めた。

 

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