(2)八歳で抱いた夢 その2
「……なあ、シヴィル。おまえ、狼を手懐けるんだって?」
目を閉じたまま、ナイローグが聞いてきた。
母さんの長い愚痴を聞き流していたわけではないらしい。いったいどういう流れでこの話題になったのかは気になったけど、私は正直にうなずいた。
「そうだよ。ネコもオオカミも、私が声をかけると、うなったりしないでそばに来てくれるんだ」
「狼……というと、普通の色のやつか? それとも……」
「普通のオオカミだよ。でも、時々見かける真っ黒で体が大きいオオカミも、ちょっとだけだったけど触らせてくれたよ。あの黒いやつ、めったにそばに来てくれないから嬉しかったな! それでね、この間はクマの背中に乗ったんだ。子連れのクマだったから、父さんもすごく驚いていたよ。子グマたちがとってもコロコロしていてかわいくてね……!」
私の自慢は、ただの回想となっていく。オオカミたちの毛並みや子グマたちの可愛らしさを思い出してうっとりしていると、ナイローグはがばりと起きあがった。
少し前まで疲れた顔で目を閉じていた彼は、今は目と口を限界いっぱいまで開いていた。
ヘイン兄さんがやったら愉快なバカ面だろうけど、ナイローグの整った顔は崩れる寸前でとどまっている。兄さんだってきれいな顔立ちなのに、この差はいったい何だろう。やっぱり内面の差だろうか。
思わずそんなことを考えて感心していると、ナイローグはわずかに眉をひそめて問いかけてきた。
「……おまえ、本当にそこまでできるのか?」
「うん、できるよ」
「ヘインからの手紙には、川から水があふれそうになったとき、おまえが叫んだら流れが変わってくれた、というのもあったぞ」
「えーっと、うん、そう言えばなぜかよけてくれたね。だから、家も種をまいたばかりの畑も無事だったよ。すぐ横の沼は埋まっちゃったけど」
「……他には、何ができるんだ?」
「さあ?」
私は首を傾げる。
いったい、何をそんなに驚いているかもわからない。そんな心を読んだように、ナイローグは苦笑いを浮かべて伸びかけの黒い髪をかきあげた。
「それで、体調は普通なのか?」
「母さんの新作料理で寝込んだ以外は、風邪で熱出したくらいかな」
「なるほどな……」
ナイローグはなぜかあきれたようなため息をついた。
それから少しの間、一人で考えこんでいた。再び口を開いたのは、私がバッタを捕まえようと立ち上がりかけた時だった。
「あのな、シヴィル。この村の人は誰も気にしていないが、おまえには魔力があるんだよ」
「そうなの?」
「そのくらい気付けよ。赤子のころからおまえはふわふわ浮いていたぞ。今も魔力を無意識に使っているようだな」
そうなのだろうか。
ピョンと飛び跳ねて逃げていったバッタを未練がましく見送りながら、私は首をかしげた。でも、すぐになんとなく思い当たる。
動物たちは私の言うことをよく聞いてくれる。私を威嚇したり振り落としたりするのは、とんでもなく気性の荒いヘイン兄さんの牧場の馬たちだけだ。高い木の上から落ちたときは擦り傷だけですんだし、悪友である村の子供が川で流された時は、手を伸ばしただけでなぜか川岸に打ち上げられていた。
なんて運がいい、と思っていたけど、これが魔力のおかげだったのだろうか。
でもナイローグが言ったように、この村の人は私が何をしてもたいして驚かない。
ヘイン兄さんの時もそうだったのか、私が何をやっても、村の皆は「あのトゥアムとエイヴィーの娘だから」と簡単に納得する。その調子で、ふわふわ浮く赤んぼうでも誰も気にしなかったのだろう。
いや、普通は気にする。それを全く気にしないなんて、なんだかおかしな話だ。
「都ではいろいろな話を聞く。強い魔力を持つ子供は少なからずいるらしいが、そう言う子供は魔力の制御ができなくて、自分や周囲を……傷つけてしまうそうだ」
傷つける、と言ったとき、ナイローグは目を伏せた。頭に思い浮かべたものがどういうものか、私には突然わかった。
燃えている家に、泣き叫ぶ子供。
なぜか真っ赤に染まった人間のようなもの。
それ以外にも恐ろしいものが伝わってきて、私は慌てて頭を振った。突然頭に浮かんだ恐ろしい光景はすうっと消えていく。目の前にいるのは、急に青ざめて黙り込んだ私を心配そうに見ているナイローグだけだった。
ほっとして、納得する。
これが魔力というものなのだろう。
私が無意識のうちに使っていると言う、動物と仲良くなったり怪我から守ってくれたりするのん気なものばかりではなく、今のようにナイローグの頭の中のイメージが伝わったり、あの恐ろしい光景を生み出してしまったりするのだ。
ぶるりと体を震わせ、私はふうっと息を吐いた。
「……よくわからないけど、大変なんだね」
「そうだよ、普通はものすごく大変らしいぞ。普通はな」
私がまだ怯えた顔をしているのを見て、ナイローグはおどけたように大袈裟な言い方をして頭を優しくなでた。
「しかし、本当におまえたち兄妹は規格外だよな。都でもヘインほど腕の立つ男はまだ見たことがない。それに……おまえはおまえだし」
大きな手が動くたびに、私の肩から力が抜けていく。あきれ顔で笑う彼は、しみじみ見ても整った顔をしている。
村に戻る度に、村中のお姉さんたちが落ち着かなくなるのも納得だ。村中どころか、周辺の大きな街からも人が集まってきたり、いい年のおばさんたちまで落ち着かなくなるのだって、今では公然の秘密になっている。
……でも、思うのだ。
ヘイン兄さんがキカクガイというなら、子供時代に大鹿に乗ったり、父さんに捕まって牛の代わりに鋤を引かされたりしていたのは、遊び仲間のナイローグも一緒だったはずだ。兄さんがキカクガイなら、それと同等だった彼も間違いなくキカクガイだ。
私の密かな不満を見抜いたのか、彼は優しく髪をなで、それから髪の毛がぐしゃぐしゃに絡まっていることに気づいた。指先で解きほぐしかけて、その手を止めた。
「そうだ、シヴィルに土産があったんだ」
「……お土産?」
「いきなりおばさんに捕まっていたから、すっかり忘れていたよ」
そういって、ポケットから彼の手のひらより小さめの薄い包みを取り出した。布に包まれていたそれは、きれいな櫛だった。
そしてさっそく、その櫛で丁寧に梳いてもらう。
六人兄弟の一番上であるナイローグは、妹も二人いる。だから、髪に櫛を入れる手つきは慣れている。
見かけのわりに手先の不器用なヘイン兄さんより段違いに丁寧で、それでいて手早い。毛先からそっと櫛を入れていくと、くせのある私の髪はどんどんきれいに整っていく。久しぶりに髪の手入れをしてもらって、なんだかとてもいい気分になった。
そんな中で、ふと思った。
ナイローグの言葉を信じていいのなら、私の魔力は規格外らしい。それならば、私は魔力を生かす職業につけばいいのではないか。
そう気付いた私は、さっそく魔力を使う職業と言うものを考える。
髪を整えてもらいながら考えるたけれど、残念ながら私はナイローグの職業も思いつかないほどの子供だ。当然のように具体的な職業は出てこない。
前から横へと編み込みにしてもらいながら、私がどんなにうなっても全く成果が上がらなかった。
でも、一つだけはっきりしていることがある。
ヘイン兄さんもナイローグも、どうやら魔力は持っていないらしい。もしかしたら少しくらいは魔法も使えるかもしれないけれど、今でも魔法だけは私の方が上だろう。
と言うことは。
私が本格的に魔力を使えるようになれば、兄さんたちより強くなれるかもしれない。つまり、彼らを見下す立場になるのだ。
なんてすばらしい。
物心ついたときから圧倒的優位に立っている兄さんたちより上になれるなんて、それだけで価値があるではないか!
一人で高揚した私は、髪を整えてもらいながらひたすら楽しい未来を思い描いていく。優しいナイローグは、私が一人でニヤニヤしていてもあきれ顔をしただけだった。
ナイローグが次に帰省したのは四ヶ月後だった。
いつも通りに走って迎えた私は、この四ヶ月間で少し具体的になった将来の夢を語った。
「大きくなったら、魔王になる!」
私が自信たっぷりに言い放つと、背の高い近所のお兄ちゃんは、私と目を合わせるためにしゃがみ込みながら頭を抱えていた。
「……聞き間違いじゃないよな? 魔王だって? なんで魔王なんだよ……」
なぜ魔王なのか。
それは思いついたからだ。というか、規格外に強い魔法を生かす職業というものが、他に思いつかなかった。大きな街に常駐するという魔法使い程度ではダメ。もっと強くて、もっと偉そうで、もっともっとナイローグがびっくりするような職業。それは……魔王以外に思いつかない!
そんな情けない事情は隠し、私はひたすら偉そうに胸を張り、ほとんど同じ高さにあるナイローグの顔に指を突きつけた。
「だってヘイン兄さんもナイローグも、魔法が使えないから魔王にはなれないんだろう? だからぼくが魔王になって、皆の尊敬を受けるんだ!」
「……シヴィル。お前は何か間違っていないか?」
「なんだよ、ぼくは絶対に魔王になるんだからな。止めてもムダだぞ」
「魔王って何か知っているのか? おまえの嫌いな悪いヤツなんだぞ?」
「わかっているよ。だから普通の悪いやつじゃなくて、サイキョウサイアクの魔王になるんだよ」
「……最強最悪……そうきたか」
ナイローグはため息をつき、私の頭を撫でた。
「あのな、シヴィル。俺はお前を魔王なんかにさせないからな」
「ナイローグがなんて言っても、ぼくはゼッタイに魔王になるぜ!」
「だめだ。……その男言葉も何とかしろ。また俺がエイヴィーおばさんの愚痴に付き合わされる。あれは上官のつまらん冗談が余裕に思えるくらいにきついんだぞ。……いや、そうじゃなくてだな。うーん、何と言えばいいのか……ヘインめ、逃げやがったな……!」
そう言って、また深いため息をつく。
自分の髪をがしがしとかき乱す情けない姿でも、ヘイン兄さんに比べると格段に隙がない。子供の目から見ても、彼はかっこいいと思った。