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ぼくの夢、わたしの夢  作者: 藍野ナナカ


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(19)十六歳の前にそびえる壁 その2

 

 南部での戦争状態が一年ほど続いていたから、ヘイン兄さんに言われたとおりに北とか西とかにいた。戦争中なら偽造身分証くらいならどうでもよくなっているだろうと、都のすぐ近くにいたこともある。

 でも……ナイローグには会えなかった。

 髪を染めずに、銀髪のまま都の大通りを歩いたこともある。絶対ナイローグなら聞きつけてやってくると思ったのに、ヘイン兄さんと会った一年前からずっと……いやその半年前から、ナイローグに会っていない。


 勤め先くらい聞いておけばよかった。何度もそう後悔したけれど、ヘイン兄さんに問い合わせるのも今さらと笑われそうな気がしてずっと会えていない。

 もちろん、顔を合わせると口うるさいと思う。でも彼には家賃をまだ立て替えてもらったままだ。だから少し気が咎めているのだろう。

 でも、こんなにナイローグに会えないのは初めてだ。

 代わりに、ヘイン兄さんにはこの一年で三回ほど会えているけれど。……なんだろう、この寂しさは。

 子供の頃と同じように、まだ彼がいない生活に慣れていないのだろうか。

 妙なところで人のいい門番に会ったから、急に彼が懐かしくなってしまった。


 村を出てからもう三年。

 そういえば、父さんと母さんにはずっと会っていない。

 夢の実現のために家出をした。だから、私が村に戻るのは、魔王となった時だ。立派になった姿を見せて、あのシヴィルが……と驚いてもらうつもりだ。家出をしたのだから、途中の情けない姿は絶対に見せないと決めていた。

 そう決意しているのに、現実は魔獣の飼育係以上の仕事はほとんどできていない。魔王なんて夢のまた夢だ。今のままでは、あまりにも遠すぎる。


 もう諦めるべきなのか。

 夢を追いかけることが本当にいいことなのだろうか。

 もっと楽な道を探す方がいいのではないか。

 魔力だけは人並み以上だと思っていたけれど、実は人並み以下なのではないか。

 うまくいかない日が続くと、下向きな思考ばかりになってうずくまりがちになる。気がつくと自信まで削れてしまっている。歩いていても、地面ばかりを見ていることに気づくこともある。


 そんな時には意識して顔を上げるようにしている。今も無理やり顔を上げて、白く霞む空を見上げた。あまり青くない空を見ていると、自然に懐かしい村の空を思い出す。

 青い空と緑深い森と険しい崖。

 風に揺れる麦畑と、放牧地でのんびり草を食む羊たちと、駆け回る美しい馬たち。

 喧騒にあふれた通りを歩いていたのに、ふと足を止めて思い出してしまう。気合を入れ直そうと空を見上げたのに、ため息が出た。


「……一度、村に戻ってみようかな……」


 気弱な気分になった私は、ついつぶやいていた。



「そうだな。一度くらい村に戻れ」


 突然、男の声が降ってきた。

 とっさに、私は振り返りながら後退る。

 距離をとりながら、でも私は警戒を解いていた。そんな私の服装をさっと見て、すぐ近くに立っていた男は口元に笑みを浮かべた。


「久しぶりだな。シヴィル。今は女装しているから、シヴィルでいいんだよな?」

「ナイローグ!」

「どうしたんだ、そんなに大きな目になって。……まあ、元気そうだな」


 ナイローグは私の顔から何を読み取ったのか、一瞬だけ眉をひそめた。でもすぐに元の懐かしい笑顔になり、私の頭に手を置いた。


「相変わらず、ここにだけはいてくれるなと願う場所にいるんだな」

「ナイローグこそ、どうしてここに……?」


 私はまだ呆然としたまま、高いところにあるナイローグの顔を見上げていた。

 ずいぶん長くなった黒髪を一つに束ね、すっきりとした簡素な服を着ている。でも周囲の視線はたっぷりと集めていて、遠くからも女性たちの熱い視線が飛んできていた。

 彼は相変わらず、女性の目を引く存在のようだ。

 でも都から遠く離れたこの小さな街に、どうしてナイローグがいるのだろう。

 服の形は庶民的なものでとても簡素だ。でも布地そのものは明らかに上質に見えた。地味な色合いなのに、その色がしっかりと深い。素材は羊毛なのかなと思うけれど、織りが上質なために一般品より艶やかだ。そんな上質の布を体に合わせて丁寧な縫製をしているから、見る人が見えれば財布事情に胸がときめくことだろう。


 ナイローグは以前からいい服を着ていたけれど、たぶん今はさらによくなっている。つまりかなり稼いでいるはずで、なのに真昼間からここにいる。……まさか、解雇されてしまったのだろうか。

 思わずそんな心配をしてしまったけれど、彼は私の心を読んだように苦笑した。


「言っておくが、失職したとかではないぞ。仕事でここに来ていて、今は休憩中なんだ」

「……本当に?」

「うん、まあ、本当は今も仕事中だな。いつも制服では息がつまるし、目立ちすぎるからこの格好をしているだけだ」


 ぽんと私の頭を軽く叩き、ナイローグは私の肩に手を移しながらざっと周囲を見回した。

 たぶん、肩に手を置いたのは私の逃亡防止のためだ。

 大きな手だ。父さんほど分厚くないが、同じくらいに大きくて、とてもしっかりしている。そんな手に押さえられれば逃げられない。私は肩を押す手に促されて通りの脇へと移動した。


「それで、やっと村に帰る気になったのか?」


 建物と建物の間の細い路地で足を止め、ナイローグがやっと肩から手をのけてくれた。

 壁に背を預けた私は、すぐには応えずにまじまじと彼を見上げた。

 髪が伸びただけでなく、彼の身体は厚みを増したようだ。どれだけ鍛えていのだろう。それに、以前はなかった人を威圧するような空気が漂っている。

 今は表情が和らいでいるけれど、絶対に怒らせない方がいい。

 私は改めて思い至った。

 そして気がついた。重くなっていた気分が少し軽くなっている。ナイローグと目を合わせようとすると上を向くからだろうか。やはり、上を向くのはいいことのようだ。


「シヴィル?」

「いや、なんでもないよ。でも、村にはまだ帰らないよ。まだしっかりとした仕事はしていないから」

「魔獣関係の仕事はまだしっかりしていないと言うのか? まさか、まだ魔王なんて言っていないだろうな。……まあその話はまた今度でいいから、本当に村に一回戻れ。ヘインからお前の話を聞いた時、親父さんは大泣きしたらしいぞ」

「うん、父さんなら大泣きもするかもしれないね」


 大男が声をあげて泣く姿は見たくはないけれど、父さんはそういう人だ。情に厚くて、身内にはどこまでも甘い。そして喜怒哀楽を真っ直ぐに表すことに躊躇しない。

 幼い頃はそんな父さんが好きだった。

 少し大きくなると、恥ずかしいと思うようになり、嫌だなと思ったこともある。

 今も、娘のことで泣いている父さんの姿は簡単に想像できる。たぶん想像通りの光景だったはずだ。

 思わず呆れて笑ってしまう。……でもとても懐かしい。


 今日の私はおかしい。せっかく気分が軽くなったのに、またうつむきそうになる。

 父さんの情けない姿を、泣きたくなるほど見たいと思うなんて。

 ありえない。

 こんな弱気は私らしくない。でも私らしさってどういうものだったか、すぐには思い出せなかった。どうして以前はあんなに強気だったのか、理由がわからない。

 私がうつむきかけていると、ナイローグは困った顔をしてきっちりと整えた黒髪に触れて、ふうと息をついた。


「一ヶ月ほど前だったかな、私も久しぶりに村に戻ったよ。エイヴィーおばさんは、お前の髪がきちんと手入れされているかと心配していたぞ」

「……うん、寝る前のブラッシングは欠かさないから大丈夫だよ。最近は女の子の服も着ているし」

「そうだな。今度村に戻ったら、きれいな銀髪だったと褒めておこう」


 ナイローグの手が私の頭を撫でた。

 大きな手は、半分結い上げた髪型を壊すことはなく、小さなリボンの歪みを直してくれた。


「背の高さはあまり変わっていないようだが、すっかり大人の髪型だな。もうそんな年だったか?」

「……私、もう十六歳だよ。五年後に出直してこいなんて言われるけど、普通なら立派な大人だよ」

「もう十六か。そうか、そうだな。一番下の妹が嫁いだから、そんなものなんだな」

「えっ、一番下ってミアーナ? もう結婚したんだ?」

「村の娘なら、十七歳で嫁いでも早すぎではないと思うぞ」

「う、うん。そ、そうだね」

「忘れているみたいだから敢えて言うが、お前もそういう年齢なんだぞ。お前と同い年の粉屋のリアは、十五歳で婿をとっているからな」

「ええっ、リアが?」

「それから、お前の遊び仲間だった鍛冶屋の次男……名前は何だったかな」

「二番目ならカムロだけど」

「そうだ、カムロだ。そいつはお前より二歳くらい上だったと思うが、年上の奥さんが三人目を妊娠中だぞ」

「三人目!」


 私は思わず顔を上げた。

 顔を上げると、ナイローグの笑顔がそこにあった。

 その笑顔が一瞬消えて、ナイローグの硬い指先が私の目元に触れて、ぐいっと動く。


「……え? 何?」


 私は戸惑って見上げていたが、目元がなんだかスッとするのに気がついた。

 目元が濡れていたようだ。つまりそれは……涙だ。



 私は慌てて手の甲で顔を拭いた。幸い涙は少しだけだったようで、目元にわずかに湿りが残っているだけだった。

 ほっとして顔を上げると、腰を屈めたナイローグの顔がすぐ近くにあった。


「それで、五年後に出直して来いと言ったのは、誰なんだ?」

「ああ、うん、近くの悪人集団の根城の門番のおじさんが……」


 そこで私は口を閉じた。

 

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