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(1)八歳で抱いた夢 その1

 

 将来のことを真剣に考える始める少し前。八歳の私は、牧場や森を楽しく元気に走り回る、ただの悪ガキだった。

 村の悪ガキ仲間は、私のことを女の子とは思っていなかった。髪は肩上で切りそろえていたし、服は全てヘイン兄さんのお下がり。つまり完全な男装な上に、言動は年の離れた兄さんの影響で男の子そのものだったのだ。

 そんな姿で毎日走り回っていれば、誰も女の子とは思わない。物心ついた時にはすでにそんな子供で、八歳になった頃には立派な悪ガキができあがっていた。


 でも、エイヴィー母さんは躾には厳しい人だ。人様に迷惑をかけるなと口うるさく言われ続けた結果、悪ガキと言っても大したことはしない理性が育まれた。

 せいぜい、兄さんの牧場に行って放牧されている馬たちに飛び乗ったり振り落とされたり。

 トゥアム父さんの農具を振り回したり、振り回されたり。

 森でウサギを捕ったり、狼を手懐けたり。

 そういう程度だ。


 残念ながら、こういう遊びに付き合ってくれる年上の悪ガキが働き始めたりしていて、大人たちが青ざめるようなスリルのある遊びはできなくなった。

 だから、ヘイン兄さんが子供の頃にやっていたという伝説的な遊びは試したこともない。野生の大山羊の背に飛び乗って岩壁で走り回る、という考えるだけでワクワクする遊びなのに、さすがに立会人なしで試すのは無謀だと思うのだ。そう考えると、一緒に暴走してくれる相手がいない分、兄さんたちに比べればかわいい遊びばかりだ。

 少なくとも、父さんはそう言って笑っていた。


 ただ母さんは、そういう私の行動は気に入らないらしい。

 特に板につきすぎた男装が気に障るようで、せっかく女の子として生んであげたのに……という説教が年々増えていた。あまりにも説教というか愚痴が続くから、私も最近は根負けしてスカートを穿くことが増えている。もちろん家の中でだけだ。

 実は私は、スカートそのものは嫌いではない。足の周りにふわっと広がる感じは好きだ。でも、外でスカート姿になるのは嫌いだ。


 それには理由がある。

 外でスカートを穿いていると、会う人会う人全てが振り返って目を大きく見開いた。小憎たらしい年上の悪ガキどもが、顎が外れるんじゃないかと心配するほど、口を開けたままにする姿は滑稽だった。

 最初はそれがおもしろかった。

 新しいスカートを作ってもらった時には、みんなに見せびらかしにいったりもした。でも、すぐに何かが違うと思い始めた。

 大人は大袈裟に褒めてくれる。それと同時に、なぜか十年ほど前の秋祭りで見たヘイン兄さんの女装を思い出すと言ってしみじみとする。一方で、年嵩の悪ガキ仲間は「女装なんかしてどうしたんだ!」と錯乱する。その上、馬鹿面をさらした翌日から急に大人びて一緒に遊んでくれなくなる悪ガキも増えてしまい、私は絶対に外ではスカートを穿かないと決めた。



 そんな毎日を過ごしていたある日、村を出て仕事をしているナイローグが、三ヶ月ぶりに帰省すると聞いた。

 私はその日を指折りして楽しみにした。

 実は母さんは、今までどうやって生きてきたのだろうと不思議になるほど家事が出来ない。

 そう言う人が子供を一人で育てられるはずがない。ヘイン兄さんは近所のナイローグのお母さんが育ててくれたようなものらしい。そして私については、十歳年上の兄さんとナイローグが世話をしてくれた。

 だからごく幼い頃の記憶は、ナイローグに背負われたものがほとんどだ。果樹園で花蜂を見上げたのもナイローグの背中からだった。山にキノコ狩りについて行った帰り、歩き疲れて泣き出した時も背負ってくれた。自分で羊と一緒に走り回れるようになるまでの記憶から考えると、たぶん兄さんよりナイローグの方が私の世話をしてくれていた。


 そういう近所のお兄ちゃんが、久しぶりに出稼ぎ先から戻ってくる。

 ナイローグは私が六歳の頃から村の外に働きに出ている。でも私は、二年たってもまだ彼の不在に慣れきれないようだ。ヘイン兄さんだけでは何か物足りなかった。

 だから彼の帰省は、いつも本当に楽しみだった。




 ついに、ナイローグが帰省した。

 村に戻ってくるのは三ヶ月ぶりで、戻ってきたその日にすぐに挨拶に来てくれた。丘の上にいた私は、やってくる彼を見つけて駆け下りて、そのままの勢いで居間に入ってきた。

 ナイローグはそんな私を見て、大袈裟に眉を動かして笑った。


「なんだ、シヴィル。少しは大人しくなったかと思ったら、相変わらずの姿だな」


 旅装を解いてこざっぱりした姿のナイローグは、笑い混じりに話しかけてくる。これはいつも通りの再会の言葉だ。年の離れた幼馴染のお兄ちゃんは、いつもこんな風にからかってくる。

 そのくせ、私の頭を撫でる手は優しい。手の心地よさに緩みそうになる顔を引き締め、私は頬を膨らませて何か言い返そうとした。

 ……でもその時、私は強い視線を感じて振り返った。つられてナイローグもそちらに目をやり、そこに立っていた母さんの表情に、はっとしたようだった。

 これは……いわゆる薮蛇だったらしい。

 ナイローグもそう悟ったのだろう。年齢より落ち着いた大人の表情を、昔見慣れていた悪ガキの表情に変えて、ゆっくりと目をそらした。


「……なあ、これは……失敗した、かな」

「あー……ちょっとそうかも……」

「すまない、シヴィル」

「…………うん…………」


 私も母さんから目をそらして、こっそりとナイローグの後ろに隠れようとした。

 でもその前に、母さんの細くて白くてきれいな手が私の肩を押さえていた。


「シヴィル。私が何を言いたいか、おわかりかしら?」


 わからないはずがない。

 正直に言えばわかりたくないけれど、私と同じ色の黄緑色の目が金色に見えるほど冷ややかなのを見ればわかってしまう。

 静かに深く怒っている。何についてかと言えば、間違いなく私の格好についてだろう。


 こっそりとため息をついた私は、母さんの長い長い説教を受けることになった。

 母さんが言いたかったのは、外遊びのままの服装についてだ。外遊びのための服、それはもちろんヘイン兄さんからのお下がりで、いわゆる男装と言うことになる。

 母さんは服装にうるさい。

 それは以前から知っているし、そう言うところが母さんらしいと思う。説教したくなる気持ちもわからないでもない。

 でも、説教が長い。しつこい。それに何と言っても長すぎる。……いつものこととはいえ、思わず目が遠くなった。

 ナイローグが帰ってきたから大急ぎで戻ってきて、着替えをする前に居間に飛び込んできてしまっただけなのに。

 いつも口うるさく言われているのに後回しにしてしまったのは、かなりうっかりしていたけれど。子供らしく浮かれていただけじゃないか。

 ひどいよ、母さん……。


 そんな私に同情してくれたのだろう。

 優しいナイローグは、母さんの説教にさりげなく割って入ってくれた。


「エイヴィーおばさん。ヘインからの手紙によると、家の中ではいつもスカート姿でいるようになったそうですね」

「そうなのよ。最近はようやく、女の子らしい格好もしてくれるようになってくれたわ。でもね、この子ったら服だけは女の子なのに、あとは男の子そのものなのよ」

「……えっと、まあ、シヴィルは元気な子ですね」

「元気すぎます。今も、見てごらんなさい。あの姿。もう八歳になったのに、とても女の子には見えないわ。お肌もあんなに日焼けしてしまって。毎日あれだけ走り回って、傷跡が残っていないことだけが救いです。この間も牧場を手伝ってくれたのはいいのだけど、崖から落ちそうになって……」


 ナイローグは、母さんの説教から私を救ってくれた。

 ……彼自身が犠牲となって。


 母さんの矛先は、私からナイローグへと移った。

 おかげで、今度はナイローグが延々と愚痴を聞かされる羽目になった。話題は主に、女の子らしからぬ私の言動についてだ。最初はこの三ヶ月間の悪事のさらしあげだったのに、いつしかどんどん昔の話にまで遡り始めていた。

 これは長くなる。気の毒に。

 私は同情した。でも、彼の尊い犠牲を無駄にするつもりもない。

 顔を強ばらせながら母さんの愚痴にうなずき続けるナイローグを見ながら、私はにやりと笑う。そのまま、こっそりと家を抜け出した。




 私が外に逃げ出してからしばらくの間、ナイローグは母さんに長々と捕まっていたようだ。

 でも、彼は昔から母さんの長説教には慣れている。その証拠に、いったい何を口実にしたのかわからないけれど、母さんの愚痴にしては短時間のうちに脱出してきた。一般的には長時間の拘束だけど、これはすごいことだ。

 丘の上に逃げていた私は、玄関前で立ち止まって周囲を見渡すナイローグを尊敬の目で見た。ナイローグはその視線を察したかのように私を見つけると、坂道を大股で登ってこちらにやってきた。


「一人で逃げるなよ。せめてへインを連れてくるとか、脱出方法をなんとか考えてくれ」

「うん、ごめん」


 母さんの愚痴を聞かされ続けたナイローグは苦笑している。

 私は素直に謝った。

 元々の原因はナイローグにあったけれど、悪意はなかったのはわかっている。

 彼が言ったように、救出しようと思えば手段はあったのだ。ヘイン兄さんを押し込んで親友との再会の場に変えたり、早くも家の前をうろつき始めた村のお姉さんたちを乱入させたり。

 でも矛先が自分に向きそうだったから、私はナイローグを見捨てて逃げていた。大人だからそのくらい平気だろう。そう思ったのだ。

 実際、ナイローグは母さんの愚痴から短時間で逃れてきた。恨み言を口にしているけど、薄情者の私を怒っている様子はない。これだから優しいナイローグが大好きだ。

 私の隣に座ったナイローグは、そのままごろりと横になって長い吐息をもらした。


「ナイローグ?」


 どうしたのかとそっと顔をのぞきこむと、兄さんの友人は目を閉じていた。驚いてよく見ると、ナイローグの整った顔が以前より少しやせていることに気付いた。目の下にはクマまである。

 なんだか疲れているようだ。

 母さんの愚痴は長くてくどい。

 でも、それだけでここまで疲れる彼ではない。

 私が物心ついた頃の兄さんとナイローグは、それはそれは何度も何度も、日が傾くほど長い説教を受けていた。私が受けた説教の比ではない。

 真面目に聞いているふりをしながら、意識をほのかに飛ばす術は、はたから見ていても実にすばらしかった。私はまだその域まで達していない。


 とすると、久しぶりに帰省した彼は、もともと疲れていたのだろうか。

 子供の頃から野山を駆け回ってきたナイローグは、体力は人よりある。そんな彼がこの様とは、やはり大人のお仕事というのは疲れるらしい。

 お仕事って大変なんだな。

 まだ子供でしかない私には、そう思うくらいしかできない。

 それに実は……彼がどんな仕事をしているのか、全く知らない。

 なんとなくぼんやりと、いつも剣を下げているからそういう仕事なのだろうと見当はつく。でも具体的にはさっぱりわからない。ヘイン兄さんに聞けばすぐに教えてもられるだろうけれど、普段は気にしたことがないから、いつも聞くことを忘れてしまう。


 だって私は、村にいた頃のナイローグが好きなのだ。どんな仕事をしていても近所の優しいお兄ちゃんとしか思えない。

 そんな私を、ヘイン兄さんはおかしなやつだといつも笑う。でも、たぶん兄さんだっておかしな人だと思う。いいのは顔と性格だけだ。

 

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