(17)十五歳は大切な年 その3
と、その時。
突然、肩の辺りに何かがきらめいた。
一瞬遅れて頬に風が当たり、首の辺りのおくれ毛が激しく揺れた。
何があったのか理解したのは、常に私の体を覆っている結界が発光したのを感じてからだった。
「……え?」
私は横を歩いているはずのヘイン兄さんを振り返る。
でも目に入ってきたのは、次々と迫る鋼の輝きとそれを阻む結界の光だった。
ヘイン兄さんが、剣で私を切りつけている。
それを私の結界が阻んでいる。
……一応、状況は理解した。
「な、何をするんだよ!」
「すごいな、全部防がれてしまったか」
私が青ざめて後ろに逃れると、ヘイン兄さんは剣を鞘に戻しながら苦笑していた。
のんきな声だ。
妹に本気で切りかかった兄の言葉としては、ありえないのん気さだと思う。兄妹喧嘩ですらない。首を狙ったあれは、本気で殺しにかかった時の剣筋だ。
ありえない。怒るなという方が無理だ!
「ヘイン兄さん、一体何を考えているんだよ!」
「悪かったね。でもおまえの実力を正確に知りたかったんだ」
ヘイン兄さんは私に近寄って、頭に手を伸ばしてくる。もちろん警戒してその手から逃れると、傷ついたような顔をした。
「そんなに怒らないでほしい。褒めさせてくれ」
「……褒める?」
「そうだよ。私の攻撃を全て避けられる魔法使いなんて、滅多にいないと思うよ。シヴィルほどよく見えないが、結界の弱いところを切り裂くのは得意なんだ」
「そうなの?」
我が兄ながら、そんなとんでもない特技があったのか。ナイローグが規格外だと言うはずだ。
そんな兄さんが、どうやら本当に褒めたいらしい。
私が少し警戒を解いて兄さんの手を受け入れると、ヘイン兄さんは嬉しそうに私の頭を撫でた。
「こういう直接攻撃はナイローグの方が上だろうけれど、たぶんナイローグから攻撃されても、おまえなら無事ですみそうだ」
「本当にそう思う?」
これは最高の褒め言葉だ。
嬉しい。とても嬉しいから、兄さんの狼藉は忘れてあげよう。
本当に結界が切り裂かれていたら、私が怪我していたのではないかとか、そう言うことは考えないようにしてあげよう。
私がにやにやと顔を緩めていると、ヘイン兄さんは何だか複雑そうな表情をした。
「シヴィル。それだけ魔法が使えるのなら、もう男装しなくても大丈夫だよ。お前ももう十五歳だ。秋祭りの時期は過ぎてしまったけれど、成人用の服は用意しているからいつでも村に戻ってきなさい。これからはスカート姿にも慣れておくんだよ」
「えー、面倒だからこのままでいいよ」
「そういう訳にはいかない。十五歳の秋祭りを過ぎれば、おまえは成人女性と同じだからね。大人の女性らしい佇まいができなければ、二度と母さんに会えなくなるよ」
「……うん、わかった」
家出中であっても、母さんが嫌いなわけではない。
それに十五歳の秋祭りが過ぎていれば、確かに私はもう成人女性と同等だ。生まれ育った土地から離れると、季節もよくわからなくなるから、すっかり忘れていた。
この身長でいつまでも男のふりをするのは苦しいかったし、今度から大人の女性として動いてもいいかもしれない。
私が納得したのを見てとったのだろう。
ヘイン兄さんは私の肩を抱き寄せてまた歩き始めた。
「それから……もう南には行かない方がいい」
歩きながら、ヘイン兄さんは声を潜めてささやいた。
私が見上げても、前を見ながら微笑んでいる。まるで周囲に会話を聞かれたくないようだ。
「何かあるの?」
「うん……戦争が近いんだよ」
何気ないような声なのに、声に潜むものは重い。
そう言われてみれば、南の国境の辺りは食料品が高かった。畑の収穫が早かったのは、南方だからかと思ったけれど、そういう事情もあったのか。
「戦争が近くなると、ろくでもない連中も集まってくる。治安も悪化する。だからシヴィルはできるだけ離れていなさい」
「ナイローグみたいなことを言うんだね」
「実は、これはナイローグからの伝言なんだよ。あいつは本当はおまえに直接伝えたかったようだけれど、どうしても仕事から離れられない時期なんだ。それで私が代理を務めているんだ」
ヘイン兄さんの久しぶりの遠出は、いろいろな事情が重なって実現したことだったらしい。
でも問題が一つ。
どうして私がここにいると予想していたのだろう?
「シヴィルは魔獣関係の仕事をしていたんだろう? 都でいろいろやったらしいから、できるだけ遠くに逃げていたはずだ。魔獣関係で遠くといえば、きっと南だ……とナイローグが言っていたよ。あいつはすごいね。そろそろ戻ってくる頃だとか、家畜市に来ているはずだとか、いろいろ情報をもらったよ」
「……うわぁ……全部お見通しだったってこと?」
笑いとばしたかったけれど、顔が引きつるのを感じる。
ナイローグはどうしてそんなに私の行動を把握しているのだろう。
そう言えば、魔獣市で一度見つかったことがあった。魔道具市でも捕まったことがある。あれは偶然ではなかったのかもしれない。
これは怖い。
都で彼をまいてしまったから、本気にさせてしまったのかもしれない。先の先を考えると、ナイローグを怒らせたのはまずかった。そういえば家賃も立て替えてもらったままだ。
思わず青ざめていると、ヘイン兄さんは私を見下ろして少し笑った。
「ナイローグは心配しているんだよ。おまえが強くなったのは認めるけれど、さすがに戦闘に巻き込まれるとまずい。まだカラスが周辺にいるから大丈夫とわかっていても、不安になるんだよ。お願いだから、私たちを安心させてほしい」
ナイローグは心配症だ。
でも確かに戦闘には巻き込まれたくはない。私は魔獣には慣れていても、剣で切ったり切られたりなんてものにはお近づきになりたくないのだ。
……ただ、なぜここでカラスの話が出てくるのだろう?
心の中で首を傾げつつ、私は兄さんに頷き返した。
「わかったよ。しばらく南には行かない。でも村にも帰らないからね」
「魔王になるのは私も反対だよ。でも、おまえは立派な魔法使いだ。もっと腕を磨きたいんだろう? だったら黙認してあげるよ。シヴィルの行動力は好きだからね。ただ、父さんには手紙を書いて欲しい」
「うん……でも母さんに魔法検索されないように、もうちょっと魔法の勉強をしてからじゃないと無理」
「仕方がないな」
言葉では困ったと言っているけれど、ヘイン兄さんはなんだか楽しそうに笑った。
私もなんだか楽しくなる。
兄さんとは年が離れているから、昔は会話もろくに成り立たなかったと思う。あるいは私が一方的に話して、兄さんが笑って頷くだけだった。でも今はきちんとした会話になっている。
もっとこういう話をしていたい。今ならいろいろな話ができるだろう。
でも、兄さんは村に戻る。
私は魔王を目指しているから、まだ村に戻ることはない。
……次に会えるのは、いつになるだろう。
急に黙りこんだ私の変化に、ヘイン兄さんが気づかないわけがない。でも兄さんはそのことに触れず、ただ私の肩を抱き寄せてぐいぐい背中を押して歩調を早めただけだった。
「シヴィル。もう十五歳になったんだから、スカートを穿く時は髪を半分結い上げなければいけないよ。大人の未婚女性の証だからね。覚えていたかい?」
「……面倒だなぁ」
私がうつむいたままつぶやくと、ヘイン兄さんは私をひょいと抱き上げた。
細身に見える兄さんだけど、実は狩ったシカを軽々と担いで歩く力持ちさんだ。大型イノシシだって担いでしまうんじゃないかと思う。
そんな人だから、小柄な私は余裕らしい。必要以上に高々と抱き上げられて、私は驚いて少し暴れた。
「な、何するんだよ!」
「向こうの市にいい店があったから、いまから髪飾りを見に行こうか。優しいお兄ちゃんが買ってあげよう」
兄さんは私を左腕だけで抱え、周囲をぐるりと見回す。
もしかしたら、自慢の妹を見せびらかしているつもりなのだろうか。
私が完璧な男装で、どこから見ても小柄な少年でしかないことを忘れているのだろうか。
……いや、ヘイン兄さんはそんな些細なことは気にしない人だ。いい意味でも悪い意味でも、周囲の目や噂などに惑わされない。公平すぎるくらいに自分の目で見て判断する人だ。そういう所は尊敬はしている。
でもやっぱり、時と場合によると思う。妹としては少しは気にしてほしい。
私は抗議を込めて兄さんの金色の頭をペタペタと叩いた。なのに兄さんは笑うだけで、逆に嬉しそうにしている。よくわからない人だ。
でも、たぶん私も笑っている。こんな風に兄さんに抱っこされるのは何年ぶりだろう。周囲の視線は恥ずかしいのに、そんなものが気にならないくらいに嬉しくなる。だから私は、兄さんの頭にぎゅっと抱きつく。
子供扱いなのか大人扱いなのかよくわからない。でも今は私も周囲の目を気にしないことにした。