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(13)十四歳の再会 その2

 

 この数ヶ月ですっかり慣れた王立魔道学院の廊下を歩きながら、私は腕に抱えた本を見下ろした。

 大陸の中で、正統派魔法なら随一と言われる王立魔道学院の教本だ。一冊で都の一等地で家が買えると言われるほど高価なもので、王立魔道学院の生徒でもこれを買えるのは実家が貴族や裕福な大商人であるような、ごく一握りだけだ。

 その高価で貴重な教本が、ついに手に入った。

 私はついつい、本を見つめながらうっとりと微笑んだ。


「ああ、ついに手に入ったな……」


 高価な本を撫でながら、ほうっとため息をついた。

 腕の中にあるずっしりと重たい本。

 この重み。この厚み。先ほどちらっと中を見たけれど、びっしりと文字が書かれ、ところどころに不可思議な図形が描かれていた。

 すばらしい。すばらしすぎる。

 私はぎゅっと本を抱きしめた。


 本当をいえば、偽装身分証明書を使って魔道学院の廊下を歩くことも、門外不出と言われるこの教本を手に入れることも、魔道学院の生徒でない私には許されていない。

 最高機密機関のくせに、素人相手にかんたんに侵入を許す方が悪いとは思うけれど、一応は犯罪だ。本来の私の主義に反する。

 でも、私は気にしないことにしていた。

 魔王を目指しているのだ。たいして他人に迷惑をかけない瑣末な罪など、魔王の箔付けにもなるまい。偽造身分証明書はそこそこで回っていて、不審な生徒などはよく見かけるし。

 何より、この魔道書。

 コネと学生割引と教官の弱みなど、とにかく考えつく限りの手を使って入手することができた。もちろん何人もが使い込んだ古いものだけれど、お貴族様ではないから十分だ。貯め込んだ給金のほぼ全てが吹っ飛んでしまったけれど、気にしない。魔獣飼育所の高給万歳!

 これさえあれば、もうこっそり魔法講義に忍び込む必要はない。

 うんざりするほど高慢な名門貴族学生の持ち物に意識を同期させて、実技試験を盗み聞きする必要もない。

 魔法術にはそれぞれコツのようなものはあるだろう。でもそんなのは遠回りすれば体得できる。

 後は実践あるのみ。早く試してみたい……!


「うふふふふふ……」


 私は思わず笑っていた。

 ちょっと不審者っぽく見えたようだ。周囲の目が集まってしまった。でもこの程度の不審な言動は、ここの学院生ならわりと普通だ。常に呪文をぶつぶつつぶやいていたり、意識を何処かに飛ばしながらフラフラと歩きながら笑っていたり、そんな光景は魔道学院内ではただの日常なのだ。

 向こうに立っている人がじぃっと見ている気もするけれど、それも気にしない。眉をひそめられても、こちらに歩いてきても、今の私は腕の中の魔道書しか見えない。

 ああ、幸せってこういう気分なんだな……。

 私はひたすらうっとりとしていた。



「……シヴィル?」


 突然、名前を呼ばれてしまった。

 魔獣の飼育場でも、魔道学院用の偽装身分証明書でも、もちろん私は本名は名乗っていない。今の私は十七歳のターグ少年だ。どう見ても子供にしか見えなくても、今の私は成人した男子学生なのだ。なのに誰にも知られていないはずの名前を呼ばれてしまった。

 夢見心地から一気に現実に引き戻される。

 いやいや、きっと幻聴だ。そうに違いない。

 とりあえず人違いのふりをしようと、そのまま歩いていると、通り過ぎた辺りから足音が近づいて肩を掴まれた。


「おい、シヴィル。無視するな」

「あのー、どなたかとお間違えでは?」


 困惑した顔を作って振り返ると、そこには背の高い男が呆れ顔で立っていた。


「あのなぁ、どう見てもお前はシヴィルだろう。一応変装しているようだが」


 肩から手を離したその男は、じろりと頭から足先まで目を動かした。男装して髪の色を変えて少年魔導師見習いの格好をしているのを確かめて、腕に抱える教本に目をとめる。

 その一瞬だけ、男は目を細めた。

 一方私は、自分の顔から血の気が引くのを感じていた。

 確かに人違いではない。なんでこの男がここにいるのだろう。


「……ナイローグ?」

「そうだよ。お前の兄貴の親友のナイローグだ。覚えてくれていたようで嬉しいぞ」


 ちらっと周囲を見たナイローグは、わずかに眉を動かす。背の高い男が小柄な少年と並んで立っているだけで目立っているようだ。

 ナイローグは私の肩に手を回し、強引に押して廊下の隅に寄った。



 改めて向かい合うと、ナイローグはとても背が高い。

 私が小さいままだから、ますますそう思う。この一年、魔獣飼育所のマッチョ牧童さんたちを見慣れていたけれど、ナイローグはマッチョ牧童さんたちよりも背が高いようだ。肩幅もある。

 それに、相変わらず稼ぎのいい仕事をしているようだ。着ている私服は布地も仕立ても上質で、記憶にあるより長く伸びた黒い髪を束ねている紐にも手の込んだ模様がある。腰に剣を下げているところをみると、そういう職種なのだろう。

 ……だったら、どうして王立魔道学院の廊下で顔を合わせることになったのか。だいたい、ここの内部って帯剣したまま入れただろうか?

 私は恐る恐る顔を上げる。

 高いところにある顔は、以前と同じく嫌味なほど整っている。そして少々怒っているようだ。

 彼の沈黙が怖くて、私から口を開いてしまった。


「あの、久しぶり……だね」

「まったく久しぶりだな。一年ぶりくらいか? 元気そうではあるが……シヴィルはどうしてここにいるんだ?」

「も、もちろん魔道学院の生徒だからだよ!」

「生徒か。なるほど。それでは、どうしてご両親は何も知らなかったんだろうな。俺は先月帰省しているが、そういう話は一言も聞いていないぞ」

「そ、それは……」


 私は口ごもった。

 先月も村に戻ったという男に、どんな言い訳も通じないだろう。うつむいて本を両手で抱きしめる。

 その様子をしばらく見ていたナイローグは、ため息をついて手を伸ばしてきた。

 私の首に掛かっている身分証明書の紐が引っ張られ、本と体の間に挟まれていた金属板がするりと現れる。手に取ったナイローグは、そこに書かれている名前をじっくりと見つめた。


「今のお前は、ターグか。へインの荒馬と同じ名前じゃないか。どういうセンスなんだ。……さて、言い訳があるのなら聞いてやろう」

「……魔法を正式に学びたかったんだよ」

「それはわかっている。どうしてご両親に何も知らせていないのかを知りたい」

「だって、数年待てって言われるだけだから!」

「二年待てば、ここに堂々と入れるとは思わなかったのか?」

「そんなに待てないよ! おとなしく待ったとしても、その時に母さんが許してくれるとは限らないし! でもこの本が手に入ったから、もうここには用はないんだよ」

「……用はない?」


 ナイローグは首をかしげた。その声の調子に少し元気になり、私は顔をあげて胸を張った。


「細かい知識はこの本だけで十分だよ。他はもう全部盗み取った」

「盗み取ったって、お前……」


 盗み見て修得したと言いたかったのを、ちょっと言い間違えた。でも盗み取ったで正しい気もする。正規の手段ではないし。うん。

 ありがたいことにナイローグは正しく理解して、細かい事には目をつぶってくれるようだ。呆れ顔をしつつも褒めるように笑ってくれたから、私もにやりと笑った。

 でもナイローグはポンと私の頭に触れた後に、なぜか額に手をあててため息をついた。


「まあいい。とにかくお前は、一回村に戻れ。ご両親に顔を見せてこい」

「いやだ。まだ戻らない、というか戻れない」

「……どうしてだ?」

「だって、私はまだ魔王になっていないよ! 志半ばで親元に戻っている場合じゃないんだよ!」

「まだ魔王になるなんて言っているのか。手段はともかく、魔道学院で得られるものはすべて修得したと言えば、ご両親は喜ぶぞ。……と言うか、本当に男装なんだな。おばさんの予想通りじゃないか。安全と言えば安全だが」


 長い髪を一つに束ねて服の内側に入れ込んでいる頭を見下ろし、ナイローグは偽装身分証から手を離した。


「だいたい、この身分証は何だ? その顔で十七歳だと? お前の兄貴だってそんな力技はしないぞ。……とにかく、その本を持って帰っていいから、早くここを離れて村に戻るんだ。親父さんは俺が村に戻るたびに泣いているんだぞ」


 父さんが、泣いている?

 それは絶対、泣くだけではすまないと思う。特にナイローグとかヘイン兄さんが相手だったら。

 私がそろっと見上げると、ナイローグは苦笑していた。


「もしかして、父さんに締め上げられたの?」

「……ああ、そうだよ。この間の親父さんはな、お前に会いたいと言いながらいきなり絞めてきたんだ。まさか本気で絞めるとは思わなかったから、ヘインがいなかったら失神していたぞ。大概のことは平気だが、帰省するたびに命の危機を感じるのはさすがにたまらない。だから、頼むからご両親に顔を見せてくれ。一人で戻るのが怖かったら、俺が一緒に行ってやるから」

「……だったら、魔王になる夢を認めてくれる?」

「認める訳がないだろう」

「それならいやだよ。私は絶対に魔王になるんだ。それまで村には戻らない!」

「だめだ、戻れ。……これはまだ内部情報だが、そろそろ危険なんだ。怪しい偽造身分証が出回っていると話題が出始めている。これ以上は長居をするな。わかったな?」


 周囲をさっと見回したナイローグは、急に真顔になって声をひそめた。高いところにある顔は、冗談を言っているようには見えない。

 どこからの内部情報なのか興味はある。でもこう言うのは聞かない方がいいような気がする。深入りは禁物だ。

 でも偽造身分証明書のことは、本当に今まで放置していたらしい。

 この半年間、とても平和だったのは泳がされていた時期だったとか? もし私の顔も覚えられていたら……うん、かなりマズイな。都ではしばらく仕事なんてできないぞ。


「……わかった。とりあえずここは離れるよ」

「村に戻るな?」

「…………そのうちね」


 私はあいまいに笑い、ナイローグが何か言う前に彼から離れて早足で廊下を歩いた。

 もちろん行き先は、出口だ。

 ナイローグに言われるまでもなく、目的を達したからには早急に逃げるべきだろう。本当を言えば、もう少しここにいたかったけれど、どうやら状況はよくないようだから仕方ない。

 

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