(12)十四歳の再会 その1
魔獣飼育場での仕事は、実に実入りのいい仕事だった。
住み込みだった最初の半年間、朝早くから掃除をし、ご飯を山盛り食べさせてもらい、毛並みを大切にする魔獣には櫛をいれ、大きな図体のわりに少食な魔獣に草をやり、相変わらず腹を見せてくる魔獣をホウキで突いて喜ばせながら結界の作りを観察し、とにかく忙しい日々を送った。
その間、最大の大都市である王都のすぐそばにいるのに、外壁の中に入ったのは都に到着した日だけだった。普段は外壁を遠くに眺めるだけだ。
でも、それを不満に思うことはなかった。
最初は怯えきっていた魔獣たちはだんだん馴染んでくれて、恐ろしげな巨体でじゃれついて来る以外は、基本的にとてもおとなしい。
食事は食べ放題。食堂のおばさんが作ってくれる食事はバランスも量も最高だ。少しばかり肉系が多いのは、飼育所長のスラグさんの好みだと思う。メリアンさん以外はマッチョな牧童さんばかりだし。
もちろん、作業服はこまめに洗濯できるように何着も支給してもらえた。いつも何かの作業をすることになるから、朝起きてから夜寝るまで、午前と午後とに何度も着替えながら一日中を作業服で過ごす。寝間着と、たまの休み用の服以外はほとんど何もいらない生活って楽でいい。
そんな生活をしているから、どんどんお金が貯まって行く。
こんな素晴らしい職場はめったにないだろう。
さらに、体力に余裕が出てきたころから、夕方以降は結界魔法を教えてもらい始めた。先生はメリアンさんだ。
背が高い迫力系美女だから、怖い人かと思っていたけれど意外なほど私には親切だ。系統だった魔法なんて初めて習うから、私はきっと出来の悪い生徒だ。なのにメリアンさんは、根気強く優しく繰り返して教えてくれた。
これが母さんなら、絶対こうはいかない。
一回目でできなければ、そのまま終了していただろう。
その上、縫い物の練習のついでだと言って、普段用の服まで作ってくれた。私は縫い物はあまり得意ではない。だから練習を始めたばかりだと言うメリアンさんが、どれだけ苦労して作っているかはよくわかる。指先に針を刺した跡と思しき包帯を見てしまうと、さらに大感激だ。
美人でかっこよくて、働き者で人使いも上手くて、それでいて優しくて親切で。メリアンさんは、本当にとてもすてきな女性だ。
なのに、まだ独身らしい。スラグさんは何かにつけてそのことで娘をからかう。今日も通りがかりに「そろそろ結婚して俺を安心させろ」と言い捨てて去っていった。
スラグさんは、私とメリアンさんが二人で話している時に結婚について言うことが多いと思う。フォローに気を使うから、できれば控えて欲しいものだ。怒りに眉を動かすメリアンさんをこっそり盗み見て、私はため息をついた。
「えっと、そのー……」
「……もう、お父さんったら……ターグくんが困ってしまうわよね。ごめんなさい。うちの愚父のことは気にしないで!」
「いや、その……でも僕は田舎育ちなんで、メリアンさんみたいな美人で素敵な女性は早く結婚するものだと思っていました」
つい正直に言うと、メリアンさんは暗い顔になり、虚ろな目で遠くを見てしまった。
「結婚する気はあるわ。でも……相手がいなかったのよ」
「えっ、いやすみません! 都会ではそんなに結婚は急がないのが普通みたいだし、メリアンさんみたいな素敵な女性は、最高の相手と出会うまで待っても全然問題ないですよ!」
「……そうかしら。行き遅れって嫌がられない?」
「大丈夫です! だってメリアンさんは美人で優しいですから! あ、そうだ。メリアンさんってどんな人が好きなんですか?」
「えっ? その……可愛らしい男性、かしら」
「へ、へぇ! 可愛い系が好きなんですか! 牧童さんたちみたいなマッチョ系はダメなんですね」
「筋肉はいらないわ! 力仕事は牧童に任せればいいのよ! それに私が大きいから、身長が低めでも、こ、子供はきっと大きくなると思うから気にしていないわ!」
メリアンさんは真っ赤になって一生懸命に言い募る。こういうメリアンさんって本当に可愛いと思う。でも普段はキリッとしたデキる女な姿ばかりだから、この魅力的な姿はほとんど知られていないのはもったいない。
でも、ちょっと意外だった。
スラグさんが大男だし、周囲もマッチョな牧童ばかりだから、やっぱり筋骨たくましい大男がいいのかと思っていたら、どうやら小柄で可愛らしい男性が好みらしい。
確かにこの職場では、そういう男性は見当たらない。出会いがなければ結婚は難しいだろうから、もっといろいろな場所に行くべき、かもしれない。
こういう話を聞くと、私の周辺にそういう可愛らしい男性というものが存在しないのは残念だ。
ナイローグの下の弟がメリアンさんの理想に近かったけれど、私が村を出るころからどんどん縦方向に成長していた。私より三歳上だから、今ではナイローグのように大男になっているだろう。
いろいろよくしてもらっているのに、お返しができなくて申し訳ない。
ところで、メリアンさんに教えてもらう結界魔法というものは、効果の大きさの割りに地味な魔法だ。だから魔法を使える人材が集まっている都でも、結界魔法を極めた人物はほとんどいないらしい。
つまり、結界魔法だけでいうと、スラグさんとメリアンさんは頂点クラスの実力者になる。
もちろん、宮廷魔法使いともなると、国の守りとしてかなり強力な結界は張れると言うけれど、魔獣を完全に封鎖してしまうような綿密なものは難しいのではないか、というのがメリアンさんの見解だ。
それを聞いて、私はなるほどと納得した。都の外壁は、王国の中心都市と言うには緩めに感じたのは間違いなかったようだ。
だから、あのおかしなカラスが自由に出入りできるのだろう。あのカラスは絶対にあやしいのに、どうして簡単に出入りしたのか不思議だった。でも知ってしまえば、事実は意外に単純だ。
そういう超絶技巧派なメリアンさんが、私に基礎の基礎から結界魔法を叩き込んでくれた。
もともと私は、結界のほころびを見つけて、抜け出したり入り込んだりするのは得意だ。ヘイン兄さんにそのことを言った時は、お前の将来が心配だとか何とかブツブツ言われたものだ。
でもすり抜けるのは得意でも、結界を張る方はそう簡単にはいかない。初めて自分で結界を作れて感動したけれど、どんなに頑張ってもすぐに破れる薄紙くらいのものがやっとで、その上とても効率が悪かった。
それでも慣れてくると、細やかなレース編みのような魔法もこなせるようになってきた。習い始めて半年も経つと、魔獣の運動場を囲む大きさの結界の張替えができるようになり、仕事として任せられるようになった。
スラグさんは、いい人手を拾ったとご機嫌だった。これはたぶん、誇っていいのだと思う。給料もその分跳ね上がった。はっきり言ってびっくりするくらいだ。手渡された給料袋は笑ってしまうほど重かった。
でも……田舎育ちの私には、ここまでくると現実味がなくなる。
だから、ヘイン兄さんに自慢してみたいと思うようになった。兄さんなら、私の一月の給料がどのくらい多いのか、何がどれくらい買えるのか、と私にも理解できるように教えてくれるだろう。
でも私は家出中の身だ。衝動的に何度か手紙を書きかけたけれど、それを破り捨てて我慢した。
兄さんは私の家出を黙認してくれている。ナイローグにも行き先などは内緒にしてもらっているはずだ。でも昔から兄さんとナイローグは仲がいい。何から情報が漏れるかわからないし、ヘイン兄さんを知り尽くす彼なら、兄さんの言葉の欠片から真実を簡単に導き出しそうな気がする。だから、ヘイン兄さんを信用していても近況報告はできない。我慢だ。
一人寂しく悦に入るしかない私は、誰かに自慢できない腹いせに、ますます結界魔法に熱中した。
でも、結界魔法を実際に使っていて気がついた。この魔法は応用がきく。気配を消したりしてこっそり後をつけることも、身体の周りに隠遁の結界を張るだけだから簡単なのだ。
これは非常に使える。
もっと効率のいい隠遁魔法があるのかもしれないけれど、まずは応用結界魔法で十分だ。なぜ他の人は結界魔法をもっと習得しないのだろう。メリアンさんにそう聞くと、最近の流行りではないから、らしい。
納得していないけれど、魔族が闊歩していた暗黒の時代は遠くなっているから、そんなものなのかもしれない。
重要なのは、他にすごい使い手がいないってことだ。
つまり、敵はほぼいないに等しい!
ついでにいえば、魔獣監視用に透視魔法というものも習った。
言うまでもなく離れた場所を見るための魔法で、これを使えば飼育所に居ながら都の外壁の内部のことも見ることができる。心が痛んだけれど、それを悪用してちょっと後ろ暗そうな場所も眺めてみた。その下見を元に、休日に都に行ったりしているうちに、王立魔道学院にたどり着いた。偽装身分証明書の存在も知った。
どうやら意外に外部者が入り込める場所のようだ。
そうと知ったら、行動あるのみ。
まず、都の外壁内に住む場所を探し、そこから飼育場まで通う生活を始めた。
メリアンさんはとても心配してくれて、私の年齢の出稼ぎなら絶対に借りれないような、非常にしっかりした場所に部屋を探してくれた。スラグさんとメリアンさんの紹介は効果絶大だ。
それから、魔獣と戯れていた休みの時間を魔道学院のための時間に変え、怪しげな学生や不審な業者の後をつけて偽装身分証明書も手に入れた。
お金はかかったけれど、魔獣飼育の仕事ならすぐに取り戻せる。
そしてドキドキしながら魔道学院に足を踏み入れて……肩透かしするほど簡単で偽りだらけの二重生活は、あっという間に過ぎて行った。