(幕間)友人一家の騒動に巻き込まれた男
故郷からの手紙は、何日もかかって都に住むナイローグの元に届く。
しかし料金の上積みをすれば、通常よりかなり早く届くようになる。早ければだいたい三日ほどだ。
魔法転送を別にすれば最速の特急便は、圧倒的に早くて便利ではあるが、高い金額と引き換えにしなければならない。極めて重要な用件など、よほどのことがなければ特急便など使わない。
そんな特急便の手紙が、なぜかナイローグ宛に届いた。
自室の机についたナイローグは、眉をひそめながら急いで封を切った。
差出人は親友へインの父親トゥアム。
近所のおじさんというより、ほとんどもう一人の父親のようなものだ。生粋の農夫の子であるナイローグに、剣の手ほどきをしてくれた。へインと一緒にかなり危険な遊びをするのを笑顔で認めてくれたが、やりすぎると容赦のない拳骨が降ってきたものだ。
そのトゥアムからの特急便の手紙だから、一体何があったのかとそれなりの覚悟をしていた。しかし中に綴られていたのは、意外すぎる文面だった。
「……次の休暇が知りたい? 何かの暗号なのか?」
特急便を使った手紙で、次の休暇の予定を知りたい、としか書かないなんてあるのだろうか。もう一枚あるのかと紙が重なっていないか確かめたが、紙は一枚のみ。封筒を覗いてみたり、裏返したり、横から見たり、透かしてみたり、火にかざしてみたり、一応考えうることを全部やってみたが、やはり休暇の問い合わせしか書かれていなかった。
普通に考えれば、特急便を使うような内容ではない。
だがこの手紙は届いている。
何かがあった、あるいは何かがあるのは間違いない。
「トゥアムおじさんにも、二ヶ月後に戻ると伝えていたはずだが……何かあったのか?」
考え込みながらつぶやいて、壁に張っている暦表の前に立った。
勤務予定も書き込んでいるそれを見つめ、もう一度手元にある手紙に視線を落とす。
見かけの割りに筆まめなトゥアムではあるが、息子の友人の休暇の予定を確かめるためだけに、特急便で手紙を出すほどではない。何か大切な用があるのに、手紙には書き難い事情があると考えるのが自然だろう。
暦表を指先で押さえながら日付と予定を確認していく。
「ゆっくりはできないが……この休みで戻ってみるか」
ナイローグは暦表の二週間後を指先でなぞり、都でゆっくりするつもりだった数日の休暇を帰省にあてることに決めた。
そうと決まれば、手紙で知らせておくべきだろう。これは特急便にする必要はないはずだ。
ナイローグは机に戻り、手紙を書く。しかし混乱を避けるために、トゥアムではなくヘイン宛にした。
二ヶ月ぶりの村は懐かしい空気が流れていた。
村には農家が多く、晴れた日には作業や見回りで忙しい。あらかじめ帰宅する日時は伝えて置いたが、ナイローグの家にも誰もいなかった。
夕方までまだ時間があるから、みんな仕事に出ている。両親はきっと畑だろう。手伝いに行ってもいいが、今回の休暇は短い。優先事項からこなしていかなければならない。
ナイローグは馬に水と草を与えると、そのままへインの家に向かった。
両親からは普段通りの手紙しかきていなかったから、何かあったとすれば、へインの家だ。そう思って足を早める。
ヘインの家は、ほどなく見えてきた。
誰もいないかもしれない、畑に行くかヘインの牧場に行くかと考えていたが、思いがけないことに、家の前には金髪の友人が待ち構えていた。
「へイン」
「待っていたぞ、ナイローグ。……父さんに会う前に、話をしておいた方がいいと思ってね」
軽く手を上げて挨拶したへインは、深いため息をついた。
それから友人の姿を見て、くつろいだ笑みを浮かべた。
「この村で埃だらけのナイローグを見たのは久しぶりだな。悪ガキ時代以来じゃないか?」
「シヴィルの子守りの時を忘れるな。俺の弟たちより動き回って大変だったからな」
「そう言えばそうか」
「おいおい、そう言えばじゃないぞ。あれだけ大変な思いをしたのを忘れるなよ。……今回は休暇が短いから、馬を飛ばしてきたんだよ。顔も洗っていなかったな。水をもらうぞ」
ナイローグは井戸に近寄って水をくむ。
桶に水を移して、袖を肘までまくりあげてまず手を洗った。
「それで、やはり何かあったのか? 親父さんからの手紙は変だったぞ」
「うん、それなんだけれどね……」
へインは口ごもる。
その様子をちらりと見やり、ナイローグは顔を洗った。
「もしかして、へイン、お前結婚するのか?」
「はぁ? なぜそうなるのかな」
「おまえの親父さんが変だからだよ。急ぐほどではなく、でも俺に伝えたいことと言ったら、お前のことかと思っていたぞ」
「勘弁してほしいね。私はまだ二十代になったばっかりだよ」
「まだと言うが、お前はもう二十三歳だろう? 庶民にとっても十分な年齢だ」
軽く笑いながら冷たい水で顔を洗っていたナイローグは、ふと顔を上げた。
濡れた顔のまま周囲を見回す。顔から服に水が落ちていったが、気にしていない。
何かを探すように周囲を見ていたが、目的のものを見つけられずにヘインに目を戻した。
「ヘイン。シヴィルはどうしたんだ? いつもなら俺の帰宅をすぐにかぎつけて走ってくるのに、来る気配がないぞ」
「うん……」
言葉を濁したヘインは、近くに干していた布をとってきてナイローグに渡す。そしてまたため息をついた。
もちろん、ナイローグはその表情を見逃さない。顔を拭き、ついでに濡れてしまった髪を拭いて腕組みした。
「まさかと思うが……シヴィルに縁談が来たのか?」
へインが二十三歳になったように、へインの妹も十三歳になっているはずだ。普通の村娘にしては早いが、それほど珍しいことではない。何よりこの兄妹なら、決して早すぎる年齢ではない。
それに何と言っても、あの容姿だ。
性格や身のこなしは、年頃になりつつある娘としてはどうかと思うが、黙って立っていればどこにいても目を引く姿になっている。へインも並外れた容姿をしているが、シヴィルはこれから成人して行く少女なのだ。どこまで美しくなるかわからない。
早々と縁談が舞い込んでもおかしくはない。
かなりあり得る話だと思ったのに、ヘインは心底驚いた顔をした。
「いやいや、さすがにあの子に縁談なんか来たら、父さんはちょっと変どころではなくなるぞ。私はもちろん、お前も即刻呼び戻されて、暗殺しろとか言われているさ」
物騒なことを、金髪の美青年はただの父親に対する愚痴として言う。
トゥアムをよく知るナイローグとしても、冗談とは思えない。情に厚い大男が娘を溺愛していることは周知の事実で、そんな娘をかっさらっていこうとする男が現れれば、本気で憎むことだってあり得ないことではない。
あと何年もすれば適齢期になるのに、その時にはどうなってしまうのだろう。
恐ろしい未来を想像してしまい、ナイローグは思わずため息をついていた。
とんでもない親子だ。しかしナイローグはこの親子を嫌えず、惹かれるばかり。何かと巻き込まれる身としては非常に複雑な心境だ。
「で、シヴィルはどうしたんだ?」
「うん……縁談とか、そういう物騒な話ではないから安心して欲しい。ただ、うん……」
さらさらと輝く金髪をかき乱し、ヘインは深く長いため息をついた。
「実はね……シヴィルは……家出したんだよ」
「………………は?」
聞きなれない言葉が聞こえた。
耳がどうかしてしまったのかと本気で思ってしまう。
「家出……家出と言ったか……?」
ナイローグとしては、大概のことでは驚かないという自信があった。
しかし、思わず腕組みを解いてしまうほど驚いた。へインに借りた布まで落としそうになったが、それは我に返ってなんとか土まみれにせずにすんだ。
手拭いを肩にかけ、落ち着くために何度も深呼吸をする。これまで鍛えてきた精神力のおかげで、ほどなく冷静な思考が戻ってきた。
まず納得する。
トゥアムから意図不明な手紙が届くはずだ。娘の自立を喜ぶ気持ちもあり、見栄もあるからただの手紙という形をとったのだろう。特急便にしてしまったのは困惑と娘への愛情の深さを示している。
理解はできる。しかし、ため息を吐くのは止められなかった。
「……親父さんから手紙が来たのは二週間前だぞ。シヴィルが家出したのはいつなんだ? 探すなら手伝うが」
「それが、二ヶ月前なんだよ」
「……二ヶ月前……」
今度はそれほど動揺しなかった。ただ驚いただけだ。頭が麻痺しているようだ。その代わりのように、平然としている目の前の友人へは苛立ちがつのった。
「……そんなに前に家出していたとなると、どこまで行ったか、まるでわからないじゃないか」
「うん、そうなんだけどね」
「どうしてもっと早く知らせないんだ。確かに俺はすぐには動けないかもしれないが、捜索の手配くらいはできたぞ。……あいつはまだ十三歳のガキなんだ。心配じゃないのか?」
「心配といえば心配だよ。でもね、妹は見かけより強いし、もしかしたら腹が減ったら帰ってくるんじゃないかとも思っていたんだよ」
たった一人の年の離れた妹のことなのに、こんなことでいいのか。
へインとはオムツ時代からの付き合いなのだが、時々理解し難いところがある。
ナイローグは額に手を当てた。
「ヘイン、おまえって奴は……。しかし、どうしていきなり家出なんだ?」
「魔法を習いたいらしい」
にっこりと笑い、ヘインは口を閉じて目を逸らす。ナイローグは訝しげな目を向けたが、問いただすことはなかった。
友情にひびを入れる勢いで尋問しなくても、落ち着いて考えてみればだいたいの見当はつく。ナイローグだってシヴィルのことはよく知っている。
魔法を習えるところといえば、基本的に非常に限られている。
そしてシヴィルが求める水準の魔法となると、さらに限定的になる。ナイローグには魔法の資質は全くないが、専門家なら職場にいる。彼らとの会話から考えれば、シヴィルが求める魔法を修得できる場所は一つだけだ。
今すぐに見つけられなくても、いずれ都の魔道学院に現れるだろう。
「……わかった。都の近辺を探っておく。あまり言いたくないが、都はこの村ほど治安はよくないんだ。本気で探すぞ」
諦念に沈みながら、ナイローグはため息をついた。
そんな親友を見ていたヘインは、風に乱れる金髪をなでつけ、姿勢を正して向き直った。
「たぶん、そのあたりは心配しなくていいと思うよ」
「なぜだ?」
「実はね、あのカラスがシヴィルについて行ったようなんだよ。だから、シヴィルがぼーっとしていても危険はないと思うよ」
ナイローグは目を細め、ヘインの顔を見つめた。
冗談を言っている顔ではない。内容も冗談にできる話ではない。
ヘインの言うカラスと言えば、思い当たる存在は一つだけだ。そしてその存在は、普通の人間がなんとかできる範囲を超えている。ナイローグだってできることなら関わりたくない。
「カラスって……あの魔物か? まだ普通のカラスの振りをしているのか?」
「芸達者な魔物だよね」
「芸達者ってお前……まあ、あのカラスは確かにシヴィルを気に入っていたな。だが、まさかとは思うが、黒狼までついていったりはしていないだろうな?」
「私には魔力はないからわからない。ただ母さんは平気な顔をしているから、黒狼は村の近くにいると思うよ。もともと、あのカラスは気まぐれで村周辺にいただけだし、お気に入りを壊されるのは嫌うから、シヴィルが本当に危なくなれば確実に守ってくれるさ」
「いくらシヴィルを守ってくれると言っても、勘弁してほしいぞ。……あんな高位の魔物がうろうろしていたら、俺の仕事が増えるじゃないか」
魔獣でも大変なのに、魔獣より知能が高く、圧倒的な魔力を持つ魔物など、気軽に都の近辺をうろついて欲しくはない。相手に害意がなくても、魔物がいると知られれば大騒動になる。
もはやため息しかでない。
なのに、頭を抱えるナイローグの前で、ヘインは涼しげな顔のままだ。
妹が家出したとか、魔物がついて行ったとか、そういうことの重大性を本当に理解しているのかと肩を押さえて詰問したくなる。
たぶん、理解はしているのだ。それはわかっている。わかっているが……。
「……お前、本当にあのご両親の子だな。常識を期待した俺が馬鹿だった」
ナイローグは黒髪をがしがしとかき乱した。
その間だけ、どちらかと言えば粗野な雰囲気が漂う。
しかし乱れた髪を両手でなでつけ直すと、元通りの目つきの鋭い端正な青年に戻った。
ヘインはナイローグから手拭いの布を受け取り、家を振り返る。その目が向いた窓からは、大男が落ち着きなく歩き回っているのが見えた。
「まあ、そういうことだから、シヴィルを見かけたら適当に捕まえて欲しいんだ。母さんはともかく、父さんがそろそろ限界みたいだからね。……今日はとりあえず、父さんの愚痴を聞いてやってほしい」
「シヴィルを探すのはいい。しかし親父さんの件は勘弁してくれ」
「これもお前にしかできないよ。父さんがじゃれついて壊れずにすむ人材は貴重なんだよ」
「……わかった。トゥアムおじさんの愚痴は聞くから、必ず助けてくれ」
ナイローグは諦め切ったように空を見上げた。
少し霞んだ青い空に、白くて細い雲が無数に流れている。
子供の頃、ヘインと一緒に悪ノリの過ぎたいたずらをやると、決まってトゥアムに叱られていた。生粋の農夫の父親に殴られるのと、力の加減をしてくれる代わりにエイヴィーの長すぎる説教がもれなくついてくる拳骨と、どちらがましだったかわからない。当時もどちらに叱られに行くかを悩んだものだ。
その頃も、トゥアムに叱られる直前はこうやって空を見上げていたことを思い出す。あの頃は諦めきれずに、どこかに逃げられないかと考えていた。
しかし今は、諦念しかない。
この休暇は短い。復路の日程を考えれば、明日にはもう帰路に立たねばならない。
だから無駄な時間はほとんどない。素手ならば死ぬことはないだろう。うまく体を使えば骨を損ねることもあるまい。ただ……意識くらいは飛ぶかもしれない。
幼馴染を信頼すること以外の道はない。そう覚悟したが、空を見上げているとため息が漏れていた。
ナイローグは、翌日の朝にはまた都へ戻っていくつもりだった。
へインもそのつもりだった。
しかし家の中に入った二人は、見通しが甘かったことを知る。
トゥアムがいるテーブルの横に、酒樽が転がっていたのだ。……つまり、今夜は飲み明かすことになる。もはや決定事項で、逃れる余地はないだろう。
呆然と酒樽を見る二人は、お互いがどんな顔をして立ちつくしているか、横を見るまでもなくわかってしまう。許されるのなら、くるりと後ろを向いて走り出たい衝動に駆られているだろう。
だがそれはだめだ。
すでに動揺しているトゥアムを、これ以上刺激してはいけない。捕まった時が面倒だ。
「なあ、ヘイン……さすがに徹夜で飲んだ直後に馬を走らせたくないぞ」
「あーうん、それは私もお勧めしないな」
「では、俺はここで逃げていいか? おまえ一人いれば何とかならないか?」
「無理だろうね。……ごめん、ナイローグ。街の魔法使いに、転移魔法で送ってもらえるように手紙を送っておくよ」
「そうしてあげなさい」
二人がこそこそと囁きあっている背後から、涼やかな声がした。
へインと同じ金髪の、年齢不詳の美女が微笑んでいた。
「エイヴィーおばさん」
「ナイローグ。あの人の気が済むように、たくさん付き合ってあげてね。私からも街にお手紙を書いておいたわ。もちろん、へインも一緒にきちんと付き合いなさい。でもあなたはお仕事の手を抜いてはだめですからね」
そう言って、すでに書き上げた手紙をヘインに渡す。
その文面にざっと目を通したヘインは、サラサラの金髪に乱暴に指を入れてため息をついた。
「ナイローグ。街から都まで直接転移させるから、耐えてくれるか?」
「……俺があの人の言葉に逆らえるわけがないだろう。耐えるしかない」
へインとナイローグは顔を見合わせ、憂鬱そうにため息をついた。