(11)十三歳の旅立ち その4
飼育施設という建物は、見かけそのままに広かった。
もっと細かに壁で区切っているのかと思ったら、仕切りは魔獣がいる柵だけしかない。とにかく広大な空間があり、天井もとても高い。その内部をきっちり覆いつくすように結界が張り巡らされていて、魔獣であってもその結界を破ることはできないだろう。
また天井を見上げてみとれていると、ばさりとホウキを手渡された。
慌てて目を向けるとスラグさんがいて、その後ろにとても背の高い美女がいた。
「まさか、新入りってこの子供のことなの?」
「こらこら、若く見えるが、彼は十六歳だそうだ。そうだな、ターグ君?」
大男さんの言葉に眉を動かした背の高い美女は、私の真ん前に立ってまじまじと見下ろしてきた。
まず顔を見てまた眉を動かし、足元から頭までじっくりと視線を移していく。疑いの目が向けられているのは間違いない。でも私は、嘘を口にした時から最後までつき通す覚悟はしている。
だから精一杯に平気な顔を作って、背筋を伸ばして堂々と立った。
こんなすごい美女に睨まれると、迫力に押されてしまいそうだ。
動揺を隠して平然と見返すために、私はへイン兄さんの顔を思い浮かべたり父さんの顔を思い浮かべたりしてみた。残念ながら兄さんや父さんでは効果はない。でも母さんの美しすぎる微笑みに比べると、迫力美女の視線は大したことがない気がしてきた。
でもまだ足りない。母さん以外にも誰か……そうだ、ナイローグだ! 彼に叱られる時を思い出せば、こんな値踏みの目なんて楽勝じゃないか。
まだ若いのに、時々ナイローグは口うるさいおばちゃんみたいになる時がある。そう言えば私がまだ五歳くらいの時、気分良く森の散歩から帰ってきたらナイローグが家の前で腕組みして立っていたことがあった。あの時のナイローグは怖かった。不穏な気配に逃げようとしたのに捕まって、散々説教されたこともついでに思い出して少し凹んだ。
でもナイローグの笑顔は好きだ。紫色の目がふわっと和らぐ瞬間を思い出すと、不必要に凹んだ気分も復活する。迫力美女を前にした動悸はとっくにおさまっていた。
気持ちが落ち着いて、いつも通りに微笑む余裕もできた。
「ターグです。ここで働かせてください」
いつもより心持ち低めの声を出して名乗る。挨拶の礼は、帽子を取って軽い会釈をするだけにした。
母さん仕込みのお辞儀は、とても丁寧だし綺麗だから相手への敬意を示すにはいい。でもこの飼育施設では、なんとなく合わない気がしたからしなかった。
その判断は間違っていなかったようだ。美女さんは農夫っぽい会釈を受け入れてくれた。でも、なぜかきれいな顔がほんのり赤くなっていた。すごい美女っぷりに目を奪われていたけれど、ぷいと目をすらした仕草はまだ若い感じがする。
迫力系美女なのに、ちょっと可愛い。その落差が魅力的でにやけてしまいそうになっていると、美女さんはちらっと視線を向けた。
「……体は小さいけれど、やる気はあるようね。しっかり働けるのなら私は構わないわ」
「そうか。おまえがいいのなら魔獣に会わせて、その反応で決めよう。こっちだ」
スラグさんは大股でまた歩き始める。その後を追いながら、後ろを歩く美女をそっと振り返った。
私を見ていたのか、振り返ると目があった。また一瞬でそらされてしまったけれど、やはり頬が赤い気がする。恥じらっているようにも見えて、同性ながらちょっとどきどきしてしまった。
「あの……」
「……私はメリアンよ」
「あ、メリアンさんですね。よろしくお願いします」
「こいつは俺の娘だ。ゆくゆくはここを継がせるつもりでいる」
スラグさんが足を止めて私を見下ろす。
背の高いのは、スラグさん譲りだったらしい。父さんも同じくらい背が高いのに、私は背が低いまま。メリアンさんが羨ましい。
私がそんなことを考えていると、スラグさんはメリアンさんにも視線を向けたようだ。ふむふむと何かを一人で納得するように頷いていた。
「うちの猛獣はおまえを認めたな。この感じなら、もう決まったも同然だぞ」
「お父さん」
メリアンさんは父親をギロリと睨んだ。
私の頭上で、迫力満点の視線が行きかう。真下にいる身としては、頭上での親子喧嘩は勘弁していただきたい。
私の心の声が通じたのか、スラグさんはにやにやしながら前を向いて歩みを再開してくれた。
通常「魔獣」と言うと、動物的な外見の魔界由来生物のことを言う。
村の近くでよく見た黒狼のように、普通の動物そっくりの時もあるし、牛っぽくて蛇っぽいというように自然界ではあり得ない形状の魔獣もいる。知能も、普通の動物程度から人語を解するものまで多彩だ。
でもどの魔獣も、一般人が親しく言葉を交わす相手ではない。
魔界由来生物たちは、基本的に人間は嫌いらしい。害意を抱くものが多いから、かよわき人間はあまりお近づきにならない方がいい。
ヘイン兄さんはそう教えてくれたから、私もそれなりに緊張していた。
なのに……対面した魔獣たちはなぜかとても友好的だった。
ほとんど馬なのに顔立ちと色が蛙っぽい魔獣は、派手に寝転がってふかふかの腹を見せた。
鳥っぽくて長毛種の猫っぽい魔獣は、私が持つホウキに鼻先をすり寄せた。
巨大な虎の姿の魔獣は、長く鋭い牙を見せながら、グルグルと喉を鳴らして耳をペタリと伏せた。
魔獣の常識なんて知るはずもない私でも、これは敵意の表れではないと思う。どちらかと言えば、ベタベタの服従だ。
こんな反応は、父さんを前にした猟犬たちくらいしか見たことがない。
「ほほう、いきなり懐かれたか」
「……いや、懐くとかじゃない気がするんだけど……」
「ん? 何か言ったか?」
「あ、いえ、なんでもありません!」
スラグさんにはごまかしたけれど、やっぱり違和感がある。魔獣たちは何かにおびえていて、私への服従はそのついでとしか思えない。
厳重な結界の内部にある飼育室なのに、なぜか魔獣たちが一方向だけを気にしているのも怪しい。
結界が解れている感じはないし、外で異変がある感じもない。首を傾げていて、ふと思い出した。
魔獣たちが気にしている方向には、木があった。
結界と建物の壁と、さらに何重にもある結界の向こうに、木々が繁る林がある。私がこの飼育場に入る時まで、その辺りにはカラスがいた。ここに来るきっかけとなった、村から付いてきたカラスだ。
魔獣は、実はカラスが嫌いなのだろうか。あるいは逆に、食事的な意味で大好物で目がないとか?
でも、そういう話は聞いたことがない。そんな面白い特性があるのなら、へイン兄さんが絶対教えてくれていたはずだ。
もしかしたら、この辺りの魔獣独特の特性かもしれない。きっとそうだ。そのはずだ。……そういう事にしておこう。
内心では困惑しつつ、無理に納得した一方で。
雇い主であるスラグさんは、とても機嫌が良かった。メリアンさんも私が魔獣の柵のすぐ近くの掃除をしている様子をじっと見ていたけれど、文句を言ったりはしなかった。スラグさんは明日から頼むと言ってくれたし、働けるのは間違いないようだ。
紹介者もいないのに働き口が出来て、結界の勉強もできて、魔獣を扱うということなら都の魔法使いともお近づきになれるかもしれない。少々仕事はきつそうだけれど、私は浮かれて気にしなかった。
働き始めて最初の数週間。
朝から働く私は、夜にはへとへとになってしまった。農家育ちの野生児の癖に、実に情けない。と言うか、スラグさんは人使いがとても荒い。人手が足りないからたぶん仕方がないとは思うけれど、あれもこれもと、気がつくと色々な仕事を任されていた。
でも慣れるまでは肉体的にへとへとになったものの、全体としては思っていたよりはきつくはなかった。春の飢えたヒグマより少し気を使うだけで良かったからだろう。作業量自体も農繁期よりは楽だ。だから、慣れれば何とかなるようになった。
それに、お手当が予想していた以上に素晴らしい。
危険手当込みだとしても、この高額手当。それに、制限なしの食事付きだ。しかも、住み込みなので家賃も不要。
素晴らしい。最高だ。
ここに来るきっかけを作ってくれたカラス様、ありがとう!
……でも、気になることはある。
私が年齢をごまかしていることは、周囲の人たちは知っている。知っていて何も言わない。そこまではいい。でも私は、性別まで偽っているのだ。騙すつもりはないけれど、勝手に誤解しているからそのままにしている。
いずれはばれてしまうだろう。でもその時に、性別詐称なんて気にならないくらいに飼育場で必要な人材になっていればいい。
そう思っていたのに。
なぜか、全くばれないのだ。
長身迫力美女であるメリアンさんはよく私を見ているから、もしかして勘付かれたのかと思ったのに、そういう話は全くない。その上、私の前ではとても女の子っぽく見える。
同性相手なら、こうはなるまい。
だってメリアンさんが私を見る目は、私に恋しているのではないかと勘違いしたくなるほど異性を見る目だから。
これは、同性の目から見ても少年に見えるということなのだろう。
……これって、喜んでいいこと?
私はもう十三歳。詐称している十六歳ほどではないけれど、ほぼ大人だ。故郷の村では、この年齢で結婚相手を決めている女の子もいる。周囲もそういう目で見始める年齢だ。それを考えると、少々……いやかなり複雑だ。
でも、たぶん、悪目立ちするよりはましだろう。
へイン兄さんの口癖を思い出して微妙な気分になったけれど、私は男装を貫くことにした。