第一話
許さない、どんな理由があろうとも
あいつらを許す事など出来るはずもない
必ず報いを受けさせてやる!
どんな手を使ってでも
これは私をあんな目に合わせた奴らへの復讐なのだ!
先生からのメールを受け取ったのは、今から2週間前の事だった。
篠崎千恵子先生
僕たちの小学校5,6年生の時の担任の先生だ。
とても優しい先生だった。
優しいだけじゃない、誰よりも生徒を愛し
強い信念と情熱で僕たちを導いてくれた恩師だ。
僕たちが間違った方向に進まなかったのは千恵子先生のおかげといっても言い過ぎではないだろう。
その千恵子先生が病に倒れたのは今から3年前の事
胃ガンだった。
胃の摘出手術は成功し、退院したもののいつ再発してもおかしくない状況だったらしい。
そしてつい先日恐れていた事態が発生してしまった。
ガンが再発したのだ。
今度はもう手術が出来ないほど進行してしまっていて、治る見込みはないらしい。
千恵子先生は放射線や抗がん剤での治療を諦め、今は山奥にある別荘で1人静かに最後の時を迎えようとしているのだ。
だけど死ぬ間際になってどうしても教え子たちの事が頭に浮かんでしまうらしい。
とっくに成人した自分の子供よりも、僕たちの今が気になって仕方ないのだ。
だからせめて死ぬ前に一度、元気な顔を見せて欲しい
それが叶うならこの世にもう思い残す事はない
というのが千恵子先生から届いたメールの内容だった。
5年1組、6年1組、持ち上がりで2年間
同じクラスメイト、同じ担任
変わったのは教室の場所だけだった。
今でもはっきり覚えている
自分が教室のどの席に座っていたか
隣の席に誰がいたか
休憩時間のドッジボール、好きだった給食のメニュー
悪ふざけが過ぎて廊下に立たされた事、得意のサッカーで活躍した事
そして初めて淡い恋心を抱いたあの子のことを。
電車とバスに揺られながら、頭の中の懐かしい風景に思いをめぐらせていた。
みんなに会うのは何年ぶりだろう
進学していれば皆大学生だ、就職したやつもいるだろうな。
会ってすぐにお互いの事がわかるだろうか
特に女の子はビックリするくらい変身するからな
千恵子先生の病状には暗い気持ちになったが、久しぶりに会える同級生に僕の心はフワフワと浮き足立っていた。
バスは山奥の停留所で僕一人を下ろして走り去っていった。
ここからは徒歩で5分ほどの距離らしい
山荘への立て札が立っているので道に迷う事はなさそうだ。
暖かな陽気に照らされた山道は、周囲の木々に新芽が芽吹いて春の訪れを感じさせた。
僕は木漏れ日の中、山荘を目指して歩き出した。
生活するには不便だろうが、こんな自然に囲まれて過ごすのも悪くはない
いつか自分も山奥にログハウスでも建ててみようか
そんな事を考えているうちに目的地である山荘が見えてきた。
山頂近くの開けた土地にそれはポツンと存在した。
木造2階建のこじんまりした建物
古くなった材質や、鉄部の塗装の剥がれ具合から年代を感じさせたが
これが別荘であるという事を考えたら十分立派だといえるだろう。
僕は心臓の鼓動がドクドクと速まるのを感じながらチャイムを押した。
ピンポーン
程なくしてドアの向こうに人の気配がした。
ガチャっと勢い良くドアが開く
「来たか!待ってたぞ!久しぶりだなタカシ」
180cm以上あるだろう長身で長髪
耳にはピアス、どこからどうみてもチャラ男
だが、よく見るとその顔に懐かしい面影が見え隠れする
「お前は・・・たつや?タツヤか!?」
タツヤは白い歯を見せてニヤっと笑った。
タツヤと僕は小学校時代同じサッカーチームに所属していた。
僕はミッドフィルダーでタツヤはセンターフォワード
いわゆるエースストライカーというやつで、強引なドリブルで相手のディフェンダーを突破し、強烈なシュートでいつも相手チームのゴールネットを揺らしていた。
サッカーと同様に普段から強引な性格で、思い通りにならない事があると周囲に当り散らす事もあった。
どちらかというと一匹狼タイプでみんなとワイワイ騒ぐ事はなかったが、不思議と僕とは馬が合ったのか一緒に遊んだりする事も多かったのだ。
当時から不良っぽい所があり、端正な顔立ちに加えてサッカーでも一際目立っていたから、女子には結構人気があった。
同じクラスの女子からタツヤの好きな女の子を教えてくれと聞かれたのは1度や2度ことじゃない
想像した通り、というかすっかり今時の大学生風になっていてなんだか安心した。
「入れよタカシ、といっても俺の別荘じゃないけどな
先生は出かけてるのかいないみたいなんだ。
今他に来ているのはユキエとメグミだ、覚えてるか?」
その名を聞いてドクンと心臓が大きく跳ねた
忘れるはずがない
初恋の相手の名前を
玄関でスリッパに履き替え、タツヤの後をついて廊下を歩く
右手には脱衣所がありその奥が浴室になっているようだ。
左手にはトイレと収納の扉が並んでいる。
廊下を抜けると広いリビングになっていて、正面には大きな履き出しの窓があり山頂からの絶景が見渡せるようになっていた。
壁際には暖炉があり、その前にロッキングチェアーが置いてあった。
そしてリビングからカウンターを挟んですぐ隣にあるキッチンスペースに彼女たちがいた。
ユキエとメグミだ
小学校時代もいつも2人はこうやって一緒にいることが多かった。
背が高く頭が良くて、物怖じせず誰にでもはっきりものを言う、しっかりもののユキエ
そしてそのユキエの影にいつも隠れるようにおとなしい存在だったメグミ
2人は僕の顔を見つけると嬉しそうに微笑んでくれた。
「遅かったねタカシ、1人で来たの?」
「久しぶりだね、タカシ君。あんまり変わってないね」
僕は嬉しさと恥ずかしさを隠して2人に挨拶をする。
2人とも見違えるように綺麗になっていた
元々大人びたユキエはますます美しく聡明な女性になっていた。
今は大学で物理学を専攻しているらしい。
大学院に進んで将来は研究職に着くのが夢なんだとか
相変わらずの才女っぷりとその美しさに僕は目を丸くした。
しかし、何より驚いたのはメグミの変化だった。
おとなしくていつもユキエの影に隠れていたメグミ
小柄でぽっちゃりしていてメガネをかけていて、いつもノートにかわいらしいキャラクターの絵を書いていた
花が好きで、動物が好きで、いつも花壇やウサギ小屋の近くにいた目立たない存在
そのメグミが今はユキエの隣に並んで立っていてもまったくひけを取らないのだ
かわいらしい雰囲気はそのままに、堂々としていて自信に満ちている
まさにサナギが蝶に変身したかのように、メグミは美しく成長していたのだ。
僕は急に気恥ずかしくなってきた。
変わってないのは、成長していないのは僕だけじゃないのか?
なんだか自分だけが未だに小学生で、1人だけ時間が進んでないような
みんなはどんどん大人になっていくのに、自分だけが取り残されたような
そんな錯覚に陥っていた。
「それにしても集まったのはたった4人だけか?
集合時間はとっくに過ぎてるよな、他のやつにはメール届かなかったんかな?」
「どうかしらね、その辺はリョウコが連絡取ってやってたはずだけど・・・」
「そういえばリョウコちゃんまだ来てないね」
リョウコ
そう、きっかけはリョウコだったんだ
看護師になっていたリョウコが勤務先の病院で、偶然千恵子先生と再会した。
その時はまだ検査の段階だったのだが、その後ガンの再発が見つかりしばらくリョウコが担当していたのだ。
その時先生とリョウコは当時の懐かしい話を何度も何度も思い出しては話し合っていたらしい。
先生の病状を知ったのはみんなリョウコからの情報だった。
リョウコは千恵子先生がみんなに会いたがっていることを知って、一人ひとり連絡先を調べて回っていたのだ。
だから千恵子先生が僕たちのメールアドレスを知っていたのはリョウコが伝えてくれたからだろう。
リョウコは昔から世話好きで、いつも誰かの面倒を見ていた。
学校で調子の悪くなった子がいたら保健室まで付き添ったり、風邪で休んだ人の所に連絡の手紙を運ぶなど自らその役を買って出ていた。
中でも特に義男の世話を焼いていたのを覚えている。
義男は少し問題を抱えた児童だった。
周りの空気が読めないというか、思った事を何でも口にしてしまうのである。
例えそれが授業中であっても、真剣な話し合いの最中であっても
その場にそぐわない関係ない事でも、思った事がつい口から出てしまうのである。
そのせいでからかわれたり、イジメられる事も度々あった。
そんな義男をいつもかばって面倒をみていたのがリョウコだった。
まるで保護者のように世話をする様子から、「 義男の母ちゃん」というあだ名が付くくらいだった。
義男が一人でブツブツ独り言を言っていると
「おい、義男 今日は母ちゃん一緒じゃねえのか?ちゃんとオムツ替えてもらえよ!」
そうやっていじめっ子達にからかわれていると、大抵どこからかリョウコが飛んできて、いじめっ子の頭をスリッパでスパーンと叩くのである。
そんな光景はクラスでは日常茶飯事となっていた。
そんな風に正義感が強く、いつも誰かの世話を焼いていたリョウコが看護師になったと聞いて、なるほど天職かもしれないと思ったものだ。
ピンポーン!
その時誰かの来訪を告げるチャイムが鳴った
「お、今度は誰かな? タカシちょっと出迎え行ってくれるか?」
分かった、と言って僕は玄関に向かう。
さっきタツヤが自分を出迎えたのと同じようにドアを開ける。
そこにいたのは・・・
「リョウコ?だよね?」
今話題に登っていたリョウコが目の前にいた。
「あ、タカシ君だ!全然変わってないね、あの頃のままだ」
その言葉に少々傷つきながらもリョウコを中へ招き入れた。
「みんな来てるの?もしかして私が一番最後?」
「いや、何人来るのか知らないけど、今いるのは僕とタツヤ、メグミとユキエの四人だよ」
リビングで集合した5人は、口々に再会を祝いお互いの成長を確認しあった。
「ところで、肝心の先生はどこに行ったのかしら?」
「それがね、さっきメールで連絡があったんだけど、用事で少し出かけるけどすぐに戻るから先に始めてちょうだいってさ」携帯をフリフリしながらリョウコが言った。
「じゃあその内戻ってくるだろうから、とりあえず準備をやっちまおうか」
「あ、そうそう先生がカレーを鍋に作ってくれてるらしいから、お腹が減ってたら食べてねって言ってたよ。あと冷蔵庫の中の物も自由に使ってイイって」
僕たちは役割分担してパーティーの準備をする事にした。
女性3人はキッチンでおつまみやサラダの準備
僕とタツヤは部屋の飾り付けとテーブルクロスや食器の準備をすることになった。
準備の間も思い出話に花が咲き、リビングは笑いと暖かな空気に包まれていた。
「ねえリョウコ、連絡が取れたのはこれで全員なの?」サラダを盛りつけながらユキエが聞く。
「連絡先が分かったのは結局クラスの半分位だったかな、返事がもらえたのはさらにその半分て感じ
皆遠くの大学や仕事で地方に行ってたりしてるからね。みんなには先生から直接メールがあったでしょ、だから私も最終的に誰が参加するのかは知らされてないのよ」
「そっか、じゃあもしかしたらこれで全員かもしれないわね」
先生と会える機会はこれが最後になる可能性が高い
だからもっと大勢集まるものだと思っていたが、小学校の同窓会はこんなものなのだろうか?
皆それぞれ事情はあるだろうが、あの先生からのメールを貰って来ないやつがいるとはとても信じられない思いだった。
「まあ、そのうち遅れて誰か来るかもしれないしな」
「とりあえずお腹減ったね」メグミがお腹に手を当てて空腹をアピールする。
「せっかく先生がカレー作ってくれてるし、お昼ご飯食べちゃう?」
時計を見れば午後2時を少し回ったところだ。
みんなお喋りやパーティの準備に忙しくて、お昼ご飯のことをすっかり忘れていたのだ。
「じゃあ私とメグミでカレーの用意するから、タカシ達は食器と飲み物をお願いね」
ユキエとメグミはキッチンへと向かって行った。
リョウコは食器棚の引き出しを開けて、スプーンや皿を探しているようだ。
「おい、タカシこっちへ来てくれよ」
冷蔵庫を物色していたタツヤが手招きする。
「千恵子先生気が利くじゃねえか、これ運んでくれよ」
そう言って手渡されたのはキンキンに冷えた缶ビールだった。
ダイニングテーブルの上にはカレーライスと大皿に盛られたサラダ
そしてスプーンとフォーク、取り皿と缶ビールが並べられた。
「まだお昼なのにいいのかなあ?」メグミが不安そうな表情を浮かべる。
「別に未成年って訳でもないんだしいいんじゃねえの?」
タツヤは既にプルタブを引っ張っていていつでも飲める体勢だ。
「ちょっと位いいんじゃない?先生もそのつもりでたくさん用意してくれてたんだろうし」
先生にお酒を飲む習慣があったのかは知らないが、冷蔵庫には大量の酒類が冷やしてあった。
おそらく僕たちのために用意してくれたのだろう。
「じゃあとりあえず再開を祝して乾杯だ!」
タツヤが音頭を取って遅めの昼食会が始まった。
みんなお腹が空いていたのだろう
談笑しながらもスプーンを運ぶ手を休める事はなく
缶ビールも次々と空になっていった。
ユキエ達が用意したカレーとサラダをすっかり平らげ
今はおつまみとビールでまったりとした時間を過ごしていた。
「それでタカシ、お前は誰のことが好きだったんだよ?昔の事なんだ、別に恥ずかしがらなくてもいいだろ?」すっかり酔っ払ったタツヤが絡んできた。
「別にいなかったよ」
つまんねえなとタツヤが悪態をつくが、いくら昔のことでも本人を目の前にして言える訳が無いだろう。
食器を洗っているメグミの方をチラっと見てみる
頬が少し赤いのはお酒のせいだろう
特にこちらの様子を気にしている感じではない。
そう、僕の初恋の相手はメグミだ。
きっかけは些細な事だった。
あの頃僕たち男子の関心ごとといえばサッカーとゲームばかりで、女子のことなど頭の片隅にもなかったはずだ。
それがあの日
昼の休み時間にグラウンドでサッカーのミニゲームをやっていた時
僕が蹴り損ねたボールが花壇の方に飛んで行った。
急いでボールを取りに行くとそこにメグミの姿があった。メグミは毎日休み時間になるとここで花の世話をしていたのだ。
メグミの視線の先には、折れて曲がった一輪の花があった。
メガネの下のメグミの目には涙が浮かんでいた。
「ご、ごめん」
僕はそう言うのが精一杯で慌ててボールを拾ってその場から走り去った。
午後の授業の先生の言葉はほとんど僕の耳には届いてこなかった。
メグミの涙が、今にも泣き出しそうなあの表情が、頭から離れなかった。
僕の席は一番後ろで、隣の列の一番前に座るメグミの顔は見えない。
まだ泣いているんだろうか?
結局家に帰ってからもメグミの事が気になって仕方なかった。
同じクラスというだけで今まで話したこともない。
顔は知ってるけどそれだけだ
そもそも女子のことなど何の興味もない
頭にあるのはサッカーとゲームの事だけだ。
なのに、何故だろう?
罪悪感?
悪い事をしてしまったという思いはある
だけど
メグミのあの表情を思い出すと、何故だがとても胸が苦しくなった。
次の日、いつもより早起きした僕は母ちゃんが育てているチューリップを勝手に引っこ抜いて学校に持って行った。
園芸用のスコップで昨日折ってしまった花を掘り返し、そこにチューリップを植えた。
後でメグミに聞いた話だがあの花はアマリリスというらしい。アマリリスの花壇に一本だけチューリップが咲いているのはあまりにも不自然だったが、それが当時の僕にできる精一杯の事だった。
休み時間、いつものようにサッカーをしている最中
ふと花壇の方に目をやると、メグミが驚いた表情でこちらを見ていた。
僕は恥ずかしくて頭の後ろを掻く仕草をした。
するとメグミは優しく微笑んで小さく手を振ってくれた。
それから僕は時々花壇に足を運ぶようになった。
これは何ていう花?
いつ咲くの?
へぇ~なんでも知ってるんだね
僕はメグミの話を夢中になって聞いた
花の名前もたくさん覚えた
花の話をするメグミはとても活き活きして輝いて見えた。
でも、それだけだった。
卒業後同じ中学に進んだけどクラスは別々
時々顔を合わせたけど、結局一度も言葉を交わすことはなかった。
子供の時の恋心なんてそんなものだろう
メグミがあの時のことどこまで覚えているか
もうすっかり忘れてしまっているかもしれない。
メグミは花の話をしただけで、僕が一方的に好きだと思っていただけかもしれない。
そしてそれを今更確かめても仕方のないことなのだ。
時刻は午後3時になろうとしていた。
「それにしても先生遅すぎない?リョウコは先生の携帯番号知ってるんでしょ?」
ユキエがそういうのも無理はない
僕たちは先生に会いに来たのだ。
「そうねえ、いくらなんでも遅すぎるわね。ちょっと掛けてみようか」そう言ってリョウコが携帯を取り出した時、全員の携帯が一斉に鳴り出した!
メールの着信音だ
全員自分の携帯を確認する。
差出人は・・・・・・千恵子先生からだった!