その2
「じゃあお願いね、ビル」
頼まれたビルは、彼の後ろの壁に取り付けられていた四角い物体を外した。そこにはレバーが付いており、彼がそれを下げると同時に、ヴゥン・・・という機械音が響く。けれどもそれ以外特に変わりは無い。
一体その行為に何の意味があったのか解らないまま、ビルの掛け声で練習試合が始まってしまった。
「それではイルvsアンディの練習試合、開始!」
緊迫した雰囲気に包みこまれる。始まってからでもレバーの意味を探れるかなどと画策していたロジーナも、それができる雰囲気ではないと感じとった。シュールとビルは慣れたもので、のんきにサンドウィッチを食べているけれども。
どちらが先に仕掛けるのか周囲は注目していたのだが、アンディがあっさりとイルにそれを譲ってしまった。
「いいわよ、先手は取らせてあげるわ。どっからでもかかってらっしゃいな」
「後悔すんなよ」
「させてみなさい?」
アンディの強気な発言は見せかけの物ではない。それだけの実力の持ち主なのだ。それを知っているから、イルもそのハンデを断るような真似はしなかった。
彼は大きく深呼吸をし、すぐさま右足を踏み鳴らした。その足元に、大きく水の紋が浮かび上がる。
「流沫泡!」
唱えると同時に無数の、大小様々な泡が空間に生まれた。流沫泡は魔力を泡に変換する魔法である。イルはその場で身を翻すと、泡を蹴り飛ばし始めた。もちろんその矛先はアンディだ。
魔法で作られた泡は自然の物ほど柔ではない。そのため、このように蹴り飛ばしても割れないし、当たったらそれなりに痛い。イメージとしては、厚めのガラス玉といったところだろう。しかも作った本人が意思を持って割る、より大きな魔力をぶつける、もしくは尖ったもので刺す以外に破壊する方法は無い。有翼人種であるイルの魔力は通常よりかなり高いため、彼の本気さが伺えた。
けれどもアンディは驚きもせず、静かに目を閉じる。彼の右目の下に、イルと同じ水の紋が浮かび上がった。まるで涙のようだ。目を開けると同時に、彼が唱えた。
「水球弾」
無数の滴が宙に現れたと認識するや否や、銃弾のようにイルの飛ばしてきた泡を片っ端から破壊していった。かなり強固だと思われたそれが、一瞬で跡形もなく砕け散る。
「水球弾を習得していないのに、似たような技を考えたものね」
確かに、水球弾は水ではなく泡も飛ばすことのできる技だ。イルがやっていた、「蹴り飛ばす」と言う動作を省略できる。
「水球弾はまだ練習中なんだよ!」
「上級魔道士なんだから、もっと使える魔法増やさなきゃダメじゃない」
痛いところを突かれて吠えかかったイルに、もっともな意見をアンディは呆れた顔でぶつけた。
魔法には種類がある。水の魔法や火の魔法のような発現魔法、時の魔法のような変化魔法、武の魔法のような喚起魔法、そして朱雀の紋のような召喚魔法だ。この中でも発現魔法、変化魔法、そして例外的に喚起魔法の一種である奏の魔法には、レベルと言うものが存在していた。
レベルは入門、初級、中級、上級、特級の五段階に分かれており、実力に応じて黄央院より使用可能レベルと言うのが決められる。これは段階を踏まなければならないことは無く、イルやシュールは魔力が潤沢にあることもあって、初めっから上級の使用が許可されていたくらいだ。ちなみに中級魔道士はいくら上級魔法が使えるようになったとしても、許可を出されるまでは使用してはいけない決まりになっている。
イルが習得していないと言っていた水球弾は水の魔法の中級魔法であり、彼がよく使う水陰流の次に代表とされる、ポピュラーな魔法の一つでもあった。