第五話:再会
中学最後の夏が終わったあとも、神界俐塚は時々、あの少女を思い出していた。
大国実恵。
あの地区大会準決勝のあと、勝った側である自分の中に、あれほどはっきり相手の姿が残ることは珍しかった。
二本の本塁打を放った手応えも、勝利の歓声も、決勝進出の高揚も、もちろん確かにあった。
けれど時間が少し経つと、そうしたものより先に思い出されるのは、敗戦のあとも真っ直ぐ立っていたあの背中の方だった。
またどこかで会おう。
あの時、自分が自然にそう言った理由を、俐塚はまだうまく説明できなかった。
根拠も予定もない言葉だったのに、不思議とただの慰めにはならなかった。
むしろ、口にした瞬間から、それが既に約束みたいに胸へ残っていた。
そして、その約束は、思っていたよりずっと早く果たされることになる。
高校一年の夏。
県内の女子硬式野球部が集まる合同練習会が、名の知れた強豪校のグラウンドで開かれた。
俐塚は進学先でもすぐに主力候補として見られていた。
中学時代の実績もあったし、何より打席に立った時の落ち着きと、守備での判断の良さが一学年上の選手たち相手でも目立っていた。
高校野球は中学よりも速く、重く、厳しかったが、俐塚にとってはそれがむしろ心地よかった。
上の世代が持つ完成度、体格差、球の質。
そのどれもが、人間の成長の濃さをさらに見せてくれるものだったからだ。
合同練習会の当日も、俐塚は特に気負いなくアップをこなしていた。
知らない顔が多い。
違う色のユニフォームが視界を横切るたび、それぞれの学校が背負っている空気の違いが少しずつ見えてくる。
規律の厳しい学校、明るさを前面に出す学校、静かに闘志を燃やす学校。
その中に、見覚えのある姿を見つけたのは、ごく自然なことのように思えた。
少し長くなった髪。
中学の頃より一段階引き締まった体つき。
相変わらず強い目つき。
大国実恵は、そこにいた。
俐塚の視線が止まる。
向こうもすぐに気づいたらしかった。
遠目にも分かるほど、実恵の顔が変わる。驚きが走り、そのあとすぐ、何かが胸の奥からせり上がるみたいに表情が明るくなる。
勝気な顔立ちなのに、その瞬間だけは中学の頃のまま、嬉しさを隠せていなかった。
「……俐塚?」
少し離れた場所から呼ばれて、俐塚は小さく笑う。
「うん。久しぶり、実恵」
実恵は一瞬、何か言い返そうとして、それから結局、まっすぐこちらへ歩いてきた。
「ほんとに、いたのかよ」
「いたよ」
「また会えるとは思ってたけど、こんなに早いとは思わなかった」
その言い方に、俐塚の胸がかすかに揺れる。
会えると思っていたのは、自分だけではなかったのか。
それがなぜだか、少し嬉しかった。
「高校、どこ行ったのか気になってたよ」
俐塚がそう言うと、実恵は少しだけ目を逸らした。
「……私もだ」
ぶっきらぼうな言い方だった。
でも、その短い言葉の奥にある熱は、俐塚には十分伝わった。
合同練習は一日がかりだった。
シートノック、打撃練習、連携確認、最後には学校混成の紅白戦まである。
普段は敵同士の選手たちが、同じチームに入ったり、反対にチームメイトと対戦する選手もいる。
不思議な空気の中で、俐塚は何度も実恵を目で追ってしまった。
実恵のスイングは、中学の頃よりもずっと鋭くなっていた。
力任せではなくなっている。
下半身の使い方が洗練され、タイミングの取り方も以前より滑らかだ。
でも、芯の部分は何も変わっていない。
打ちたい、勝ちたい、負けたくない。
その熱がそのままバットへ伝わる感じがある。
紅白戦で、実恵が左中間へ大きな当たりを放った時、俐塚は思わず見惚れていた。
打球そのものも見事だったが、打ったあとの表情が良かった。心の底から「捉えた」と分かっている時の顔。自分の打球に嘘をつかない人間の顔だった。
「……見てたろ」
ベンチへ戻ってきた実恵にそう言われ、俐塚は素直に頷いた。
「うん。すごく良かった」
「あっそ」
素っ気なく返すくせに、耳だけ少し赤い。
あの頃と変わらない反応だった。
その日を境に、二人は何度も顔を合わせるようになった。
練習試合。
冬場の合同トレーニング。
県選抜の候補者練習。
高校は違っても、上へ行く選手ほど結局どこかでまた交わる。
俐塚はそのたびに、人間の進路というものが、ただ一直線に離れていくのではなく、見えない糸で何度も引き寄せられることを知った。
そして、実恵と会うたびに、彼女の中に新しいものを見つけた。
打席の迫力は増していくのに、ふとした時に見せる迷いも増えていった。
強くなっているからこそ、見える景色も増えるのだろう。自分が背負うもの、期待されること、結果を求められる重さ。
それらが少しずつ実恵の肩に積もっていくのが、俐塚には分かった。
だからなのか、実恵は俐塚と会うと、少しだけ呼吸が楽になるようだった。
実際、ある冬の合同練習の帰り、駅までの道を並んで歩いている時、実恵がぽつりと言ったことがある。
「……なんか、お前と話してると変に落ち着くな」
俐塚は少しだけ目を丸くした。
「そう?」
「そうだよ。ムカつくくらい余裕あるし」
「褒めてるのかな」
「まあ、半分はな」
その半分、という言い方が実恵らしくて、俐塚は小さく笑った。
けれど、その時にはもう、俐塚の中で実恵は「興味深い相手」以上の存在になり始めていた。
会えば嬉しい。
打てば誇らしい。
落ち込んでいれば気づく。
無理に強がっていると、胸が少し痛む。
それが何という感情なのか、まだ名前はつけていなかった。
ただ、観ているだけでは足りない相手が、この現世に一人できてしまったことだけは、はっきり分かっていた。




