凍えるボーナスと、赤ペンの一行
十二月。街が慌ただしく師走の装いを見せる中、私はひたすら仕事に没頭していた。
平日は朝早くにマンションを出て、夜遅くに帰宅し、泥のように眠る。職場の繁忙期ということもあったが、何より忙しさが、今の自分の惨めな境遇を忘れさせてくれる唯一の麻酔だった。
しかし、無情にも週末はやってくる。
かつては家族のための家事や、子供との外出に追われていた休日。
今は、自ら「やること」を探さなければ、孤独という名の空白に飲み込まれてしまう。
私は家出をして初めて、一人で映画館へと足を運んだ。
選んだのは『ラーゲリより愛を込めて』。
シベリア抑留という、あまりに過酷な運命に翻弄されながらも帰国を信じ続けた男たちの物語だ。
暗闇の中、気づけば涙が頬を伝っていた。
かつて子供とアニメ映画を観ていた時は、興味のなさからつい微睡んでしまうこともあった。
だが、今の自分には、故郷を想い、家族を想い、極限の孤独に耐える登場人物たちの姿が、痛いほど重なって見えたのだ。
歳をとったからか。それとも、帰る場所を失った今の状況のせいか。
映画館を出た後の冬の風は、いつもよりずっと冷たく感じられた。
【数字だけの豊かさと、消えた「ありがとう」】
クリスマスイルミネーションが輝き始めた頃、職場ではボーナスが支給された。
家出をしてから初めての、まとまった報奨金。業績が良かったこともあり、例年より多い額が私の口座に振り込まれた。
だが、私の心に喜びは一ミリもなかった。
給料もボーナスも、私の名義の口座に振り込まれはするが、通帳もカードもすべて妻が管理している。私の手元には、その数字に触れる権利さえない。
妻からは、ボーナスが入ったことに対する「ありがとう」の一言も、安否を問うメッセージも届かない。
ふと振り返ってみれば、感謝の言葉なんて、もう何年も聞いていない気がした。
結婚当初はあったはずの「お疲れ様」や「助かるわ」という言葉。それは生活の積み重ねの中で摩耗し、いつの間にか、私が金を運んでくるのは「当然の義務」へと変わっていた。
「一体、私は誰のために、何のために働いているのだろうか」
残業をしてまで稼いでも、私自身には一円の恩恵もない。虚しさが限界に達した私は、この頃から、仕事が終われば誰よりも早く職場を後にするようになった。
【赤い文字の「幸せ」】
週末。一週間分の汚れ物を詰め込んだ重いバッグを肩にかけ、いつものコインランドリーへ向かった。
千二百円を投入し、洗濯機が回り始める。私は祈るような気持ちで、机の上の「お客様ノート」を開いた。
先日、自分の孤独を吐き出したあのページのすぐ下に、赤いペンで丁寧な文字が記されていた。
「辛い気持ちでの利用でしたね…。事情はいろいろ、何も言うことはできませんが、いい方向で解決し、幸せな毎日が戻りますように…」
それは、この場所のオーナーからの、静かで温かい返信だった。
その文字を目にした瞬間、堪えていたものが溢れ出し、私はコインランドリーの片隅で静かに泣いた。
家族さえも向けてくれない眼差しを、見ず知らずの他人が、ただ洗濯をしにきただけの私に注いでくれた。
「あの日常に、私は本当に戻れるのだろうか」
綺麗に洗い上がり、温もりを帯びた衣類をバッグに詰め込み、私は歩き始めた。
その温かさが、せめて明日までの自分を支えてくれることを願いながら。
【今回の一訓】
「夫婦とは、互いの労働と献身を『当たり前』という箱に閉じ込めてしまう危うい関係だ。感謝の言葉が消えたとき、家庭は愛の拠点から、ただの『集金所』へと変貌する。他人の一言に涙するほど飢えていたのは、金ではなく、自分の存在を認められるという心の報酬だったのだ。」




