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予期せぬ不幸

 

 時は放課後、日々勉学に励む学生にとって束の間の解放だというのに。


 外は快晴で、少し汗ばむくらいの陽気だと、いうのに──


 僕の気分はほんのりと重かった。



 理由は一つではない。(おり)のように積み重なった、いくつかの憂鬱が僕の上にずっしりとのしかかっている。


 たとえば、家で飼っているネコがせっかく買いそろえた市販のおもちゃには全然反応しないくせに、僕のカバンのファスナートップにだけは異常な執着を見せること。


 たとえば、昨日再会した初恋の相手と呼んで差し支えない近所のお姉さんが、パリッとしたスーツ姿で現れたかと思ったら、差し出された名刺に「〇〇コンサルタント」という胡散臭い肩書きが踊っており、一晩経ってもなお複雑な気分が続いていること。


 あるいは、〈安全怪談マップ〉の制作について、顧問の丹治(たじ)先生にどう説明すればスムーズに話が通るのかという、極めて現実的な悩み。


 なにより、僕のスマホを鳴らし続ける通知。


 想定を大きく上回った怪談の応募数。三人で分担しても選考が終わる気配がない。この企画にGOサインを出した判断は正しかったのかという懸念。


 ……それら全てを置き去りにして、「早く現地調査に行きたくてたまらない」という上ノ下先輩の衝動を、いかにして制御するか。


 そしていましがた鍵を開けて部室に入ったというのに、ソファーではすでにギャル風後輩が投稿作に文句を垂れている、という超常現象。



「……ハァァ、また白い服着た髪の長い女だよ。いつでもどこでも顔出しやがって、大谷かっての。センパイ、被ってるのハネてっていいっしょ? 終わらんて、これ」


「……お疲れ、早矢仕さん。月曜の六限は体育で遅くなるって言ってなかったか?」


「あー。アタシ、紫外線浴びるとコーティングが劣化する体質だから、欠席」


「そんなロボットみたいな設定でサボるのはやめなさいよ」



 彼女はこちらに手の甲を、いや指先の爪を見せつけてくる。コーティング云々とは、ネイルチップの話らしかった。



「……前から訊きたかったんだけど、光画部のほうには参加しなくていいの? っていうかどんな活動してるの?」


「内緒。それよりセンパイさあ……」



 早矢仕さんがプリントから顔を上げ、ジト目で僕を射抜いた。右手のカメラのレンズが、獲物を狙う銃口のように鈍く光る。



「え、なに?」


「化学準備室」


「う」



 気まずさに息がつまる。


 昨日の日曜、先輩のGPS反応が学校に近づいたので追ってみると、彼女はあろうことか実習棟に忍び込もうとしていた。


 慌てて制し、職員室にいた先生に話を通した。掃除するという名目で投稿怪談の現場である化学準備室へ赴いたのだった。



 ──わざわざ怪談読ませまくってマジで大丈夫なん? 読んだらすぐ現地に行っちゃうんじゃないの、マナち。


 ──みくびってもらっては困るよ。よさげな怪談を選んでちゃんと下調べして、投稿者にインタビューした後に、ようやく磐石の体制でフィールドワークだ。そもそもちょうどいい怪談なんてそうそうないだろうから、多くても週に一度……いや、二週に一度くらいさ。先輩は残りの高校生活、街を愉しく調査しながら心安らかに過ごすんだよ。


 という、先週末の会話がずいぶん昔のことのように思える。



「日曜だってのにずいぶん熱心じゃん?」


「……あれは、その、体験版というか、試供品というか」


「マナちに甘すぎ。激甘。胸焼けするわ。はき違え()んじゃないの? やさしさと甘さをさ。オバケよりもあの子の行動の方がよっぽど危なっかしいって前々からわかりきってたことだら(でしょ)?」



 返す言葉もなかった。


 不機嫌そうに脚を組み、シャッターを切る早矢仕さん。


 僕はシャッターに合わせてジャンプしながら両手を頭上、両足を股下で結び、アラビア数字の8を模したポーズで不都合な真実を空中に霧散させようと試みたあと、部室の隅に鎮座するスチールロッカーを見やった。


 一番端。〈上ノ下〉のネームプレートが、誇らしげに「使用中」を表示している。


 僕はロッカーの扉を、コンココンと叩いた。



「……先輩。出てきなさい」



 返事はない。代わりに奥からカサ……と、紙が擦れる音が聞こえた。


 げんなりしつつ扉を開ける。古い木製家具のようなにおいと、かすかな石鹸の香りが流れ出た。


 そこにはなんの変哲もないロッカーからは想像できない、三人ほどが寝転がれる程度の空間がある。


 かつての悪い部員たちが隣の教室との壁をぶち抜いて設えた、仮眠用スペースだった。


 今日では「中にいると不思議と落ち着く」という上ノ下先輩専用の、“発作”を鎮めるシェルターとしての役割を果たしている。


 先輩の精神安定に寄与するロッカーとジオラマの存在が、厄介な守護者たちが彼女の身柄を都市研に甘んじて預ける理由になっているのだ。


 その中で先輩は懐中電灯を片手に、プリントアウトされた怪談の束に没頭していた。



「あ、月宮君! ……見てよ、この『寂れたビルの子供と女』と『レゲエ廃墟の幽霊ダッピ』って話。座標を精査すると、その延長線上にお墓があるの……! 絶対になにかあるよぉこれは」


「……先輩。今日ちゃんと授業出てましたか?」


「んぇ? ……んぬ」


「どっちですか?」


「えへへ……。ロッカーの中は時間の流れが違うから、少し遡っちゃったかな?」


「そんな便利な機能はありません。……何限?」


「えと……三限の途中でえ、空がきれいで、無性にね、『ここにいたくないなあ』って思っちゃって、気づいたら屋上にいてえ」


「さらっとホラーみたいなこと言うじゃん。ぎゅーぼぁーっしょ?」


「ぎゅーぼぁーだ」


「もう……それバカっぽいから言わないでってば!」



 一度先輩に発作の兆候を言語化してもらったことがある。その時に飛び出したのが「身体の外側がぎゅーってして、内側がぼぁーっとなったら、あれよあれよという間に事が起こってしまう」という証言だ。


 いわゆる夢遊病などのなんらかの精神疾患を疑いメンタルクリニックにもかかっているのだが、いまのところ原因は判然とせず、食前の漢方薬と睡眠導入剤のみが処方されている。


 言った本人があまりにも子供っぽい表現で恥ずかしく感じているらしい。自他に与える災難を思えば恥じている場合でもないのだが、そののん気さはいっそ愛らしい。


 しかし授業のサボタージュについてはのん気も愛らしさも感じるわけにはいかないのだ。


 我が都市研部員の三分の二が授業をサボっているらしい。なんてことだ。このままでは丹治先生の胃に穴が開いてしまう。



「ってことは昼から……? また留年したらどうすんですか。後輩になっちゃいますよ」


「うう……うん……ごめん……」



 叱られてしょぼくれる先輩の周囲の空気をひとしきり鼻から吸い込むと、僕は時計を見る。まだ下校時間は遠い。



「……わかりました。先輩、その話の場所は校外フィールドワークの第一候補にしますから、昨日みたいなパワープレイは勘弁してくださいよ。だからいまはそこから出て、地域ごとの集計を手伝ってください」


「本当!? やったあ! さすが月宮君、わかってるぅ!」



 足から滑り出て、僕の肩を脱臼させようというくらいに思い切り引っ張る先輩。


 肘は古傷だからあまり攻めないでほしいところだ。



「まずは校内の話からですよ。取り急ぎ近いところから順にチェックしましょう」


「一番近いとこってったら、多分これじゃね?」


「どこどこ?!」



 早矢仕さんが差し出したプリントを、先輩は釣り堀の鯉みたいなテンションで受け取り、そのまま読み始める。



「どこって、そこよ」


「え?」



 カメラがぶら下がった右手に差し示されたのは、この部室の出入り口、なんの変哲もない引き戸だった。



「それってどういう──」


「うんうん、いいね! 面白い!」


「──もう読んだんですか?」



 本を読むのはあまり得意ではないが、怪談だけは速読でおなじみの先輩だ。いつもながら感心する。


 先輩が力を込めてつまんでいたせいで、くの字にひん曲がったプリントを受け取る。


 少し読み進めた僕は、不意の一文に思わず声を上げた。



「な……なんだこれ」



 ──都市研に近づくと不幸になる。



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