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怪談マップを作ろうね

 供米田高校という名の山の中の、都市研という名の境内(けいだい)は、徐々に赤さを増す西日に床を照らされていた。


 僕は“御神体(ごしんたい)”に目立った外傷(がいしょう)がないことを確認して、安堵(あんど)のため息をひとつ奉納(ほうのう)した。



「さーちゃんもいるね! 月宮くん、文化祭でなにやるか思いついた? え、私? 私はねえ、すっごいこと思いついたよ! 聞きたい? 聞きたい? うーーんどうしよっかなああ」



「……うわー、もう始まってない?」



 早矢仕さんがハイテンションにしゃべり続ける上ノ下先輩を見て、僕にだけ聞こえるように言う。



「そうだね。──先輩、ちょっと止まって。一回止まってください」


「え? え? なに? やっぱり聞きたいのかね?」



 先輩の正面に立ち、顔を覗き込む。やはりその目はギラギラと輝いている。



「……念のため聞きますけど、文化祭の展示の話ですか?」


「そう! ジオラマにねえ、怪談をねえ」


「体調は? 我慢できない感じですか?」


「あ……! えへへ……そう。ごめんね、我慢できないかも」



 「たはは」と、先輩は顔を赤らめる。僕は目を閉じて、この場の空気を吸い込めるだけ吸い込んだ。



「二週間ぶりですか、よくもったほうですね。ちゃんとここへ来れて偉いですよ、先輩」


「もっと褒めてくれて構わないよ!」


「ロッカー、使いますか?」



 僕は部室に備え付けられたロッカーの〈上ノ下〉と書かれたネームプレートを一瞥する。


 プレートの下部はスライド式になっており、現在は当然ながら〈不在〉と表示されている。



「待って待って、せめて話を聞いて! 単なる発作じゃあないんだよ。これはそう、いんすぺ……Inspiration!」



 彼女に英会話の素養はあまりないはずだが、その一単語だけは無駄にいい発音だった。


 踊るようにトトト……と、ジオラマの前へ移動する。



「先輩方が作り上げたこの素晴らしいジオラマ! 愛すべきわが母校とわが街! ずっと見てても全然飽きることがない!」



 上ノ下先輩はジオラマの前で両手を広げ、歌劇を演じるように大仰なそぶりで振り向いた。



「だけどなにか画竜点睛を欠くと感じていたんだよねえ。ここに足りないものがなんなのか、私はずっと考えてたの」


「わが街ったって、あなた地元じゃないでしょう」


「水くさいなあ。キミの街は私の街みたいなものだよ。わが校、わが部、わが月宮君だよ」


「……」


「メロついてんじゃないよ。っとにザコいな」



 危ないところだった。早矢仕さんの誹謗中傷がなければ危うくその自然体な親愛の情に心動かされてしまうところだった。


 怪談と言ったか?


 察するに、ジオラマに心霊スポット情報を掲載しよう的な提案だろう。



「あのさーマナち、三人しかいないんだよ? もしかしてめっちゃ大変なんじゃないの?」



 早矢仕さんはナチュラルに自分を人数に加えてくれている。義理堅い生霊部員だ。



「だからみんなで怪談の舞台になった場所を巡ってポップを作って配置して、街の怪談マップを作ろうね!」



 微妙にアンサーになっていない。こうなっては多少の忠告や苦言で止めるのは難しい。


 だからこそ、走り出したあとのこちらからの手綱のコントロールが重要になってくる。


 ジオラマに新たな加飾、彼女の言う画竜点睛を付け加えることに関しては、先達が制作時の伝統としていた〈あとのことは後輩に任せる〉という信条を曲解すれば問題はないだろうが。


 そしてまずいことに、先輩と方々を歩き回るというイベントを想像し、僕は少し魅力を感じ始めてしまっている。



「うーん、怪談ブームも終わっちゃいましたから……」


「終わらせた張本人がなんか言っとるわ」



 早矢仕さんはいつの間にか定位置のソファーに寝そべり、言わんこっちゃないという表情で手元のカメラをいじっていた。



 少し前までこの学校に起こっていた怪談ブームの火付け役は、誰あろう上ノ下先輩だ。


 彼女は怪談を好み、心霊スポットにもよく出かけていた。


 しかしそのモチベーションはなにかといえば、彼女自身にもよくわからない。


 僕の国語能力を総動員してなんとか彼女の話を整理整頓し分解組立した結果、おぼろげに浮かび上がった近似と思しき答えは「恐怖を感じたい」という正気を疑う破天荒な願望であった。


 たとえば一字違えて「恐怖を感じない」とかいう格闘マンガかホラー系ラノベの登場人物のような特異な感性をしているのかと、正直ちょっとときめきのようなものを感じたのだが、残念ながらそうではなかった。


 昨年の文化祭でお化け屋敷に同行した時、先輩は粗末な作り物の幽霊に本気で恐怖しており、僕の二の腕は破壊された。まだ先輩の手の跡が残っているような気がする。


 あるとき、彼女に怪談を聴かせることで大きな発作を抑える効果があると発見した都市研部員たちは、古典からネット上の最新の怪談までを揃え、発作の兆候があるたびにそれを少しずつ、用法容量を守りながら提供した。


 その動きに彼女の安寧を願うモンスターペアレンツも同調し、やがて一般生徒まで波及してひそかなブームとなった。


 早矢仕さんが言うように、それを終わらせた人物を挙げるとしたら、僕なのだろう。


 ブーム末期には、先輩に近づきたいだけのやましい怪談話者たちの中でカーストが作られ、〈怪談四天王〉とその取り巻きなどというバカバカしい派閥を生み出していた。


 僕はそんなものに巻き込まれる先輩を見過ごすことができず、彼女好みの怪談を毎日語っただけだ。


 結果、「月宮君の怪談が一番だね! 毎日聞きたいな」という、事実上の終息宣言が発せられた。


 自慢するほどでもないが、僕は怪談がそれなりに得意なのだ。



 先輩は床に片手をついて、ジオラマの道路に沿って指二本を中空に歩かせている。



「街を実際に歩いて回ったらさ、新しい発見がありそうじゃない? 都市研究部の活動としてうってつけなんじゃないかな? ね、月宮君もそう思うよね?」



 意外にも理にかなったことを言いながら振り向いてにっこりと、彼女の保護者を自負する人間たちが自分に向けられることを願ってやまない大輪の笑顔を向けてくる。



「……」小さいため息が鼻腔をついて出た。



「だ、ダメかな……? やっぱりいまの私、普通じゃない? 変……だよね……?」



 不安げにジオラマと僕の中間に視線を泳がせる先輩。その瞬間を僕は見逃さなかった。


 先述の通り、奇行の理由は彼女自身にもわからない。


 その小柄な身体のどこかに常人では計り知れない行動原理が秘められているかと思うと、僕は宇宙の神秘を見た心持ちになるのだ。


 それでいて本人は周囲に迷惑をかけていることや常識からずれていることに後ろめたさと罪悪感を感じており、おそらくは精神の防衛措置としてから元気を演じた結果、天真爛漫な人物に擬態している。


 微笑みをたたえた彼女の体内で、いままさに自己嫌悪と自己批判が、雷をまとった巨大な竜巻のようにゆっくりと渦巻いている。


 あえて少し無言で放置してみると、表情はゆっくりと消えていき、口の端だけが少し上がったまま、「あの、あの……ごめん」と真下を向きみるみるしょげ返っていく。

 



 ──これだ。これこそが上ノ下真魚果だ。


 上ノ下真魚果のいちばん美味しいところだ。




「スゥーーーーーー、ハァーーーーーー」




 この瞬間を空気の分子ひとつたりとも逃すまいと、僕は大きく深呼吸した。全身に甘美な震えが走り、頬が緩むのを必死で堪えた。


 自分にはどうしようもない自分の行動によって自分が傷ついて、せめてその傷を背中にひた隠して笑っていようと努めて振る舞う健気な少女。


 ああ……ああ……なんて不憫なんだ。やはり僕が守護らなければならない。




「ハァ……てかなんでジオラマ? もう終わったんだからほかのことやらんの?」


「うん、それも考えたんだよ?」



 先輩は少し考えるように視線を落とし、指先で街の一角をなぞった。



「私、このジオラマが大好き! 昔の都市研の部員がさあ、こんなものを作りたいって考えて、でも三年間じゃ足りなくって。後から入った部員が受け継いで、頑張って続きを作って……」



 建物の間の脇道を順番になぞりながら、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。



「きっとこのジオラマがなくなっても、忘れられても、そういうことがあったことはなくならないんだよね。たぶん私たちの代で部もおしまいだし、だから最後に、“ちゃんと都市を研究しました”って言えるものを、ここに足したいなって」



 控えめに振り向いた横顔はやけに穏やかで、どこか遠くを見ているようだった。


 なにを言おうとしているのかわからなかったが、もしかしたら彼女は留年してひとり二年生に取り残されたことを、僕が思うよりずっと深く哀しんでいるのではないかという想像が脳裏をよぎり、胸の奥がちくりとする。


 だけどその感傷に浸ってしまえば、たぶん先輩はまた「ごめんね」と無理に明るく笑って、自分の望みを引っ込めてしまうだろう。


 いいや、そんなことはさせない。


 その程度の単なる“傷”では終わらせない。僕は進み出る。



「すなわち、防犯と防災だ」


「はあ?」早矢仕さんが「頭にウジかなにかわいた?」と言わんばかりに下からえぐるようにガンを飛ばしてくる。



「つまり先輩が言っているのは、文字と写真の情報を追加してジオラマに“役目”を与えるということだ。単なる紹介じゃあ地味だし、名所の情報を付記していっても、そこまで厚みのある展示にはならないだろう。宿場町や城下町だった場所でやるならまだしも、ここらの街では少し弱い。労力に対して意義のある展示にすることは難しいだろう」



 「うう……」ともらして先輩が下を向く。ああ、なんと尊く美しいしょんぼり顔か。いますぐ上を向かせてやる。



「──そこで! たとえば夜に通るべきではない場所、事故多発地点、過去に災害で被害のあった場所などの情報をまとめることによって、これが立体の安全マップになるんだよ。過去ではなく、いまとこれからの時代の人たちの役に立つことができる。都市研究部としては、昔よりも今にフォーカスしたい」


「それも大変じゃないの? めっちゃ細かくフィールドワークしなきゃじゃん」


「そうだよね、やっぱり……」


「だけど先輩!」


「ふぇ?」先輩が不意に大きな声で指名され素っ頓狂な声を上げる。



「僕らはすでに知っているってわけですよねえ。十分な量の地域のエピソードは集まっているって、そう言いたいんですよね?」



 僕はここぞとばかりに斜め下を向き、上目づかいの笑顔を作ってたっぷりとためを作った。「キッショ」という声とともにストロボのチャージ音が響く。



「だから、怪談だ」



「……月宮君!」



「以前のブームで土壌は育っているので、すでに知っているものと合わせて新たに募集もします」



 顔を上げた先輩の表情が、段階的に明るくなっていくのがわかる。



「学校や周囲の怪談話の成り立ちを紐解いていく。ガチの幽霊や妖怪でもいなければ、その土地の怪談には過去の事件や事故、地域住民の意識的もしくは無意識的な不安の原因が絡んでいるはず……たぶん」



僕は二年生に取り残された少女とジオラマを視界に収める。


紫外線による劣化を避けるために遮光カーテンで部屋の半分に作り出された影の中、疲れ果て眠るように横たわっている、もはや誰にも発展を期待されていない小さな街。


本来であれば役目を終え、ようやく安らぎを手にした英雄だ。しかし僕らのためにいましばらく延命をさせてもらう。



「──名付けて、〈安全怪談マップ〉! 街へ調査に出かけることになるけど数は絞れるし、実地の安全を確かめれば地域の役に立つ。我が部のモットー〈都市(まち)を知り己を知る〉を体現する活動としてもうってつけというわけだ!」


「よッ月宮君!」先輩が目を輝かせて拍手をくれる。


「口だけは達者だよね」早矢仕さんは大きなため息をついている。



 なんとでも言え。というか、キミに言われたくはないんだよ。



 強くこぶしを握りながら、僕は決意を新たにする。


 上ノ下先輩の自己肯定感を育てる。受けることができる“傷”の許容量を増やす。


 多少傷ついたとしても、将来には「愉しかった思い出」としてふりかえられるように。


 そして……また傷ついて気丈に明るくふるまうその痛々しくも尊い姿を、僕は最前列で見せてもらう。


 ふふふ……まさにWIN‐WIN。共存共栄。やさしさの永久機関だ。



「うわあ……」早矢仕さんが窒息するハゼのような顔でシャッターを切った。僕は白目をむいている。



 外では生ぬるいにわか雨が空から落ち始めていた。

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