幽霊、生霊、そして荒神
どうせ暇だし、バンドでもやろうか。僕はタンバリンをやるから、ボンゴかシンバルの好きなほうを選んでくれ。
……という提案は、もちろんとっくに却下された。
でも〈都市研究部〉という名前は、ちょっと前衛的でコンセプチュアルなバンド名としては悪くないと思っている。
個性的なメンツはそろってることだし。いわゆる“イカれたメンバーを紹介するぜ”ってやつだぜ。
まず一人目は……。
僕は西日に照らされた部室の窓際にぽつんと置かれた一組の椅子と机を見やり、鼻から小さく息をつく。
いきなりで恐縮だが一人目は幽霊部員だぜ。名前は丸さん。
それでもかなり良心的な幽霊部員といえる。なぜなら丸さんは週に一度くらいは出席しているからだ。
いちばん先に部室にいて、隅の席で読書をしている。以前はレトロな携帯ゲーム機で遊んでいることもあったが、なんのゲームをプレイしているのかと話しかけて以来持ってこなくなってしまった。かなりシャイなのだ。
もしかしたら単に六限目をサボって静かに読書するために利用されているだけなのかもしれないが、害はないし、彼女が来た日はフルーツ系のドライポプリみたいな香りがして、部屋の空気が少し上品になるのが結構気に入っている。
次に、二人目。
えーと……部に所属していながら来ない部員を幽霊部員と呼ぶのなら、所属していないにもかかわらずいつも部室にいる存在は果たしてどう呼ぶべきなのだろうか。生霊部員?
「早矢仕さん、雨降りそうだけど傘持ってきた?」
僕の右手、かつて会議用に使われていた簡素な革張りソファーの背もたれ越しに、フワフワのブランケットとミルクティー色の髪をまとった頭が持ち上がる。
「うー……どうりでうねる、髪」
光画部一年の早矢仕沙夜。この部屋のソファーの主だ。
一か月ほど前に「オリジナルネイルを作りたいから3Dプリンターを使わせろ」と部室に現れ、それ以来なぜかずっと居ついている。
彼女の場合は、できれば僕より先に部室にいるのはやめてほしい。どうやって鍵を開けているのかは教えてくれない。セキュリティ面の不安をひしひしと感じる。
起き上がって頭上に伸ばした手首からは、彼女が愛用する小さなプラスチック製のフィルムカメラがぶら下がっている。
校則に抵触するであろう明るい髪色と派手めなアイメイク、着崩した制服のスカートの短さは一見してギャルと呼べそうなものだが、そう呼んだ瞬間、親の仇のようにボコボコに罵倒され論破されることになる。理由は不明だが、ギャルにカテゴライズされることが相当お気に召さないらしい。
だから彼女を形容するなら、“見た目派手目な後輩カメラ少女~レスバを添えて~”とでもしておかねばならない。
「てか月宮センパイ、なにしてんの?」
早矢仕さんがストレッチで腰をひねった体勢のまま、道端で這いつくばって紙コップを積み上げるゴリラを見るような目を僕に向ける。
そうだった。僕はいま、うどんを凌辱するのに忙しい。用もないのに話しかけないでくれ。
コシを信条とする讃岐うどんを模したカップ麺に対し、五分で出来上がるところを二〇分待ってデロデロに伸ばして尊厳を破壊するというハイレベルな遊びだ。ふふふ……お前は伊勢うどんになるのだ。
ちなみにもし伊勢うどんのカップ麺が発売されたら、僕はお湯を入れてから一分で食べる。
「……ふーん。今日もキモいね」
ジト目のまま、彼女は手にした黒い小箱の前面をぱちりとスライドさせる。すると狭間からレンズが覗き、流れるような所作でシャッターを切った。
僕は瞬時に頬をすぼませ白目をむく。
以前“肖像権の侵害だ”と抗議したところ、「ストリートスナップとは人間を写すものであり、被写体は写されて困るような行動をすべきではない」という論旨で反論され完敗した。以来、僕は変顔でささやかな抵抗を続けている。
「あ、そーだ。文化祭、アクセ販売でいいよね? クリアレジン注文しといてよ」
「待て。なんで君がうちの企画を決める?」
「だってジオラマは終わったんしょ? なんか考えなきゃじゃん」
「それはそうだけど……」
「でなきゃまたマナちが面倒なこと言い出すよ。てかマナち遅くない?」
早矢仕さんは小さなファインダーを覗いたまま部室を見まわし、窓際まで歩いていく。危ないのでやめてほしい。
僕が「足元に気を付けて」と言うより早く彼女はジオラマの方へ振り向き、カメラの右側に付属するストロボのチャージランプをガシャッと飛び出させる。「キュイーン」とかすかなチャージ音。
カメラには詳しくないけど、あれかっこいいんだよな。索敵中の戦闘用アンドロイドみたいで。
フラッシュが閃く。腰を落とした様になるポーズから顔を上げた早矢仕さんはしかし、つまらなそうな無表情だった。
「……また学校抜けだしたりしてんじゃないの?」
「大丈夫、アラーム鳴ってないし」
言って僕はスマホの画面を見せる。そこには〈シネシネシネシネ〉とか〈クソ陰キャがよ〉といった暖かい応援メッセージの最初の一行が表示されているだけだった。
上ノ下先輩が野生のイノシシと対峙するために県境の山中へ分け入って遭難しかけて以来、本人承諾の上でGPSタグを持たせている。
僕に無断で校外へ出ようとしたなら、スマホに通知が届くことになっている。すなわち、いまはまだ校内のどこかにいるということだ。
「だけどたしかにちょっと遅い。うどんを犯し終えたら教室まで迎えに行ったほうがいいかもしれないな」
「あー、聞いといてなんだけど、二重でキモイ。センパイはマナちのなんなのってハナシ」
僕が上ノ下先輩のなんなのかって? そりゃもう決まっている。保護者……いや、守護者だ。
イノシシの件以外にも彼女の“発作”による奇行は枚挙に暇がない。
先月は深夜に一人で廃墟探索に行ってしまったし、その前は近所のムエタイ道場に道場破り同然で乗り込んで生傷をこさえて帰ってきた。外飼いの猫のような人なのだ。
ボヤ騒ぎの中飛び込んで行って住人を救助したかと思ったら、消防隊員の制止を振り切りもう誰もいない火災現場へ再突入しようとして補導と表彰を同時に受けた、自走式の爆弾のような人なのだ。
エピソードだけ聞くとさぞ豪快な女傑かと思われそうだが、本人はどちらかといえば小柄な、ごく普通の女生徒だ。
発作が起きていないときは天真爛漫で気立てがよく、飾らない性格で友達もそれなりに多い。
しつこいナンパに困っていたところを助けに入ったとかいう話もあり、そのギャップから女子の間でひそかな人気を呼んでいる。
上ノ下先輩の危なげな“裏面”を間近で目にすると、ほとんどの友人がビビッて距離を置くところだが、一部の生徒は「自分が守護らなければ」という謎の使命感に目覚め、保護者気取りの厄介ファンたちを生み出した。
彼女の安全対策に尽力してきた都市研の先達の努力を引き継ぐ形で現在は僕が身元を引き受けているが、僕自身も“モンスターペアレンツ”に厳しい監視の目を向けられており、彼女が怪我でもしようものなら誹謗中傷のメッセージが大量に届いたり、机に呪いの人形を入れられたり、自転車のブレーキワイヤーを緩められたりする。
いまだってこの部室のどこかに隠しカメラがあったとしても驚くことではない。
まったくスリリングな高校生活だ。
「メンタル鋼かよ。はー、同情するわ」
「だろ? やっぱり監視を強化するべきかな?」
「どう考えてもマナちのことだら。アンタはいっぺん鏡で顔見て、『これが保護者面していい存在か否か』って議題で自分会議開くといいよ。結論出るまで学校休んでさ。……貴重な女子高生時代の思い出のどこ切り取ってもこんなやべーやつがフレームインしてくるとか、シンプルに被害者だわマナち。アタシなら親に土下座して転校するわ」
「こやつめハハハ」
──ドン。
いまのはついに後輩女子に対して手を上げてしまったことで生じた効果音ではない。彼女のレトロフューチャーなカメラに傷がつくことを懸念して逡巡していたそのとき、和太鼓の音が響いたのだ。
僕らは音の発生源であるスマホに注目し、次いで部室の入口を見る。
パタパタとスリッパの足音がものすごい速さで近づいてきていた。
「わっしょい!」
部室の扉がびしゃりと勢いよく開け放たれ、白い残像がくるりとターンを決めながら滑りこんでくる。
部長の僕と幽霊/生霊部員、そして三人目──
供米田高校都市研究部副部長・上ノ下真魚果。
昨年留年し、今年は同学年の先輩。
一部の生徒にとって憧れであり、守護対象であり、腫れ物。
僕の認識から言えば、彼女は神である。
ただし全知全能の創造主や、この世の真理にたどり着いた求道者ではない。
災いをもたらさないよう形式上神様扱いされて山奥の社で祀られている類の荒神だった。




