9:あ、赤い悪魔……
「はっはー。見ろよ、白い豚がいるぞ。豚だ豚」
ランドファスの声だ。あいつ、今度は人の悪口を言っているのか。
周囲の令息や令嬢は、ランドファスが指さす方角を見ないようにしている。だけど中には笑いを堪えるような顔の子もいた。
奴の指さす先。そこにいたのは銀髪の幼い女の子だ。
確かに肉付きがいい。結構、かなり。
だがそれを相手に聞こえるような声で言うもんじゃないし、ましてや身体的なことで人を蔑んではいけない。絶対にだ。
「ラ、ランドくん、ダメだよ。あ、あの子はエヴァンゼリン公爵令嬢だよ。す、すっごく怖い子なんだから」
ん? 怖い子?
「んなっ。あ、あの赤い瞳の悪魔エヴァか!?」
あ、赤い悪魔……た、確かに赤い瞳をしているな。
周囲の子供たちも、ひそひそと囁き合っている。
赤ん坊の頃には、猫の毛を毟って遊んでいたって言う?
まぁ怖い。
気に入らないとすぐメイドを殴っているそうよ。
だからメイドが次々に辞めていくんですって。
この前は自分より先に他の令嬢へ挨拶をした令息を、蹴り飛ばしたって聞いたぞ。
僕も聞いたよそれ。アソコを蹴ったんだってね。
デブって言った領民を処刑したっていう噂らしいぞ。
公爵家では豚を崇拝しているとかなんとか。
赤い悪魔。
赤い瞳の白豚悪魔エヴァ。
子供たちがそう囁く。
瞳の色や体格で人を判断するのは悪いことだ。赤い瞳の子なら――あ、ほら、向こうにもひとりいるじゃないか。結構な美少女だけど、まぁうちのティファニーには勝てないな。
ん? あっちの赤い瞳の綺麗な子の後ろ。傍に控えているメイドさん、腕に怪我を――。
「ほらみて。エヴァ公爵令嬢の側にいるメイド。指先を怪我しているみたいよ」
「まぁ、本当だわ」
「噂は本当だったのか」
「ブスでデブで悪魔とか、公爵家の恥晒しじゃないか」
「よく茶会に出てこれたもんだぜ、白豚悪魔のくせに」
だから人を見た目で判断するなって。まったく最近の子供たちときたら――おっと、前世のおっさん臭が出てしまった。
それと、最後に聞こえたセリフはランドファスな訳だけど、お前がそれを言うか?
招待状をもらってもいないくせに、のこのこやって来たくせに。
「あ、にぃちゃ――きゃっ」
は!? この声はティファニー!!
声のする方へ視線を向けると、うつ伏せに倒れたティファニーの姿を発見。
お兄ちゃんが今行くぞ! ――あ、あれ。
あの銀髪の公爵令嬢が、ティファニーを起こしてくれている。
どうやら段差でころんだのだろう。この日のために新しい靴を買ってもらっていたし、履きなれない靴で歩きにくかったのかもしれない。
俺が駆け付けるよりも先に、公爵令嬢が駆け付けてくれた。
赤い瞳の悪魔だと噂する子供たち。
あれのどこが悪魔なんだ。
凄く優しい子じゃないか。
年齢はティファニーと同じぐらいだろう。背丈も一緒だし。
ティファニーの顔にも笑顔が浮かんでいる。あの子は意地悪い人間を直感的に感じるようで、伯父上一家を初めて見た時から嫌な顔をしていた。
そのティファニーが笑っているんだ。公爵令嬢は絶対にいい子に違いない。
ティファニーは公爵令嬢に頭を下げた後、俺に気づいて走って来る。
おい、またこけたらどうするんだっ。
あぁ、お礼を言おうと思ったのに、令嬢が行ってしま――あっ。
今度は彼女が躓いてこけてしまった。
くすくすと笑う声。
本当に、この子供たちと来たら……。
「にいちゃま、どこ行くの?」
上着の内ポケットからハンカチを取り出す。そのハンカチを侯爵家のメイドさんが持つ水瓶で濡らして貰い、すぐにエヴァ公爵令嬢の元へと向かった。
「どうぞ、これをお使いください」
「え?」
わずかに涙目になっていた赤い瞳。いや、赤というより紅色?
ただの赤より深みのある、とても綺麗な色の瞳だ。
「手についた土を、これで」
濡らしたハンカチを、メイドさんへと差し出す。
「でも、ハンカチが汚れてしまいます」
「もう濡らしたものですし、使ってください。でないとカッコつかないので」
と笑って見せると、メイドさんはどうしたものかと令嬢を見た。
令嬢の方も俺を見ている。
「兄上っ」
その時、弟ジークの声がした。近くにはランドファスがいる。ロバート卿も傍にいてくれているけど、俺も近くにいてやらないとな。
「すみません、弟が呼んでいるので行きますね。ではごきげんよう」
「あっ、あのっ」
「はい?」
呼び止められ振り向くと、彼女は顔を赤く染めていた。どこか怪我をしたのだろうか? 痛むのかな?
「お、お名前、は……」
「あっ。失礼しました。僕はディルムット・シュパンベルク。シュパンベルク男爵の長男です、エヴァンゼリン公爵令嬢」
「ディルムット、さま……」
「それでは」
ジーク、それからティファニーの元へ戻る。ランドファスはロバート卿を見て逃げて行ったようだ。ロバート卿が誇らしげに鼻を鳴らしていた。
さっきまで陰口を叩いていた子供たちも、何故か大人しい。
「ディル、久しぶりだな」
「あ、フェリクス小侯爵様。この度はお茶会にお招きいただき、ありがとうございます」
「ありがとうございます、小侯爵様」
「ありがとうございます、フェリクス様」
声を掛けてきたのはこのお茶会の主催者、ホーヘンベルク侯爵家の嫡男フェリクス様だ。後ろには妹君のルシェット令嬢もいる。ティファニーより一つ年上のルシェット嬢だが、いつもフェリクス様の後ろでもじもじしている。
「半年ぶりか。双子はまた大きくなったね」
「レディーになったって言ってください」
「ははは。申し訳ない、レディー」
フェリクス様がティファニーの手の甲に、軽く口づけをする。
ティファニーの顔は真っ赤だ。この子はフィリスク様が大好きだからなぁ。
でもお兄ちゃん、交際はまだまだ早いと思うんだ。
「すみません、フェリクス様」
「ん? 何がだい、ディル」
「ランドファスのことです。さっそくやらかしてしまって」
「あぁ、気にするな。君がすぐフォローに入っただろう。木馬をもらって喜んでいたよ」
なるべく侯爵家には迷惑を掛けたくないんだが、あいつがいる限りそれは無理だろうな。
「それはそうとディル。君は根も葉もない噂を信じるかい?」
「え、噂ですか?」
「あぁ。人を見た目で判断して、自分の目で確かめた訳でもないのに勝手な噂を信じ、相手を侮蔑するような輩がどうも多いらしくてね」
ははーん。さっきあれこれ言ってら子供たちが静かになったのは、フェリクス様が小言を言ったからだろうな。
「いいえ。僕は自分の目で見たことしか信じません。相手の良し悪しは見た目では判断できませんからね」
「うん。よく言ったディル。それでこそ私の友に相応しい」
そうして俺とフェリクス様は、がっつり握手を交わすのだった。




