72:神様が俺を救ってくれたのは間違いない。
「ランドはここにはいないよ。あいつはまだ九歳だからね」
「ディ、ディ、ディル、ディルムットくん……あ、あの。ぼ、ぼぼ、僕は……僕は今年、じゅ、十歳になるんだ。ま、まだ九歳だけど」
あぁ。誕生日がまだでも今年十歳を迎えるのであれば、お披露目会への参加資格がある。
グスタフは俺と同学年、ランドより年上になるのか。
「あの、あ、えっと」
何をしに来たんだ、こいつは。ランドから何か頼まれて、俺の偵察でもしに来たか?
気の弱いグスタフじゃ、偵察なんて無理だろう。
「へ、辺境……辺境での、暮らしは、その……どう?」
ははーん、なるほど。
辺境暮らしが辛くて、苦労している俺を笑いたくて、ランドがこいつを送り込んだのか。
でも残念だったな。ランド。
「ゼナスでの暮らしは楽しい毎日だよ。頑張れば頑張っただけ、辺境での暮らしがどんどん豊かになっていくからね。不毛な大地と言われていたけど、今じゃいつでも畑に野菜が実っているんだ」
「そ、そうなんだ。よか――」
「グスタフ! 何をしている!!」
「パ、パパ!?」
グランシュ子爵か。
息子を探しにきたのだろう子爵が、俺を見て顔を赤らめた。
別に惚れられたのではなく、タコのように怒り心頭な意味での赤だ。
「な、何故ディルムット、殿がここに」
「何故って、ここは陛下からあてがわれた僕の部屋の前です。部屋へ戻って来たら、ご子息がいたのですが?」
「なっ。グスタフ、どういうことだ。も、もしかして、ランドファスの差し金か? もう奴には関わるなといっただろうっ」
ん? どういうことだ。
俺が知っている限り、子爵はランドのことを「ランドファス坊ちゃん」と呼んでいた。
今は呼び捨てにしていたし、あいつとは関わるなとも。
は~ん、なるほどね。仕える相手を間違えたと、ようやく気付いたのか。
「ごほんっ。あー……ディルムット殿。ゼナスでのご活躍、耳にしておりますぞ。砂漠の民との友好、そして岩塩の採掘。いやぁ、素晴らしいですなぁ。これも男爵家の方が辺境の領主となったからであって」
「うわっ。つい二年前までオズワルズに尻尾を振っていたくせに、あいつに媚びても利益が出ないってようやくわかったら、今度は男爵家に尻尾を振るんですか? 節操ないですねぇ」
「なっ。何を言ってっ。ちっ。帰るぞ、グスタフ!」
「い、痛いよ、パパ」
グランシュ子爵は息子の腕を無理やり引っ張り、その場を後にした。
「フィッチャー。子爵が今、どこの家門に尻尾を振っているのか調べてもらえる?」
「承知しました。いやぁ、変わり身のお早いお方ですねぇ」
「いや、逆に遅かったんじゃないかな。オブワルズに商才がないこと、散財癖があることを知った段階で、伯爵家を見限るべきだったんだよ」
「元男爵領には鉱山もありましたし、お零れがあると睨んだのでしょう」
ロバート卿の言う通りかもしれない。
まぁ水没さえしていなければ、それなりの富は手に入っただろうしね。
それも、オズワルズに借金がなく、散財癖もなければの話だけど。
グランシュ子爵家は元々、祖父の代から伯爵家に仕える家門――ではない。
祖父の代に領地の経営を手伝ってくれていた家門はひとつだけで、そこはオズワルズが爵位を継いだあと、奴と揉めに揉めて解雇された。今では別の家門に仕えているって聞いたな。
子爵はその後にすり寄って来たのだろう。
気が付けばグスタフがランドの後ろに立つようになっていた。
「グスタフ様は気の弱いお坊ちゃまですし、なんだかかわいそう」
「まぁ自分の意志でランドの子分になってたわけじゃないからね。確かに同情はするけど、こればっかりは仕方ないよ、マーガレット」
「そうですが……。子爵様が次にお仕えする家門が、良いところだといいですね」
「マーガレットは優しいね。でも、グスタフ自身があんなだと、これからも父親にいいように利用されるんだろうな」
親ガチャでハズレを引いてしまったんだ。前世の俺のように。
そうか……。グスタフを見ていてどこか腹立たしく見えるのは、前世の自分を思い出すからかもしれない。
腹立たしいのと同時に、哀れにも思える。
俺自身と重ねていたのか。
変われなかった俺と、同じなんだ。
変わるために俺が選んだのは、死ぬことだった。
まぁ変わるというか、終わらせるというか。
そんな俺に同情したのかどうかはわからない。でも、神様が俺を救ってくれたのは間違いない。
優しい両親を、家族を、そしてみんなを与えてくださった。
グスタフにも、そういう人がひとりでもいるといいな。
――グスタフ・グランシュの部屋。
「男爵家の子せがれと、いったい何を話していた!」
「べ、別に……。へ、辺境での暮らしは、どう、ですかって、聞いただけだよ、パパ」
「本当にそれだけか!?」
「ほ、本当、だよ……パ、パ」
子爵は息子の胸倉を掴み、語気を荒げる。
息子は息苦しそうに、そして怯えた目で父親を見上げた。
怒りとも、蔑みとも取れるような瞳で、子爵は息子を見下ろす。
その顔は婿養子だった自分を蔑んだ義父によく似ていた。それが、息子をぞんざいに扱う理由でもあった。
それでも、それでもだ。
「く、苦しい、パ、パ」
息子の顔が青ざめるのを見て、子爵はパっと手を放す。
そして。
「だ、大丈夫か、グスタフ。あぁ、グスタフ。パパが悪かった。ごめんな」
子爵も子の親。怒りに身を任せることが多々あるが、それでも息子を愛していないわけではない。
ただ義父に対する劣等感から、つい息子に手を上げてしまう。
それが悪いことだと頭では理解しているが、止められない。
代わりに、冷静でいられるときには、息子を甘やかすと決めていた。
「グスタフ。明日には屋敷へ帰るが、帰る前に何か欲しいものはあるか? なんでも買ってやるぞ。ん?」
「けほっけほ。ううん、いいよ。今は節約しなきゃいけないんでしょう? だから……そうだ、パパ。ホントメリー伯爵家のジェームスくんと、お話したんだ」
「ホントメリー? いやダメだ。あそこはたいして裕福ではない。もっと裕福な家門に取り入る必要がある。だが……あぁ、クソ。オズワルズなんかに仕えなければ、こんなことにならなかったのに」
オズワルズ伯爵家の評判は、既に地に落ちている。
弟一家を陥れた兄として、そして一家を辺境へ向かわせる原因を作った者として、貴族の中でもオズワルズ伯爵を非難する者は少なくない。
だが、その弟一家が辺境で富と名声を手にしている。
それに引き換え兄の方は、弟から奪い取った領地もまともに経営できず、鉱山は閉山したまま。
今では領民たちも逃げ出し、住む者もいなくなったという。
(あんな領地、国に売却していればよかったものを)
金銀は欲しい。だが水没した鉱山から水を汲み上げるための金は出したくない。いや、そのお金すらない。
だったら国へ売却していれば、少しは金になったのに。
子爵はそう思わずにはいられなかった。
実際そう進言したが聞き入れてもらえず。そのうえ、口答えするなと。
これまでも散々我慢してきたが、それも限界だった。
最後には伯爵と子爵、どちらが先に剣を抜くかと言うような激しい罵り合いをした挙句、伯爵は「追い出した」といい、子爵は「見限った」といい、お互い離別している。
「すまないな、グスタフ。お前にも苦労をかけさせる」
そう言って子爵は息子を抱きしめた。その気持ちに偽りはない。優しいときもある父親なのだ。
父がいつもこんな風だったらいいのにと、グスタフは願う。
父の心にゆとりがあれば、きっと普段からずっと優しいはずだ。
心のゆとりとは、金銭的に裕福な時でもある。
だからこそ、グスタフは意を決して話すことにした。
「パパ。あのね、実は……二年前の、あの侯爵家でのお茶会の時……」
「二年前?」
「うん。あの日、ぼくはね。ランドファスくんと、侯爵邸の母屋に入ったんだ。そこで――」
息子から聞かされた内容に、子爵は驚いた。
それがもし本当であれば、いや、本当だろう。そう確信できるほど、ランドファスの手癖の悪さは子爵もよく知っていた。子爵家でもいろいろと盗まれていたからだ。
「くく、くははははは。そうか。やっぱり犯人はあのガキか。だとすると、男爵家で見つかったネックレスというのも……。これはいい。これはいいぞ」
子爵は高揚した表情を浮かべ、笑い出す。
その表情を見て、グスタフは一抹の不安を覚えた。




