10:その頃――
オルフォンス王家と血縁関係にあたるハルテリウス公爵家。その長女として生まれたエヴァンゼリンは、前公爵夫妻である祖父母に溺愛されて育った。
その結果――五歳児にしてはあまりにも激太りした体型に。
本人も多少気にはしているのだが、「縦に伸びればそのうち他の子と変わらない体重になるわ」と考えていた。
だが、そのうちではダメだと思う日は突然訪れる。
仲の良いホーヘンベルク家の茶会に招待され、いつものように陰口を叩かれ少し落ち込んでいた時だった。
近くで同年代の愛らしい少女が転んでしまい、エヴァは慌てて手を差し伸べた。
自分とは正反対の、小柄で華奢な少女。
初めて見る顔だったが、少女は見難く太った自分に「ありがとう」と感謝の言葉を口にして微笑んだ。
それがエヴァには嬉しかった。
屈託のないその笑顔に偽りはなく、心から感謝してくれていることがわかった。
だがエヴァが体重を気にする瞬間はここではない。
その後の出来事だ。
離れた所から聞こえる、自分を蔑む子供たちの声。
それから逃げるようにしてエヴァは会場から離れようとした。
だが、ぽてぽてした体は時にわずかな段差にも躓きやすく、先ほどの少女のようにころんでしまった。
「お嬢様っ」
そこでも子供たちの笑い声が耳に入って来る。
惨めだ――とまでは思わず、いつか笑われなくなるもの。縦に伸びさえすればと前向きに考える。
だがこの見た目のせいで、友達が少ないのも事実。そこだけがエヴァによって悲しい現実だった。
あぁ、誰も私には手を差し伸べてくれない。
あの子のように可憐であったら、私にも手を差し伸べてくれる方がいたかしら。
そんなことを思っている時だった。
「どうぞ、これをお使いください」
「え?」
メイドの手を借りて起き上がったところへ、背後から声を掛けられ振り向いた。
そこに立っていたのは黒い髪に琥珀色の瞳をした、少し年上の少年。
その手にはハンカチが。どうやら濡らしているようだ。
「手についた土を、これで」
少年は差し出したハンカチを、エヴァの傍に控えたメイドへと手渡す。
メイドは汚れるからと断ろうとしたが、少年が「もう濡らしたものですし、使ってください。でないとカッコつかないので」といって笑みを浮かべる。
その笑顔に、エヴァの心はときめいた。
幼いころから知るホーヘンベルク家の長男以外で、自分に笑顔を向けてくれる男の子なんていなかった。
自分のこんな体型をも気にせず、優しく微笑んでくれた。
なんて……なんて優しい方なのだろう。
エヴァが見つめる先で、少年は弟が呼んでいるからと踵を返す。
聞かなければ。この方の名前を――その一心でエヴァは勇気を振り絞った。
「あっ、あのっ」
「はい?」
「お、お名前、は……」
絞りだした声は小さかったが、どうやら相手には伝わったようだ。
少年は笑みを浮かべて答えてくれた。
「失礼しました。僕はディルムット・シュパンベルク。シュパンベルク男爵の長男です、エヴァンゼリン公爵令嬢」
「ディルムット、さま……」
私の名前を知ってくださっている。
それだけでエヴァの心は踊った。
「お嬢様、大丈夫ですか? どこか怪我は?」
「ないわ、メリンダ。心配をかけてごめんなさい」
「いえ。ご無事ならよかったです。さ、控室でお茶にいたしましょう。今日は料理長がとびっきりのお菓子を用意してくださったのですよ」
お茶会では周りの目もあるため、食べるのを控えていた。その分、持参したおやつを心行くまで食べる――という予定だったのだが。
「いいえ、メリンダ。おやつはいらないわ」
「え? お、お嬢様?」
少し離れた場所から、ディルムット男爵令息の姿を見つめる。
彼の隣には先ほど助けた可憐な少女が立っていて、令息は優しい笑みで彼女を見つめている。
(太っている子より、細い子の方がディルムット様もお好きよね)
だから決めたのだ。
「私、ダイエットする!」
恋は少女を強くする。
同時に、恋は少女を盲目にもする。
ディルムットの隣にいる可憐な少女が、ディルムットの実の妹だとも知らず勘違いするのだから。
同じころ、侯爵家の屋敷内で――。
「クソッ。あの忌々しい騎士めっ。伯爵家の嫡男であるオレ様を睨むなんて……パパに言いつけてやる!」
「ラ、ランドくん……。お茶会の席に戻ろうよぉ」
「うるさい! 戻りたいならひとりで行けっ。オレ様は控室で休むっ」
今外に出れば、男爵家の騎士団長ロバートと顔を合わせることになる。
それは怖い。チビりそうだ。
「控室はどこだ? あぁ、もうどこだっていいや」
「ラ、ランドくん。いけないよっ。勝手にお部屋に入っちゃ、怒られちゃうよ」
「黙れっ。オレ様は客なんだぞ? 貴族たるもの、いかなる時にもえぇっと、なんだっけ? とにかく、オレ様がどこで休もうが勝手だろ!」
ランドファイスは近くの扉を開け、休めようなソファーがないか確認する。
「よし、この部屋ならゆっくり出来そうだ」
「ラ、ランドくん」
入った部屋には豪華なソファーとテーブルセットがあった。それに大きな姿鏡に鏡台も。
靴のままソファーの上で寝転ぶと、同行しているグスタフ・グランシュが顔を青ざめた。
父のいいつけてランドファスについて回っているが、彼はすぐ暴力を振るうし怒るし意地悪だしで正直一緒にはいたくない。だけど父の借金を肩代わりしてくれた人の息子だから、仕方ないのだ。
余談であるが、グスタフの父親の借金は、ディルムットの父サウルから無心して得たお金で返済したものである。
余談終了。
「あぁあ。おいグスタフ。お前、会場から食べ物と飲み物を持ってこいよ」
「えぇ~。ぼ、ぼくひとりで?」
「は? 当たり前だろう。なんでオレ様が取ってこなきゃいけないんだ。オレ様はここで休んで……お、これは」
ランドファスがテーブルの上に置かれていた箱に手を伸ばす。
箱の中には大きなエメラルドがあしらわれたネックレスが入っていた。そのエメラルドの周りには、小さなダイヤが無数に散りばめられ、子供の目から見ても美しさが一目でわかるほど。
「ラ、ランドくん!?」
「おぉ。ネックレスじゃないか。宝石がいっぱいだ。高そうだ」
「ランドくん。ダメだよ、侯爵家の人のものなんだから、勝手に触っちゃ怒られるよ」
「う、うるさい! オレは侯爵家に頼まれて招待されてやったんだぞっ」
否。頼まれてもいないし、招待すらされていない。
だがランドファスは自分に都合のいい解釈しかしない子供だった。
「母上に似合いそうだ」
「ダメだってばランドくんっ」
「あぁ、お前はうるさい奴だな! わかったよ、部屋から出ればいいんだろう」
グスタフは安堵して、ランドファスの気が変わる前に部屋を出て行こうと先に扉へと向かった。
そして大きな扉に手をかけ、開く。
「ランドくん。さぁ、行こうよ」
「あぁ。行こうか」
その時、グスタフは気づきべきだった。
ランドファスのポケットが膨らんでいることに。




