話を聞かない王子様
「こうなってしまったからには、はっきりと言わせてもらいますけどっ」
エルフィンストン王国の王都にある貴族学園の卒業パーティ―で、ひまわりのような髪色の少女が小さな拳を震わせながら言った。
「私、王子様と結婚なんかしたくないって何度も言いましたよね。うちは男爵家で王子様の後ろ盾になれるような家格ではないし、高位貴族の養子になるのも嫌だって。学園内で王子殿下に話しかけられるのも困るし、プレゼントやデートの誘いにも応えられないって……。そりゃあ、はっきりとは言ってませんよ。でもそこは貴族的な言い回しってヤツで察してくれないと。実際、いただいたものはすべてお返しして、一緒に出掛けてもいないのだから気づいてくださいよ。遠慮でも謙虚でもなく、迷惑だからすべて受け取らなかっただけです。男爵領の年間予算を超えるようなアクセサリーなんて怖くて貰えるわけないでしょう。なのに……、なのになんで、こんな公の場で婚約破棄宣言なんてしちゃったんですかっ?婚約破棄ではなく解消にしたほうがいいって、私だけでなくアーヴァイン第一王子殿下もフィルド侯爵令息も言ってたはずですよね?どうして人の話を聞かないかなぁ……」
ビビアン・リカナー男爵令嬢は小動物のような可愛らしさで、普段はにこにこと笑って過ごしている。しかし、今日は我慢の限界を超えてしまったようで険しい顔をしていた。
それでもとても可愛らしい子なのだけど。背が高く豪奢な美人と言われる私とは真逆のタイプね。
公衆の面前でビビアンさんに叱られているのはトヴァイアス第二王子殿下で、公爵家の娘である私、ブレナ・マクブラインの婚約者だ。
王太子には第一王子殿下が内定しているが、第二王子も臣籍降下した後、国政を手伝うことになる。しかし、トヴァイアス様はなんというか、政治的な能力に乏しい方だった。性格は明るく素直、そして嘘がつけない真っすぐな性格。自分が嘘をつかないから、相手も本音で話していると考えてしまう。
その上無駄にポジティブだった。なんでもプラス方向に捉えてしまうため、ビビアンさんが困っている姿も遠慮だと受け取った。ビビアンさんが遠慮している、そうだ、きっとブレナに圧力をかけられているんだ……なんてことをトヴァイアス様が思っていそうな顔をして私を睨みつけている。
トヴァイアス様のプラス思考は自分から見て、だから、他人から見るとマイナスになっていることも多いのよねぇ。
リカナー家とマクブライン家の家格差を考えるとそう思ってしまうのもわかる。でも、公平かつ冷静でないといけない王族がそれでは駄目でしょう。きちんと証拠を集めた上で、事実だけを拾い上げて検証しなくてはいけない。
確かにマクブラインはとっても力のある公爵家だ。その気になればリカナー男爵家を消すことなど簡単にできる。うちは良識的かつ健全な公爵家だからそんなことはしないけど、まぁ、無礼で狡猾な相手にはね、三十倍返しすることもあるわ。公爵家としての立場もあるから、それくらいお返ししないと今後もなめられてしまいますもの。
ビビアンさんを潰すなら学園内でくだらない嫌がらせなどせずに、裏から手をまわしてさっさと消息不明にしてるわよ。
でも私はそんなに短気ではないから酷いことなんてしてないわ。本音で言えば無能な第二王子を何度か叩き潰したくなったけど、可憐なビビアンさんのことはね。被害者仲間ですもの。
第二王子被害者友の会の会長が私なら、ビビアンさんは書記くらいのポジションね。副会長はエバン・フィルド侯爵令息よ。となると第一王子殿下は外部顧問あたりかしら。
ビビアンさんはたまたま第二王子よりも小柄で、人当たりのよい性格で、見た目がとっても可愛らしかったせいで巻き込まれたのよね。
で、トヴァイアス様の話だけど、あまりに無能……いえ、王族としてはいろいろと足りていないため、そこをカバーするために私が婚約者に選ばれた。
正直お断りしたかったけど、婚約の話が出たのは私が十二歳の時。好きな男の子もいなかったし、まぁ、いっか……と思ってしまったのよね。
婚約してから六年間、いろいろと頑張ってきたの、本当にいろいろと。
トヴァイアス様って致命的に人の話を聞かないから、当然のように書類も読めないのよね。領地内で洪水が起きたから、洪水で壊れてしまった橋を作ってほしいと書いてあるのに、「洪水、領民が困っている、よし、食糧支援だな!」と、斜めに暴走しちゃって、間違いを指摘すると「そんなはずはない、食料も不足しているはずだ」って認めないのよ、あのボンクラは。
そうなると、やらかす前に阻止するしかなくて、関係者一同が心をひとつにしてなんとか大事にならないよう、物事が穏便に済むようにと協力してきた。
今回のことも当然、事前に察知していたし、リカナー男爵家からも「ビビアンをトヴァイアス様から逃がしたい」と相談をされていた。
いかにトヴァイアス様に行動力があっても学園を卒業してしまえば毎日のようにビビアンさんを追いかけ回せない。トヴァイアス様を二、三日、王城に足止めして、その間にビビアンさんをマクブライン公爵領に隠す予定だった。
一年間くらい引き離せばさすがに諦めるか忘れるか……、トヴァイアス様は堪え性がないし飽きっぽいから、そういった女性を雇って誘惑する方法も考えていた。
私は知らなかったけど、公爵家の工作員が「可愛いは作れます」って言ってたの。トヴァイアス様好みの小柄で可愛らしい子と偶然の出会いをしたら、すぐに恋に落ちるって……そんな簡単にいくかしら?って思ったけど、トヴァイアス様のシンプルベストな性格を考えたらハニートラップも大成功が確約されたようなものよね。
そう……、今夜、トヴァイアス様が暴走しなければ二、三年かけて全員に損がないよう丸く治める予定だった。
私はため息をつきたいのを我慢してビビアンさんに声をかけた。
「ビビアンさん、残念ながらトヴァイアス様は人の話をまったく聞かないタイプなの。その証拠に……」
「ブレナッ、おまえがビビアンを脅しているのだろう!」
「ほら、やっぱり聞いてない」
ビビアンさんが「ウヘァ……」と嫌そうな顔をする。
「私達もトヴァイアス様をなんとか立派な王子にしようとあの手この手で頑張ってきたのですが、それをいつも斜め方向で上回ってしまうのよねぇ」
王城の第二王子の執務室にいる文官達の声なんて最初から聞く気がないし、婚約者である私の話も「うるさい小言」くらいにしか思っていない。
アーヴァイン第一王子殿下の話でさえ「オレに脅威を感じて排除しようとしている」と思っていたし、不幸にも同じ年齢で幼馴染のように育ってしまったエバン・フィルド侯爵令息のことも何故か「オレの側近で味方」だと思い込んでいた。違うのに。
同年代で他に高位貴族の男子がいなかったため、仕方なく付き合っていただけで、学園卒業後、エバン様はフィルド侯爵家を継ぐための準備に入る。王城で働く予定はないし、トヴァイアス様に呼び出されないよう自領地に向かうと話していた。
婚約者である私も王家に婚約解消を願い出ている真っ最中で、学園卒業後は公爵領に戻る予定だった。
王都に残ると新しい話題を提供してしまうけど、いなければ噂しようがないものね。
エバン様も私もトヴァイアス様を慕って協力していたわけではない。運悪く側にいて、巻き込まれてしまったため高位貴族の責任としてフォローしてきただけ。
ビビアンさんのことも何度となく「迷惑だからやめなさい」と説得を繰り返してきた。第一王子殿下にもご助力いただいて、婚約の解消はするから卒業式を待て、学園を卒業した後に話を進めるからと説明していたのにトヴァイアス様は話の一割も理解していなかった。
「何をごちゃごちゃ言っている。とにかくブレナとは婚約破棄だ!」
あぁ、また大声で宣言してしまった。
ここは貴族学園の卒業パーティー会場で、卒業生だけでなく在校生や卒業生の家族も来ている。目撃者が数百人もいれば、箝口令を敷いても絶対に話がもれてしまう。
私の両親もこの場にいるが、現時点では静観していた。ただ、目がとても怖い。特にお母様は害虫でも見るような目でトヴァイアス様を見ている。
しかし、この会場にいる最も身分の高い者がトヴァイアス様であるため、学園長や教師達も発言を控えていた。何故なら卒業パーティーの前に卒業式典をしているため、トヴァイアス様は学生ではなく王族なのだ。なんという不幸。
王族と言うだけで誰も何も言えない。
いえ、ビビアンさんが勇気をもってはっきり言ったわ。でも、トヴァイアス様にはまったく届いてなかった。これ、どうすればいいの?
そう思っていたら、見知らぬ男子生徒が「いい加減にしてください」とトヴァイアス様に向かって叫んだ。
「リカナー男爵令嬢のことを好きなのは、殿下だけではありません。子爵家、男爵家の男子が密かに想いを寄せていたのに……、殿下がいるため友達にすれなれませんでしたっ」
…………あ、うん。すっごく真剣な顔で、なんならちょっと涙目になっているけど、それってこの場で訴える内容なのかな?
なんて思っていたけど、その生徒の勢いに押されて別の生徒達も口々に言い始めた。
「身分差の恋を貫くなら、自分が王族から抜けるべきでしょう」
「そもそも相手に嫌がられてるし」
「ビビアンさんの他にも可愛い子には声をかけていましたよね」
「マクブライン公爵令嬢が生徒会の仕事もほとんどやってたの、みんな気づいてますから」
「フィルド侯爵令息だって、死にそうな顔で働き通しじゃないですか」
「あと、さして強くもないのに剣の試合をふっかけてくるの、やめてください。手加減していると悟られないように、ギリギリのラインで勝たせるのは大変なんで」
「そういえば、朝、教科書を貸せって持っていかれたこともあった」
「オレはランチの時に肉を取られた」
「大体、やることが子どもなんだよ。忘れ物が多いとか、好物を狙って盗み食いするとか」
「自分で自分のことをかっこいいって思っているところも嫌だわ。顔はいいけど、口は臭いのに」
本来だったら王族に向かって暴言など……たとえ真実でも本心でも言わない。しかし、見知らぬ男子生徒のあまりにも低レベルな発言をきっかけに、「それなら自分も」とあちこちから声が飛んできてしまった。
トヴァイアス様は顔を真っ赤にしてブルブルと震えている。
そして……、ギロリと私を睨んだ。
「これもブレナの策略だなっ!」
えぇ……、自分にとって都合の悪いことは全部私のせいにするの、やめてほしいわ。確かにあれこれ準備はしてきたけれど。なんなら生徒達に混ざって公爵家の工作員も叫んでいたと思うけど、私のせいでは……ないわよね?
そう思う私の前にエバン様がかばうように立った。
「この際だから私も言わせてもらいますが、貴方にブレナ嬢はもったいない。自身の無能を棚上げして他人のせいにするのはやめてください」
「なっ……んだとっ?エバンはオレの側近だろう。誰の味方だっ!?」
「私はトヴァイアス様の側近ではありませんと何度も申し上げているでしょう。いい加減、認めてください。トヴァイアス様に側近と呼べるような従者は一人もいません」
王族に媚びへつらうような者も近づいてこない。昔はいたけど、トヴァイアス様が人の話をあまりに聞かないため皆、去って行った。
自領地を優遇させようとしても、「不正はできない」と突っぱね、まぁ、そこは王族として及第点だけど、その後、領地が困っているなら……と、実現不可能としか思えない夢のような妄想バラ色アドバイスをした挙句、不用品を有料で押し付けていた。
ハニートラップも相手が好みのタイプだったりするとナチュラルに自分の部屋に監禁しようとするからビックリしたわ。慌てて止めたら「嫉妬してるのか」って、誰がするものですか、いくらハニートラップ要員でも王子の部屋に監禁したらまずいのよ。監禁するならハニートラップであることを証明してから地下牢にしてほしいわ。
ハニートラップを仕掛けようとした方もどん引きしつつ、速攻で逃げたわ。ちなみに好みのタイプではないと返事もしない塩対応。ストライクゾーンが狭く好みにうるさい上に、うまく取り入った後の交渉成功率がほぼゼロパーセント。
王族にくっついて得られるうま味より、トヴァイアス様から受ける被害のほうが大きすぎて皆、諦めて去って行った。
この規格外の凄さ、どうしていい感じに使えないのかしら。少しだけ変わることができれば、誰もが認める素敵な第二王子になれたかもしれないのに残念だわ。
自分自身を冷静に見つめて反省して改善する力があれば……。
ないから、案の定、オレ、悪くないとばかりに私を睨みつけた。トヴァイアス様の中ではやっぱり私が悪いってことになっているのね。
「ブレナ、エバンを誘惑したなっ!?」
してはいないと思うけど……、共通の敵、イコールトヴァイアス様がいたから自然と仲良くなってしまったのよ。一緒に仕事をする機会も多くて、エバン様と結婚をしたらこんな感じで協力し合えるのねって考えてしまったの。エバン様も私と結婚したいからと、誰とも婚約せずにフィルド侯爵夫妻を説得してくださった。
学園を卒業後、トヴァイアス様との婚約を解消して、二、三年の冷却期間を置いてから結婚の話を進める予定だった。
すでに家同士でも話し合っていて、すぐに動けるように準備だけはしていた。
トヴァイアス様ってば私のことをカケラも好きじゃないけど、エバン様のことは大好きだから、私と婚約すると知ったら怒り狂うと思っていたのよ、正解~。
王族なら感情を隠す努力をしなさいよ。
「お前はそうやってオレから恋人や側近を奪っていくんだなっ!」
トヴァイアス様の芝居がかった悲痛な叫びにビビアンさんとエバン様が小声でツッコむ。
「いや、恋人じゃないし」
「人の話を聞けよ、ボンクラ王子」
これ、どう収拾をつければいいのかしら……とチラッとお父様達を見ると静かに首を横に振った。
何もしなくていいってこと?この状況で?
戸惑っていると一人の見知らぬ女生徒が突然、飛び出してきた。
小柄で華奢、ピンク色の可愛らしいドレスを着ている令嬢だ。ストロベリーブロンドの髪をツインテールにして、ちょっと子どもぽい。大きなタレ目と小さなぷっくりとした唇でビビアンさんよりもあざと可愛かった。
彼女は泣きそうな声で叫んだ。
「みなさん、ひどいですっ。よってたかってトヴァイアス様をいじめるなんてっ」
この場にいる大半が首を傾げたと思うが、トヴァイアス様だけは都合よくその言葉をストレートに受け止めた。
「君は……、オレをかばってくれるのか?」
「だって、トヴァイアス様は悪くないですよね?」
「あぁ、オレはいつだって正直にまっすぐ生きてきた」
だから王族としてはそれが駄目なんだってば。という言葉は飲み込んだ。
だって、彼女……、あざと可愛い彼女は作られていた。
可愛いは作れる。確かに外見だけは完璧に作られていたが、あまりにも唐突に、しかも見覚えのない少女だったため全員が動きを止めていた。ある者はポカンと、別の者は首を傾げ、そして私は父がニヤリと笑っているのを見た。
公爵家の工作員ですね、誰があの格好をしているのだろうか。ビビアンさんよりも小柄な女性なんていたかしら。そういえば新人の中に可愛らしい少年がいたような……。
まさか、あの子、少年なの?女の子にしか見えないし、声も可愛い。
その可愛らしい声で「トヴァイアス様、素敵、かっこいい」なんて言われて、すっかり浮かれたトヴァイアス様はヘラヘラと笑いながら彼女とともに会場を出ていった。
それにもほぼ全員がポカーンとしていた。ビビアンさんのことはもういいのかしら。会場の中心で婚約破棄を叫んだだけで、何一つ答えは出ていないし解決もしていない。
でも……、収まったと思っていいのよね。
騒ぎの元凶がいなくなったことで学園長や教師達が動き始めた。
何事もなかったかのように卒業パーティーが再開される。
トヴァイアス様はそのまま会場に戻ってこなかった。会場どころか、その日を境にこの国の表舞台から消えてしまった。
トヴァイアス様との婚約はトヴァイアス様有責で解消された。ただ慰謝料は王族としては少なめで、その代わり、エバン様と私の婚約を王家が後押ししてくれることになった。
王族と婚約解消なんてしたら、私に非がなくとも最低でも一年間は謹慎生活となる。その覚悟はしていたが、エバン様と私には今後も国内で活躍してほしいからと早めの婚約をすすめられた。こちらもお金がほしいわけではないため了承した。
事件から三カ月が過ぎ、やっと私の周辺も落ち着いてきた。
今日はエバン様を公爵家にご招待し、お互いに知っていることを話して情報の整理中。
「結局、王家はトヴァイアス様を切り捨てることにしたようだ」
エバン様はトヴァイアス様の処遇に関して調査協力をしていて、自身の力不足もあったと肩を落としていた。
「トヴァイアス様は無駄にポジティブで思い込みが激しいからな。トヴァイアス様の相手をするのが面倒で文官や騎士達が『はいはい、すごいすごい』と適当にあしらった言葉を鵜呑みにしていた。乳母やメイド達も褒めていると機嫌がいいため『殿下は悪くない、頑張っている』と調子よくおだてていたことがわかった」
処罰されるような内容ではなく、どれもこれもその場しのぎの軽い言葉だった。それは私達も同じで、国王陛下達王族もまた面倒だからとトヴァイアス様の言葉を聞き流すことが多かった。
結果、トヴァイアス様は他人に相談することなく自分の思考だけで完結するようになってしまった。
かといって幼少期に厳しく教育できたかというと、それも難しかったと思う。厳しく指導すれば虐待だ、やりすぎだと非難の声で出る。
トヴァイアス様の場合、物理で強い者が鉄拳指導したほうが体と本能で覚えた気がするけど……と思ったら、今後はそういったこともあり得るそうだ。
それにしても何故トヴァイアス様だけこんな性格に……と思ったら、王族の中には代々、似たような性格の人がいたとのこと。超絶ナルシストやネガティブ思考の者もいたそうで、その時々で騒ぎにならないよう対処していた。
トヴァイアス様も王都から離れた場所にある離宮に移され、そのままいないものとして扱われることになるだろう。
「国王陛下が再教育すると言ってたから、王都に帰ってくることもあるかもしれない」
「それは……、そうですね。根が極悪人というわけでもないので、なんとか頑張ってくれたらと思います」
「出立前にトヴァイアス様に会わなくても大丈夫?」
エバン様に心配そうに聞かれた。
「卒業パーティーでブレナ嬢だけトヴァイアス様に何も言わなかっただろう?このまま一生、会わないかもしれないけど言っておきたいことはないの?」
言いたいこと……。考えてみたけれど何も浮かばなかった。日常的な小言は言ってたが、それは執務のためだったり、ビビアンさん達の迷惑になったりするからで、個人的に伝えたいことなど何もない。
好きで婚約者になったわけではなく、好きになるようなきっかけもなかった。
「何も浮かびませんわ。エバン様は何かございますの?」
「あぁ、最後にブレナ嬢と結婚することを伝えたよ。裏切りだと怒り狂っていたけど、離宮に移されればそんな元気もすぐになくなるだろう」
離宮では引退した騎士が住み込みでトヴァイアス様の監視をするそうだ。もちろん監視だけでなく、鉄拳付きで再教育もされるとのこと。
皆で甘やしかしてしまった結果で気の毒な面もあるが、皆、甘やかすだけでなく苦言も呈していた。聞かなかったのはトヴァイアス様だ。
「ブレナ嬢に未練がありそうだったが、ビビアン嬢を連れて来いとか、卒業パーティーで会った少女はどこだとか、とにかく大騒ぎしていたよ。あのピンク色のドレスの令嬢の行方は誰も知らないようだ」
それはそうだろう。普段は我が家で庭師見習いとして働いている少年だ。予想していた通りトヴァイアス様にヤジを飛ばしていた生徒達の中にも父が手配した我が家の工作員が混ざっていた。
トヴァイアス様が馬鹿な真似をしなければ父も何もしなかった。
でも……、誰がどう話してもトヴァイアス様は自分の思うがままに行動していただろう。
昔からそうだった。誰の話も聞かず、自分の思うがままに動く。
彼は呆れるほど自由な人だ。
エバン様と会った翌日、トヴァイアス様が離宮へと旅立った。馬車で一カ月かかる距離とのことで、世間知らずのトヴァイアス様が一人で王都まで戻ることは難しいだろう。
これで本当に縁が切れたのだとやっと安堵することができた。
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トヴァイアス第二王子殿下は幼い頃から少し変わっていた。型にはまらないというか、そもそも型というものがない。では枠におさまらないほど大きな人物かと言えば、むしろ逆。器の小さな人だった。
自分が一番でなければ気が済まないし、些細なことでも負ければ癇癪を起す。何かを指示されることも嫌った。勉強をしろと言われると逃げるのに、食事の時間に急に本を読みだしたりする。
観察しているうちに気がついた。
究極のかまってちゃん。自分が中心にいて、注目されていないと許せないのだ。
たまたま第二王子と同じ年の男子だからと遊び相手に選ばれてしまい、内心、すごく嫌だった。私はフィルド侯爵家の嫡男だから王子の側近として働く気はない。
親だけでなく王家にも確認をして側近にならないと了承してもらった上で遊び相手となった。面倒だから基本、逆らうことはしない。王子の教育は同じ年の遊び相手の仕事ではなく、教師がすべきことだ。
そう思って適当に流していたのだが、王子の婚約者が決まってからはそうも言ってられなくなった。
ブレナ・マクブライン公爵令嬢は非常に美しい少女だった。そして性格も良かった。真面目にトヴァイアス様と向き合い、駄目なことは駄目だと伝えていた。こんなに可愛くてきれいなのに、誠実で努力家でもある。
素晴らしい婚約者ができたのに、トヴァイアス様はブレナ嬢のことを少しも大切にしなかった。
王子だから婚約解消されないと思っていたのだろう。
だから私が奪うことにした。
ブレナ嬢に迷惑をかけるな、彼女は素晴らしい人だ、貴方にはもったいないほど優秀な女性だと褒めるとトヴァイアス様はブレナ嬢を遠さげるようになった。私としては本心を告げているだけなので、誰かの耳に入っても問題ない。
私がブレナ嬢と親密になるのもまた簡単だった。トヴァイアス様が自身の執務を放り出して逃げてしまうため、そのフォローを二人でしていたのだ。学園でも王族は生徒会役員として貢献しなければいけないのに、トヴァイアス様には協力する気がまったくない。そのためブレナ嬢と二人で雑務を引き受けた。
ブレナ嬢と何度も会い、仕事の相談をして、課題をクリアしているうちにますます好きになった。
しかし好きだと思う気持ちだけで貴族は結婚できない。ブレナ嬢が王子の婚約者であることも問題だ。王族だって簡単にブレナ嬢を手放さないだろう。
だからトヴァイアス様がいかに無能でわがままか、ブレナ嬢につらく当たっているか証拠を集め、まず自身の親を説得した。そして親経由でマクブライン公爵に話をもっていった。
侯爵家と家格は落ちるが、王家に嫁いだからといって幸せが確約されているわけではない。
むしろ不幸になる未来しか見えない。
私ならばブレナ嬢に誠実に向き合い、悲しませるようなことはしない。何度か公爵とお会いして、ついに公爵も「娘のためになるのなら」と承諾してくれた。
次にマクブライン公爵家、フィルド侯爵家から第一王子殿下に話をもっていき、トヴァイアス様をなんとかしないと第一王子殿下が国王になっても安心できないだろうと説得をした。
トヴァイアス様は無駄にポジティブで行動力がある。絶対に思い込みでとんでもないことをやらかすはず。
第一王子殿下にも心当たりがあるようで、国王陛下と王妃殿下に伝えてくれた。次に何か大きなことをやらかしたら速やかに婚約解消させることになった。
ちなみにビビアン嬢をトヴァイアス様が追いかけ回していたのは仕込みではなく、本当に後先考えず付け回しているだけだった。
トヴァイアス様が改心してくれたら……と願っていた時もあったが、ブレナ嬢をトヴァイアス様から奪いたいと思った時から気遣いをやめた。
奪われたくなければ大切にすれば良かったのだ。婚約者として尊重し、話を聞き、彼女の頑張りを褒めてあげれば……、すこし照れたように「エバン様もとても頑張っているでしょう」と笑ってくれるのに。
私達はこれからもそういった積み重ねをして愛を育んでいく。
トヴァイアス様は見事に失脚し、しばらく王都から離れることになった。見送りに来たのは私だけだった。トヴァイアス様の側近ではないが、一番近くにいたのは私だ。
私がもっとうまくやっていれば……、そしてブレナ嬢のことを好きにならなければトヴァイアス様もこんなことにならなかったかもしれない。
そう思う反面、トヴァイアス様の性格では遅かれ早かれこうなっていただろうとも思う。
王族が乗るとは思えないほど簡素な黒塗りの馬車を見て、トヴァイアス様は茫然としていた。馬車を見て、同行する騎士を見て、それから私がいることに気がついた。
パァと笑う。
「エバン、一緒に行ってくれるのか!」
私は何も答えず、ただ静かに首を横に振った。
しかしトヴァイアス様は最後まで自分に都合よく受け止めていて、そうか、そうかと何度も頷いていた。ブレナ嬢と私が結婚すると伝えたはずなのに忘れているようだ。
「後からブレナも来るんだな」
嬉しそうに言ってからトヴァイアス様が馬車に乗り込んだ。
私がトヴァイアス様に会うことは二度とないだろう。走り去る馬車に深々と頭を下げて見送った。
トヴァイアス様に伝えたいことは何もない。
行っても伝わらないのだから、諦めるしかない。
これからはブレナ嬢と二人、前を向いて生きていこう。彼女に会ったら改めてプロポーズしよう。今まで仕事ばかりしてきたから、デートもしたい。それから……。
何故か滲んできた涙を振り払い、私は未来に向けて歩き出した。
閲覧ありがとうございました。




