第六十四話 黒の残響〈ヴォイド・レゾナンス〉
朝日が昇るころ、アーク・ネクサスの街は静まり返っていた。
昨夜の激戦の名残――焦げた地面、砕けた結界装置、風に揺れる焦土の匂い。
その全てが、彼らが確かに「神なき世界の最初の試練」を乗り越えた証だった。
だが、勝利の余韻など、誰の胸にもなかった。
――カムイが、消えた。
蓮は中央塔の上で、裂けた空の痕跡を見つめていた。
あの時、彼を引きずり込んだ“黒い腕”の正体が分からない。
だが、確かに感じた。あれは、単なる闇ではなかった。
――意思があった。
「……“虚神”の残滓、とは違うな」
蓮が呟く。
背後から、イリスが静かに歩み寄る。
「解析の結果が出たわ。あのエネルギー反応は、“神代の記録層”のさらに下――“忘却層”から発せられていた」
「忘却層?」
「ええ。神々でさえ触れられなかった、“存在が記録されない領域”。そこには、創造の副産物――“廃棄された因果”が眠っている」
ミストが転送端末を操作しながら補足する。
「言うなれば、“世界が見なかったことにした過去”。
でも、その忘れられた情報が、何らかの形で“自己定義”を持った……」
ノアが短く言葉を継いだ。
「つまり――それが“黒の残響〈ヴォイド・レゾナンス〉”だと?」
沈黙が落ちた。
ネフェリスが両手を胸に当てる。
「……カムイを連れ去ったのは、その“忘れられた意志”」
蓮は目を細めた。
「俺たちが創造した世界の裏で、確かに何かが“拒まれた”。神の座が壊れた時、消えたものは――“失敗した創造”。」
イリスが頷く。
「その通り。創造の理は、常に“選定”を伴う。形にならなかった世界、定着しなかった命……それらが、黒の残響として集まり、独自の存在圏を形成したの」
「そして、その中心に……カムイが取り込まれた」
「ええ。彼の心が“拒絶”を選んでいたからこそ、引き込まれたのかもしれない」
蓮はゆっくりと立ち上がり、拳を握る。
「……なら行くしかない」
リーナが驚いたように振り向く。
「行くって……“忘却層”に!? あそこは、時空構造が破壊されてるんだよ!?」
「それでもだ。放っておけば、あの闇は再び地上に干渉する。しかも、カムイを“器”にして現実層に戻ってくる可能性が高い」
シャムが頷く。
「それなら早いほうがいいな。だが、転移手段はあるのか?」
ミストが静かに笑った。
「そこはご安心を。ちょうど“試作段階”のものがあるのよ」
彼女が取り出したのは、透明な球体に無数の光が浮かぶ装置――《時空穿孔機構〈クロノ・リゾルバー〉》。
「これを使えば、“忘却層”への座標を強制生成できる。ただし――」
「ただし?」
「帰ってこられる保証はない」
しばしの沈黙。
蓮は苦笑して、空を見上げた。
「いつものことだろ?」
リーナが呆れたように息を吐く。
「……ホント、あんたって人は」
ネフェリスが歌うように微笑む。
「でも、そんな“無茶”が、あなたたちらしいわ」
マリルが明るく手を叩く。
「なら決まり! あたしたちは、カムイさんを連れ戻す!」
蓮は頷いた。
「――《忘却層潜行作戦》、開始だ」
◆ ◆ ◆
《クロノ・リゾルバー》が起動する。
時空の膜が歪み、空間が螺旋状にねじれる。
視界が反転し、世界が“裏返る”。
そこは、色のない世界だった。
空は黒く、地は灰色。
全てが“未定義”のまま漂い、形を持たない存在たちが流れていく。
「ここが……“忘却層”か」
リーナの声が震える。
「世界の残響……っていうより、まるで夢の墓場ね」
足元に、かつての文明の断片が散らばっていた。
折れた塔、崩れた街路、記録の欠片――どれも、創造の過程で捨てられた「可能性」だった。
ネフェリスが指先で宙をなぞると、透明な光が広がる。
「聞こえる……“声”が」
耳を澄ますと、確かに微かな囁きがあった。
それは悲鳴でも、怒りでもなく――祈りだった。
『忘れないで……わたしたちも、確かにここにいた……』
ミストが分析を始める。
「情報の波……これは、生前の意志が残留してる。消えた命たちの“記憶”そのものよ」
蓮の胸が痛む。
「これが……創造の裏側か」
そのとき、光の中に“影”が浮かんだ。
黒い霧に包まれた巨大な輪――まるで眼のように彼らを見下ろしている。
「反応急上昇! 全員警戒!」
霧の中から、無数の腕が伸びる。
それは、かつてカムイを引きずり込んだものと同じ。
「来るぞッ!」
シャムが構え、リーナが結界を展開する。
だが、次の瞬間。
霧の奥から、懐かしい声が響いた。
「……蓮……来たのか」
蓮の心臓が跳ねた。
「カムイ!」
霧が割れ、そこに立っていたのは――確かにカムイだった。
だが、その体の半分は黒い結晶に覆われ、瞳の奥には微かに異質な光が宿っていた。
「やはり来たか……だが、遅かったな」
彼の背後に、闇がうねる。
その中から声が響く。
『彼ハ我ラノ代弁者。拒絶セシ世界ノ声。創造ノ裏ニ葬ラレシ、真ノ神意』
イリスが息を呑んだ。
「“忘却の神格”……! そんなものが、まだ残っていたなんて……!」
カムイは微笑んだ。
「蓮。お前たちが創った世界の裏には、もう一つの“現実”がある。お前たちが“創る”たび、誰かが“消える”。その連鎖が……俺を選んだんだ」
「そんなの……!」
蓮が叫ぶ。
「お前がそんな存在に囚われる必要はない! 戻ってこい、カムイ!」
カムイの瞳が一瞬だけ揺れた。
だが次の瞬間、闇が彼を包み込む。
『創造ハ、終焉ヲ孕ム。汝ラノ“希望”モ、我ラノ糧トナル――』
黒い世界が揺れ、光が消える。
そして――
蓮たちは、創造と忘却の狭間へと引きずり込まれた。
お読みいただき、ありがとうございます!
よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです!




