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2章・3章

2、朝焼け



ふわりと意識が浮上する。暖かい布団と、柔らかいベッド。今でも慣れない、普通の環境。

あの後騒ぎを聞き付けた近隣住民の通報で警察がやってきた。僕と小さな子供は、警察に保護された。

けれど、包丁の指紋と返り血が、僕が父を殺した証拠になった。

正当防衛。僕の殺しは、罪にはならなかった。それでも周りは僕を人殺しと指を差す。

血の繋がった母は現れなかった。僕はそのまま、孤児院に引き取られることになった。あの小さな子供と一緒に。

この子供は、どうやら僕と同い年らしい。

引き取られた孤児院は、こじんまりとしていたがごく普通の生活を送れるような、僕からしたらまるで小説に出てくる、幸せな家庭のような暖かさがあった。

僕が無罪とはいえ人を殺したこと、それからあの子供のことを考慮し、暫くは僕とあの子供2人で同室だそうだ。他の子とはまだ会わなくていいらしい。

一緒に過ごすにあたって名前を知らないのは不便だと、そう言ったあの子は元気に自己紹介をした。とはいえ、言われたのは名前だけだが。


「俺は永久!永久っていうの!よろしく!」


そう元気いっぱいに伝えたきたので思わず

「……刹那、よろしく」なんて自分でもびっくりするほど素直に返してしまった。


この子……永久は別に幸せな家庭で暮らしていた訳じゃないそうだ。

これは後から職員の先生に聞いた話だ。

永久は自覚していない、というか、それをおかしいと思うことすら知らなかった。

永久の両親、つまり僕の父に殴り殺されたあの大人たちは彼に虐待をしていたらしい。

虐待といえど暴力的なものでは無い。一般的な家庭、を装っていた、だけ。

永久は無戸籍児らしい。生まれながらに生まれたことを歓迎されなかった子供。だから戸籍を登録しなかったのだろうと言っていた。

あの両親の真意はわからない。死んでるし。


「……永久くんのところのご両親、永久くんのこと、殺す気だったのかもね」


「…あのアパートは少し前から気にかけていたんですが……、もう少し早く踏み切っていればよかったですかね…」


「……そんなの、誰にも分からないわ」


暇で施設内をぶらぶらと散策している時に、そう聞いた。

幸せな家庭を壊したと思っていた。だってそうだろう。結局永久は自分の家かおかしかったことに気づいていないのだから。

だから少し、少しだけ救われた気がした。それでいて、永久の家が普通じゃないことに安心している自分が心底醜く感じた。


「刹那?どうしたの?」


なんて、あまりに純粋に見つめてくるから、自分の汚さを再認識してしまう。


「……なんでもない」


素っ気ない返事しかできないのは、人と会話するという行為を今までしてこなかったからか。それとも使わなくなっていた喉を急に酷使しているせいか。僕には分からない。分かりたくもない。




数週間が経った頃だった。元から施設にいた子達とも何度か一緒に遊んだ頃。僕はある職員に呼び出されていた。

呼び出されるようなことなんてしてない、と思う。……今でも、大人と一対一の状況は怖い。呼ばれた部屋の前につく。ノックをするために握った手が強ばっているのがわかる。軽いノックをして返事を待つ。視界が少し霞む。


「…なん、ですか?」


「……実はね、刹那くん。貴方を引き取るとおっしゃっている方がいるの、…貴方の、叔母さんなんだけどね___」


いまいち、何を言っているかが聞き取れなかった。僕を、引き取る?なんで、誰が。

恐ろしくて堪らなかった。その先の生活が、どうなってしまうのか。僕をヒーローと慕う、僕と同じ、あの子、永久はどうなるのか。ひとり?僕も、永久も?

段々と呼吸が早くなっていく感覚がある。それでも、その感覚をどうこうする方法なんて知らないし。そんなの。


「……刹那くん!!落ち着いて、ゆっくり、ね…?」


「……?は、っは、…はー、っは、ふ、……?」


なんで。どうして。疑問でいっぱいだった。碌な大人なんていやしない。僕のことを引き取りたいだなんて、そんな、嘘。


暫くして落ち着いた僕に、先生は戻っていいよと声をかけて、そのまま僕を部屋へ送り出した。



あれから、僕が引き取られる話はされていない。きっと断ったのだろう。それで良い。きっと僕には、家族なんて向いてない。



3、日向


あれっきり僕に引き取る、なんて話は来なかった。元より殺人鬼だ。きっと誰も僕なんて求めていない。その方が、楽でいい。

今まで引き取られなかったのは永久も同じだった。なんで永久が引き取られなかったのか、僕にはよく分からないけれど。それで良かったと思う自分がいる。

存外僕は永久のことが好きらしい。


「刹那ー、これ、参考書」


「あ、ありがと永久」


そうしているうちに僕らは気付けば高校受験を控えていた。

事情が事情なので小学校は碌に通ってなかったけれど先生が融通を効かせてくれて中学からは入ることが出来た。その過程で変わったことがある。

1つは、僕の性格。根本は変わってない。これは前提。ただ、少し、永久に似た。それだけ。

もう1つは、永久。元々の永久は無知な子供だった。今の永久は、言えば無知な大人。無知なまま大人びた、子供。

無垢で輝かしかった笑顔は、もう無くなってしまった。きっと彼の心の中でなにか大きな変化があったのだろう。僕のように。

あと1つあるとすれば、僕よりも遥かに小さかった永久がいつの間にか僕の身長を越していたことだろうか。


「なにぼーっとしてんの。刹那大丈夫?受験」


「んー、現実逃避……永久も、態々僕に合わせなくていいのに、もっと上いけるじゃん」


「俺はいーの、ほら、教えてやるから」


僕とは元からの頭の良さが違うのだろうか。僕が馬鹿なのか、永久が天才なのかは分からないけど、僕と永久では学力に大きな差があった。それでも僕と永久が同じ学校に行けるよう、必死で僕に勉強を教えてくれる人がいる。

だから僕は、期待に応えるためにも頑張らなくちゃいけないのに。高校生になった後のことで頭がいっぱいで勉強に微塵も手が付かないでいる。

高校生…言ってしまえば大人になるための最終段階。ここを超えてしまえば僕らはこの孤児院を出なくちゃならない。

6年間過ごした2人部屋の、日の当たりすぎて色褪せてしまった壁も。馴染めなかった僕らの手を引っ張って連れていってくれた、今はもう居ない1つ上の兄のような存在がいた証も。周りより少し体が弱かったせいで利用する機会が多かった医務室も。全て、なくなる。

それが少し、怖い。


「ほら刹那!やるぞ、勉強」


「……はーい」


僕には怖いものがありすぎて、もうどうしたらいいか分からなかった。受験勉強にも気が入らなくて、弱く握りしめたシャープペンシルの芯が折れた。バラバラになってしまったそれが、まるで僕らの未来のようで胸の内側がチクリとした。

いつもは眩しいほど日光を取り入れる窓を叩く雨粒の音に、少し頭が痛んだ。






そんな僕らに転機が訪れた。僕らというか、僕というか。


「……僕を、引き取る……」


「……あなたが来たばかりの頃に、1度話したでしょう?あなたの叔母さんがね、やっぱりあなたと暮らしたいと仰っていて」


「………永久は、どうなるんですか」


「永久くんは高校卒業まできっとここにいるわ」


「ずっと……」


少し、迷った。きっと今なら、大人との一対一の関係も大丈夫だろうと思った。だから少し、迷った。

永久と離れるのは嫌だった。隣に永久が居ない生活が想像できなかった。でも、永久の隣にいない僕は、容易く想像できた。彼の隣に僕じゃない誰かがいることも、簡単に。

永久が僕をヒーローと慕ってくれているのは知っている。初めて会った時に見た、宝石を詰めたような、穢れを知らない瞳を今でも覚えてる。それでいて、それっきり僕のことをヒーローと呼ばなくなったことも。

僕は、きっと永久のヒーローにはなれない。永久は僕よりもずっと優れていて、僕が助けることよりも助けられることの方が多い。僕が彼にしてやれることなんて、この先ひとつも無い。

だからこそ僕が消えてしまえば、永久を縛る枷を外せる様な気がしてしまうのだ。それを永久が望まないことも、全てわかっているのに。


結局返答が出せなくて、1度叔母さんと面会すると約束し部屋を後にした。

モヤモヤとした気持ちが胸の奥に燻って気分が悪かったけれど、それを吐き出す術も、場所も、何もかも知らない。

呆然としたまま自室に戻って、ベッドに寝転んだままぼんやり天井を眺めていた。天井といえど2段ベッドなので上の階の床が見えるだけだが。


「____那、刹那、どうした?」


「ぁ…ううん、なんでもない」


「……言いたくないなら聞かないけど、早く寝なよ。また風邪ひく」


「うるさいなぁ…分かってるよ、ありがと」


結局、胸の奥の気持ち悪さが消えなくて。いつもより一時間遅く眠りについた。



「刹那?……寝てないね、お前。すぐ体壊すんだからちゃんと寝ろって」


「……寝た、けど…、分かった分かった、ちゃんと寝るってば、今日は」


「いつもな」


「はいはい」


僕より5cm高い身長と、荒っぽくなった口調。いつの間にか僕は見下ろされ、永久はよく僕に世話を焼くようになった。まるで母の様だと思った。実際の母親は、もう声も顔も思い出せないほど朧気なものだけれど。


朝食をとっていても、課題を解いていても。叔母との面会のことや引き取りについてがずっとチラついて、手につかなくてまた永久に怒られた。

永久に相談はできない。したくない。けれど、1人で抱えることに限界があることを知っている。無意識に噛んでいた爪のボロボロ具合に、自分がもう大分疲弊してると理解した。理解しただけで、どうしようもなかった。

永久には、きっとバレていたと思う。それでも何も言わないのが永久なりの優しさだと、僕は知っている。


昼食をとったあとのことだった。馴染みの先生に「ちょっといい?」と手招きされて、永久に先行っといてと伝え先生について行った。

先生について行って、人気の無い廊下にたどりついた。


「……あのね、面会の事なんだけど」


「はい、」


「明後日、こちらに来て下さることになったわ」


「…明後日、ですか」


「受験勉強で大変なのはわかっているの。少しでいいから」


「それは、大丈夫です。わかりました」


「……ごめんね」


なにがごめんねなのか、僕に理解できなかった。先生と別れて人気のない廊下を進む。そうすればいつも通りに戻るはず……だった。


「刹那」


「!?とわ、かぁ…もー、ビックリさせないでよ」


「刹那」


「……何」


珍しく、怖い顔をしていた。廊下を出た先に永久がいて、驚いて声を上げたけれど被せるように名を呼ばれ、少し警戒してしまう。

永久が酷いことしないなんて、わかりきって居るのに。

無意識に体が強ばる。弱いな、こんなんでヒーローとか、反吐が出る。


「…なあ刹那、何?面会って、」


「……進路面談だよ、永久もしたでしょ?」


「…その時は刹那もいたでしょ、お前だけとか、そんなわけないんだからわかりやすい嘘つくなよ」


「……嘘じゃないよ」


「じゃあなんで、俺を目を見ないの」


「っ…!」


覗き込まれて始めて、自分が永久の事を見ていなかったと気付く。目敏い永久のことだから、それぐらいでもすぐ嘘だって分かったんだろう。これ以上嘘をついたところで、なんの意味も成さないと、分かってしまう。


「……刹那、ホントのこと言って」


「…引き取られることに、なるかもなんだ、僕。だからその、面会…」


「…………そっか、」


正直言えば、ここで行くなと、ここにいろと言って欲しかったんだと思う。

あくまで普段と変わらず少し翳った表情で僕を見つめた永久は、ならいいやと言って僕に背を向けた。

怖かった、きっと。知らず知らずのうちに握りしめたパーカーの裾に皺がよっている。つうっと首筋を伝った冷や汗が、僕が永久を怖がった証拠みたいで、乱雑に拭った。

永久が怖いなんて、そんな。


暫く立ち尽くして、漸く動くようになった体に鞭打って部屋に戻った。永久はいつも通りで、乾いた笑みしか浮かべられなかった。





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