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Prolog+1章


Prolog


‘’家族”

それは人間が最初に所属する社会集団であり、きっと誰かの居場所である。





____そしてきっと、それは誰かの悪夢である。



「……」


そんな悪夢に囚われている


「……はは、しょーもな」


少年たちの話




1、朝ぼらけ


夢を見ていた。遠い昔のような、それほど昔でもないような、記憶の夢。




ドカドカなんて言えないような、重い音が響く。それでも可愛らしいオノマトペでしか言い表せないのは、僕が無知だから。

……知る機会が、僕には無い。

降り頻る拳が、頭を守ろうと掲げた腕に当たる度にヒリヒリと痛む。青痣の上にぶつかれば奥歯で悲鳴を噛み殺し、骨の浮き出た自身の腕が限界を訴えても、腕を下ろすことは出来なかった。

痛いと声に出せば、辛いと泣いてしまえば助けてくれる。なんて世の中じゃない。少なくとも僕は、そんな世界に生きていない。

しばらくすると満足したのか、次第に拳は止んで、彼は大きな足音を立てて何処かへ向かった。その大きな背中を眺めながら、やっと終わったと息を吐いた。


「……はぁ、っい、…ほんと、さいあく」


やっと下ろすことの出来た腕には、新たに痣になりそうな程の痛みが加えられていた。やっと瘡蓋になっていたかつての傷跡からドクドクと血が流れる。これだから嫌だ、この脆弱な体も。アイツの、クソみたいな全ても。


僕と血の繋がった、実の父親であるはずなのに。アイツは、事ある事に僕を殴って、蹴り飛ばして、タバコを押し付け、冷水を浴びせてくる。

かつて、物心がついたばかりの頃はまだ優しい父親だったはずだ。もう数年前のことで、はっきりと覚えてはいないが。

父親がいて、母親がいて、普通の家庭だった。小さな両手を握られたことも、頭を撫でられたこともなかったけれど。

普通の家庭だと信じて疑わなかったのは、それ以外を知らなかったから。

母親は無情な人だった。始まりは詳しく知らないけれど、小さな喧嘩だったらしい。父がそう怒鳴りながら殴りつけてきて初めて知った。そんなことで僕を捨てたのかと思ったけれど、きっとそもそもも彼女の選択肢に、僕や父の存在なんて端からなかったのだろう。

母に逃げられた父は酒に溺れた。社会の地位を失い、自信をなくし、ストレスを抱えた。それでも立ち直れるほど強い人ではなかった。行き場の無いストレスの捌け口は何時しか僕になっていた。暴力以外のストレスを発散する方法を知らないのだろうと思う。正直どうでもいいけれど。ギャンブルに溺れてないだけマシだと思うべきなのか。僕には分からない。


「……ぁー、…」


父がいると声を出さなくなったので、使わなくなった喉は何時しか綺麗な音を紡げなくなった。

それで良かったとも思う。きっと叫ぶほどの力があれば、暴力の雨は勢いを増すのだから。

殴られた後を見つめる。生憎手当てする術も知らなければ、そんな道具この家にはない。あったとしても、僕が使っていいわけが無い。

虐待と呼ばれる行為の中で、これがおかしいと気づけたのは、比較的冷たくない家族の記憶と、気まぐれに与えられた、決して小学三年生の子供が読むような内容ではない小説のおかげだろう。

外に出ることは無いし、学校なんてもちろん通っていない。必要な知識を身につけることも、一般的な子供が経験するであろうことも全て、アイツに奪われている。それが少し、悔しい。


「っち…おいお前、なんでまだここにいるんだよ!!」


「っ……」


いつの間に帰ってきていたのだろう。急に陰った視線の中に、ソイツの足が映る。

怒鳴りつけられた声にビクリと反応してしまう自分が嫌だ。まるでこいつが恐ろしくて堪らない、か弱い子供のようで。もうそんな、怖がってればどうにかなる歳でもないのに。

怒鳴りつける声は頭に響いた。少し視線を上げて、初めてソイツが濡れていることに気付く。

ああ、雨に降られたんだな。急な雨で濡れて、それで不機嫌なのか。

嫌でも察せてしまうことが嫌だった。

同時に、響く声のせいだと思っていた頭痛が低気圧によるものだと気付いて憂鬱な気分になる。どうにも僕の体は、弱くって仕方がない。


「何とか言えよっ!!!!」


ああもう、煩いな、ホントに。ちょっとは静かにして欲しいものだ。今日はどうしてこんなにも不機嫌なのだろう。

先程僕を殴り倒したのだから、ある程度の発散は出来ているだろうに…


「……ちっ、…隣のクソども、うるさくって仕方がねぇ…おいお前、ちょっと着いてこい」


「……ぇ、」


ビックリして、勢いよく頭をあげる。明るくなった視界と、急に動かしたせいで頭痛が増した。

着いてこい、と言ったか?コイツが?

疑問に思いながらも、僕に拒否権なんてなくて。力の入らない痩せぎすな足で、精一杯立ち上がった。

乱雑に僕の手を引いた父は、先程帰ってきたばかりで開いたままの玄関を通り外に出た。

あれほど望んだ外の世界は、呆気なく僕の前に現れた。

ズカズカと大股で歩く父は、隣の部屋の前に辿り着くとドアを蹴り飛ばした。そんなので外れるほどドアは脆くない。普通は。

このアパートが、これほどボロボロで、歩くだけで床の軋む音が鳴り響き、いつ床が抜け、雨漏りするか分からない恐怖に怯える必要があるものでなければドアは抜かれなかっただろう。


「……」


なにを、したいのだろう。この親は。


どうして連れてこられたのか分からなくて、呆然と立ち尽くす。いっそ走り出してしまえば、この環境から逃げられるのに。

走っても逃げきれないことを、逃げ切った先に待っていることを想像出来てしまうから辞めた。

父と、誰か女の人だろうか、男の人も居るのか。揉めている声がする。まるで水の中のように、明確に聞き取れやしないけれど。

次第に声は大きく、迫力を増していく。こっちは先程からずっと頭が痛いのだから勘弁して欲しい。


「……は、」


だからこそ、気付かなかった。父が相手を殴り飛ばすまで。言い合いが言い合いで収まりきらないほど発展していたことも。父の暴力性も。

殴られたのは男の人だった。殴り飛ばされて、きっとどこかにぶつかったのだろう、ガシャンとものが落ちる音がした。

呆気にとられる女の人に、父は同じように勢いよく殴りかかった。


「…なに、して……」


目の前の凶行に、息が詰まる。


「いやぁっ、やめて、あなた!!!」


「うっさいんだよ!!!!!!」


鮮明に、声が聞こえた。

女の人は顔を殴られ続けていた。鼻血が出て、瞼が切れたのか血が流れていて。

怖いと、直感的にそう思った。父を見つめる。硬直しきった体は、逃げることも、止めることも出来なかった。

だから気付けたのかもしれない。殴り飛ばされた男の人と、殴られ続けている女の人の奥にいる、小さな子供に。

小さなと言えど、然程年の変わらない子だろう。目の前の光景が信じられないと言うように目を見開いて、それでも静かに状況を眺めていた。


「……にげ、っ…」


逃げてと、そう言いたかった。父の暴力性は理解した。このままだときっと、この幸せそうな家族を壊してしまうから。

それでも声に出なかったのは、大声を出したのがもう何年も前だからなのか、それとも父に無意識に恐怖していたのか。今は分からない。


知らぬ間に、女の人は動かなくなっていた。死んだと、そう思った。医療知識があった訳でも、確認した訳でもないけれど。確信が持てた。

父は、殴り飛ばされて伸びている男の人に向かっていった。表情は抜け落ちていて、背筋が伸びた。

意識がないのもお構い無しに、父は殴りかかった。血が飛ぶ。殴られる度に浮く足が、少しずつ浮かなくなっていく。

あー、やばい、これ、は。





「っは、はぁ、……はぁ……」


自分が今何をしたのか、よく分からなかった。


「……ぁ、え、…?」


目の前に広がる赤い海と、自身に飛び散った、赤いそれと。手を染めたそれが、それが。

父親が、ゆっくりこちらを見やって血の海に溺れる。

びちゃっと音がする。

錆びた鉄の様な匂いがツンと鼻に来る。視界が揺れる。定まらない。

怖くなって持っていた包丁を握りしめた。ぐちゃり、音が鳴った。それで初めて、自分が凶器を握りしめていることを認識した。

握られた包丁が、この惨状を招いたのは自分だと、そう伝えてきて、怖くなって手放した。

からんと軽い音を立ててそれは床に転がる。


僕は今、何をした……?


冷静になって、もう一度辺りを見渡す。

広がる赤い海は血溜まり。飛び散ったのは父の血。刺したのは、ぼく。で、えっと。

たぶん、だけれど。刺した。包丁、で。これはこの家のものだろう。家に調理器具なんてない。いつ?なんで?

恐怖。それしか無かった。父を刺した自分と、刺す以外に止め方が思いつかなかった知識の無さに。

呆然と立ち尽くす。あー、これどうしよう。


「…君が、ヒーロー?」


「……え」


聞こえてくる声に、ビックリする。少し高いその声は、奥に隠れていた子供のものだと、姿を確認してやっと気付いた。


「……ヒー、ロー?」


「うん!だって俺の事守ってくれたんでしょ?」


「…まもった……」


分からない。守ったとか、そういうことを考える前に、体が動いていたから。


「だから俺のヒーロー!そうだろ!」


それでも、そう言って笑ったその子供に、強く言い出せなかった。


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