Prologue-『キツネのいる町』-
昼の笠間は、まるで土の匂いがそのまま空を歩いているみたいだった。
大きな森を背に広がる町。
その一角に広がるお祭りは、ぼくが今まで見たどんなマーケットとも違ってた。
——「笠間陶炎祭」って、父さんが言ってた。
日本の春の終わりに開かれる、笠間焼の大きなイベントだって。
ぼくは、その間を歩いていた。父さんの手をぎゅっと握りながら。
「Vi måste vara försiktiga, det är mycket folk här.」
《人が多いから、気をつけて歩くんだよ》
「Jag vet, pappa.」
《わかってるよ、パパ》
ほんとうは、その手を、もう少し長く握っていたかった。
こうして父さんと二人で旅行なんて、久しぶりだったから。
しかも、ぼくがずっと来てみたかった
日本への"Utenlandsreiser"。
最近は仕事ばかりで、朝起きたときや夜眠るときも、
父さんはいないことの方が多かった。
そのとき、父さんのポケットから着信音が鳴った。
少し眉をひそめて、スマホを取り出し、画面を確認する。
「……Förlåt. Det är jobbet. Jag måste ta det här.」
《……ごめん。仕事だ。ちょっと出なきゃ》
「Okej…」
《うん……》
父さんは少し離れたベンチの影に行き、電話を始めた。
ぼくはひとり、土の匂いに囲まれて立ち尽くす。
たぶん今回の旅行も、ほんとうは無理して時間を空けてくれたんだと思う。
本当は、もっと違うことがしたいのかもしれない。
もっと仕事をしたり、疲れてるから家でのんびりしたり。
それでも、ぼくを喜ばせようとしてくれた。
それが嬉しくて………ちょっと哀しい。
テントの下に並ぶ器たちは、どれも形が少しずつ違っていて、
どこか生き物のようだった。
丸くて、ざらっとしてて、でも指のあいだにすっとおさまる。
ぼくの国にある、きれいに揃った真っ白な器とは、何もかもが違ってた。
「De känns som att de är gjorda för händerna, inte för maskinerna.」
《これは、機械じゃなくて、手のために作られたみたい》
思わずそうつぶやいたぼくに、父さんが微笑んだ。
「Det är det som gör Kasamayaki speciellt.」
《それが、笠間焼の特別なところだよ》
午後には、土をこねる体験もさせてもらった。
粘土の中に指を埋めると、まるでその奥に“何か”が眠ってる気がして、
夢中で形をつくった。
手のなかで、少しずつ形が変わっていく。
その感触がなんだかくすぐったくて、あたたかかった。
日が傾いて、夕飯を食べ終える頃には、空が藍色に変わっていた。
そして、夜の陶炎祭がはじまった。
灯籠の火が、白布のテントをぼんやり照らし、
器の表面がほのかな光をまとって、まるで呼吸してるみたいだった。
知らない街のはずなのに、どこか懐かしいような——
そんな気がして、胸が少しだけ苦しくなった。
そのとき——
「Pappa… den där…」
《パパ……あれ……》
ぼくは、彼女を見つけた。
赤い灯りの向こう、人混みのあいだから、
すっと立つ、細い影。
狐の面をつけた、和服の女の子。
面の奥の目は見えなかった。
だけど、どうしてか、はっきりわかった。
——こっちを、見ている。
ひとつも言葉はなかったのに、
あの子のまわりだけ、音がすっと消えたような気がした。
空気がひんやりして、灯りの色が変わった気がした。
不思議と、怖くなかった。
むしろ、心のどこかが——
まるで“あの子を知ってる”って、言ってた。
まぶたの裏に、あの子の後ろ姿が焼きついた。
知らないはずなのに、見覚えがあるような。
出会ってないはずなのに、ずっと待っていたような。
そして次の瞬間、彼女はくるりと背を向けて走り出した。
ぼくは、父さんの手を離していた。
声もかけず、名前も知らないまま、
ただ、あの子の後を追った。
火の揺れる、夜の陶の町の中へ——




