¶3 あたしが遊んでたんだと思ったんでしょ
鬼が、むっくりと起きあがる。ビルの壁面にはひび割れがクレーター状に広がっていたが、本人にはそれほど障害はないようだ。
青の少女、エルラガルは、ふん、と鼻を鳴らした。
「今のはご挨拶みたいなものよ。堅さはそこそこかしら、ね!」
言うが速いか、エルラガルは一足飛びで鬼の目の前に到達する。大きく振りかぶると、鬼のみぞおち目掛けて拳を放つ。
「なっ!」
だが、エルラガルの拳は鬼の身体をすり抜ける。そのままバランスを崩して前につまずくと、奇妙な雄叫びを上げながらビルの壁面に消えていった。
祐人はそれを呆然と見ていた。エルラガルが消えていった場所から目を逸らすと、ため息をついた。
「結果、相手を怒らせただけじゃないか」
ふと、気配を感じて振り向くと、ニット帽とスキンヘッドが目を覚ましたところだった。二人は何事もなく立ち上がる。
祐人は二人に声をかける。
「ケガはないか? お前らじゃ相手に……な、らな……い…………」
感じたことのある、違和感が襲った。それは、ひょろ長が現れた時と同じもの。
結果はすぐに現れ、祐人の予想に違わないものだった。
「-------------------------------ッ!!」
ニット帽とスキンヘッドはほぼ同時に、ひょろ長と同様にうめき始める。
何から何までが同様だった。渦が巻き、大きくなると固体化して、鎧のような肉体が身体を覆う。気付いてみれば、前には元・ニット帽と元・スキンヘッド、後ろには元・ひょろ長、と挟まれている。
「これはもう……」
倒すしかない。祐人は腹を括る。ただでさえ危ない人種を、ますます危ない状態にして街中に放置したら、怪我人が出るとも限らない。それにも増して、こんなのが街中に出てパニックになったらどうしようもない。
「うおっとと」
そう思考している間に、三者の無骨な拳が襲いかかってくる。まだすべて躱せているが、少しずつ連中の反応速度が上がってきているようだ。
三体に囲まれていてはどうしようもない。手始めに、祐人は元・ニット帽に肘から突進し、包囲網を破る。そのまま振り向きざまに元・スキンヘッドのがら空きの脇腹を払う。体勢を立て直すと、元・ひょろ長を蹴り飛ばした。
「やれやれ」
とりあえず、人心地つく。祐人は倒れている元・ひょろ長の脇に座り込んだ。見れば見るほど、童話に出てくる鬼のようで、こうして目の前にあることが信じられない。ごつい般若にも似た顔を突いてみると、硬いが弾力があった。
「後ろだ!!」
凛と響く声。祐人はとっさに左側に転がった。
振り返って見れば、先刻まで祐人の首があったところに太い爪が在った。祐人に悪寒が走った。もしあのまま惚けていたら、致命的なダメージを受けていたに違いない。
「気を抜いちゃダメじゃない!!」
「悪かった……」
寝首をかこうとしていた元・スキンヘッドを蹴り飛ばして声のした方を見ると、エルラガルが腕組みをして仁王立ちしていた。
エルラガルはわざとらしくため息をついてみせる。
「あたしなら絶対にそんなこと許さないのに」
「…………」
祐人には言い返す言葉もない。まだ立っていた元・ニット帽にトドメの右ストレートを入れるだけだ。
祐人は、ふらつきそうな足取りで壁際まで行くと、三体ともがまとめて目に入るようにして座った。一方でエルラガルは、三体の姿をそれぞれつぶさに観察している。
「もう動かないよな?」
祐人はエルラガルの背中に声をかける。先刻の二の舞はもう御免だ。
「死ぃに~た~く~~なぁい~よぉ~~」
「悪い冗談はやめろって」
エルラガルが元・ひょろ長の太い腕を持ち上げてぶらぶらさせながら、低い声で声真似をする。祐人は理由なくゾッとした。なんとなくおぞましさを感じた。
「実は、そんなに冗談とも言い切れないのよね………………何、そのやる気ない返事は? ……まぁいいわ、見てなさい」
そう言うと、エルラガルは太い腕から手を離し、肩に手を置いた。目を瞑る。
エルラガルの掌がぼうっ、と淡く光った。その光は置いた肩に吸い込まれているように見える。
「何が? …………っ!!」
祐人の目の前で、腕が動き始めた。まずは指先が反応し、次いで手が持ち上がる。一指一指がそれぞれバラバラに動き出す。肘が上がり始めたところで、電池が切れたようにぱったりと停止した。
「こんなもん。どう?」
エルラガルが笑顔で見てくる。
流石に笑顔で対応することは不可能だ。祐人は苦笑いを返しておく。果たしてきちんとそう見えているかは不明だが。
「言いたいこと、わかってるわよね?」
エルラガルが祐人の目を真っすぐ見てくる。こんな状況に至ってもいつもと変わらない目。
正直言うと、分かってない。グロテスクに蠢く指しか記憶に残らなかった。
「あーもう!!」
エルラガルがガシガシと髪を掻きむしった。腕組みをして、歩き回る。
「どうしてあの腕が動くのか、とか不思議に思ったりしないの?」
「……そんなこといちいち不思議に思うようなら、エルラガル、お前の存在の方がよっぽど謎だぞ」
「ほぉー?」
コワい。目がコワい。エルラガルの後ろに般若が見える気がする。今更後悔してももう遅いのだが。
ここは、話を切り替えるしかない。祐人は常識の通用しない相手に挑戦する。
「そっち側の方としては、この状況はどう考えるんだ?」
「そっち側も何も、祐人自身、含まれてるんだけど」
むむむ、と唸りながらもエルラガルは続ける。
「こんな風にはならないけど、祐人だって似たようなものなのよ」
「はぁ!? こんな化け物と一緒にするなよ」
祐人は一応普通の人間のつもりだ。目の前に転がってるおとぎ話の住人と一緒にされては困る。というより心外だ。
とは言ったものの、じとっとした視線を送るエルラガルを見ると、不安な気持ちが湧き上がる。そんな祐人の気持ちを察してか、エルラガルは大きくため息を吐いた。
「この世界の住人で、かつ超越者である、という点で同じでしょ」
「超越者? あれはただの化け物だろ」
「先刻見てたでしょ! あたしが触らないであいつの指を動かしたとこ」
おそらく記憶に深く刻まれてしまったであろう、あの動きにそんな意味があったとは、思っても見なかった。
「てっきり」
「あたしが遊んでたんだと思ったんでしょ」
言って、エルラガルは鼻を鳴らす。完全な図星だ。祐人は二の句も継げない。
「あの外装は、エーテルで形成されてた。エーテルを繰ることが出来る超越者でないと、あれでは動けないわ。でも……」
「でも?」
エルラガルは眉を寄せる。
「ヘン」
「変? 何が?」
「そこなのよ!」
言って、エルラガルは祐人の隣に腰を下ろす。そして、じっと自分の指先を見つめた。 小さくて柔らかい手のひら。細く伸びる5本の指。目の前に転がる連中とは大違いの、でも同じ力を行使し得る手だ。
祐人もしばらくその様子を見ていたが、慌てて学生服のポケットから携帯電話を取り出した。開いて、液晶画面に目をくれると無意識にため息が漏れる。
「遅刻だ……」
呟く祐人を、エルラガルは感慨も無さそうに見やった。対する祐人は足取り重く、いつの間にか放り投げていたカバンを取ってくる。
「こいつら、どうするんだ」
「むぅ」
エルラガルは立ち上がって一番近くの元・ニット帽の前に立つ。祐人は後ろから元・ニット帽の様子を覗いている。
「死んでるのか?」
「大丈夫。まだそれほど時間は経ってないから、この外装を解除すれば生命の危険にはならないはずよ」
そう言いながら、エルラガルはしゃがんで元・ニット帽の腹部に手を下ろす。
エルラガルの手のひらが明るく輝いた。するとすぐに、外装が霧の向こうに消えるように淡くなり、消え去った。
残ったのは、眠ったようなニット帽だけだった。
「さて、さて」
かけ声をかけながら、エルラガルは元・ひょろ長と元・スキンヘッド、それぞれの外装を解除していく。
数分と経たずに、全ての外装解除が完了した。大きな外傷はないようだ。
「後は、勝手に目を覚ますでしょ」
言って、エルラガルは大きく伸びをした。
一方の祐人は、のんびりしてる場合ではない。既に遅刻は決定している。
「もう面倒だから今日学校休もうかな」
ふと振り向くと、エルラガルがキラキラした目で見てきていた。これはこれで、何かなさるのではないか、とコワい。
「学校休んでくれるの?」
「え、と…………やっぱり学校行くよ」
エルラガルはムスッと頬を膨らませた。