¶13 すぐに破壊するような人間じゃないわよ
小鳥のさえずりが耳朶を打つ。
「んっ……」
祐人は寝返りを打った。
奇妙な違和感。いつもより明るいような気がする。まさか、と思考が頭の中を駆け巡って祐人は跳ね起きた。自宅のリビングだ。
慌てて壁掛け時計を見ると、7時を指している。
「いつも通りの時間だ。習慣って本当に嫌になる……」
ふたり共、昨夜と言うのが正しいのかは分からないが、帰宅したときのままの恰好だ。制服のまま寝てしまうなんて噴飯ものだ。
ため息をついて周囲を見回すと、エルラガルが窓際の陽の当たるところで丸くなっていた。昨晩はソファーで丸くなっていたのに、かなりの距離を移動していた。
完全にエルラガルは熟睡しているようだ。起こすのも悪いので、寝かせておく。引っかかる箇所もなければ、捲れる布地もない恰好では、時間をかけるのも無駄だ。
(ショートパンツが致命的だよな)
などと余計なことを寝ぼけた頭で考えながら、祐人は携帯電話を手に取る。
「……?」
時間がずれている。
部屋の壁掛け時計は7時なのに、携帯電話の時計は10時を回っていた。
「そういえば、目覚まし時計もない」
辺りを見回す。転がっているエルラガルと消失した目覚まし時計を除けば、壁の一部が光っているくらいだった。
よく見ると、違う。
夜空に輝く星々のように、壁の上に無数の点が輝いている。
「なんだこれ……」
近づいて、触れる。大小に差はあるが、小指の爪程度の欠片が壁に刺さり埋もれている。
少し離れた所に、奇妙な物体が突き刺さっていた。引き抜くと、柄の長い矢印の形をしている。
足をずらすと何かに当たった。拾い上げると、透明なプラスチックの丸い物体だった。
「矢印と丸いもの……あっ!! ならアレが近くにあるはず」
祐人がしゃがみ込んで探すと、目的のものはすぐに見つかった。
プラスチックの丸い物体と同じくらいの紙切れ。1から12の数字が並び、細かい点が幾つも打たれている。文字盤だ。
「俺の目覚まし時計は天に召されたのか。立派な最期……いや、何故粉々になって部屋の壁に刺さっているんだ!?」
無惨にも被害者がバラバラになった現場に立ち、後ろを振り向く。まず目に入ったのは、昨夜まで被害者が居たはずのローテーブル。冬にはコタツにもなる優れものだ。
その向こうには、丸い塊。3地点はほぼ一直線上に並んでいた。
「お前が犯人か、エルラガル。一体被害者にどんな恨みがあったというんだ」
「くぅ」
返ってくるのは寝息だけ。まだ寝ているのだから当然だ。
祐人は追求するのを早々に止めた。壁掛け時計を見ると、7時を指している。
「だから、時間がずれているんだよな。電池切れかな……何だこれ!!」
「ん……」
エルラガルが目を覚ましたようだ。しかし、そんなことは祐人にとってどうでもよかった。
壁掛け時計のガラスカバーに蜘蛛の巣のようなひびが走り、その中心に見たことのある矢印が突き刺さっていた。取り外して裏面を見ると、時計に比べて小さな機械本体部分を貫いている。つまり、小さな矢印が壁掛け時計の核をピンポイントで貫いたのだ。
「安らかにお休みください」
「んーっ。あれ、どうしたの、祐人」
手を合わせる祐人に、伸びをしながらエルラガルが訊いた。
ゆらりと祐人が振り向く。
「ほら、これ見ろ」
「何よこれ」
エルラガルの前に、犠牲者の一部を突き出した。
難しい顔をして、それをまじまじと見つめる。エルラガルは本当に記憶がないようだ。それか、知らないふりをしているのか。
どちらにしろ、祐人の方は決定的な証拠を握っている。現場にいた状況証拠と、亡き者にした手段だ。両方とも、エルラガルが犯人だと示している。
そのことを説明すると、エルラガルは、
「ごめんなさい」
と以外にもすぐに謝った。
(仕方ない、壁の傷は俺から伯父さんに謝るか)
と祐人が考えていると、エルラガルが訊いてきた。
「7時で止まってるけど、何の時間?」
「たぶん、目覚まし時計をセットした時間だ。無意識に音を止めようとして吹き飛ばしたんだ」
「そうね。記憶にないもの」
虫の知らせだろうか。なんとなく、嫌な予感が祐人の中で鎌首をもたげる。
エルラガルは続ける。
「でも、あたしだって鳴ったらすぐに破壊するような人間じゃないわよ。あ、人間ではないのかもだけど」
「分かってる。でも反射神経とかそういうのはあるだろ」
「あたしは眠りは深い方なの。寝るときは寝る、ケンカするときは全力で。だから無理よ」
「どうだか。犯人の口から出た証言は真剣には聞けないぞ」
「そもそも、何故あたしが、無意識にしろ破壊するまで鳴り続けてたのか、っていうのが謎よね」
(そういうことか……)
祐人の嫌な予感は的中した。
転んでもただでは起きないエルラガルの精神は、流石というべきか。これ以上は追求できない。
「今日どうする?」
「学校行くんじゃ……あ。あぁ、そうよね」
祐人は完全に遅刻だが学校に行くし、今日いちにちエルラガルがどうしているか、ということだ。
そろそろ、祐人の思考を追いかけられるようになったようだ。現状では無理にでもついて行くべきでない、とエルラガルも考えられるようになったようだ。ひとまず安心する。
「敵認定した例の人物について情報収集するのか、それとも戦闘に備えて鍛えるか。どっちがいいか、ってことね」
祐人の安心は、一瞬で脆くも崩れ去った。
真剣に悩むエルラガルの頭を、軽く小突く。
「そういうことは、ひとりでやってくれ。自分だけで動けるようになったんだから」
「でも……」
「だったら昨日の刑事に声かけたら? 役に立つかも」
「……うん」
エルラガルの歯切れが悪い。
いつも自分勝手で元気なエルラガルが、上の空でいるなんておかしい。とにかく、いつもの調子を取り戻して貰わなければ、と祐人はあれこれ考える。
(一番効果的な手段は、やっぱり実弾か)
などと物騒なことをかんがえながら、祐人はチェストの引き出しを開けた。
雑多な品々の中から、白い封筒を取り出し中身を確認する。あっ、と祐人の口からうめき声が漏れた。
「ヒグチ姉さんがひとりだけ……!!」
平たい表現を使えば、タンス貯金。内藤家の現在の資産は、これだけだ。お札が一枚では、ふたりに分けられない。
「なぁに、祐人? あ、そのお金。あたしが使うわよ」
止める間もなく、内藤家の最後の資産はエルラガルに接収される。
(いいさ、いいんだ。銀行に行けばいいんだし、コンビニのATMでだって下ろせるんだ。それに、エルラガルがお金の価値を完全に把握してるとは思えない)
「5000円かぁ。ご飯食べてゲーセンに行ったら、すぐに消えてなくなっちゃうな。祐人が学校終わるまでだし、これでいいか」
完璧だった。それに加えて浪費癖もあるようだ。
心なしか、祐人にはエルラガルの小さな手に握られた5000円札の樋口一葉が泣いているように見えた。目があったような気がして、慌てて目をそらす。樋口一葉はこの街で輝くひとつの星になったのだ。そう、祐人は自分自身に言い聞かせた。
「そうだ。これ持っていけ」
メモ帳に携帯の番号を書いて、怪訝な表情のエルラガルに渡す。
「……ナンパ?」
「違う! テレビばっかり見てるから変な言葉覚えるんだな。落ち合う時に、連絡を取るためだ」
いつでも連絡を取れるように携帯の番号を渡したが、(特に巻き込まれた周囲の人間が)心配なので、祐人はエルラガルに釘を刺しておくことにした。
被害は最小限に抑えなければなるまい。
「他人に迷惑を与えてはいけません。派手な行動は慎みなさい。お金は無駄遣いしてはいけません。困っている人がいたら助けなさい」
「何かの宗教?」
首を傾げるエルラガルに、祐人は首を振ってみせる。
「ただ、今言ったことを心に留めておいて欲しいだけだ。エルラガルのことだから、効果は期待しないけど」
そう、とエルラガルは気のない返事だ。
先刻も自分で言ったとおり、祐人は希望が叶うことを全く期待していない。エルラガルは頭が回るので、夕方には5000円きっかり消費している可能性だってあるのだから。
(せいぜい500円も残ってたら良い方か)
と考えるのが妥当なラインだろうか。
とにかく、祐人は急いで登校しなければならない。重い足取りで玄関に向かう。
「エルラガル。鍵は閉めて持って行くから、俺が居ないと開かないからな。間違っても壊すんじゃないぞ」
「そこまで非常識じゃないわよ」
小さな拳が腰の辺りに当たった。
扉を開けると、中途半端な曇天。重苦しいことこの上ない。
振り返ると、夏空のような空色が待っていた。
「ここで一時解散だな。居なくなった奴がいるかどうか学校で訊いてみるから」
「わかった。あたしもアイツ使ってできるだけ調べてみる」
マンションを出ると、ふたりは別方向に歩き出した。