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¶10 謝罪の仕方くらい解ってるはずよ

 手を伸ばしてはみるが、非常に不安定で、脇から見ている祐人には危なっかしくてたまらない。エルラガルがやじろべえのような物に触れようとした時は、思わず祐人が腕をとってしまったほどだ。

 ただ、すぐに飽きてしまったようで今はテーブルに突っ伏している。

「気持ちにムラがある、って言われないか」

黙って、目だけが祐人の方を向く。元は夏空のような清々しい青い眼のはずが、日の加減で澱んだように見える。

 口を開いて、空気が辛辣な言葉と共に吐かれようとしたその時、

「…………」

独特の匂いが、ふたりの鼻をついた。香ばしく、芳しく、そそるような匂いだ。

 目敏い、というか鼻敏いエルラガルは、すぐにも香りの出どころを突き止める。則ち、カウンターのマスターだ。

 ちなみに、祐人は見ずとも分かった。

 跳ね起きたエルラガルは眼を輝かせて、マスターの手元を直視している。その目線に気付いたマスターは、がっつきぶりを手で制した。

「お待たせしました」

朴訥なあいさつ。それと共にふたりの前に出されたのは、見たところ何の変哲もないただのコーヒーだ。だが、先刻の香りを放出しているのは間違いなく、これだ。

 無言でカウンターの定位置に戻ったマスターは、店番を任された笹原のグチを聞いている。

 そんなことなど見向きもせず、エルラガルは目の前の湯気が立つコーヒーをまじまじと見つめている。対する祐人は、無言でそれを口に運ぶ。

(……流石だ)

と思う。

 特段コーヒーについて詳しくはないからどんな種類のものなのかだとか分からないし、味覚が優れているわけでもないから淹れ方がどうとか講釈を述べることもどう表現したら適切なのかも分からない。マスターの淹れるコーヒーは、そんな祐人でさえも虜になってしまう魅力があるのだ。

「飲まないのか?」

エルラガルは、全然手を付けていなかった。

「飲むって」

「なら、いいけど。井伊家は彦根だから、滋賀かな」

「意味解んない」

黙って、祐人は再びカップを口に運ぶ。業を煮やしたエルラガルは、目の前のカップを引き寄せると一気に飲み干した。

 そしてすぐに、

「マスター、おかわり」

催促した。カウンターから、軽い答えが返ってくる。

「なかなか美味しいものね。気に入ったわ」

二杯目を注ぐマスターに、エルラガルは言った。機嫌よく足を前後にぶらぶらさせているのはいいが、全部祐人の向こう脛に当たっている。地味に痛い。

「でもあたし、こんなとこがあるなんて知らなかったな」

非難口調のエルラガルだが、祐人には足の鈍痛の方が重要事項だ。

「それより、そろそろ俺の足を蹴るのを止めてくれないか」

「え? 本当だ。テーブルの脚かと思ってた…………って! だから、なんでなのよ」

「最後に来たのがお前が憑く前だ痛っ」

「『憑く』って言うな」

「分かったから。3月に伯父さんと来た以来かな」

「むう……なら仕方ない」

「そうさ、仕方ないんだ。そもそも、ひとりで喫茶店来て黄昏るなんて似合わないだろう」

「うん!!」

エルラガルは全身で肯定した。卑下したのをちょっとは否定してくれるか、との祐人の甘い思いを軽く打ち砕いた結果だ。

 その上、コーヒーを啜りながら窓から外を眺めるエルラガルの姿が断然様になっている。赤みを帯びてきた光が差し込んで、エルラガルの色素の薄い青い髪が鮮やかに煌めき、眼は紅く燃えたように輝くのだ。現実にはあり得ない絵画の世界を幻視しているようで――――

(イカンイカン)

祐人は寝ぼけた頭をたたき起こそうと首を振る。

「ちょっと、マスター! それなに?」

エルラガルの奇声。慌てて祐人が振り返ると、マスターの手に異常な物体が握られていた。パフェ。端的な言葉で表現するならそうなるだろう。しかし、マスターの手に握られたそれは甘く柔らかい言葉の響きとは裏腹に、凶悪で禍々しい外見をしているのだ。

「スーパービッグバンセイントマジョリティサディスティックデストロイギャラクシーパフェ、だ」

全長はおそらく30センチを超える。逆三角形のガラス部分にはスポンジケーキやアイスクリームやゼリーや色とりどりのフルーツやらがカラフルに詰まって、

「とってつけたような名前、絶対に今考えただろ」

「なにあれ、凶器? あたしには凶器に見える」

ただそれは全長の半分程度だ。上半分はホイップクリームやソフトクリームといった軽い部類が山を成し、これまたフルーツや菓子の類で飾られている。

「あれ喰ったら、3日は何も要らないな」

「あれ食べたら、3日は無条件に幸せね」

祐人とエルラガル、ふたりの呆けた目線のその先で、マスターはパフェをテーブルにそっと置く。

 おずおずと祐人が口を開く。

「マスター、これは?」

「お嬢さんに、オゴリだ」

「……」

何食わぬ顔でマスターはテーブル脇に仁王立ちする。理解力がついていかないのか、エルラガルはマスターの顔を見、眼前のパフェを見て、またマスターの顔を見た。そして徐々に口角が上に引かれて目が大きく見開かれ、輝きが止まる所も知らずに増していく。

「………………い」

「い?」

「い、生きてるって、素晴らしいッ!!」

エルラガルは甘すぎる小山の中腹に噛みついた。そして噛み千切ると、そこにはくっきりとした歯型が残っていたが数秒後にはクリーム自らの重みで崩落した。

 欲望のままに振る舞い、速度と量を兼ね備えるエルラガルに祐人は言葉も出ない。呆れ果てて見ていると、

「大将」

「マスター? 何ですか」

カウンターからお声がかかった。マスターは手招きこそしないが、こっちに来い、と祐人には聞こえる。

「ちょっとマスターにお礼言ってくるから」

「ウウッ、グラァウ」

エルラガルの応答は最早人語の体を為していない。というか、聞こえてるかどうかも不明だ。ため息を吐きつつ、祐人はマスターの待つカウンターに向かう。

「あんな凄いモノ、ご馳走になって」

「そんなことどうでもいいが――」

「ッ痛っ」

いきなり襟首を掴まれると、祐人はカウンターに引きずり落とされた。

 強かに頭部を打ちつけ、目を開けるといつになく真剣なマスターと目があった。年齢差を考えれば明らかなのに、万力のように押さえつけるマスターの腕力に対抗できない。

「いったい何を!? まさかマスター、先刻の連中に」

「どの連中かなんてことは知らん。まず聞け」

祐人は無言で頷く。むしろ、マスターの圧力に負けて頷かされた、と言うべきか。

「大将があの娘とどういった関係かは訊かん。だが、今にも泣きそうな顔した娘を引き連れて、早足で駆けていくのは見ぬふり出来ん」

「はぁ」

「先刻道端で会った時だ。まさか、気付かなかったわけはあるまいに」

「はぁ」

「気付いていて無視していても、気付かない程興味がないにしても、問題だがな」

「はぁ」

「……はぁ、はぁ、って生返事ばかりだ。聞いてるのか」

「……はぁ」

固まる祐人に観念して、マスターは襟首から手を離した。解放されたままの格好で、祐人は考えを巡らせる。

(泣きそう? あの傲岸不遜天衣無縫の権化、エルラガルが……まさか)

「まさか、欠伸の涙じゃないですか?」

「……欠伸?」

「そう、きっとそうですよ! 毎日が物足りないって顔してますから、エルラガルは」

そうそう、と祐人は満足げに何度も頷く。

「欠伸か。それでいいなら、何も言うまい」

「終わった!? マスター、それでいいんですか!」

笹原の言葉を受け流して、マスターは身近なコーヒーカップを手に取り、布で拭き始めた。

 祐人はもう一度お礼を言ってから、テーブルに戻る。エルラガルの前にあるカラフルだった小山は、無惨に荒らされて半分ほどになっていた。

「何よ」

無意識に祐人の眉が寄っていたようだ。

 首を横に振ると、エルラガルはもう興味を失ってパフェに没頭している。一時も手を休めることなく、一心不乱に柄の長いスプーンを動かし続ける。

(思い過ごしだろう)

祐人はそう思う。

(エルラガルが泣きそうだった? 想像もつかない。朝の小競り合いでも、昼のケンカでも心底楽しんでいたじゃないか。きっと、その反動で疲れただけなんだ)

む、とエルラガルが顔を上げた。

「……何よ」

「何でもないよ」

「ずっとこっち見てた」

「見てないって」

「見てた。あ、もしかして……」

ニヤリとエルラガルは笑った。テーブルの反対側に座る祐人は、背中に悪寒が走り抜ける。

「な、何だよ」

「そうよね。やっぱり、そうなるわよね……うん、わかった。しょうがない!」

「話が見えない……」

ひとりで勝手に喜んだり悩んだりしているエルラガルに、祐人は完全に置いてけぼりを喰らった形だ。何が起ころうとも、スプーンは着実に山を切り崩していっているのだが。

「なかなか言い出せないことってあるわよね。いいって! みなまで言わない、わかってるから」

「非常に良くない感じがするのは俺だけか?」

「ふふん、まったく、らしくなってきたじゃない。お昼に瞬殺されたのが、それほど気に食わなかった? うーん、どこから始めたらよいものか。迷うわね」

「いったい何の話をしてるんだよ……」

「稽古をつけて欲しい、とかなんとか。そういうことでしょ?」

「……何処からそんな話になった」

「遠慮しなくていいって! 本気になってくれたんだから、あたしも全力でサポートするから」

「良い台詞っぽいが、最初から最後まで徹頭徹尾間違ってるからな、それ!! 勘違いだから。俺は、一般人でありたいんだッ!!」

「照れない照れない」

言って、エルラガルはベリーソースのたっぷりかかったアイス部分を喰らった。祐人がテーブルを叩いて反抗するが、どこ吹く風といった表情でパフェにかぶりつく。

 勘違いが発端とはいえ、厄介なことになったと祐人は頭を抱えた。かの悲劇の発端も、こんなエルラガルの異常で身勝手な盛り上がりによって、引き起こされたのだった。その恐ろしい記憶は、未だに祐人の心に深い根を下ろしている。

「もう、止めてくれよ…………あんな悲劇を、また、繰り返すつもりか……」

「確かに、現在の状態で実践訓練をするにはキツいわね。『瞬殺』されたわけだし」

「もういいだろ、忘れてくれよ」

「解ってないわね」

エルラガルはスプーンを動かす手を止めた。

「現在の自軍と敵軍の状況を把握、確認するのは、とっても大切なの。有利不利ってことだけじゃないんだから。相手の真意を見抜いて、過去の戦術から次の一手を先読みして、それを利用するよう味方を配置して、でも想定外の事態に備えて遊軍を準備して、その全てに必要なことなのよ。それでも、その一瞬一瞬の状況によって、不安定なゆらぎの中で、最善の選択肢を見つけなくちゃならない」

「……」

「分かった? 要するに、情報は何よりも重要だってことね。それに過信しすぎるのも危険だけど。って、祐人、聞いてる?」

「……」

「あまりの高尚なお話についてこれなかったのよね? 絶望でもしてるのかな」

はた、とエルラガルはあることに気付いた。祐人の反応が鈍いどころか、何もない。

 不機嫌も露わに眉を釣り上げると、エルラガルは座ったままで脚に目一杯力を溜めて、蹴り上げた。

「ッつ!? ね、寝てないぞ、寝てない! ちゃんと聞いてたぞ!」

跳ね上がった祐人は、慌てて早口で弁解にもならない弁解をまくしたてる。む、とエルラガルは一段と不機嫌になる。祐人が寝てたのは良いとしても、全然良くはないのだがそれは後にして、あからさまにエルラガルには嘘と解っていて、祐人もバレていると感じている抗弁を長々と語るその神経に、怒りを通り越して呆れていた。

 ドン、とエルラガルはテーブルを強く叩いた。

「!!」

祐人は驚いて押し黙る。エルラガルは祐人に目もくれず、パフェをつつき、物憂げに店内の時計に目をやった。

「……謝罪の仕方くらい解ってるはずよ」

「は?」

「甘味は今食べてるから、とりあえず肉ね」

「……」

意味が分からず、祐人はエルラガルの顔を見つめる。そしてパフェを見、時計を見た。

「分かった!!」

祐人はマスターの待つカウンターに飛んでいった。




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