プロローグ
それらは、個々に見れば成金趣味と思われても仕方がない代物だった。
大の大人が数人横に寝転んでも十分に余裕がある廊下には、厚みのある真っ赤なじゅうたんがいっぱいに敷き詰められている。西側の大きな窓からは太陽の光がさんさんと降りそそぎ、東側には豪奢な飾りのついた扉が等間隔に並んでおり、その間には高価な美術品と絵画が無造作に並べられている。
しかし、それらの調度品はその雰囲気とあいまって、その空間そのものが芸術であるかのような実感を思わせる。
そのじゅうたんを踏みしめ、雰囲気に飲まれず堂々と闊歩する者が二人いた。
「どうして君たちはこう、毎度毎度問題ばかり起こすかねぇ」
一人は、そう言って肩をすくめてみせる、20代と見える青年。金髪を短く刈り込み、長身で整った顔立ちだが、特徴のない顔ともいえる。
「『君たち』? それにはあたしも含まれてるのか? お前だってそんなに変わらないでしょうが」
もう一人は、青年の数歩前を振り返ることなく歩く、10代前半に見える少女。腰の当たりまで伸ばした突き抜ける青空のような長い髪が一番に目を引く。その長い髪を掻き上げると、左耳に二つのイヤリングがきらめいた。
青年と少女は、それぞれ正装でその上に膝まで隠れるマントを羽織っている。
「昔はボクも若かったからね。でも、今にもなって、しょっちゅう問題を起こして回るのは、君たち双子とアドラーぐらいだよ」
「でも!」
少女は立ち止まって青年の方を振り向いた。髪の色と同じ空色の眼に、透き通った肌。顔のパーツパーツはまだあどけなさが残るが、それでいて見た者をはっとさせるような華がある。
「でも! 他の連中は否定しないけど、あたしは違う! だって、依頼は全部こなしてるし、定例会にも出席してる! 今日だって、議会に召喚されて今ここにいるじゃない」
細い眉を目一杯寄せて、少女は青年の主張を否定にかかる。一方、青年の方はといえば、少女の頭をコツンと小突くだけで、立ち止まらずに歩を進める。軽くいなされた少女は、青年の後につづく。
「議会の老人連中が何を考えてるのかは解らないけど、ホラ、情報収集班をフルに利用して集めた今回の問題に関する資料だよ」
青年から少女に、綴られた十数枚の書類が渡される。書類の右上には、【持出禁止】の赤いスタンプが押されている。だが、少女は気に留めるふうもなく、ページをめくって流し読みしていく。
数枚めくったところで、急に手が止まった。
「『機密文書を持ち出して逃亡』……」
少女がつぶやいたその文言だけが、少女の求めていた情報だった。残りは、その事実と証拠、それが周囲に与える影響などが詳細に記されていた。
「機密文書、てどのレベル?」
少女は資料から目を離して、青年を見上げた。「機密文書」と名乗ってはいるが、そのレベルはピンからキリまであり、一つの国を滅ぼせるようなものや秘密会議の議事録から、悩んだ時の今晩のおかずの献立まである。また、重要なものは厳重に保管されており、議会の議員でも簡単に見ることは出来なくなっている。
「さぁ? 現状では何とも」
「そう……あたし達でもみ消しは?」
「出来たらもうやってるし、問題にさせないよ」
青年が強く言いきったのを、少女はあきれ顔で見遣った。
と、前方に行き止まりが見えてくる。興味の失せた書類を青年に返すと同時に、小走りで追い抜かす。近づくにつれ、行き止まりが壁でないことが解る。廊下の途中にあった扉のような豪奢な飾り付けはないが、所々に凝った部分が見受けられる。
扉の前につくと同時に、重苦しい、証人喚問の時間を告げる鐘の音が鳴り響いた。
「この鐘、そろそろ替え時でしょ。耳障りで仕方がないよ」
「あたしには脳みそカチカチ連中の耳障りなお小言が待ってるの」
青年が眉を寄せるのを脇目に、少女は緊張した面持ちで作り込まれた扉の取っ手に手をかける。慣れているとはいえ、最近ではご無沙汰だ。
少女は一度、深呼吸すると、ひと思いに扉を押し開けた。
そこは、すり鉢状の部屋だった。中央へ行くにつれて床はだんだんと低くなり、その周りを20、30の机が同心円上に並んでいる。机には少女言うところの「脳みそカチカチ連中」がそれぞれ少女達とは違う黒いマントを羽織って座っており、200人程いるようだが、常とは違うタイプの緊張が取り巻いている。
すり鉢の淵に扉があり、少女はそこで立ち止まる。と、すり鉢の一番下にいた初老の男性がそれに気付いた。
「では、この証言台へ」
言って、すり鉢の中央にある、小柄な机を指し示した。周囲が無言でざわめく。まるで、空腹の肉食獣を見つけたかのように。まるで、他人の生殺与奪権を自分が持っているかのように。
少女は軽く頷くと、音もなく飛んだ。
次の瞬間には、示された証言台の前にいた。今度は怒りとも畏れとも歓喜ともとれるざわめきが広がる。その中で、初老の男性は何に臆する風もなく立ち上がった。
ざわめきが収まるのを待ち、男性は重々しく口を開く。
「さて、今日はどうしてここに呼ばれたか、知っているね?」
「えぇ、あたし達が知りうる限りは」
双方とも、口調は厳しいが、出てくる言葉はふざけた内容。少女の、今も昔も変わらない純粋で明確な態度に、男性は微笑む。しかし、それも束の間、この場を任される者としての使命を果たすべく、重い口を開いた。
「最重要機密文書偽造及び漏洩及び逃亡の嫌疑がお前の姉妹、ニナンナ=スカンディアン=フューラーにかけられている。そこで、汝、エルラガル=ナヴィアン=フューラーに言い渡す! 容疑者の捜索をすぐに始め、逮捕もしくは手に余る場合は汝の手で処刑せよ!」
「最重要!? 処刑!?」
部屋全体が震えた。それは、少女の思惑を遥かに超えていた。