噂4
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神歴1926年3月31日
あの日のランの顔は病人のように青白く、体には力が入っていた。しかし、食堂で少し休んであとすぐに元に戻り、午後からは普通に仕事をしていた。そしてあの日以来ランがおかしくなることはなかった。
「ミリーナ、笑えてるかな。」
「、、、。」
「ミリーナさん、シランさん、ランさん。ありがとうございました。ほら、挨拶しなさい。」
「お、お姉ちゃんたち、ありがとう。」
馬車の荷台に乗った顔が真っ赤な少女が、私たちに向かって手を目いっぱい伸ばしている。
「はい、わたし忘れませんよ。」
「うん。大好きだよ。」
私たちに出来ることは手を握ってあげることのみだった。
左を見ると、ランの目が車輪を見ている。表情は笑っているように見えるが、首筋がはって肩が上がっている。
「ラン。」
右足でランの左足を軽くこつく。
「あ、ごめん。」
ぱっと目が荷台の少女に移って、手を握った。
「大丈夫だから。お姉ちゃんがいるからな。」
「うん。」
「じゃあ、行きますよ。」
馬車は私たちの手を引き裂くように出発した。馬が土を蹴り上げて、砂埃が立った。砂を避けるように一瞬下を向いたが、次に上を見るときには馬車の影すらなかった。
「ねえ、今日で何人目だっけ。」
「もう、覚えていません。」
「あれ、ランは。」
「ほんとですね。」
後ろを振り返ると、ランはすでに孤児院の入り口にいた。
「ラン、変わったよね。」
「はい。でも私たちも同じようなものですよ。」
「うん。そうだね。」
ランが扉を開けて孤児院に入っていく。
「明日ってさ。パレードだよね。」
「はい。」
「たの、しみだね。」
「はい。」
「去年はさ、みんなで交代で屋台にいって。ちょっとしかないお小遣いを全部使って。みんな。手におもちゃを握って。」
「は、はい。」
「楽しかったよね。」
「う、、。」
「今年は、楽しくしようね。」
「、、、。」
埃はスカートの中にまで入り込み、体中に張り付いて私たちを汚していった。
孤児院に戻ってもにぎやかなことはなく静かだった。たまに聞こえていた、咳の音や苦しむ声ももうしなくなった。私たちは今にでも倒れそうな体に鞭打って、無理やりにでも孤児院の仕事を見つける。私は子供たちが寝込んでいた部屋の掃除をすることにした。
部屋に入るとひんやりとしていた。部屋には一つだけ人がいない布団が一枚敷いてあった。片付けようと布団を持ち上げようとすると、
「あったかい。」
熱がまだ残っていた。両手を鼻の近くに持ってくると汗やつば、お日様の匂いがする。匂いが消えないように両手をぎゅっと結ぶ。
「たすけてください。かみ。」
言い切る前に私の息で匂いが消えた。
「う、、。く、、。」
これ以上息をしないように歯を食いしばる。手の甲から肘にかけて涙がたれてくる。肘から髪の毛に涙が移っていく。涙は毛先にまで流れ地面に落ちる。髪の毛が左右に細かく揺れた。
「ふーー、はーー、、。」
震えながら深呼吸をする。手をほどいて目をこする。そのまま布団を持ち上げて入口においた。入口には朝日が差し込んでいた。
しかし、光の中に細かい黒い線が入っていることに気づいた。
「なんだろ。」
しゃがみこんで、布団を膝の上において右手で線を触ってみる。線は私の手の甲に移った。影だ。布団を入口において窓を見る。
「まぶしい。」
光で真っ白になっていて全く見えない。左手で光をよけながら、右手を伸ばし窓に近づく。
「こつん。」
指が窓にあたった。右指を横に滑らせる。ごつごつとした感触が伝わってくる。さらに横に滑らせると、ガタ。溝がある。溝は浅くひっかき傷のようだ。掌を使って窓全体を触る。すると窓の真ん中に固まっていることが分かった。子供たちがいたずらして傷をつけたんだと思っていたが、窓の右上の影がかかっている部分を見てみると模様のようになっていることに気づいた。
光は動き、となりの窓に光が移っていく。床にはまた線の形をした影ができている。隣も傷があるのかと思い、触ってみるが溝が見つからない。よく見てみると、傷は表側ではなく裏側に刻まれているようだった。光はすぐに部屋に差し込まなくなり影が消えた。神父様に教えておかないとと思い布団を洗いにいった。
日が落ちたころ、私たちは食堂で無言で夕食を食べていた。
「ミリーナ、ラン明日。一緒に行こう。」
「はい。そうしましょう。」
「ランもそうしよう。」
「、、。」
「ランさん。」
「ああ、うん。そうするよ。」
最近ランはこんなことが多く、もう私たちは気にしないようにしている。
「何買おうかね。」
「どんな屋台がでるんですかね。」
「去年は飴とかお菓子とか、しょうもないおもちゃがほとんどだったよね。」
「そうでした。私たちも面白がって、変なお菓子買いましたよね。」
「ああ、あったね。見た目は本当にかわいかったのに、変な味だった。それにさ皆興奮しちゃって、私たちの手をめっちゃ引張ってきて。」
「シランさんは男の子とずっと一緒にいましたからね。特に大変そうでした。」
「本当に。あいつら遠慮なく引っ張ってくるから、パレードが終わった後握力がなくなるんだよね。」
「ははは。頭に乗られていましたしね。」
「飛びつかれるからね。」
「ごちそうさま。ごめん私早めに休む。」
ランは無表情で皿を持ち、片づけをして部屋に入っていった。
「気に障ったのかな。」
「どうでしょう。疲れていただけかもしれませんよ。明日一緒に回れば、きっと元気を取り戻しますよ。だって、小さいころから一番楽しみにしてたのはランさんじゃないですか。」
「だといいけど。」
このあと特に話すことなく片づけをして早く寝た。目を閉じて耳を澄ませると、隣の家や飲み屋から笑い声が聞こえてくる。みんな前夜祭でもしているのだろう。去年は孤児院でも、わくわくして寝れない子供たちを寝かしつけるのが大変だった。目を閉じながら、去年あったことを思い出していると足音が聞こえた。
「ぺた、ぺた、ぺた。」
誰かトイレでも行くのかと思い。無視したが足音はずっと聞こえる。裏口まではすぐにつくのに、何をしてるんだろうと思い目を開けて扉を見る。開いている。隣を見るとミリーナはいるがランがいない。気になり、扉に近づいて隙間から食堂をみた。
「ぺた、ぺた、ぺた。」
食堂は月明りが照らしておらず、真っ暗で何も見えない。目を細めて首を伸ばす。
「ぎぎ、ぎぎぎい。」
孤児院の扉が鳴っている。扉の隙間から月明りが漏れ出ている。おそらくランの片足が見えた。目を上に上げると、赤毛の髪と目を見開き表情が強張っているランの顔が見えた。
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