ハンカル視点 俯瞰と衝動 後編
時間軸は六年生の章 遺跡隊からの呼び出し、の前後。
ディアナが学院からいなくなった間の出来事。
前編の続き。
……ディアナといい加減、劇団の話をしないとな。
六年生の十二の月に入り、俺は少し焦っていた。実はディアナには内緒でウヤトの特別外交官として劇団で働けるように根回しをしていたのだが、その話が彼女と全く出来ていなかったのだ。
本当は夏休み後、アルタカシークに来てからすぐに話すつもりだったのだが、ディアナが襲撃されたことを聞いてそれどころではなくなったのである。
それに、そんな話をする雰囲気でもなかったしな。
鈍い俺が気付くくらい、六年生になってからのディアナはおかしかった。誰かと話している時は今まで通りの明るい彼女だが、ふとした瞬間になにか思い詰めているような、憂いを帯びた顔になる。
もちろん周りのメンバーもそれには気付いていたが、敢えてなにも聞かないようにしていた。
「今年は事情があって、クラブにいれる時間が減っちゃうんだ。だからクラブ内のこと、頼みたい」
六年生の初めにディアナからそう言われ、俺とファリシュタとラクスは黙って頷いた。演劇が一番で、クラブのことをなにより大切に思っているディアナが、真剣な顔でそう頼むのだ。俺たちの知らないところでとんでもないことが起こっているのは嫌でもわかった。
ディアナとの話し合いが終わってから、二人きりになったところでラクスがポツリと呟く。
「なあハンカル……ディアナがあんな風になるって相当なことだよな」
「……そうだな。去年の監視の時よりも事態は深刻なようだ」
「なにがあったんだろ」
「わからん。ディアナは新しいエルフで、かなり特殊な立場だ。俺たちに言えないことの方がきっと多い。推測するなんて不可能だ」
ディアナがあれだけ思い詰める事柄といえば、おそらくテルヴァのことだと思うが、そんなことは口には出せない。不用意にラクスを不安にしても仕方がない。
「ディアナの研究してるハンカルでもわかんねぇのか?」
「俺が知れる情報なんて大したことないさ。アルタカシークの貴族でも持ってる情報は多くないようだから」
「ファリシュタも……なんも知らないのかな」
「そうだろうな。ルザとイシークからはなにも聞き出せそうにないし……とにかく俺たちは頼まれた通り、演劇クラブをまとめよう」
「そうだな。わかんねぇこと考えてもしょうがないし。ディアナが出来ない分、俺たちが頑張るか」
「ああ」
そうして俺とファリシュタとラクス、そして各係の代表者がディアナの代わりに指導を始め、公演会に向けて動き出した。練習室にいる時間は減ったが、ディアナがまめに練習を見てくれたおかげで特に混乱はせず、ここまで来れたと思う。
音出し隊の方は大変そうだが、その他はなんとかなりそうだな。
中間テストが終わり、冬休みに入るまでは練習時間が増える。その間にディアナに劇団入りの話をしようと考えていたある日の朝、寮の食堂で沈んだ顔をしたファリシュタとザリナに会った。二人の様子に気付いたラクスが声を掛ける。
「二人ともどうしたんだ? 今日はディアナとルザは一緒じゃないのか?」
「ラクス……ハンカル」
そう答えたファリシュタの声は震えていた。
「なにかあったのか?」
俺が眉を顰めて尋ねると、彼女の代わりにザリナが答える。
「ディアナもルザも昨日から寮に帰ってきてないのよ」
「帰ってきていない? どこへ行ったんだ?」
「わからないわ。ただその前の日にディアナがすごく思い詰めた顔してたの……」
二人に話を聞くと、その前にもディアナが帰ってこない日があったのだという。そして一昨日、とても辛そうな様子でファリシュタに歌って欲しいとお願いしたそうだ。
「ディアナが歌を……」
「うん。私あまりにディアナが辛そうだから、少しでも癒せるように一生懸命歌ったの。ディアナはすごく喜んでくれて、少しだけ笑ってくれた」
今にも泣きそうな顔でファリシュタがそう言って俯く。ディアナになにかがあった。それを聞いて俺とラクスも手付かずの朝食を見つめる。
「ディアナは他になにか言ってなかったか?」
「……一昨日の夜に、クラブのことを頼むねって……」
その言い方だとまるで遺言みたいだな。
自然と浮かんできた感想を胃の底に沈めて、俺は口を開く。
「それなら、俺たちはその通りにするしかないな。ディアナの帰りを信じて待とう」
「ハンカル……」
「そうだな、それしかないな」
「……全く、心配ばかり掛けて」
ラクスとザリナはそう言って朝食に手を伸ばした。
「ファリシュタ、心配なのはわかるが、俺たちが元気なくしても仕方がない。朝食くらいはきちんと食べよう」
「……うん、そうだね」
ディアナのことがわかったのはその数日後だった。久しぶりに学院に戻ってきたルザが、俺とファリシュタとラクスを練習室に呼び出したのだ。
そこで言われたのは衝撃的なことだった。
「え……ディアナが家で寝込んでる⁉」
「ええ。現在はご自宅の自室で眠っていらっしゃいます。事情は言えませんが、ディアナ様の身に非常に負担の掛かることが起きまして……」
「だ、大丈夫なのかよ?」
ラクスだけがすぐに反応してルザに問いかける。
「怪我や病気という訳ではないのですが、深い眠りに落ちたまま戻ってこない状況です。医師の見立ては体力とマギアを極限まで使った状態であると。治すにはこのまま休ませるしかないと言われまして」
「そんな……自然に治るのを待つしかないってことか? いつ目覚めるんだ?」
「それは医師にもわからないそうです。私はディアナ様が目覚められるまでお側にいたいと思っていたのですが、クィルガー様から『いつ起きるかわからないから、学生であるルザは学院に戻れ』と言われまして……」
そう言ってルザは珍しく悔恨の表情を見せる。本当は離れたくないのに、ここに戻らざるを得なかったのが辛いのか、それとも主であるディアナを守れなかったと悔いているのか。
そのどちらもか……。
ルザやイシークのディアナに対する思いは強い。主が目覚めない状況になったことは彼らにとってかなり辛いことに違いない。
「このことは……この四人だけの秘密にしてください。他のメンバーの方たちには、ディアナ様は少し体調を崩されて自宅で療養している、と説明しますから」
「……わかった。ルザも大変だったな。伝えてくれてありがとう。これから各係の代表を集めて練習について話し合うよ」
「ハンカル、頼みます。ディアナ様が一番大事な演劇クラブのことを任せられるのは皆さんだけなのです」
ルザはそう言って「メンバーに声を掛けてきます」と練習室の扉へ向かう。そこにラクスも「男性メンバーは俺が集めてくるよ」と言って一緒に出て行った。
パタンと扉が閉まってから、俺はようやく隣に視線を移す。
「ファリシュタ、大丈夫か?」
そう声を掛けた途端、ファリシュタの体がふらりと揺れた。咄嗟にその背中に腕を回して彼女の体を支える。
「ファリシュタ!」
「ハンカル……どうしよう……」
俺のマントを掴んでいる彼女の手が震えていた。ファリシュタは涙を溜めた目でこちらを見上げる。
「ディアナ……このまま目覚めなかったらどうしよう……!」
「大丈夫だ、ファリシュタ。ディアナはそんな弱い人間じゃない」
「でも……あんな元気だったディアナが眠ったままだなんて……! あ、あの時、歌を歌った時にもっとディアナに聞けばよかった。なにかあったのって、辛いことがあったんじゃないかって聞けばよかった……っ」
「ファリシュタ……」
「嫌がられても聞けばよかったんだ……ディアナは絶対一人で思い詰めて無理したんだよ! 私が、もっと話を聞いていれば……!」
そう喚くファリシュタを、俺は思わず引き寄せた。彼女の背中に手を回し、力を入れる。
「落ち着け……ファリシュタ。ディアナが自分でそう判断したんなら、その行いに間違いはない。きっとファリシュタのことが大事だから、巻き込みたくないと思ったから黙っていたんだ。その時ファリシュタがもっと追求していても、きっとディアナは答えなかったと思う」
「うううー……でも……」
「ファリシュタがディアナのことを大事に思ってるのはわかってる。きっとディアナだって同じくらいそう思ってる。大丈夫だ、きっとすぐに戻ってくる。ディアナのしぶとさは俺たちがよくわかってるだろう?」
俺の胸に顔を埋めて肩を震わせるファリシュタの背中をゆっくりタップしながら、諭すように言葉を紡ぐ。
「なにより、一番大事な演劇クラブを置いて、ディアナがどこかに行くと思うか?」
「……ううん」
「一番やりたかったミュージカルを放って、眠り続けると思うか?」
「……ううん……そんなこと……ディアナは絶対しない」
「そうだろう? だから、大丈夫だ。きっといつものあの気の抜けた顔で『心配かけてごめんね』って言って帰ってくるさ」
少しだけディアナの言い方を真似てそう言うと、ファリシュタは泣きながらふふっと肩を揺らす。
「ハンカル……似てない」
「そうだな。自分でも酷いと思う」
「ん、ふふっ」
「落ち着けたか?」
「うん……ありがとう、ハンカル」
そこでようやく俺は背中に回していた手から力を抜いた。だがファリシュタは俺の胸に額をくっつけたまま、なぜか動かない。
このままでいるのは、流石にまずいのだが……。
気がつけば部屋には自分たちしかいない。しかしもう少しすればメンバーたちがやってくるはずだ。こんなところを見られたら、ファリシュタに変な噂が立ってしまう。
そんなことを考えていると、ファリシュタが俯いたまま躊躇うように口を開いた。
「……もう少しだけ、このままでいい?」
「……いや、そういうわけには」
「ごめん、やっぱり嫌だよね」
「いや、そういうわけでは」
「え?」
「……」
少しだけ気まずい空気が流れたあと、俺は片手だけを彼女の後頭部に添えた。柔らかなスカーフの感触が手に伝わる。
「……ファリシュタがこれで安心するなら」
そう呟くと、彼女は黙って俺のマントをきゅっと掴む。その遠慮がちに布を握る指が赤くなっていると思うのは、こちらの勝手な思い込みだろうか。
「ディアナ……大丈夫だよね」
「ああ、クィルガー様もルザに学院に戻れと言うくらいだ。そこまで切羽詰まった状態じゃないんだろう」
「あ、そっか……そうだよね」
「ディアナはマギアの量がかなり多い。それが回復するまではかなり時間が掛かると思う」
「うん、そうだね。……私たちに出来ることってないのかな?」
「ディアナが戻ってきた時に驚かせられるくらい、劇の完成度を上げるしかないな。逆に練習が上手くいってなかったら自分がいなかったせいだって、きっと自分を責めるだろう」
「それはダメだね。ディアナの大事なものを、守らなくちゃ」
ファリシュタとそんな言葉を交わしながら、俺は頭を回転させる。
ディアナが戻ってきたらすぐに劇団入りのことを話そう。それから公演会まで全力を尽くして、卒業して、国に一度帰って……そのあと……。
「根回しが大変だな」
「ん?」
「なんでもない、先のことを考えてただけだ」
いつも物事を俯瞰して見て考えるのが自分の信条だったはずなのに、初めて衝動のまま動いてしまった。
これじゃまるで、ディアナみたいだな。
いつもやりたいことに向かって真っ直ぐに突撃してしまう彼女が、頭の中でニカッと笑っている。その顔に向かって「早く戻って来い。ファリシュタを悲しませるな」と悪態をついて、俺は口の端を上げた。
頭でばかり考えていたハンカル、思わず動いてしまいました。
ここでお互いの気持ちを確かめたわけではないですが
貴族の恋愛(結婚)についてはまず条件や身分から考えるので
気持ちの確認の前に根回しから始まることが多いです。
二人がどうなるかは、今後のお楽しみということで。