表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/13

エルノ視点 音のある世界

時間軸は四年生の章 新しい音作り、のあと。

エルノがディアナの家に行くのを一度断ってから、ヴァレーリアに会いに行く決意をするまでのお話。


 僕が三級の魔石使いだとわかってからずっと、僕の世界は暗く、音もなかった。

 七歳までずっと甘やかされて育って、自分は特別なんだと思っていた。世界は自分が中心に回っていて、僕はこの世に望まれて生まれたのだと、本気でそう思っていた、あのころ。

 

 今思えば本当に無知で、愚かで……馬鹿な子どもだったな。

 

 自分が実は三級で、その存在は全く価値がないものなんだと突きつけられたあの日から、全てが変わった。明るかった世界から色は失われ、騒がしかった音は静かになった。

 そこからはただただ現実を知った。自分は特別でも優秀でもなく、勉強も基礎で躓くような出来の悪さだったし、運動神経も平凡で騎士になるような素質もない体だった。社交も上手くこなせず、父の目から僕に対する期待は萎むように消えた。今まで僕のことを盛り立て、騒いでいた母は自室から出てこなくなった。

 

「エルノ先輩、ちょっといいですか?」

「え? ああ、うん。どうしたの? ナミク」

「この前作ったこの音出しなんですけど、ディアナ先輩から『水を入れて使ってみても面白いかも』って言われたので作ってみたんです」

 

 遠い過去に意識を飛ばしていた僕は、ナミクが持ってきた音出しに視線を移して目を瞬く。

 

 そうだ、今はそんな昔のこと思い出している場合じゃない。練習に集中しないと。

 

 十二の月に入り、練習室ではそれぞれのメンバーが練習に励んでいた。僕たち音出し隊のメンバーも新しいリズムを作ったり、音出しを作ったりと忙しい。

 ナミクは秋に作ったお椀型の音出しをディアナに見てもらい、そこで合格をもらっていたのだ。

 

「よいしょっと……じゃあちょっと叩いてみますね」

 

 ナミクがお水の入ったお椀型音出しを台に置き、その縁を棒で軽く叩くと、明らかにいつもと違う音が鳴った。

 

「わ……ちょっと音が低くなった?」

「よくわかりますね、エルノ先輩。音が違うのはわかりますが、低くなってるってことなんですか」


 ナミクは感心するようにそう言うが、彼女もこのお椀型音出しを作る時に散々音の違いは聞いたはずだ。彼女は新しい音に興味はあるが、それがどういう風に鳴っているのかというところまで研究しない性格らしい。

 そのうちツァイナもやってきて、音の違いについて僕と話し出す。

 

「お水を入れている音は、いつもより少し篭りますね」

「中になにか入ってると音の響きが変わるのかな」

「そうだと思います。太鼓を叩いていればわかりますが、音というのは空気の振動が関係しているようなので」

「なるほど……振動か」

「お椀型音出しの大きさを変えるのでなく、お水を入れるだけで音を変えることができるなんて……さすがディアナ先輩ですね。こんなやり方を知っているなんて」

「本当に……どうやったらこんなの思い付くんだろう」

 

 僕はそう呟いて役者組がいる方へ顔を向ける。そこには立ち稽古をしている役者組を指導しているディアナがいた。

 この演劇クラブを作り、発展させていっている彼女は僕にとっては特別な存在だ。エルフということではなく、その考え方やアイデアの出し方が他の人とは一線を画している。

 そんな彼女のお陰で、僕の世界には音が広がったのだ。

 

「どうかしましたか? エルノ先輩」

「ああ、ううん……ちょっと一年生の時に見たディアナの劇を思い出して……」

「ディアナ先輩が初めてここでした劇のことですか?」

「うん、そう。黄の寮の談話室でディアナがイバン様と短い劇を披露したんだけど、あの時からずっとディアナは新しいことばかりしてるなって思って……」

「あ! その時の話、私知りたいです! ダニエル先輩からは聞いたけどエルノ先輩からは詳しく聞いてなかったですし」

 

 ツァイナにそう答えていると、ナミクが興奮気味に手を挙げた。僕が一年の時に見た劇はひと学年下の彼女たちは見ることが出来なかったので、その時の話を聞きたいのだという。

 僕は練習の手を止めて、その時のことを彼女たちに話した。一年生が作った劇というものに最初は興味を持たなかった人たちも、イバン様が出るとなって大騒ぎになったこと。実際に見たらイバン様は姿を隠して魔獣の役をやっていたこと。それなのにいつの間にかみんなが夢中になっていたこと。

 

 本当は父上に言われたから見にいってみただけなんだけどね……。

 

 僕は入学前に珍しく父に呼ばれて話をした。いつもと違って興奮気味の父から聞かされた話は衝撃的だった。腹違いの姉がアルタカシークの高位貴族に嫁ぐ予定になっていること、その相手の養子となった娘が学院に入学すること、うちとは縁を切ると言った姉の様子をその娘伝いに探ってこいと言われたこと。

 僕を見る目とは違って、姉のことを語る父の表情には生気が戻ってきていた。あんなに嬉しそうな顔をする父は見たことがない。そんな父を、僕は冷めた目で見つめた。

 

 姉上はこちらと縁を切ると言っているのに……なんでこの人は喜んでいるんだろう。

 

 自分が三級だとわかってから、僕は一度だけ姉のことを詳しく調べたことがある。そこでわかったのは、自分の存在と母からの仕打ちが彼女を家出に向かわせたのだという事実。渋るトカルやトレルから聞き出した姉への所業は想像以上に酷いものだった。

 決定的だったのは、姉の結婚相手を母が勝手に決め、それを巡って二人が対立したことだ。ある日食事中に大きな言い争いになった二人は互いに興奮して手がつけられなくなってしまい、その辺りにあったものを手当たり次第に投げ出した。主に投げていたのは母だったらしいが、それを姉は魔石術で防いでいたらしい。

 そんな姉にさらに激昂した母はあろうことか衝撃の魔石術を姉に向けて放った。その直撃は免れたらしいが、その時衝撃で飛ばされた食事用のナイフが姉のお腹に刺さり、姉は倒れたのだという。二人の喧嘩は日常茶飯事だったが、そこまで大きな事件になったのはそれが初めてだったのだそうだ。

 それから数日後、姉は突然家を出て、行方不明となった。

 その話を知った僕は、心の中に黒くて重たいものが沈んでいくのを感じた。知らなかったとはいえ、そんなことがあった家で僕は呑気に甘やかされて過ごしていたのだ。

 

 家にいない方がいいのは、僕の方なのに……。

 

 なにもかもを諦めていた僕に、父は姉との接点を持てと言った。彼が僕に期待することは、姉との繋ぎをすることだった。

 

 姉上が家出することになった原因は、この人にもあるのに。今さら姉上がうちに帰ってくることなんてないのに。

 

 それでも僕は、家出した姉のことを度々思い出しては、もしここに姉がいたのならどうなっていたのだろう、もし母との関係が良好だったら僕のことも気にかけてくれたのかなと考えるようになっていた。そう考えるのは目の前にいる愚かな父と同じで、それに気付いてさらに自分が嫌いになった。

 

 姉上は僕のことを恨んでる。それなのになんでこんなことを思うんだろう。

 

 自分の甘さにほとほと嫌気がさす。そうして鬱々とした気持ちで学院に来た僕が出会ったのが、ディアナの披露した劇だったのだ。

 初めて観る劇、演技をする人の鼓動、体に響く音出しの音。それら全てに圧倒された僕は、世界が塗り変わるのを感じた。今まで濁っていた世界は明るくなり、聞こえていなかった音が弾け始めたのだ。

 

 なにこれ……こんなの、見たことない。

 

 劇を観終わったあと、僕はその場から動けなくなった。出入り口付近で観ていたため、退出していく人たちに飲まれそうになって一緒に来ていたダニエルに助け出されたりもした。

 

「わぁ……! そんなに凄かったんですね!」

「その時の感動が伝わってきます」

 

 僕の話を聞いたナミクとツァイナがそう言って目を輝かせる。自分が感じた衝撃を伝えたいと思ったからか、いつもより僕も興奮して喋ってしまった。

 

「ごめん、ちょっと喋りすぎちゃったね」

「いえ、面白かったです、エルノ先輩」

「私も初めて演劇クラブの劇を観た時は同じように思いましたから」

「私も私も! 特に音出しの存在が凄かったんだよねぇ」

 

 ナミクはそう言ってツァイナと頷き合う。ここにいるメンバーは特に音出しに惹かれて入ってきた人たちだ。だから僕の気持ちもわかってくれる。

 この演劇クラブに入ってから、僕の世界には「音」というものが加わった。今までは意識なんてしたこともないもので、全く新しい存在だ。ディアナ曰く、この世には様々な「音」があり、その音たちは互いに共鳴しているのだという。高い音、低い音、澄んだ音、濁った音……。

 音出しを使うようになって僕にもその世界が見えてきた。例えば鳥の囀りも、誰かが走る音も、風が葉を揺らす音も、この世にはたくさんの音があって、僕たちは無意識にその世界の中で生きている。しかもこうして音出しを叩けば、自分にも音を生み出すことができるのだ。

 そんな世界が僕にとっては大事で、重要なものなのだと知った。生まれて初めて「楽しい」ということを知った。

 

 ようやく掴めた世界を、僕は手放したくない。

 

 その日の練習終わりに、ディアナがそっと僕に近づいてきて小声で尋ねた。

 

「ねえ、エルノ。やっぱり予定に変わりはない?」

「ディアナ……ごめん。ディアナの家には行けないよ」

「そっかぁ……残念」

 

 そう言って耳を下げてトボトボと帰っていくディアナを見て、僕の眉も下がる。冬休みにクラブメンバーを家に招待したいと言われたが、僕だけそれを断ったのだ。なにも知らないらしいディアナには悪いが、今さら僕が姉上に会えるはずなんてない。

 それに怖かった。姉上は僕のことをどこまで知っているのだろう。ディアナから僕のことを聞いて気づいたりしてるんだろうか。

 

 ……まさか。僕のことなんてきっと記憶から消している。自惚れるな。

 

 嫌われていても恨まれていても、自分のことを知っていて欲しいという浅はかな気持ちを、僕は首を振って頭から追い出す。

 そんなことがあって少々陰鬱になりながら寮に戻ると、階段の踊り場で自分の学年の監督生から手紙が届いていると声を掛けられた。

 

「手紙? 僕に?」

「ああ。ザガルディのエルノというのは君だろう?」

 

 監督生はそう言って仕分けされた手紙の束から僕に一通の封筒を渡す。この学院に来てから自分に手紙など届いたことはない。不思議に思って封筒の裏を確かめると、そこには信じられない名前が書いてあった。

 

 ——ヴァレーリア・アリム。

 

「……っ」

「君ので間違いないか?」

「……! あ、はい。僕宛です……多分」

「は?」

 

 不可解な顔を向ける監督生に首を振って、僕は足早に廊下を進み、自分の相部屋に入って扉を閉める。

 

「エルノ? どうした?」

 

 よほど変な顔をしていたのだろう。心配した同室の友人がそう声を掛けるが、僕は彼に曖昧に返事をしてすぐに寝室へと飛び込んだ。みんながいる場所でこの手紙を開けるなんてできない。

 自分のベッドに上がり、息を整えて受け取ったばかりの手紙を見る。何度確かめても、そこに書いてある名前は姉のものだった。

 

「嘘だ……まさか……なんで……」

 

 手が震えて、喉がゴクリと鳴る。封筒はかなり上質なもので、うちの家では見たことがないくらい豪奢なものだ。それだけで姉がはるか高い身分にいることを実感する。

 しばらく呆然としていた僕は、意を決して封筒を開けた。折り畳まれた手紙を開いた途端、いい香りがふわりとこぼれる。手紙の内容はとても簡潔で、そして驚くべきものだった 

 手紙にはディアナからの知らせで僕が冬休みに家に来ないことを知って、自分に会うのが怖いからだと気づいたこと。自分は僕のことを恨んでいないということを伝えるために手紙を書いたとあった。

 

「僕のこと……知ってたんだ……」

 

『あなたを責めるつもりはないから演劇クラブのメンバーとしてうちに来なさい』

 

 その言葉に僕は目を見開く。彼女の字は美しく、力強い。有無を言わさない強さがその文面から伝わってきて、僕はまたゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 知ってた……姉上は僕が演劇クラブにいること、ディアナの側にいること……全部知ってたんだ。

 

 この前の夏休みに父親に僕が演劇クラブに入っていることがバレたが、僕は頑なに自分の正体を明かすつもりはないと突っぱねた。自分の存在が姉に知られるのが怖かったのだ。

 恨んでいない、責めるつもりはない、という文字を何度も読む。信じられなかった。知ってくれているというだけで体が震えるのに、思いもよらないことがそこには書いてある。

 

 ダメだ、落ち着け。自分の都合のいいように考えるな。姉上はこう言っているだけで本当は違うかもしれないし、実際に会って僕を見れば怒りが溢れるかもしれない。もしかしたらディアナにこれ以上近づくなって言われるかもしれない。

 

「はぁ……ふ……」

 

 それでも鼓動はずっと跳ねて、気持ちが落ち着かない。嫌われていると思うのに、行っちゃダメだと思うのに、手紙の文字を目で追うだけで、鼻の奥がツンとして目頭が熱くなる。

 

「うう……ううー……」

 

 不安、恐怖、諦め、様々な感情が胸を渦巻いているのだが、その奥にあるのはどうしようもない喜びだった。ずっとどんな人なのかと思っていた。孤独に過ごす毎日に、姉がいてくれたらと思ったことが何度あったことか。

 嫌われていても、恨まれていても、僕の存在を見てくれる人と会いたかったのだ。ずっと……。

 

「姉上……」

 

 涙を流しながら指でそっと手紙の文字をなぞる。彼女にとっては大したことのない手紙かもしれない。けれど自分にとっては姉との繋がりを感じる唯一の光だった。

 

 会いたい。姉上に、会いたいよ。

 

 怒られても酷いことを言われてもいいから、一目会いたかった。ディアナの劇を見て初めて自分の中で沸き起こった「やりたい」という欲と、同じものが今生まれている。

 

「姉上に会いたい……」

 

 そう言葉にした瞬間、その手紙から不思議な音が聞こえた。まるでそこに希望があるように、姉の文字から音が溢れる。

 

『エルノ、この世界には様々な「音」があってね、その音たちは互いに共鳴しているんだよ。私たちはそんな賑やかな世界に生きてるの』

 

 前にディアナに言われた言葉が蘇る。彼女は僕の世界に音を連れてきてくれた。その音が、僕に進めと言っている。

 もしかしたら演劇クラブを辞めろと言われるかもしれない。それでも僕は、もうあの音のない世界に戻りたくはない。このまま止まっていたくもない。

 

 進もう。

 

 僕はぐしぐしと涙を拭うと、本番前にいつもみんなとする緊張をほぐす運動をして、最後にゆっくりと息を吐いた。

 

 明日、ディアナに家に行くって伝えよう。それで家に行ったら姉上にすぐに謝ろう。自分の思いを、ちゃんと伝えるんだ。

 

 そう決意して、僕は手紙を丁寧に折りたたんで封筒に仕舞った。

 

 

 

 

ずっと諦めていたけれど、エルノの心の中にずっとあった姉への想い。

彼女との再会は彼にとっては人生を揺るがす大きな出来事でした。

この先どうなるかは本編の四年生の章、姉と弟をお読みください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ